アルスラン視点 気負わない相手
時間軸は四年生の章、王都防衛戦のあと。休息と褒美前後のアルスラン視点。
そこで訪れた彼の変化について。
『アルスラン様、こちらの魔獣たちは全て片付きました』
「ご苦労であった、クィルガー。どうやら北の魔獣たちが一番数が多かったようだ。状況が落ち着くまではしばらくそこで待機してくれ」
『は! それで……そちらは大丈夫なのですか?』
クィルガーのその気遣うような声に、私だけでなくディアナも無事なのかという意味も含まれていることに気付く。
「こちらはみな無事だ。全ての城門で安全が確認されたのち、砂の移動を行う故、騎士たちに通達を」
『な! これから砂の移動を⁉ お体は大丈夫なのですか?』
「問題ない。街中が砂だらけのままでは民が困るであろう」
私はそう言ってクィルガーとの通信を切り、ふぅ、と息を吐いた。塔の先端に冷たい風が入ってきて、マントや王の布を揺らしていく。未だかつてない全方向からの魔獣の侵攻を防ぎ、王都を守り切ることができた。それに安心した途端、頭がズキリと痛み出す。
マギアを使ったことが原因ではないな。緊張が解けたのと……睡眠不足か。
城門へ到達する魔獣に衝撃を飛ばすために開けていた窓を魔石術で閉めながら、私はもう一度ぐるりと王都を見回した。
伝説の炎龍に無数の魔獣たち……それらから、よく守れたものだ。
それもこれも魔獣を呼び寄せていたマギア寄生体を除去することが出来たからだ。それを成し遂げた少女の顔を思い浮かべて、私は心の中で「よくやった」と呟く。
その後ソヤリが王の間へ戻ってきたので、下へ降りて詳しい報告を聞いた。
「除去を何度も……ディアナは特級の魔石を使ったのであろう?」
「おそらく。報告してきた女性騎士はそこまで把握していませんでしたが、強い力で何度も除去を掛けて、ティエラルダ王女の体からマギア寄生体を抜いた、と」
「かなり危うい状況だったようだな……それで、ディアナの体は大丈夫なのか?」
「私は直接姿は確認しませんでしたが、倒れたという報告は聞いていません」
「そうか……バイヌスの指名とはいえ、無理をさせたな」
私はそれから今後の指示を出し、ソヤリはそれを伝えるために再び学院へ戻っていった。彼が出ていく前に用意していったお茶を飲みながら、これからのことを考える。
魔獣侵攻の原因はティエラルダが宿していたマギア寄生体……彼女にそれを与えたのは誰か。他国の者の犯行か、それとも自国の裏切りか……その辺りを調査せねばならぬな。その結果によっては……。
あれこれと考えるうちにクィルガーとソヤリが戻り、王都の状況が少し落ち着いたのを確認すると、再び塔の先端へ向かい、砂の移動を行った。
さすがに一睡もせず、大きな魔石術を何度も使ったためその日はすぐに眠れるかと思ったが、予想に反してなかなか眠ることが出来なかった。
脳がずっと興奮状態にあるのか……こんな時に歌の魔石術があればな。
ディアナの歌う子守唄を思い出しながら、私は目を閉じて眠る時を待った。
それから数日後。
「アルスラン様、あまり体調が優れないのではないですか?」
「問題ない。先日の疲れが取れていないだけだ」
「魔獣との戦闘から何日か経ちましたが……食欲もまだ戻られないようですね」
「……」
廊下からこちらの様子をじっと窺っているソヤリの言葉に答えず、私は書類に目を通す。きちんと食事をとって休めと言いたいのだろうが、交易路が開いて国境審査の負担が増している上、ティエラルダやその側近への尋問が進んで判明した事実について考えなければならないため、全く気が休まらない。
どうしようもないことは考えても無駄だ、という私の思考を読み取ったのか、ソヤリは一つため息を吐いて「彼女に来てもらうしかないですね」と首を振った。
ディアナが王の間にやってきたのはそれからすぐのことだった。彼女はこちらの顔を見た途端、私が休めていないことに気付いてぷりぷりと怒り出す。
「今日は私と一緒にしっかりご飯を食べてくださいね」
「……其方は元気だな」
「アルスラン様と違ってよく寝て、よく食べましたから。難しいかもしれませんが、ちゃんと睡眠と食事はとってください」
その言葉にふと顔を上げる。ディアナは「あ、もう、ここ前のままじゃないですか」と散らかったままの机周りに文句を言いつつ、さっさと片付け始める。
その姿を見て、急に自分の中から力が抜けた。なぜかはわからないが、今まで張り詰めていたものが一気に緩んでいく。
それから私は姿勢を崩して、ここ数日思っていたことを彼女に話し出した。一緒になら食事をとれること、眠るために子守唄を歌って欲しいこと、その流れで軽口まで言い合う。彼女の軽妙な返しに思わずフッと笑い、心が軽くなるのを感じた。
