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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホラーの箱。

桜と木箱と心中の手首

*しいなここみ様主催「冬のホラー企画」参加作品です。


霧雨に濡れるように、じんわりと不快なホラーをあなたに。

 ある年の暮だった。


 明治一桁生まれの父が亡くなって、二度目の大晦日だった。

 そして、妻が亡くなって初めての年越し。


「正月はしませんので、年の暮れのご挨拶だけで失礼しますよ」

「はいはい、久間木さん。わざわざご丁寧に」


 終戦から何度目かの大晦日。


 挨拶に向かった年老いた職人の家には、慎ましく正月の餅が重ねて飾られていた。


 それは戦中から終戦直後まで続いた食べ物のない記憶を追い払うかのように、清らかに白く色を放っていた。


 久間木は還暦まであと少しかと、少しだけ物思いにふけりながら、ざわざわと落ち着かない年の瀬の声に満ちた帰り道を歩いた。


 考えることは、亡くなった父親。


 それほど物への執着はなかったが、どこからかの付け届けで贈られた物が妙に多かった。


 日清戦争と日露戦争に従軍していたせいか、用途のわからない古臭いものも色々とあった。


 物が足りない頃に、ヤミ市に出していればひと財産できていたかもしれないが、そもそも表に出していいものではなかったのかもしれない。


 自分の父親ながら、得体の知れない人だった。


 その父親の遺品らしい遺品といえば、桜の皮で細工された箱だけだ。


 久間木は白い息を鉛色の空に向けて吐き出した。


「……一体、何が入っているんでしょうねぇ」


 挨拶に向かった家は、錠前屋だった。


 桜の木の見える離れで晩年を過ごした父。

 その父が常に手元に置いていた箱は、頑丈な鍵がかけられていた。


 屋敷中をひっくりかえしても、その箱につけられた錠前にあった鍵は見つからなかった。


 箱ごと破壊してしまえばいいとも思ったが、桜の花を眺めながら、箱を膝にのせてうつらうつらと眠る父親の姿を見ていた久間木は、その箱を壊すことにためらいがあった。


 それならば何か細工をして開ければいいと思ったが、妙なことに開かない。


 古臭い錠前だと思っていたが、それなりに面倒な作りになっていたらしい。

 そして、鍵を作るために箱を持ちだして、何人かに頼みに行ってみたが、軒並み断られた。


「これはうちでは預かれません」

「どうしてですか?」

「………その、馬鹿げた話だって、思うかもしれませんが、その」

「………なんです?」

「女の幽霊が出るんですよ」

「は?」

「気味が悪い話なんですが、若い奴らが全員、同じことをいうもんで」

「おやじさんは、見てないんですか?」

「ええ、わたしや女房は見てませんな。

 独り者の男だけ狙うとは、なかなかの選り好みですな」


 はははっと笑うが、すぐに声をひそめて続きを話した。


「なんでも、片方の手首をあの世に引っ張られるそうで」

「あの世に?」

「ほんの少しの間だけなんですが、手が利かなくなるんですよ。

 こっちも色々と機械は使うようになりましたが、やはり職人としての手の利きが大事になることも多くてですね。

 ……奴らが口を揃えて言うには、なんでも気がついたら手首に赤い紐が巻き付いてるそうで。

 それが何度か引っ張られて、気がつくと。

 手首から先がすっぱりと切られている」

「それは、夢、なんですよね?」

「夢、なんだか、幻覚でも見ているんだか。ヒロポンをやってる奴らじゃないんですが。

 しかも、その話には続きがあって、その切れた手首を女の幽霊が持ち帰るらしいんですよ」

「ははぁ。でも本当に手首から先が消えてなくなるわけじゃないんですよね?」

「ええ、わたしもそう思って言ったんですが。

 その変な幽霊に手首をちょん切られた夢だかなんだか、わからんものを見た後は、決まって手の利きが悪いんですよ」


 だから、うちの方でこの箱を預かることは、やめたい。


 そう言って断られるのだった。


 手首に紐と聞いて、思い出すのは心中だった。

 それならその変な幽霊は母かもしれない、と久間木は妙な確信を持った。


 久間木の母は、家にいた若い書生と恋仲になり、心中をはかって死んでいた。

 当時、何故うちに若い男である書生がいたのか、理由は理解していなかった。


 今思うに、おそらく、父親と繋がりのある軍のお偉いさんのうちのどこかの坊々(ぼんぼん)を書生として預かったのだろう。


 そうでもなければ、あの父親が家の中に若い男を入れたりはしない。

 誤算だったのは、その坊々が母の情夫になってしまったこと。


 縁故が無ければ、ゴミ屑のように見ていた若い男に、父親は母を寝取られたのだ。





 父が寝取られたことに気づいたのは、母と書生が心中をして、見事に息絶えて並んでいた時だった。


 長男であった久間木は、軍刀を持って暴れ回る父親を弟妹に見せないように四苦八苦した。


 いや、父親が弟妹を切ってしまわないか、それを恐れたのだ。


 何故、下っ端であるはずの父親が軍刀を持っていたのかは分からない。

 だが、刀を振り回す父を見て、この人は本当に人を斬り殺したことがあるのだと、妙に納得してしまった。


 心中が失敗して、書生と母が生き残っていたら、きっと父は書生を斬り殺していただろう。


 そして、久間木は知っていた。



 棺に納められた母の片方の手首から先が無かったことを。



 心中した時には確かに両手が揃っていた。

 それが、通夜を経て、棺に入れられた時には切られていた。


 切ったのは、父だ。






 久間木はゆっくりと歩いて、駅に向かっていた。


 この辺りもすっかり綺麗になった。


 まだ、ところどころに空襲の痕が残り、真っ黒な煤けた石がいくつも積まれている。


 それを道に敷いたり、家の土台にしたりと、たくましく生き残れる奴だけが、戦後の今を生きている。


 その生き残った奴のひとりが、久間木でもあるのだが。



 戦争を経て思うのは、何故、母は心中をしたのか。

 あの頃の日本は、それほど死にたくなる状況だったのだろうか。情夫と離れがたくなるほどに?


