3話
最後の慈悲として、すぐに追放はされず、最後に家に戻ることだけは許された。行きとは異なり質素な馬車に押し込められ、私は家に戻された。
帰ると既に話を聞かされていたのか、いつも以上に辛辣な態度の使用人たちが引き剥がすように私からドレスや装飾品を取っていった。そして下着のような格好で、いつもの小屋へと戻された。
急な展開に思考の整理がついていなかったが、明日にはこの小屋からすらも追い出されるので、とりあえずは荷造りをすることにした。
とは言ってもここにあるものなど知れていたため、荷造りはすぐ終わった。古い大きめのバッグに隠していたわずかな現金と、着古した服、魔法薬の本数冊、薬草の採取セットと簡易のすり鉢を入れたらもう入れるものがなくなってしまった。
大切にしていた母の形見も、優しかった頃の父との思い出の品もリリアーナに根こそぎ奪われていた。産まれてから17年も過ごした屋敷を去るにはあまりにも呆気ない荷物に、私はひとり乾いた笑いをこぼした。
翌朝、早朝から兵士が私を引き取りに来て、その足で真っ直ぐ王都の出入り口となる門へ私を連れていった。
門の罪人を検知するための装置に私の魔力痕を登録すると、兵士は満足げに「もう二度とお前は王都の門をくぐることはできない」と告げてきた。
このときは本当に罪人の扱いなのねと傷付いた。しかし、後から知ったがこの魔力痕の登録のお陰で、リリアーナが私をこき使うために密かに連れ戻す計画が未遂に終わったらしかった。
そうしてまだ日も昇りきらぬ時間に私は鞄一つで王都の外へと放り出された。
あまり遠くへは行ったことはなかったが、リリアーナの命令でよく魔法薬に必要な薬草の採取のために王都の外には一人で出ていた。そのため、辻馬車の通る場所は知っていたのでとりあえずそちらに向かって歩きだした。
しばらく歩くと、後ろから誰かがついて来ていることに気が付いた。
気のせいだとか、たまたま同じ辻馬車に向かうのだろうとか思ってみたが、私が歩くスピードを変えても、少し道を外れても、その存在は私の後をついてきた。
もしやリリアーナは私を追放するだけでは満足できず、とどめでも刺すことにしたのだろうか。そう考え出すと不安になってきて、自然と歩く速度が上がってしまっていた。
それでもついてくる足音にもはや足取りは小走りになっていたそのとき、後ろの気配ばかり気にしていた私は小石につまずいてこけてしまった。
強かに打ち付けた膝の痛みと、迫り来る不安に思わず涙が浮かんできた。顔を伏せ、地面に座り込んだまま動けなくなった私に、思いも寄らぬ声がかけられた。
「セラフィアお嬢様、大丈夫ですか?」
その声に驚きながら顔を上げると、そこにはケニーが立っていた。いつものメイド服でも、一つにまとめた髪型でもなかったが、そこにいたのは確かにケニーだった。
どうしてケニーがここにとか、私はもうお嬢様と呼ばれる存在ではないのにとか、言いたいことは色々あるはずなのに、言葉が出てこなかった。感情が追い付かずボロボロと泣き出した私の横にそっとしゃがみ、ケニーは落ち着くまで私の背を優しくさすってくれていた。
私が泣き止んだ後、膝の手当てをしながらケニーは何故彼女がここにいるかを教えてくれた。
「お嬢様には弟の薬代を工面していただいたご恩があります。なのでお屋敷を辞めて、お嬢様に付いていくことにしたんです。お嬢様お一人で平民生活なんて心配でなりませんから」
「そんな昔のことをずっと恩に思ってくれていたの?でもあれだって実際にお金を出してくれたのはお母様よ」
「でもお嬢様がお願いしてくださったからこそ、奥様も話を聞いてくださったのです。だから私にとってはお嬢様も恩人なのです」
確かに昔、ケニーの言うとおり彼女の弟の薬代を出してあげてほしいと母にお願いしたことがあった。正義感とか、そういう確固たるものがあってそうした訳ではなかった。どちらかといえば上から目線の勝手な憐憫によるものだったかもしれなかった。
それなのにケニーはそのことをずっと恩に思い、屋敷でも、今も私に手を差し出してくれていたのだった。
