イシーク視点 花の結婚式
時間軸は六年生の卒業後の5の月。バイヌスとレネーアに続いてイシークとザリナの結婚式のお話です。
よく晴れた春の日、私はいつもの朝練を終え、身を清めて朝食をとり、トレルに着替えさせてもらっていた。
今日はいつもの騎士服とは違う、煌びやかな貴族服——新郎衣装——に身を包む。
私には、もったいない品質だな。
滑らかな絹の生地に豪華な銀糸で刺繍がしてあり、帽子から靴、装飾用の剣まで全てが一級品で揃っている。これらは「親代わりの最後の務めだから受け取れ」と、クィルガー様が用意してくれたものだ。
新しい誓いの布を作っていただいただけでも感無量なのに、ここまでしてくださるとは……。
憧れだけで突進してきた自分のことを、最初は突き放しながらも、こうして懐に入れてくれた。クィルガーという騎士がどれだけ素晴らしい男であるかを、自分はここで何度も肌で感じている。
新郎用の衣装を着せていてくれたトレルが、最後のマントを留めながら口を開く。
「これが、私の最後の仕事でございます。今まで、ありがとう存じました」
「いや、世話になったのはこちらだ。特殊貴族の私のトレルになってくれて礼を言う」
アリム家は高位貴族なので、そこで働く使用人のトレルは高位貴族使用人の資格を持った人たちだ。本来私のような特殊貴族のトレルをするような人ではないのだが、この人は私がここに来た時から嫌な顔ひとつせず、仕事を全うしてくれた。それには感謝しかない。
これからはザリナの家で新たなトレルに付いてもらうことになるので、彼とは今日でお別れだ。
いつもは表情をあまり動かさないトレルが、私の言葉を聞いてフッと口元を緩める。
「クィルガー様を目標にされているだけあって、私が今までお会いした誰よりも、騎士らしい騎士でいらっしゃいました。そのお心を、これからも大事にしてくださいませ」
「ああ、クィルガー様は私の生涯の目標だ。これからもクィルガー様やディアナ様に恥じない騎士であろうと思う。其方も、達者でな」
「はい。……といっても、イシーク様はディアナ様の側近としてこの家に通うのですから、これからも顔を合わせることはあると思いますよ」
「そうか……確かにそうだな」
彼はこのあとクィルガー様のご子息のトレルとして働くことが決まっている。また顔を見ることもあるだろう。
「いってらっしゃいませ、イシーク様。ご結婚おめでとう存じます」
「ありがとう。では、いってくる」
彼に見送られて本館の玄関ホールまで歩いていくと、そこにディアナ様、ルザ、ファリシュタ、そしてクィルガー様とヴァレーリア様が待っていた。我が主とその家族に先に待たれているのは心臓に悪いのだが、今日は結婚式に向かう花婿の見送り、ということで私の到着が一番最後なのだ。
私の姿を見たディアナ様が目を輝かせて笑みを浮かべる。
「わあ! すごい! 格好いいよイシーク!」
「本当ですか?」
「うん。どこからどう見ても立派な騎士に見えるよ」
「強そうに見えますか?」
「見える見える!」
そう素直に褒められて、自分の口元が緩みそうになる。我が主に褒められることほど、誇らしく感じることはない。それと同時に、主と今日から離れて暮らすことになる事実に、少し寂しさを感じる。
「なにしょげた顔してんだ。今日はお前の晴れの日なんだ。堂々としてろ」
私の顔を見たクィルガー様が口の端を上げてそう言う。
「すみません、もうこの家で暮らすことはないのだと思うと……」
「貴方はディアナの側近なのだから、これからもこの家で過ごす時間はたくさんあるのよ? なにも心配することはないわ。それより、これからはちゃんと自分の妻のこと、お相手の家のことを考えるのよ?」
「はい、ヴァレーリア様」
「夫婦喧嘩して困ったら、その時は話を聞くわ」
「はい! よろしくお願いします!」
私が勢いよくそう返事をすると、ディアナ様が「そこは喧嘩しないように頑張ります! って言わないと……」と呆れた声を出した。
「私は女性の気持ちを察するのが苦手なので……」
「まあ、だよね……」
「おまえも今日から家族を持つことになるんだ。今までと同じ気持ちでいるな。いいか、これからおまえが守らなければならないものは、主と、家族だ」