「……分かりませんねぇ」


 色恋で死ぬ母も書生も、それを見て怒り狂った父も。

 久間木には理解できないことばかりだ。

 それなら鍵付きのまま、放っておけばいいのだが。



「……どうも年をとると余計なことばかり、興味を持ってしまう」



 年老いてきた自分を笑うように、ふふっと白い息を吐いた。







 帰宅すると、ちょうど息子夫婦が出かけていた。

 買い出しに行ったのか、餅を配りに行ったのか。

 留守を守っていた下働きの老婆も、年越しを息子の家で迎えるため、荷物をまとめて久間木の帰りを待っていた。


「まぁ、ちょうどいいですかね」


 老婆の背を見送りながら、伸ばし伸ばしにしていた箱の鍵を開けることにした。


 雪が、ひとつ、落ちてきた。





 障子を閉めて、火鉢の炭をおこし、久間木は座布団の上に座る。


 膝の上には、桜の皮で細工された箱。

 あまり複雑そうにも見えないが、職人には難しいと言わせた鍵を、そっと差し込む。


 最終的に、鍵を引き受けてくれた老いた職人は、


「これは父が作ったものですね。コツがいるんです」


 と、ひと目見ただけで、鍵作りを引き受けてくれた。


 女の幽霊の話をしたが、


「まぁ、そろそろ、あちら側へ片足が入ってる頃ですから、お会いできたらあちらの話を聞いてみたいですね」


 と、鷹揚に笑うだけだった。


 そして、奥さんともども、女の幽霊は見なかったらしい。

 どうも妻帯者には、姿を見せないようだ。




 鍵がかちり、と回る。


 錆びついた様子もなく、錠前が外れる。

 久間木が蓋を開けようとした時、利き手である右手の方に、赤い線が見えた。


 蓋を開ける手を止めて、右手を注視すると、真っ赤な紐が手首に巻き付いている。


「ああ、やはり、これですか」


 それは、並んで倒れていた母と書生の手首に結ばれていた、赤い紐と同じだった。


 触ろうと左手を伸ばすと、すとん、と、右手首が落ちた。


 痛みは、ない。


 久間木は、戦争中に何度も見た敵味方両方の負傷の情景を、妙な懐かしさを持って思い出していた。


 自分の手首が切れたことはなかったが、こういうものなのか。


 かつて出来なかったことが、忘れた今になって再現されている。

 不思議な気持ちだった。


 その切り落とされた右手首が、ころころと畳を転がると、いつの間にか現れていた白い長襦袢姿の女が拾っていた。


 母、なのだろうか。


 心中の後に、残っていた母の写真は父親が焼き捨ててしまった。


 唯一残っている写真でも、この幽霊と同じ顔なのかがわからない。


 それくらい、ぼんやりとした女の姿としかわからない程度の幽霊だった。


 その女の幽霊は、手首を拾うと、そのまま袂に入れて、すうっと消えてしまった。







 久間木は、幽霊がいたところをぼんやりと見ていたが、ぱちぱちっと、火鉢の炭が音を立てたことで、我に返った。


 膝の上の箱も、右手も、そのままそこにあった。


 切り落とされてもいないし、消えてもいなかった。



 ただ、右手が動かない。


「……おや、おや、これは。

 ふふふっ」


 久間木は嬉しそうに笑った。






 しばらく、ぼんやりと火鉢の中を眺めながら、そのまま座っていた。


 屋根に乾いた音が落ちる。


 雪になる手前の(みぞれ)が降っているらしい。


 落ち葉にしては、音が小さい。


 離れの屋根に、秋になると降ってくる桜の葉っぱは、いつも雨や霧に包まれて、ぺたりと張り付いていた。


 まるで、男の執念のように。


「……しつこい上に、気持ち悪いものですねぇ」


 晩年の久間木の父親は、満足にひとりで飯が食えなかった。


 利き手が、動かなくなっていたのだ。





「思えば、父が離れにこもり始めてから、だんだんと、手が利かなくなってましたね」


