ソヤリ視点 ネックレスの行方
時間軸は六年生「学生最後のリハーサル」のあたり。
カランビアから帰ってきたばかりのソヤリ視点です。
「ソヤリ、忙しいところ悪いがもう一ついいか」
「なんでございましょう? アルスラン様」
四の月の中旬、カランビアから急ぎ戻ってきた私は、アルスラン様と明日行われる演劇公演会を見学するための打ち合わせを行っていました。
混乱と争いの場であったカランビアから帰って来た途端、降りかかってきた仕事の多さに少々辟易とするものの、我が主の元に居れることが最重要である私にとっては、それも些細なことです。しかもアルスラン様自ら公演会を見学したいと仰せなのですから、それに向けて準備することは苦にもなりません。
その長い打ち合わせが終わり、一緒にいた五大老たちが王の間から下がったあとにアルスラン様から声を掛けられ、私は浮かしかけた腰を戻しました。するとアルスラン様はご自分の腰袋から一つの魔石を取り出して、執務机の上に置きます。
「この透明の魔石をネックレスにしたいのだが……出来るか?」
「それはアルスラン様がいつもお使いになっている魔石ですね。それに鎖を付けられるのですか?」
「ああ、質のいいものであるならなんでも良いが……いや、華奢なデザインのものが良いか」
アルスラン様は少し考える素振りを見せつつ、そう呟きます。
「華奢な鎖ですか? アルスラン様が付けられるのですよね?」
「……いや、私ではない。長さも大人のものよりは少し短めに調整出来るものにしてくれ」
「……」
その答えを聞いて私はピンときますが、同時にピクリと片眉が反応します。アルスラン様の近くにいる者たちの中で、大人ではない人物は一人しかいません。
それはつまり……そういうことなのでしょうか。
以前からもしや、と思っていたことが現実味を帯びてきたのかと、私は言葉を選びながら質問をします。
「……その透明の魔石をディアナに贈るのですか?」
「ああ。この魔石は彼女が持っていなくてはならないものだ。いや、彼女に返すべきものとも言える」
「それは……なにか特別な理由があるということでしょうか」
私の問いにアルスラン様は無言で頷きます。詳しい説明はしてくださいませんでしたが、なにやら深い理由があるようです。
……ということは、彼女に求愛するという意味で贈るわけではないのですね。
異性に自分の身につけているものを贈るというのは求愛の意味があります。それを知らなかったディアナはともかく、博識なアルスラン様がそれに気付かないわけはありません。返すという言葉から考えて、元々ディアナが持っていたものなのかもしれません。
ディアナの過去に関係しているものということでしょうか。
とりあえずそれ以外の意味はないと判断して、私はサッと恭順の礼をとります。
「かしこまりました。すぐに装飾職人に言っていくつか作らせましょう」
「出来れば近いうちに渡したい。頼む」
「御意に」
私はそう言って王の間から下がり、自分の部下たちがいる執務室へ向かいます。その間に今日の予定、明日の予定を頭の中で組み立て、どう動けば効率よく進められるかを考えます。
あの透明の魔石をディアナに贈るのならば、代わりの魔石を用意しなければなりませんね。
確か、予備の特級の透明魔石が貴重品を管理している倉庫にあったはずだと思いながら王の塔を出ると、その先でヤルギリとオリムが話し込んでいるのが見えました。彼らは私の姿を見ると笑いながら話しかけてきます。
「帰ってきて早々大変だな、ソヤリ」
「いえ、大したことではありません。それよりアルスラン様のお側に居られることの方が重要ですから」
「ほほほ、相変わらずですねぇ」
その二人と王宮の執務棟へ向かいながら、私は彼らに気になっていたことを聞きました。
「私がいない間になにか変わったことは起きませんでしたか? 見たところアルスラン様のお体は大丈夫そうですが」
「特に問題はなかったぞ。ここ数ヶ月はティムール様と執務を分け合っていらっしゃったからな。アルスラン様にも余裕がおありになったようだ。困ったことといえば新たな料理人をどうするかということくらいか。いつまでもクィルガーのところの料理人に任せるわけにはいかんだろう」
「そうですね……それについては早急に手配しなければいけないとは思っています」
私がヤルギリにそう答えると、オリムが眉を下げて肩を竦ませました。
「ただアルスラン様が信用される料理人が見つかるのかは難しいところですね」
「……昔も食事に細工をされましたからね」
去年の夏にアルスラン様にマギア寄生体入りの料理が出され、その命を脅かされましたが、あの毒撒きの日にもアルスラン様には毒が盛られました。あとからわかったことですが、それまでも何度かアルスラン様が大きく体調を崩されたことがあり、その時も実は毒が盛られていたのではと思い至ったのです。
