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日常編・5

 初めに契約を持ちかけられた時、こんなにたくさんの獣人を雇える甲斐性はないと懸命に拒否したレイラをオーウェンは不気味なほどの満面の笑みで丸め込んだ。



『我々が貴女に求めるのは雇用契約のみだ、そこに賃金は発生しない』

『矛盾しています。雇用とは給金を支払うことで、雇用する人が雇用される人の労働力を買うことでしょう』

『その対価が給金でなくても構わないという話だ。我々は“魔女”という雇用主を得、君は優秀な労働力を得る。決して悪い条件でないはずだ』

『私は別段“魔女”として名声を持っている訳ではありません。魔法薬も自分が生活できる分しか作らないし、貴方たちの期待には何も応えられません』

『名声など不要だ、君はただ我々の主人となってくれればいい。身元引受人、というやつだな』

『…私でなくとも、他に大勢いらっしゃるでしょうに』

『まさか! 君でなければ駄目なのだ。勿論、この魔石も君の物となる。首を縦に振ってくれるだけで、他にも入用の物なら何でも揃えてみせよう』



 苦虫を噛み潰したような表情を隠しもせず、レイラは諦めた。後ろで様子をうかがっている獣人は元より、遠巻きにしている国際騎士団の連中も助けにはならなそうである。何としても契約内容だけはこちらで決めねばならない。レイラは頭をこれでもかと回転させた。


 そう、初めはそんな風に食うか食われるかの緊張感があったのだ。あったのに。どうしてこうなったのだっけと、レイラは寝起きの目を擦りながら考えた。



「レイラ、目を擦るな。二度寝をしようとするんじゃない、起きて顔を洗いなさい」

「…寝室には、入らなくて、いいんですってば」

「君がそうやって嫌がるから、私以外は入れていないだろう」

「オーウェンも入らないで…」

「私が君の世話を焼かなくなったら、君は一日中ベッドの中にいるだろうが」

「一人でも起きますよお」



 子どものようにぐずりながら、レイラはベッドから抱き起された。ひょいと肩に担がれて寝室に備えつけてある洗面台の前に立たされる。仕方がないので言われた通りに顔を洗い口をゆすぐと、もう一度担がれて鏡台に座らせられた。自家製の化粧水やら何やらを塗りたくられ、軽く化粧までされてやっとレイラの目は完全に開いた。



「…貴方はいつからメイド業までするようになったんでしたっけ」

「私は従者なのでメイド業はしていないな。まあ、強いて言うのならば主人の毛並みを整えるのも従者の役目だろう」

「従者とは」

「付き従う者、だろう」

「逸脱していると思いませんか」

「いいや、全く」



 オーウェンは朝に滅法強かった。これは他のネコ科の獣人たちも同じでレイラはひどく驚いたのを覚えている。実家で飼っていた猫はもはや人間とほぼ同じ時間に活動し、昼も寝てはいたが夜も朝もよく寝ていたのでネコ科の獣人もそういうものだと思い込んでいたのだ。よくよく聞くと、猫の活動時間は夜から朝方にかけてらしく四時や五時に飼い主を起こす個体もいるそうだ。


 ネコ科の獣人たちも夜から朝にかけて強く、むしろ昼間は眠いらしい。けれど純然な獣でもないので夜に眠れない訳でもない。しかし純人属のように夜に寝ても明け方には一度目が覚めてしまうので、そのまま起きていることが多いらしい。だからなのか、この屋敷ではよく庭の木の上や木陰で寝ている従者を発見する。一度レイラが「部屋に戻ってしっかり寝ればいいのに」と言ったことがあったが「本気で寝てしまって今度は夜に眠れなくなる」とのことなのでもう好きにさせていた。



「レイラ、今日はこの服にするといい」

「わあ、可愛い。これいつ買ったんです?」

「…。…前から持っていただろう?」



 にっこりと微笑むレイラに同じように微笑みながら、オーウェンは珍しく口ごもる。確かにこの手の系統の服をレイラはいくつか持っていた。けれど、この服は初めて見る。朝の寝ぼけた時間ならバレないと思ったのか誤魔化し方も雑だ。またオーウェンが言いつけを破ったに違いなく、レイラは笑みを深めた。