 ぽつり、と、久間木がつぶやいた。



 かさかさと鳴っていた屋根の(みぞれ)が止み、雪に変わってしまった頃、久間木の右手がようやく動くようになった。


 棺に入った母の手首から先が無いことに気づいていた久間木だったが、何年経っても誰にも言えなかった。


 その結末は、ある日突然、父親からもたらされた。


 離れの庭に桜の苗木を植える時、父親が着物の袂から出したのが、干からびた母の切られた手首だった。


 父親は無言で手首を穴に放り投げると、その上に苗木を置いた。


 そして、そのまま埋めたのだった。


 父が言ったことは、ただひと言。


「見ておけ」


 それだけだった。





 久間木は、鍵を開けた箱の蓋を、ゆっくりとひらいた。


 中には、真綿が敷き詰められていて、古びた布が丸まって入っていた。


 久間木は躊躇うことなく、その布を持ち上げ、中を開く。


 干からびた手首と、赤黒くなった、千切れそうな紐が入っていた。


 骨の大きさから推測して、手首の主は、男。


 久間木は、大きく息を吐いた。


「心中をしても、添い遂げさせなかった、ということか……」


 久間木は、父親の歪んだ、闇のように重い母親への執着に、うんざりと吐き捨てるように、言った。




 実際に何がどうなって、この結果になったのかは、わからない。


 ただ、父親は心中した母への偏愛がひどく、遺体を別々にしただけでは飽き足らず、心中の証になっていた手首と紐を切り落とした上、分けて隠した。


 そして、母は桜の苗木の下に、書生は自らの手元に、閉じ込めて管理した。


 それだけでも久間木には理解し難いのだが、さらにその箱を見せつけるようにして、膝に乗せて桜の木を眺めていた。


 その間に、女の幽霊が出来たのか、最初からいたのかわからないが、手首を切り落とす幻が始まる。


 それを父がどう理解していたのかはわからないが、利き手が不自由になることなぞ気にせずに、この幻が起こることを楽しんでいたことは間違いない。


「……私も夫婦連れになりましたが、父と母のようなのは、まったく理解できませんね」


 鍵の開いた箱は、もう幻を見せることもなくなった。


 久間木は、戦争とはまた違う底のない沼を見たような気持ちになり、箱を持っていることが負担と感じるようになっていった。


 その辺に放り投げるわけにもいかないなと考え、手首の入った箱ごと風呂の焚き付けにして燃やした。


 嫁が実家に泊まりがけで帰った、小正月の夜のことだった。


 それから、久間木は幽霊を見ていない。


 ただ、


「幽霊よりも、人の方が余程怖いものですよ」


と、キセルを咥えて冗談まじりに何度か人に言うようになっただけだった。

 



『【完結】落花流水』(https://ncode.syosetu.com/n6382gz/)に登場する久間木のスピンオフです。


本作に入れられなかったエピソードを短編にしました。

(*´ー`*)久間木の方が色々ホラー(作者談)

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― 新着の感想 ―
[一言] 久間木さんキターーー!!!!(大歓喜) 久間木さんの周りヤンデレ多スギィ!!w
[良い点] 妄執の起こす怪異といえば紫苑物語がありますが、それとは趣も方向性も全然違うのに、それでも「妄執」という言葉が出てきて、怖さよりも美しさを感じてしまいました。 [一言] こういう怪異を平然…
[良い点] 引き込まれました。 お母様の想い、お父様の想いが交錯して、複雑な情念の霧のようなものを産み出す。それをムードたっぷりに描写した文章が素晴らしかったです。 憎い書生のそれをいつも膝に乗せ…
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