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日常編・4

 初めはもっと殺伐とした関係だったように思う。オーウェンも他の従者たちも今よりもっと純人属を嫌っていた。レイラは魔女であるが、その前に純人属である。そんな彼らがレイラを主人にと望んだのは、一方的な利害の一致に他ならなかった。


 彼らの生まれた国では獣人属の地位が非常に低かった。彼らの国では歴史的に古くから奴隷とされていた種族だったのだ。しかし国際法なんてものができてからは他国へのアピールの為に、言うことを聞かせられる従順な奴隷獣人をあたかも真っ当に働かせているように見せかけて外交の場に連れて行くようなこともしていた。三食満足に食べさせてくれるような比較的にまともな主人だっていたにはいたが、所詮は奴隷として扱うのだ。恨みは根深く巣くっていた。


 オーウェンたちの企みによって罪が明らかになった後、あの国はグウェンと名乗った騎士の言った通りに呆気なく滅びて隷属していた西の大国に吸収された。純人属の国があれば獣人属の国だってあるが、あの国は後者の怒りを多いに招いたらしい。過去一度でも奴隷を使用したことのある人間は余すことなく処刑されたと聞くが、その処刑内容は障りがあるとして公開されなかった。


 多くの奴隷とされていた獣人たちが、獣人属の国に避難し“モノ”でなく“人”として生きていくことになったが、オーウェンたちはそうはしなかった。そもそもオーウェンには既に商売相手が多くいた。国内ではなく国外のそれだった。鉱山は西の大国に徴収されたが、一連のどさくさに紛れて宝石の多くを隠し置くことは難しくはなかった。そもそもそれらは、発掘した者の所有物なんじゃないかなとグウェンが嘯いていたのにも助けられた。オーウェンたちはそれらを売り払い元手にし、別の商売にも手を出すつもりだった。避難民として同情を買っている場合などではなかったのだ。


 そこに現れたのが「魔女」である。しかも「魔法薬を作れる魔女」であった。あの企ては念入りに綿密に計画されたそれであったが、それに参加した商人の一人からその情報を得た時のオーウェンの高揚は他の者たちを恐怖に陥れるのに十分だった。



『いやあねえ、あの子もさあ、もっと身辺警護とかちゃんとしてくれたらさ、もうちょっと薬が作りやすくなるんじゃないかなって、ボクずううっと思っててさあ』



 間延びした喋り方が特徴的なその商人は、その魔女との直接契約を結んでいるのだとオーウェンにだけ打ち明けた。他の商人には絶対にバレないように何度も盗聴されていないかを確認して、やっと話し出した内容だった。


 常に人攫いにあう危険と隣り合わせの魔女と奴隷上がりで信用と所属国という後ろ盾のない獣人。魔女は契約期間中の危険を避けられ、獣人たちは魔女という後ろ盾と主人を得て箔をつけることができる。こんなにも噛み合う合わせがあるものかとオーウェンは嗤った。



『それにねえ、あの子、魔石に興味があるんだってえ。ここのこと話しとくからさあ、上手いことしてくれないかなあ?』

『そのような素晴らしい方をご紹介頂けるなど光栄の極みだ。ご期待にそえるよう尽力しよう』

『わああ、助かるよお! …上手くいったあかつきには、成功報酬を忘れずに』



 抜け目なくそう言った商人は未だに彼らのお得意様である。


 レイラからしてみれば騙されたと言っても過言ではなく、知らない内にオークションに出品されたような気分であった。馴染みの商人が仲卸業者を通さずに直接の買い付けを主に行っているから、魔石が欲しいのなら自分で行って見てきた方が良い、誠実な商売人でレイラに危害を加えることはないと繰り返し何度も話すものだから少しだけ様子を見に行こうと思ったのが間違いだった。



『いらっしゃいませ、魔女殿。お待ちしておりました』

『…この商談は無かったことに』

『まさか、自慢の品をご用意致しております。どうぞ、中へ』

『ご遠慮申し上げたいのですが』

『ご遠慮などなさいませんよう、どうぞ』



 目の前の大型獣人が扉を開けた先は、さながら地獄絵図だった。泣き喚きながら連れ出されていた老人たち、騒ぐ大勢の騎士と首輪と腕輪をつけた人々。一目散に逃げ帰りたかったが大型獣人の射程圏内に入ってしまっている以上、下手な動きを擦れば喉でも掻き切られてしまいそうでもあった。最近では迂闊さに嘆くことも少なくなったというのに、馴染みの商人に裏切られるなんて思ってもみなかったとレイラは唇を噛みながら獣人に従って中に入った。