「初めて見ますね。また買ったんですね」

「いいや、前から持っていたぞ。君の思い過ごしだ」

「貴方の主人はもう買うなって言いましたよね」

「だから」

「私の従者は分かったって言いましたよね」

「…勧められて、つい」

「オーウェンが何でもかんでも一つ返事で買うから毎回勧められるんでしょう」



 オーウェンという男は交渉の場において一切の妥協を許さない。商談が成立しかかっていたにも関わらず、最終的な結果が少しでもぶれるとその話自体をなかったことにする。交渉の場は常に彼の独壇場で、そうであるにも関わらず彼の持つ商品と人脈を求めて商人は絶えず訪れた。


 そんなオーウェンであるのに何故か彼は「こちらご主人にいかがでしょう」という売り文句に滅法弱い。初めはただ、ご機嫌伺いの為に適当な物を購入していただけだった。それが今となっては品が良ければ値段など気にせずに大抵の物を購入すると、商人界隈ではもっぱらの噂である。



「この前のデザイナーの新作らしい。君も気に入っていただろう?」

「可愛いですね、気に入りました。でも私は買うなって言ったんですよ」

「…すまない」

「謝ったらいいと思ってますよね、最近。よく考えて下さい、雇用主に貢ぐ被雇用者がどこにいます」



 レイラはわざとらしく悲しそうな顔を作ってみせる従者のこの悪癖に頭を悩ませていた。確かにこの服は悪くない、趣味にも合っている。問題は貢がれている、という点である。レイラの魔法薬はオーウェンが商品として売るようになってから、それまでの数倍で取引されるようになった。その売り上げのほとんどは手数料と生活費という扱いで従者たちの好きなようにさせてはいたが、手元に全く金銭がない訳でもない。自分の物は自分で買えるし、そうしたいのだ。


 それを何度訴えても彼女の従者は自身のポケットマネーから彼女の物を購入するのを止めない。オーウェンたちの商品は勿論、魔法薬だけでない。彼らの懐事情をレイラは正確に把握してはいないが、間違いなく彼女よりは持っているのだろう。それでも何もないのに物を贈られることには抵抗感がある。名ばかりではあるが主人であるのにこれでは本当にただ養われているようだったし、オーウェンの思惑が分からないのも不愉快であった。



「ここにいる。それにそれ自体は特に珍しいことでもなくないか」

「あれ? 今もしかして口ごたえしました?」

「主人に口ごたえするような従者はこの屋敷にはいないな。さあ、そろそろ着替えなさい」

「話が終わっていないのですが」

「朝食の時間だ。焼き立てのパンが冷めるぞ、それとも着替えを手伝おうか」

「出てってください」



 レイラがオーウェンに口で勝てたためしはない。であるのならそもそも仕掛けなければいいのだが、そういう訳にもいかないのだ。何故ならレイラは主人であったのだから、たとえ名ばかりのそれであっても従者の言いなりになる訳にはいかないのだ。…結果がどうであれ、挑むことが大事なのだとレイラは思っている。


 オーウェンが恭しくしかし大袈裟に礼をとって、寝室から出るのを確認してからレイラは用意された服に着替えた。前に一度、本当に着替えを手伝おうとしたことがあったので扉が閉まる所まで確認しておかねば彼女は気が済まなくなっていた。



「(確かに好みであるのが、何とも…。しかし、あの人は本当に私のことを何だと思っているのか)」



 再契約に至るあの一件があってからというもの、従者たちの、特にオーウェンのレイラに対する執着が酷い。お互いに自覚はあるが、これまた特に直す気もない。レイラはそれらを面倒に感じることもあったがもう腹をくくっていたし、オーウェンにいたっては更に酷くなってもいいとさえ考えていた。