「は! クィルガー様」
「カタルーゴ人のおまえは不器用だから、きっとこれからどちらを優先するか迷う時も来るだろう。その時の状況でどれを選択するかはその時考えるしかないが、迷って動けなくなることだけは避けろ。頭と体を常に動かせ。わかったな」
「は! 肝に命じます!」
「じゃあ、胸を張って行ってこい」
「今までお世話になりました! いってまいります!」
それから玄関ホールにいた館の使用人たちに挨拶をし、クィルガー様とヴァレーリア様に見送られて玄関を出る。ロータリーには私が乗る花婿用の馬車と、ディアナ様とルザ、ファリシュタが乗る馬車が用意されていた。馬車に乗るのは慣れていないので、少し落ち着かない。
ガラガラと揺れる馬車の窓からクィルガー邸の前庭を眺める。まさか自分がこの家から婿に出ることになるとは、思ってもいなかった。
家族……か……。
とっくの昔に無くした家族というものが、その言葉が、胸の中で少し浮いているように思える。生まれた家は貧しく、両親に甘えることもなくずっと畑の作業や狩りをしていた。弟妹たちの世話も任されたが、同時に複数のことができず、よく叱られた。自分に魔力があるとわかって特殊貴族になったのは、家の暮らしを良くしたいというのもあったが、この疲弊する毎日から解放されたかったという思いもあったのだ。
ディアナ様が私の家族のことを思って涙を流した時も、自分の家族を思い出して、というより自分ごとのように私の家族のことを思えるディアナ様を見て感極まった。あのように他人から優しい気持ちを向けられたことがなかったから。
そう思うと、私は守るべき家族というものがどんなものなのか、あまりわかっていないのかも知れない。
そんなことを考えていると、南西街にあるザリナの家に着いた。クィルガー邸と違い、こぢんまりとした館だが、今日は色とりどりの花や布が飾られていて、とても華やかになっている。
玄関前にはザリナの両親が立っていて、その周りには彼らの親戚や招待客たちが並んでいた。私が馬車を降りると、開け放たれた玄関の奥から花嫁衣装に身を包んだザリナが姿を現して、両親の前まで進み出る。表情は赤いスカーフに隠れて見えなかったが、彼女が何年も掛けて刺繍した衣装はとても美しく、私はしばし言葉を失った。
「わぁ……ザリナ、綺麗……」
後ろからやってきたディアナ様が小声でそう呟く。自分も同感だ。
それからディアナ様とルザとともに花嫁までの花道をゆっくりと進む。招待客たちの祝福する声を聞きながらザリナの前までやってくると、私はスッと膝をついて片手を彼女の方へ掲げた。これが婿入りする時の男性のポーズなんだそうだ。
下から見上げるとザリナの瞳が見えた。彼女はふわりと笑うと私の手を取り、立ち上がらせる。女性側が婿を受け入れた瞬間だ。
そして私はそのまま彼女をエスコートして家の中に入った。
その後の流れは普通の結婚式と変わらない。染石の儀式をし、宴が始まり、招待客が挨拶にやってくる。私はアルタカシークの出身ではないので、会う人ほとんどが知らない人だ。彼女の家の婿に入ったのだからきちんと覚えなくては、と気合を入れる。
ディアナ様はただ一人、婿側の人間ということで一番初めに挨拶を済ましていき、今はご馳走の方に夢中になっている。彼女の後ろにはルザと、カラバッリ様の修行時に世話になったカラペト様が控えていた。
ディアナ様の護衛がルザ一人になるのを心配したカラバッリ様が、特別に彼を派遣してくれたのである。カラペト様はディアナ様を見守りつつ、たまに私の方を見て嬉しそうに微笑んでいる。私も、彼に来てもらえて嬉しかった。
「……シーク……、イシーク」
延々と続く挨拶をこなしていると、途中でザリナに袖を引っ張られた。顔を向けると、少し心配そうな緑の目がこちらを見ている。
「宴が始まってから全く食べ物に手を伸ばしてないでしょう? 挨拶の合間にとった方がいいわ」
「いや、大丈夫だ。朝もしっかり食べてきたし、これくらいでは疲れない。ザリナこそ、もうそろそろ休憩に入った方がいいのではないか?」
