ヴァレーリア視点 男運の悪さの真実
時間軸はディアナが一年生の十の月の頃。
クィルガー邸で暮らすヴァレーリアが
高位貴族としての教育を受けるところから。
甘めの話です。
「ヴァレーリア、ここの暮らしには慣れたかしら?」
「ターナ様、はい……あ、ええ、随分と過ごしやすい気温になりましたし、生活にも慣れてきました」
「そう、それは良かったわ。ふふ、そんなに硬くならなくていいのよ。力を抜いてちょうだい」
「……そうしようとはしているのですけれど、難しいですね」
私が正直にそう言うと、未来の義母であるターナは「あらまぁ」と言ってコロコロと笑う。
「それも仕方ないわね、結婚相手の母親と話すのは誰でも緊張するもの」
「ターナ様もそうだったのですか?」
「私の義母はあの人によく似た顔立ちで、厳しい人で……とても怖かったのよ?」
その言葉に私は思わずゴクリと唾を飲む。あのカラバッリと似た義母を想像して背中がぶるりと震えた。彼女が受けた重圧に比べると私は恵まれている方かもしれない。
ここアルタカシークにやってきてもう半年が過ぎようとしている。九の月になりディアナが学院に行ってしまって随分と寂しくなってしまったのだが、私は私でターナによる高位貴族の妻の振る舞い教育が始まって緊張する毎日が続いていた。
なんせ私は元々下位貴族の出身で、しかも十五で家出したあとは平民と同じような生活をしていた女だ。貴族の作法はなんとか思い出せたが、それが高位貴族のものとなると全くのお手上げである。
来年の結婚式までには一人前の高位貴族の女性として仕上がっていないといけないため、この秋からターナによる花嫁教育が始まったというワケだ。
ちなみに今日は高位貴族同士のお茶会の作法を学ぶ日である。
「お茶会の作法は下位貴族とあまり変わりはないわ。まず招いた側がお菓子を取って相手に勧める。ザガルディでもそうでしょう?」
「はい。基本的なところは変わらないようです。ただ家具が違うので所作の方が戸惑いますが」
「ああ、そうよねぇ。うちの国はテーブルに椅子というものは少ないから、席につく所作や中座する時の作法に違いがあるわね」
「ターナ様はテーブルと椅子のお茶会の作法もご存じなのですか?」
「ええ。ローテーブルにヤパンという形はアルタカシーク以外ではあまり通用しませんから、各国の家具を用いてのお茶会作法は子どものころに一通り習うのよ。特に高位貴族には必須の教育だから」
聞けばターナの実家はアルタカシークではかなり古い家柄で、昔から一級の魔石使いが生まれる由緒ある家として有名だったらしい。ターナの兄たちや親戚にも一級の者が複数いるんだそうだ。
この時代に一級の魔石使いが生まれる家はかなり貴重よね。
強い魔石使いを生むには魔石が豊富である土地に住むことと、マギアを蓄えやすい体で生まれることが必要だ。そのマギアを蓄えやすい体というのはもちろん遺伝する。そのため一級の子どもが生まれやすい家には結婚相手が殺到すると聞いたことがある。
うちみたいな下位貴族にはあまり縁がない話だったけど。
そんなことを思っていると、ターナがなにかを思い出したかのようにクスリと笑う。
「ターナ様?」
「ふふ、ごめんなさい。なんだかこうして未来のお嫁さんである貴女とお茶をしているのが信じられなくて。あの子が結婚相手を連れてくるなんて思っていなかったから」
「そうなのですか? 高位貴族で王の側近なのですから、クィルガーにもこれまで多くの縁談があったのでしょう?」
「話はね、よく来ていたわよ。クィルガーはカラバッリに鍛えられて騎士として立派に育ったし、うちの跡取りになると決まっていたから。でも当の本人はそういうことに全く興味を示さなくてね……まあ、それを許しているこの家が変わっているのだけど」