「(まあ、いいか。どうでも。安心して薬を作れる環境がある、望めば材料も手に入る。…従者もまあいじらしくて可愛い、そう、可愛いと思えば可愛い)」



 自分にそう言い聞かせながらレイラは真新しく上等な洋服の袖を通す。もそもそと小さな飾り紐を結んでいると、閉まってからそう時間も経っていない扉がもう一度動いた。



「レイラ、まさか寝ているのではないだろうな」

「起きています、入ってこないで」

「入る前に言うべきだな」

「入室の前に声をかけるべきかと思うのですよ」

「? 従者なのだから入室時のノックは不要だろう」

「貴方、都合のいい時だけ従者を前面に出してきますね」

「君はあんな訳の分からない薬を作る癖に、こういうことが変に不器用だな」

「全く違う分野ですしね。オーウェンは大きな手の割にこういうの器用ですよね」

「手先の器用さが必要な場面が多かったものでね。必要に迫られてだ」



 しれっと入室してきたオーウェンは、これまたしれっとレイラが手間取っていた飾り紐を結んでしまった。



「ああ、思った通りだ。素晴らしく似合っている、さすがは我らの主だ」

「何がどう、さすがなのか」

「さあ、君の従者たちが待っている。朝食にしよう」

「何で私のこと待とうとするんです。ご飯くらい勝手に食べてください」

「こればかりは習慣だな」

「…寝坊が出来ない」

「しなくていいんだ」

「眠い」

「起きなさい」



 オーウェンに肩を押されながらレイラは寝室から出た。元奴隷だった彼らはレイラが起きて、朝食をとるまで食事をしようとしない、彼女がどんなに先に食べておけと言っても朝食だけは頑なに食べなかった。昼食や夕食はいいらしいが、朝食はどうしても嫌らしい。もう奴隷でもなく主従ではあるが、お互いに契約を結んだ個々の存在であるのだからと諭しても無駄だった。そのせいで彼女は昔から不得手な早起きを毎朝余儀なくされていた。



「レイラ」

「起きてます、ちょ、痛った! 痛い! ちょっと!」

「…」

「あ゛ー!」



 ぐい、と衿ぐりを引っ張られレイラは肩を噛まれた。そして間髪を容れずにその元凶の鼻にビンタする。この一連の動作も慣れたものであった。慣れなくはなかった。



「~~~もう! 何で噛むんです、毎回!」

「起きないからだろう、それに毎回ではない」



 素直に牙を外したオーウェンの噛み後はそれでもくっきりと血をにじませて残っていた。毎回似たような所を噛まれるが、魔法薬のおかげでレイラの肩は綺麗なままだ。それでも痛いものは痛い。いつもはあまり声を荒げないレイラであるが、この時ばかりはぎゃんぎゃんと騒ぐ。元凶はやれやれと肩をすくめながら主人の衣服を正した。



「口ごたえをするんじゃないんですよ!」

「今のはどちらかというと、揚げ足取りだな」

「はあああ、もうおおお」

「後で薬を塗ってやるから」

「初めから噛まなければいいんですよ」

「スキンシップだな」

「子猫の甘噛みじゃないんですよ」

「似たようなものだろう。よしよし、悪かった」

「…っ」



 もう一度、衿ぐりを引っ張ったオーウェンは分厚い舌で主人の傷口を舐めた。本物の虎であったのなら、おろし金のような突起があるそれで傷口を更に抉っただろうが彼の舌は人のそれと大差なかった。痛みはそうないが、ぞわりと背筋を這う感覚にレイラは何度もこれを拒否した。しかし、これも彼は聞き入れない。



「…舐めればいいと思ってますよね。違いますからね」

「我々の間では最上級の謝罪なんだ」

「種族の差を理由にしないでくれませんか」



 また衣服を正し、オーウェンはレイラを片腕で抱き上げた。



「初めからこうすれば良かったな」

「全くです」

「おや、いつも嫌がるのに」

「噛まれるよりはましです」

「…」

「今、噛みやすそうだとか思いませんでした?」

「さすがは我が主だ」

「腹が立つのですが」

「寝なければいいだけだと思うんだ」

「…善処します」

「頑張ってくれ」



 あれだけ騒いだにも関わらず、まだ眠気が残る頭を振りながらレイラは考えるのを止めた。とにかく朝食をとろう、それが終わったら天馬に会いに行って庭で読書でもしよう。ともあれ本日も一日が始まるのである、つつがなく平和に暮らせればそれで良いのだとレイラは頷いた。

読んで頂きありがとうございました。


これで日常編が終了です。もう少し書けたらまた投稿できたらいいなと思っております。

(他連載があるのにどうして新しい話を書き出すのだろう…)

作者は無自覚とか両片思いとか大好きなんですが、あの尊さを表現できるようになったらいいなと思っています。

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