「んもう、私のことはいいのよ。ここは自分の家だし、来る人も知ってる人ばかりだし、緊張もしないもの。少し息抜きしないと、これから辛くなるわ。ほら、ディアナを見てよ。周りの人が話したそうにしてるのに、本人は料理だけしか見てないんだから」
彼女の言葉に顔を向けると、ディアナ様は先ほどと同じように料理を食べては満足そうな笑みを浮かべている。
「ディアナ様が喜んでくださって良かった。ザリナの家の料理人も腕がいいのだな」
「そういうことを言いたいんじゃないんだけど……」
そんなことを話していると、招待客が少し途切れたところでザリナの妹たちがやってきた。姉に負けまいと着飾っている彼女たちも大変可愛らしい。
「イシーク義兄様、そろそろ座っているのにも飽きてきたでしょう? ベランダに出ませんか?」
「ベランダ?」
「あそこも特別にお花いーっぱいにしてもらったんです! とっても綺麗なんですよ」
「お姉様と一緒に見にいってきては?」
「ええっ私も一緒に行きたいです、お姉様!」
「新婚の夫婦にくっ付いていくなんて、いけませんよ」
「そんなぁ」
三人の妹たちがわちゃわちゃと言い合いをしていると、ザリナが呆れながらも「ああ、そうね。休憩するにはいいタイミングかも」と笑い、私に手を差し伸べる。
「招待客もちょうどキリのいいところまで来たみたいだし、行きましょ、イシーク」
「いいのか?」
「大丈夫よ。うちはそんなに気難しい家じゃないから。お客さんの相手はお父様たちがしてくれるわ」
主役のどちらも中座していいのかと心配になったが、確かに彼女の言う通り、今まで見た高位貴族の結婚式とは雰囲気が違うようだ。
ディアナ様がまだ料理に夢中になっている姿を確認してから、私はザリナの手を取り、彼女とベランダの方へ歩いていく。
「まあ、本当だわ。すごいお花の数ね」
「ああ……香りもすごいな」
義妹たちの言った通りベランダには色とりどりの花が飾られ、春の風に乗っていい香りが舞っていた。
「イシークが見てきた結婚式とは比べ物にならないくらい小さいだろうからって、うちの使用人たちが頑張ったみたいね」
「……私は、こちらの方がホッとする」
「本当?」
「高位貴族の結婚式は規模が大きすぎて護衛するのが大変なんだ」
「ああ、そういうこと」
ザリナは広間の中にいるディアナ様の方を見て呆れたように笑う。
ベランダに二人きりになったところで、私は前から気になっていたことを口にした。
「ザリナ、これはこのような日に聞くことではないのだとは思うのだが……本当に私で良かったのか?」
「どういうこと?」
「私はカタルーゴ出身の特殊貴族で、後ろ盾はない。ザリナに、ザリナの家にあまりメリットのない男だと思うのだが」
私がそう問うと、ザリナは目をパチパチとさせる。
「それについては婚約式の時にも確認したじゃない。うちの家にとってはアリム家と懇意にできるというメリットがあるって」
「それはそうだが……その、私自身は本当になんの力もない。ザリナの家族にしてあげられることがあるのか、少し不安なのだ。私は……とうの昔に家族を失ったから」
「……イシーク……」
私の言葉にザリナが気遣うような視線を向けてくる。左腕に添えられた彼女の手に自分の手を重ねて、私はさっきまで考えていたことを喋った。
いい家族というものがよくわかっていないこと。これからザリナの家族としてちゃんとやれるのか心配になってきたこと。こんなことは他の誰にも言ったことはなかったが、不思議と彼女には素直に言えた。
私の不安を聞いて、ザリナは眉を下げて少し笑う。
「そんなこと気にしてたの。大丈夫よ。だって私もこれからちゃんとイシークの妻ができるかしらって思ってたから」
「え……」
「ああ、違うわよ。結婚が嫌だって言ってるんじゃなくて、イシークが抱えてる不安は、誰もが抱くものじゃないのかしらってこと」
「そうなのか?」
「そうよ。今まで他人だった人と結婚して、家族になるって大変なことだと思うもの。イシークは自分の家族と長くいれなかったから、余計に想像ができなくて不安なのね」
「……そうかもしれない。私は、正しい家族というのがどういうものか知らないから」
「正しい家族なんていないわよ、どこにも」
「……! いないのか⁉」