確かに高位貴族で有力な家の跡取りが自分の意思で結婚を決めるなんて普通の貴族の家では考えられない。大体は政略的な婚姻を親が決めて終わりだ。
「このアリム家がね、昔からそのような方針だったのよ。優秀な騎士を排出してきた一族だからか実力主義というか……欲しいものは自分で手に入れる努力をせよ、というのがこちらの教育だから」
「……ということは、ターナ様もカラバッリ様に望まれて嫁いできたのですか?」
私がそう質問すると、ターナは困ったような嬉しそうな表情で微笑む。
「そうね。あの人が私を望んでくれたの。けれど結婚が決まるまでは本当に大変だったわ」
ターナの家は一級が生まれる由緒ある高位貴族。かたや優秀な騎士を輩出するが二級の者しかいないアリム家。当時は位としてはアリム家の方が下だったらしい。そのためカラバッリがターナを望んでもそちらの家が納得しない限り首は縦には振られない。
「しかもあの当時はアルタカシークの力が弱まっていて……うちの家は同じように一級の子どもが生まれる家と縁付くのが当然という方針だったの。一級の兄にはたくさんの妻がいて、多くの子どもを作ることが義務付けられていたし、私も嫁ぎ先で一級の子どもを産むよう言われて育ったわ」
「……そんな……」
彼女の育ってきた環境に私は愕然とする。国の力が弱まっている場所で一級として生まれたターナには自由に生きる権利などなかった。彼女自身もそれが自分の運命だと半ば諦めて育ったそうだ。
しかし結婚が視野に入る年頃になると、なぜかいきなりカラバッリが自分を嫁に欲しいと言ってきた。
「驚いたわ。そのような素振りは今まで全く見せていなかったから」
「カラバッリ様は昔からターナ様のことを?」
「そうみたいね。子どものころから社交で顔を合わせていたけど、まさかあの人がそんなこと考えてるなんて思ってもみなかったわ」
それからカラバッリはターナに猛アタックをし、彼女の両親にも何度も直談判に行って結婚の許しを得ようとしたが、二級であるためその度断られていたそうだ。そこでカラバッリは彼女が思いもよらなかった方法で自分の優秀さをアピールし出した。
「そのころ私にきていた他の縁談の話を聞いて、その相手にことごとく勝負をしかけていったのよ」
「え……勝負ですか? それはまさか真剣の……」
「そうよ。真剣勝負。はぁ……今思い出しても呆れてしまうわ」
なんとカラバッリは彼女の縁談相手に一騎討ちを申し込んで、打ち負かしていったらしい。
「そんな無茶な……」
「本当に。そんな無茶をして、そして全勝したの。彼は『自分は二級だが、決して一級の者には負けない。この力でターナを必ず守っていく』と言ってね、最終的にうちの親が折れたのよ」
そうしてターナはカラバッリの元に嫁いだ。結婚当初はなんて愚かな選択だと散々陰口を言われたらしいが、結果的に彼女は一級の双子を産んだので周りからの批判もそれからは収まったそうだ。
「なかなか熱い方なんですね、カラバッリ様は」
「ふふ、そうねぇ。一度こうと決めたらそれをやり遂げるまで諦めないわね。それはいいところだと思うけれど……ヴァレーリア気をつけてね、クィルガーもそうだから」
「え……」
「あの子も昔から自分が納得しなければ決して諦めない子どもだったわ。身分をわきまえて身を引くなんて考えは一切ないから。あの二人は血が繋がっていないのに、どうしてあそこまで似るのかしら……不思議ね」
ターナは呆れたように頬に手を当ててため息を吐く。その話を聞いて私はクィルガーに求婚された時のことを思い出し、少し顔を傾げた。
あの時は詳しくは聞かなかったけど、そういえばクィルガーはいつから私のことを気にしていたのかしら?