「ありがとう、ケニー。でも貴女は王都へ戻るべきよ。私ではもう貴女にお給金を払ってあげられないわ。むしろ一緒にいるときっと迷惑ばかりかけるわ」
彼女の優しさは嬉しかった。けれどもだからといって彼女の人生を巻き込むことはできなかった。だからそう言った私に彼女はメイドのときには見せなかった顔をしながらこう答えた。
「お金のことならご心配なく。私は家事全般ができますので、食堂でも宿でも働けます。そしてお嬢様は魔法薬が作れる。薬の需要は平民でもありますから、お嬢様もきっと働き口には困りませんよ」
にっこりと、私の不安など吹き飛ばすかのように彼女は力強く笑いながらこう言ってくれた。
「楽はさせてあげられません。けれど私もお付き合いさせていただきます」
「でも……」
「大丈夫ですよ。先ほども言いましたように、生活は問題なくできると思います。その辺りは勝算があると思って来ましたので」
自分でも薬を作れば平民としても生活はできるかもとぼんやりとはイメージはしていた。けれど平民の生活を始め、知らないことへの不安の方が圧倒的に大きかった。だからケニーの言葉と笑顔は何よりも、あのとき私を救ってくれた。
こうして私たちは二人で、新たな生活を始めることになった。
辻馬車に乗り込み、私たちが向かったのは王都から二つほど街を越えたところにある小さな都市であった。そこでケニーは手早くその日の宿を手配し、すぐに商業ギルドに私を連れていってくれた。
夕方ギリギリに駆け込んだのだけど、受け付けの女性は快く我々の対応をしてくれた。そこでケニーは派遣のハウスメイドの仕事を、私は熱冷ましと傷の消毒の薬を卸す仕事を得ることができた。
始めは私の稼ぎは宿代と食費で消えてしまうようなギリギリの生活だった。けれども貧相な暮らしには良くも悪くも慣れていたし、あの頃と違って自分のがんばりがただ搾取されるのではなく、対価という目に見える形で返ってくる生活は苦にはならなかった。
私の作った薬は効果がいいと評価され、半年ほど経つ頃には安定した仕事量を得ることができるようになっていた。
「ケニー!私ついに上級魔法薬の注文を受けたわ!これで収入もぐっと上がるわ」
「セラなら当然のことよ。でも今日は止まり木亭でお祝いしちゃう?今日はいい鶏肉があるらしいわよ」
「それってケニーが食べたいだけじゃないの?でも賛成!」
「なら早速向かいましょう。遅くなると酔っぱらいで混んじゃうから」
そうして懸命に日々を過ごしていると、収入も安定し、ギルドの紹介で二人で住む家も借りることができた。高価な薬の注文数も増え、生活にゆとりも出てくるようになった。
「セラ、今日は上級魔法薬の材料の採取に行くのよね?森の奥に入るなら気を付けてね」
「うん、分かってる。ちゃんとギルドに護衛も頼んでるから大丈夫よ。ありがとう」
「護衛……ってことはジル?」
「そうみたいね。彼に明日よろしくって言われたから」
「ふーん、そう。へー」
「な、何よ」
「別に。道理で採取なのにお気に入りのリボン出してるのねって思っただけよ」
「そ、そんなんじゃないわよ!今日の服に色を合わせただけよ!」
「はいはい。あー、私も装飾品屋の彼に会いに行こうかな」
「本当に何でもないんだからね!」
虐げられていた頃を思うと、嘘みたいに幸せな日々だった。
確かにケニーとの生活は決して裕福なものではなかった。かつてまだご令嬢として生活していた頃にあった、柔らかな子羊のローストも、有名なワイナリーの高価なワインも、パティスリーの宝石みたいなお菓子も、ドレスも宝石も何もなかった。
いい人たちとも沢山知り合ったけど、皆がいい人という訳でもなかった。けれど、あの誰もがリリアーナの作り上げた偽りの私を信じていた頃より、ずっと息がしやすかった。
貴族として華やかな生活をする代わりに、矜持を持ち、その義務を全うする生活も向いていなかった訳ではないと思う。家のため、王族の婚約者としての立場のために努力することも、大変ではあったが嫌いではなかった。
けれど、平民として豊かさの代わりに自由を得る生活を知った今、私にはこの生活の方が合っているのかもしれないと思い始めていた。初めてセラフィアという一人の人間として生きているような気がしていた。