このような心地になるのは……初めてだな。
話を続けながら自分の中の変化に戸惑う。どうしてこうなったのかすぐに理解できず、妙なモヤモヤが残る。
その後、褒美の話になってディアナは驚くべきことを言った。
「アルスラン様にも褒美が必要ですよね?」
「私がこの国を守るのは当たり前のことだ。褒美などいらぬ」
「そんなの不公平ではありませんか。アルスラン様は誰よりも国のために尽くしているのに」
「不公平……」
そんなことを言われるとは思わなかった。王とは国を守る者。それが務めで、国に尽くすのは当たり前だと思っていたからだ。
しかし、そんな私に褒美がないのは不公平だとディアナは言う。欲しいものはないのかと問われ、私は思わず目の前に座っている彼女を見た。
欲しいもの……欲しい本ならすぐに手に入るが……他に私が欲しいものとは……。
物ではないとするとなにがあるのか。そこでさっきディアナに与えた褒美を思い出す。私に頭を撫でられ、褒められるのが褒美だと言った。その行為、時間……それらも褒美になるらしい。
私が欲しい時間……それはまさに、今、だな……。
こうして気負わない相手とくだらない軽口を言い合い、王としての務めから切り離された時間を持つ。それが自分にとって大事なものであると、今、気付いたのだ。
今のこの時間が、もっと続けばいい。
「……」
心の中に生まれた願望に自分で驚きつつ、私は首を振る。そんなことを望んだところで、どうしようもない。王として生きている以上、自分が発言したことは命令になる。相手に影響を与える願望は口に出してはならない。
「今は其方の歌で眠れたらそれで良い。今の疲れもそれでマシになるだろう」
ディアナにそう伝えて、私は今回の報告へと移った。
その夜、寝る前に塔の先端へ行き、暖房灯を点けて久しぶりにぼんやりとする時間をとった。
体はディアナの子守唄のお陰で随分と軽くなり、ずっと残っていた頭の重さも消えている。ここ数日で一番調子が良くなった体を見て、改めて歌の魔石術の有能さに感心するが、それだけが理由なのかとも考える。
ディアナが王の間へ入れるようになって二年か……。
その間に限られた空間の共有者としてお互い慣れてきていたというのはあるが、それでも今日のように彼女と会話を交わすだけであれだけ力が抜けたことはない。
今までとなにか違うのか?
自分は不思議なことがあればその原因を突き止めたくなる性分だ。しかも今回は誰でもない、自分の中で起こった変化なのだ。
しばらく考えると、ここ数日で起こったことが頭に浮かび上がった。大砂嵐の日にパンムーが倒れたこと、魔獣が侵攻してきたこと、炎龍を仕留めたこと、ディアナとともに王都を守ったこと。
「……ああ、それか」
思い当たることが浮かんで、少し口の端を上げる。
今回の魔獣侵攻で、ディアナは紫の魔石術で王都を守った。自分に出来ることはないかと考え、役に立ちたいと私たちと一緒に戦おうとしたのだ。彼女が結界を張ったことで、私が大規模な攻撃の魔石術で魔獣を払い除ける必要も無くなった。あれがなければ、戦況はもっと長引いていただろう。
ティエラルダも、すでに手遅れとなればバイヌスかソヤリが手を下していた。今回のことで犠牲になる人の数はもっと増えていたはずだ。
自分と同じ力を持ち、自分と同じように国を守ろうとしてくれる。
その存在がいることに、私は無意識にホッとしたのではないか。
これまで独りで国を支えようと気を張っていたが、思いの外ディアナの存在が頼もしく感じたのかも知れぬ。
——そんなの不公平ではありませんか。
そんなことを考えていると、さっきディアナが言った言葉が蘇った。彼女は私を王ではなく、一人の人間として扱おうとしていた。普通の貴族の常識から見れば、とてつもなく失礼なことだ。だが前の人生の記憶を持つディアナにそう言われても、特に不快感は抱かなかった。
それどころか……少し嬉しいと思っていたな……。
今まで誰かに対等に扱われることはなかった。王子とその周り、王とその周り、そこは明確に区別されていた。父だけはその枠を取り払った関係でいられたが、あまり長く一緒にはいられなかった。
それにディアナはただの他人で、しかもエルフである。
「……こんなことになるとはな」
彼女を保護すると決めた時には全く考えていなかった状況に、私はしばらく窓の外を見つめたままぼうっとした。
目線の先には、暗闇に溶け込む学院が映っていた。
短めですが、結構重要な転換点の話でした。
二年の時のディアナの目覚め唄によって感情の扉が開いたアルスラン。
彼女との時間を過ごすうちに変化が訪れました。
この話を踏まえて夏休みⅣを読むとアルスランの変化がよくわかると思います。