その夜、夕食を終えた私とクィルガーは談話室でお茶の時間を持った。ディアナが学院に行ってこの家に一人でいることが増えた私を気遣って、彼が毎日のようにこういう時間を持ってくれるのだ。そして私はその都度彼に学院でなにか起こらなかったか、ディアナの様子はどうなのかと尋ねる。
「今日もディアナの様子はわからない。ソヤリが学院に行っていないからな。まぁ特に学院で変なことがあったという報告は上がってないから大丈夫だ」
「そうなの……元気にしてるかしら、ディアナ」
「女友達は出来たと言っていたし、元気なんじゃないか? 変な男に引っかかってないといいが……」
「ふふ、本当にクィルガーは親馬鹿ねぇ。別にいいじゃない男友達の一人や二人」
「ダメだ。どういったつもりでディアナに近付いてくるかわからないんだからな」
「それなら女友達だってそうじゃない。ああ、早く冬休みに入らないかしら。早くディアナに会いたいわ」
「それ、毎日言ってるな」
「当たり前よ、大好きな娘だもの。まだ正式じゃないけど」
私がそう言って肩を竦めると、隣にいたクィルガーが片眉をあげてボソリと言う。
「俺はディアナに負けてそうだな……」
「なにが?」
「……なんでもない」
そう言って顔を背けると、彼は目の前にあるお茶をゴクリと喉に流し込む。一緒にいる時間が長くなってわかるようになったが、これは妬いている時の仕草だ。
「クィルガーって……意外と嫉妬するのね」
「は?」
「だって初めて会った時は私たちを未熟者扱いしてたし、基本的に落ち着いてたからこんなに熱い人だとは思わなかったのよ」
私たちは旅先で度々出会って、よく喧嘩をした。主に喧嘩をふっかけていたのは私だったが、その時も彼は怒鳴ったりせずに対処していた。変わったカタルーゴ人もいるものだと当初はそう思っていたのだが、どうやら彼の中にはちゃんと熱があったらしい。
急に求婚された時は驚いたし、ディアナのことを考えてのことなんだなと思っていたけど……その、意外と愛情表現もする方だし……。
そんなことを思っていると少し顔が熱くなってきて、私も目の前にあるお茶を飲む。するとクィルガーが私の方に身を寄せて小さな声で囁く。
「こういう俺は、嫌か?」
「ク、クィルガー……近いわよ」
ここは私室ではなく談話室だ。当然私たちのトカルやトレルたちもいる。だがクィルガーは彼らのことを全く気にしていない様子で私の髪に手を伸ばした。これは貴族の間では「もっと君に触れたい」という気持ちを表すサインである。
「ちょ、ちょっと待って……みんないるから」
「別に見られても構わない」
「私が恥ずかしいの……! こういうの慣れてないんだからっ」
私はそう言ってクィルガーの体を押すが、もちろん私の力では全く動かない。しかしなぜかそこで彼の動きがピタリと止まった。顔を上げると、赤い目が据わっている。
「……おまえ、男に惚れやすいんだろ? そういうのは慣れてるんじゃないのか?」
「へ? ああ……男運が悪かった話? そりゃ気になった人は今までいたけど……こんな関係になったことなかったし」
「本当か?」
「嘘ついてどうするのよ。なぜかわからないけど、旅の途中で気が合った人とはその後なぜか縁遠くなったのよ。それは前にも話したでしょう?」
ディアナと出会ってザガルディを旅している時に私の男運の無さをサモルとコモラが嘆きながら話したことがある。
本当に冒険者になってから私は男運がない。「この人いいかも」と思った人と、そのあとなぜか続かないのだ。旅から戻ったらいなくなっていたり、突然つれなくなったり……自分としては振られたのだなと受け取っていた。
男女の深い仲になる前にそうなっていたので、私はこう見えてそちらの経験は浅いのである。
「……そうか。そんな男はいないのか」
「安心した?」
「ああ、そうだな」
クィルガーはそう答えて私の目を真っ直ぐに見る。その真剣な眼差しにまた体の熱が活発になってしまう。
「わ、私のことより貴方の方はどうなのよ? ターナ様から縁談は断っていたとは聞いていたけど、モテていたんでしょう?」
「さあな。縁談については親に全て断るよう頼んでいたから詳しくは知らん」
「その……昔から気になっていた人とかいなかったの? カラバッリ様のように……」
そう言うとピクリとクィルガーの眉が動いた。
なんだ、いるんじゃない。
そのことを少し残念に思う自分に驚いて、私は少し目を逸らしながら尋ねる。
「どんな人だったの? 高位貴族?」
「……別にいいだろ。誰でも」
「……そうだけど、なんか気になるの」
私がそう食い下がると、クィルガーは渋々ヒントを出し始めた。
「高位貴族じゃない」
「え、じゃあ中位貴族?」
「違う」
「まさか……下位貴族?」
その問いに彼は口をヘの字にした。
「まさか……なんで……」
「特殊な事情があったんだよ、そいつはとある国の下位貴族だが実家と折りが合わなくて家出して、あろうことか冒険者なんてものになってたからな」
「……!」
彼の言葉に自分の体がカッと熱くなるのがわかった。今度は抑えきれないくらい熱いものが体の中から湧き出してくる。そこで私は思わず手で顔を隠した。
「ちょっと待ってよ……なんで……いつからなの?」
「……そいつがドラゴンと魔獣に襲われてた時からだ」
それって初めて出会った時じゃない!