彼女の言葉に思わず目を見開くと、ザリナは呆れたように笑う。
「家族の形なんてそれぞれだもの。どれが良いとか悪いとかないでしょう? 好き嫌いはあるかもしれないけど」
「そう、なのか?」
そうか……ないのか。良いも悪いも。
「……私は自分の家族のことを、あまり思い出さないのだ。あまりいい家族とは思っていなかったから」
「それは、思い出すのが嫌なくらいってこと?」
「……いい思い出はあまりない」
「ということは、少しはあるのね。イシークの家族のいいところ、少しでいいから教えてよ」
そう言われて私は目を閉じる。昔のことを思い出そうとすると、辛かった記憶ばかりが脳裏に浮かぶが、そうではなかった時間を思い出そうとしてみる。すると一つだけ、情景が浮かんだ。
「……妹が、いたのだ。一番末の。上手く弟妹の世話ができなかった私はよく弟妹にも怒っていたのだが、なぜかその妹だけは私に懐いていた。その妹を背負って農作業をすると、彼女は私の背中で安心するようによく寝たのだ。その寝息を聞いている時間は……好きだったな」
「……そう。可愛い妹さんがいたのね。うちの落ち着きがない妹たちとは大違いだわ」
「いい思い出はそれくらいしかないが……」
「うん……話してくれてありがとう、イシーク」
ザリナはそう言うと、私の腕にギュッとしがみつく。
「そのいい思い出を、忘れないで。貴方にもいい家族がいたのだから」
不思議なことに、そう言われると胸の中が温かくなってくる。家族のことを思ってこんな気持ちになったのは初めてだ。
ザリナはそんな私の表情を見ると、ふわりと微笑んで腕を引っ張る。
「ねえ、うちの家族ってどう思う?」
「ザリナの家族か? みんな優しくて、温かい人たちだ」
「私もそう思う。昔はお人好しすぎて嫌だったんだけど、他人に優しくできるのは心が豊かな証拠だから」
「そうだな。私がここで出会った人たちも皆そうだった」
「だから私もイシークと、そういう家族を作っていきたいって思ってる」
彼女の言葉に、私は視線を広間の方へ移す。そこには温かい空気が流れていた。にこやかな招待客、楽しげなディアナ様、穏やかで賑やかなザリナの家族。
ああ……いいな。私も、この空気が好きだ。こんな家族を作っていきたい。
「私に、できるだろうか」
「できるわよ。というか、二人で作っていくんだから」
「そうか、もう私は一人ではないのだな」
「そうよ。これからは私がいるの。家族がいるの。貴方を必要としている人がいるんだからね」
「そうか……」
その言葉を聞いて、目頭が熱くなる。目を閉じてそれを堪えようとするが、止まりそうにない。
私はもう、一人じゃない。
「……ザリナ、私と結婚してくれてありがとう。これからはザリナと家族を守ると誓う。なにがあっても」
「うん。私も気が強いからキツいこと言っちゃうと思うけど、嫌いにならないでね」
「ザリナを嫌いになることはない。私こそ、至らなくて困らせることがあると思う。だから不満がある時は私にはっきり伝えてくれ。その方が嬉しい」
「わかったわ。これからは言いたいことはすぐに言うからね?」
「ああ」
「じゃあ、今言いたいことが一つ」
「なんだ?」
涙を拭ってザリナを見ると、彼女は少し私から離れたあと、くるりと回る。
「今日の私はどう?」
こちらを向いて微笑むザリナに、私もつられて笑みを浮かべた。
「とても綺麗だ。このような可愛い人が私の妻になってくれるなんて、今でも信じられない。夢みたいだ。愛してる」
「んなっ……そ、そこまで言ってとは言ってない!」
そう言って顔を真っ赤にさせて、ザリナは私の腕をポカポカと叩く。
そうか、思ったことをそのまま伝えたのだが……難しいな。
そう思いながら、自分の心に家族という言葉がじんわり馴染んでいくのを感じた。
さっきまで抱いていた不安な気持ちは、ベランダの花の香りとともにどこかにいって、消えた。
同じ特殊貴族でもイシークとファリシュタの家族観は全く違います。
イシークの方が貧しく、過酷な環境でした。
そんなイシークが家族を持つことをどう感じて、受け入れたのか。
さらっと書くつもりがいつも通り長くなってしまいました。




