貴族令嬢婚約破棄編・1
オーウェンの仕事のお話になります。
この日もいつも通りにオーウェンは商談を行っていた。少しだけいつもと違ったのは、商談相手がまだ少女といっても過言でない貴族令嬢であったことだった。いつもならオーウェンの仕事には何の興味も持たないレイラであったが、これはさすがにと同席を申し出た。同席するといっても、同じ部屋にいるだけで成り行きを見ているだけだからと彼女が言うと何の反対もなく席が用意された。
「して、お嬢様。本日はどのような御用向きで」
「単刀直入に申し上げますと、わたくしの婚約者を地獄に落として欲しいのですの」
「それは穏やかではないな」
にっこりと首を少し傾けて微笑む可愛らしい令嬢からは想像もつかない要望に、レイラは身震いした。しかし隣に座っているオーウェンも斜め後ろに控えているネイサンも顔色を変えない。レイラと同じような反応をしているのは、令嬢に付いてきた護衛と思われる若者だけだった。
「まあ、意地悪を仰らないで。わたくしがどういう依頼を行うのかは事前に調査なさっているのでしょう?」
「ある程度は。しかし、まさか地獄に落とせと言われるとは思っていなかったな」
「そうですの? では一応の説明をさせて頂きますわ」
令嬢は愛らしい笑みをそのままに依頼の詳細とその経緯を話し出した。
令嬢には親と国が決めた婚約者がいた。物心つくまえから決まっていた相手であったが相性が悪くもなくお互いに嫌悪している訳でもないので、このまま貴族らしい結婚をするのだと誰もが思っていた。しかしこの度、その婚約者が「恋人ができた」と申告してきたことにより大変に困ったことになってしまった。
令嬢の婚約者は初めの内は「君の立場を無くすようなことをしてすまない」だとか「君の家に迷惑がかからないようにする」だとか殊勝に聞こえることを言っていたが、最終的には「我々は政略結婚なのだし、特に問題もないだろう」と笑った。確かに政略的な婚約であり、その上での結婚である。そして貴族の嗜みとして社交界の恋は男女関係なく黙認されているのが現状である。貴族子女たちは早いうちから、結婚に夢など持たず自身の役割を果たすことを教育される。
「ですが、それって子どもができた後の話であって、しかも“恋人”とやらに現を抜かしても良い訳ではないのですよね」
恋人や愛人というようなものを持つこと自体は、非難の対象になることは少ない。しかしそれは、所詮は二の次の存在であるからなのだ。間違っても国が定めた婚姻を蔑ろにして、そちらに熱を上げるようなことはしてはならない。貴族にとって恋とはライトなお遊びであり、本気になって追いすがるようなドラマチック性は小説の中だけの話にとどめなければならないのだ。例えどんなに恋しく想う人ができたとしても、例え心の中ではその人を一番に愛していようとも、優先すべきは定められた相手でなければならない。
そうやって血を守ることにより、民を守る智恵と力と財力を維持してきたのだ。それが正しいのかと問われても、貴族として税により生きていることを理解しているのならば正しいのだと言い切らなければならない。それが嫌なら貴族など辞めてしまうべきなのである。それを令嬢の婚約者はへらへらと笑いながら「問題ない」と言ったのだ。令嬢の怒りは頂点をゆうに越した。
「元々、少しばかり頭の弱い所がありましたが、それはわたくしがフォローしていけば良いと思っていたのです。ここまで馬鹿とは思ってもみなくて…。人を見る目がなかったのですわ」
「それで地獄に落としてやりたいと?」
「ええ、何だか彼は本当に盛り上がっているようでして。今度、国王陛下もいらっしゃる大きな夜会があるのですが、その場で陛下に直談判をすると鼻息を荒くしているのです」
「婚約破棄のお願いをする、と」
「そうですの。愚者なんてものを通り越して、もう呼べる呼称がありませんわ。ここまで来てしまえば彼と彼の実家がどうなろうと知ったことではありませんが、そんな訳の分からない主張を延々と聞かされるなど皆様に失礼だと思いまして」
「本音を言えば?」
「わたくしが、その場で、恥をかくのが我慢ならないのですわ」
令嬢はやはり穏やかな笑みを浮かべながら、しかし目だけは鈍く光らせていた。レイラはもう一度身震いしたが、令嬢の護衛は今度こそ体裁を守った。オーウェンはそんな令嬢を愉快そうに見ながら口を開いた。
「よろしい、面白そうだ。それで具体的な案はあるのかな、金額に応じて応相談となるが」
「特にございません。事前に潰して下さっても結構ですし、その場で反対に引導を渡して下さっても結構です。金額は、そうですね。用意できるのが最高でこのくらいですので、この予算内でして頂ければと」
「商談成立だな。その場でその頭のおかしい男を稀代の笑い者にしてやろう」
「楽しみですわ、わたくしは何かやることなどございまして?」
「いいや、貴女は今まで通り清廉潔白に生活してくれればいい」
「あら、得意科目ですわ。奉仕活動など、いつも通りに」
「それでいい。楽しみにしていてくれ」
令嬢が差し出した小切手にはレイラが見たことない数のゼロが並んでいたが、何だか見てはいけない現場を見てしまったような気がしてさっと背けてしまった。商談の様子を見たのが初めてという訳でもないのに、今回のこれはひどく背筋が冷える。そんなレイラとは反対にオーウェンも令嬢もご機嫌だった。令嬢はにこやかに護衛と帰っていき、オーウェンは仕事に取り掛からねばとネイサンと共に執務室に行ってしまった。
「ああ、レイラ。今回は君にも参加してもらうからそのつもりで」
と、ふざけたことを言い残して。
読んで頂きありがとうございました。
今後は思いついたら思いついたままに、オーウェンの仕事の内容やオーウェンとレイラたちの過去編などを上げていくつもりです。ただいつになるかは分かりませんので、○○編が終了次第その度に完結済みとさせて頂きます。今回の貴族令嬢婚約破棄編に関しましては、オーウェンたちが主軸になっていない箇所も多いですが今度もそうなると思われます。お付き合い頂ければ幸いです。
ここまで読んで頂きありがとうございました。