「嘘でしょ……」
「俺だって驚いた。俺は昔からアルスラン様に仕えることに精一杯で、その時までそういう相手なんて必要ないと思っていたからな」
クィルガーは私の髪をいじりながら、出会った時からその後何度も再会する度に思いが強くなっていったと話し出す。そんな展開になると思っていなかった私はその内容を上手く咀嚼できず、ああ、とかうう、とか言って相槌を打った。
「おまえのことを知るうちになんとなく惚れやすいことは気付いてたんだ。だから内心は焦っていた」
しかしクィルガーはアルタカシークの王の側近で、あくまで王からの指令で全国を旅していた。ザガルディで冒険者として自由に生きる私とはどう考えても一緒になる未来が見えない。
「それでも自分にできることはしようと動いていたが、それだけだ。いずれは会うこともできなくなると思っていた……そこに、ディアナが現れたんだ」
「そう……だったの」
ディアナと過ごすうちに、自分も私も彼女とともに生きることを望むようになった。その状況になってクィルガーは私と結婚することを決意したんだそうだ。
それを聞いて、私は今自分がいる部屋をゆっくりと見回す。
「……人生ってどこでどうなるかわからないものね」
「そうだな。俺もまさかこの家におまえを迎えられるとは思ってなかった。ディアナが来て、全てが変わったんだ」
「……確かに、全て変わったわね」
私の運命も、クィルガーの運命も。
そう思っているとふわりと抱き締められて、私は目を見開く。
「俺は、おまえもディアナも必ず守る。これからもずっと」
「クィルガー……」
「だからずっと側にいてくれ」
「……うん、わかった。でも私、守られてるばかりじゃ嫌よ? 私も一緒に戦いたい」
クィルガーの背中に手を回してそう答えると、彼は嬉しそうに腕に力を込めた。
もう……トカルたちがいて恥ずかしいのに……でもまぁいいか。
「本当は少しだけ不安要素はあったんだ。おまえの好みは優しい男だろ? 俺はそれとは正反対だからな」
彼の温もりに浸っていた私はその言葉に眉を寄せる。
「ちょっと待って。なんで貴方が私の好みを知ってるのよ?」
「あ……いや、サモルとコモラがそう話してたのを聞いたことがあって……」
「それっていつ?」
「……」
私が体を離して見上げると、クィルガーは思いっきり目を逸らした。
そこでなぜか昼にターナに言われた言葉が蘇る。
『あの子も昔から自分が納得しなければ決して諦めない子どもだったわ。身分をわきまえて身を引くなんて考えは一切ないから』
……まさか。
「クィルガー……今思い出したんだけど、私が気になっていた人に振られ出したのって貴方と出会ってからなのよね」
「……」
「しかも決まって私が冒険から帰ってきたら姿をくらましていたり、私の姿を見て怯えるようになったの」
「……」
「中には『もうこれ以上俺に近づかないでくれ。アイツに殺される……!』って喚いていた人もいたわ」
「……」
「クィルガー」
私が声を低くして睨みつけると、彼はチラリと私を見て気まずそうに口を開いた。
「……おまえに相応しい相手なのかどうか確かめただけだ。おまえを守れる奴じゃないとダメだろ?」
その言葉に私は口をパクパクとさせる。
「あ、貴方に勝てる人なんて平民にいるわけないでしょう……⁉ 一体なに考えてるのよ!」
「だから自分にできることはしたんだってさっき言ったろ。俺より弱いやつに任せるなんて嫌だったんだよ」
「……っ」
だからって、年に一度会うか会わないかの私の、その思い人にいちいち勝負を挑む人がいる……⁉
驚きと怒りと嬉しさで胸がいっぱいになった私の頬に、クィルガーは目を細めて手を伸ばした。
「俺の真剣さが伝わったか?」
「…………もう、馬鹿」
彼に言いたいことはたくさんあったが、その赤い目を見ている間に今まで感じたことがない愛おしさが込み上げてきて、私はゆっくりと目を閉じた。
ラブラブ回でした。
クィルガーもカラバッリも好きな相手のことを
指を咥えて見守っているタイプではありません。
熱いですね。