「今回のマギア寄生体の混入については罪のない料理人が利用されたのだし、もうテルヴァは捕縛出来たのだから、身元のしっかりした料理人であれば大丈夫だと思うのだがな……」
「こればかりは難しいでしょうね。アルスラン様も警戒を解くことは出来ないでしょうし……それに、なにより今の料理人の腕をかなり気に入っておられますから」
そのオリムの言葉にヤルギリが髭を摘みながら頷きます。
「確かにあの味は他では出せぬな。ディアナが大喜びで食べる気持ちもわかる」
「ヤルギリ様、ここでディアナの話題は控えてください」
「おっと、いかんいかん」
私に注意されたヤルギリはそう悪びれながら頭を掻き、キョロキョロと周りを見回して誰もいないことを確かめてから声を顰めました。
「ところでソヤリ、其方のいない間に聞いたのだが、シファラル様からディアナに刺繍のスカーフが贈られたことは知っているか?」
「……ええ、知っています。贈られる場に私もいましたから」
ここでは控えるようにと言っているのに、すぐディアナの話をし始めるヤルギリに冷たい視線を向けながら、私はそう答えます。
「そうか。ということはあれか、ティムール様とシファラル様の公認なのだな? あの二人は」
「……それについては答えかねます」
「頭のいいお主がなにも気付いていないわけがなかろう? 本当のところはどうなのだ? 一番近くで見ている其方だけが知っていることもあろう?」
「ヤルギリ様、そのように一方的に尋ねてもソヤリは答えられませんよ」
「むう……そういうオリム殿はどう思っているのですかな? この中で一番ディアナに会っているのはオリム殿なのですぞ」
「私からもなんとも言えませんよ。ただディアナは可愛いですし、彼女と一緒にいるとアルスラン様の表情が和らぐのは知っています」
「それは私にもわかるぞ。ディアナは可愛いし、可愛い」
……可愛いしか言っていませんが。
二人の会話にため息を吐きつつ、私はヤルギリの質問には答えずに自分の執務室へ足を向けました。これ以上彼らと一緒にいればディアナの名前が上がり続けます。
それに、それを聞きたいのは私の方ですよ。
数年前、魔法陣の中に入れることがわかったディアナにアルスラン様の特別補佐を頼みました。そこから急激に距離が近付いた二人でしたが、それはあくまで王とその健康を支える者としての距離でした。ディアナに食事や運動を勧められたアルスラン様は予想以上に健康になりましたし、それについては感謝してもしきれません。
そんな二人の距離が変わったのはアルスラン様が結界付きで急遽現場復帰を果たすことになり、同時にディアナにカランビアの監視が付いてからです。状況が変わって会えなくなってから酷く体調を崩し始めたのです。なぜか二人とも。
私から見ても明らかにアルスラン様はいつもの調子ではなくなりました。あの感情を抑えることに関しては筋金入りだったアルスラン様が、心を大きく揺らすことが増えたのです。ご本人は抑えているつもりのようでしたが、いつも通りの精神状態でないことは明白でした。そしてその不安定な状態はアルスラン様がマギア寄生体によって倒れられた時まで続いたのです。
その二人の様子がさらに変化したのがディアナの力によってアルスラン様が助かり、二人が再会を果たしたすぐあとでしたね。
その日、話が終わったと聞いてクィルガーとともに王の間に戻った私は、そこにいる二人の間に流れる空気が変わったことに気付きました。以前から王とお世話する者というには近かった二人ですが、それだけでは説明がつかないほど同じ空気を纏っているように感じたのです。
その後二人のマギアコアが同じになったと聞いてそれが原因かと思いましたが、それだけではないような気がしました。これは長年監察官として働いてきた私の勘です。
明らかに今まで以上に二人の目が合う回数が増えましたし、あのアルスラン様が素で笑うようになりましたからね。
どう見ても二人の間には特別な感情があるように思えました。しかしその感情の種類がまだ特定出来ません。先ほどのアルスラン様の話からしても恋愛感情に発展しているというものではなさそうです。
「ソヤリ様、おかえりなさいませ」
監察官が集まる執務室に入り、留守を任せていた部下たちに軽く挨拶をすると、私はこれからの予定とこれまでのこちらの仕事の報告を受けます。その仕事を捌きながら私は部下の一人に王の専属の装飾職人を呼び出すように頼みました。
「今回は女性用のデザインも参考にしたいので、そちらの鎖も用意するように通達してください」
「かしこまりました」
アルスラン様が女性用のものを探しているとは悟られないようにそう言うと、私はその後も執務に勤しみました。
そして夕方になって再び王の間に行き、執務の報告をしていると、ディアナがやってきて声をかけてきます。それに答えて彼女とともに公演会の打ち合わせをしながら、私は彼女の首元を盗み見ました。
……鎖の長さは、予測通りで大丈夫そうですね。
前に彼女が透明の魔石を出した時を思い出しながらそのネックレスの長さを想定していると、彼女がアルスラン様に向かって公演会を楽しみにしてて欲しいと言って笑いかけました。それに答えるようにアルスラン様も穏やかな笑顔を見せます。
本当に、このようなお顔をされるのはディアナの前だけですね。
主の情緒が確実に育ってきているのを確かめて、私はその後も忙しい日々を送りました。なんにせよ、あの人嫌いだったアルスラン様が心の機微や人間らしい情愛に目覚めてきたのなら、それはいいことです。
それにディアナはまだ見た目が子どもですから、急にそのような関係にはならないでしょう。
そう思いながら私は後日、装飾職人が持ってきたいくつかの美しいネックレスの鎖をアルスラン様にお見せして、その中から一つ選んでもらいました。
それから公演会が終わり、ディアナの見た目が成長するという予想外のことがありましたが、卒業式も無事に済んだその翌日、私はいつものようにアルスラン様の着替えを手伝おうとして動きを止めました。寝衣に着替えようと下着姿になったアルスラン様の首元に、見慣れない鎖が見えたのです。いえ、正しくは見たことのある鎖が。
「……アルスラン様、そのネックレスは……」
「ああ……これか」
服の下からアルスラン様が引き抜いて見せたのは、特級サイズの透明の魔石でした。
「……もしかして、それはディアナが持っていたものでは?」
「わかるのか」
「鎖の長さが短いですし、この装飾デザインには見覚えがあります」
「さすがだな、よく見ている」
アルスラン様はさらりとそう言って、透明の魔石を再び服の下に入れます。
アルスラン様がこれを身につけているということは……。
「……ディアナから貰ったのですか?」
「そうだ。私の透明の魔石と交換した」
「こ……」
「鎖はまたあとでディアナが新しいものを用意するそうだ。それ故、其方は気にしなくて良い」
「……は? はい……御意に」
お待ちください、アルスラン様。なぜそのようなしれっとした顔で仰るのですか。ただ身につけていたものを渡すというだけならまだしも、交換というのはさすがに……しかも今度はディアナが鎖部分を用意するのですか? それはつまり、そういうことなのですか?
こちらが動揺している間に、アルスラン様は何事もなかったかのように寝衣を着ていきます。
「……アルスラン様」
「なんだ?」
そのなんでもないような声に私はしばし考え、首を振ります。
「……いえ、なんでもありません」
そう答えながら私の心に不安と心配が同時に浮かんできます。こういう問題は時と場合を選ばなければ非常にややこしい事態になるのです。慎重にならなければと思いながら、ふと王の間にある大量の本が頭に浮かびました。
「……アルスラン様は昔からご本をたくさん読んで来られましたが、あまり物語というものはお読みになってきませんでしたね」
「なんだ? 急に」
「今でも興味がおありにならないのかと」
「ふむ……そうだな。演劇公演会を見てからは少し興味は出てきたが……ああ、そうだ、それも今度ディアナが面白いものを持ってくると言っていたな」
アルスラン様はそう言ってまた例の穏やかな笑顔を見せました。本当にいつの間に我が主はこのようにわかりやすい表情を見せるようになったのでしょうか。世の中の女性たちが見たらみな卒倒するでしょう。
いえ、今はそんなことはどうでもいいのです。
問題は、アルスラン様が昔から人と人の情愛について書かれたものを読んでこなかったことです。その上一人で過ごすことが多かったので、実際の人の機微にも疎くていらっしゃる。
……まさか、そちらの感情についてよくご存知ないのでは。
その事実に気付いて私は動きを止めます。今まで魔法陣の中でしか生きていくことが出来なかったため、婚姻や世継ぎに関する教育は特に実施してきませんでしたが、ここにきてそれが非常にまずいことに思えてきました。
アルスラン様はディアナのことをどういう風に見ていらっしゃるのか。
そこを正確に把握しておかなければ今後、妙な状況に陥るかもしれません。私は焦る気持ちを抑え、これから時間をかけて主の心を理解していくことを誓いました。
ソヤリから見たディアナとアルスランの関係性についてでした。
普通の常識からは測れない関係になっている二人。
今後どうなっていくのでしょうか。