―――


「あの時、私、本当に殺されるんだと思ったんですよ」

「まさか、我々は殺しなどしない」

「全くでございます。…勝手に死ぬ分には知ったことではありませんが」

「ネイサン、一々物騒に持って行くの止めて下さい」

「物騒などと、心外でございます」

「そうですか?」

「ええ、ただの事実です」



 初見ではただただ恐ろしいばかりだった獣人たちも、今では子猫の集団に見える時があるのだから慣れとは恐ろしい。特にお茶の時間に甘い物を摂取している従者たちは本当に可愛いのだと、レイラは誰に聞かれるでもなく叫び出したい時があった。いつもはオーウェンの参謀役として目を光らせているネイサンでさえ、甘いココアを飲みながら機嫌良さげにゆったりと尻尾を動かしている。この落差に落ちてしまったのかもしれない。


 甘いものを与えると大抵の従者たちがこんな風になってしまうから、お菓子作りにはまってしまったレイラは今日も今日とて大量に焼き菓子を焼いてしまった。匂いだけで甘いのでレイラは砂糖なしの渋めの紅茶を飲み、同じくそこまで甘いものを食べないオーウェンはエスプレッソを少しずつ飲んでいる。


 毎日のお茶の時間には屋敷で一番大きな広間が解放され、交代で従者がやってくる。初めレイラは一応は主人なのだから、そんなのがいてはゆっくり楽しめないだろうと、菓子だけを置いて逃げるように立ち去っていた。しかしオーウェンに「逃げられる方が気になる」と捕まるようになってからは諦めて一緒にお茶を楽しんでいる。従者たちが持ち寄る菓子も日々変わっていて飽きがこないので、いつか太ると思っていたら案の定太ももに肉が付いた。



「元々、我々の保護を頼む予定だったのだから危害を加えるつもりはなかったさ」

「保護って、一番貴方たちに相応しくない言葉ですよね」

「一週間も経たないうちに、我々の方が保護者になったからな」

「…そんなことはなくないです?」

「あると思います」



 いかに「魔法薬を作れる魔女」であり攻撃魔法が不得手だとしても、昨今の情勢を鑑みるに一筋縄ではいかぬ相手だろうと元奴隷たちは警戒を強めていた。自身たちのリーダーが選んだ新しい一応の“主人”ではあったが、今までのそれと何が違うのだと唾棄の対象として見ていた。しかしそれでもオーウェンが必要だと判断した“主人”である、彼が不要だとするまでは殺さぬようにしておかねばと心に決めた彼らを待ち受けていていたのは思ってみなかった試練の数々だった。


 「魔女」は確かに「魔女」であった。魔法で作った契約書でいくつかの約定を結び付け、契約期間中のお互いの不利益が最小限になるようにした。レイラからすればあの場で断るのは困難であった為、何とか時間稼ぎの為に急ごしらえで作った契約書であった。とりあえず契約期間中に危害を加えられることがないようにと素早く文面を考えたので特に深くは考えていない。この契約書は魔法で作られている為、お互いに契約内容を破れば手足の二、三本は吹き飛ぶようになっていた。


 しかし、ここで元奴隷たちを驚かせたのが「お互い」の部分であった。奴隷とはモノであるから、主人との主従契約にお互いの同意などは必要ない。使えれば買うし、使えなくなれば売る。売れなかったら処分する。それが当たり前であったし、“主人”とはそういうモノであった。元奴隷たちの認識は「何なんだこいつ」から始まり「この生き物、見てないと死ぬんじゃなかろうか」に落ち着いた。「魔女」はあまりにも弱々しかった。


 彼らの知る純人属の女主人というものは、基本的に奴隷の傍には寄りつかなかった。使用人に奴隷をいたぶらせて楽しむ悪趣味な女もいたが、それ以外では汚らしいと視界に入れることさえ拒んでいた。彼らにとって初めて近くで見た純人属の女主人はあまりにも小さく頼りなく、吹けば飛んで行ってしまいそう、としかしか思えなかった。何せバケツ一杯の水を運ぶのにも苦労し、小柄なサーバルの獣人の影にもすっぽりおさまってしまい、終いには何もない所で転びかける。目を離すとすぐに死んでしまいそうな、この生きていく為に必要な本能を全て母親の腹の中に忘れてきたような生き物が違う意味で恐ろしくなっていった。


 これなら獣人属の赤子の方がまだ頼もしいだろうと、誰かが言いだし確かにそうだと、と誰かが同意した。そうして「魔女」は憎しみの対象ではなく保護しなければならない「赤子より手のかかる生き物」として認定された。



「ネイサン?」

「このカップケーキには生クリームが合うと思いませんか?」



 ネイサンは主人を無視してどこからか取り出した生クリーム入りのボウルから、これでもかとクリームを取りカップケーキに添えた。本当は作法など気にせずかぶりつきたい衝動を抑え、フォークで上品にすくって口まで運ぶ。ネイサンは基本的に無表情であるので、どれほど感動していようか彼を知らない人には欠片も分からないだろう。けれどレイラとオーウェンは彼の少しの尻尾の揺れと僅かな目元の緩み具合でそれがよくよく分かっていた。よく分かっていたがあんまりにもな生クリームの量に、二人は少し胸焼けを起こした。



「お前はよくそんなに甘いものばかり食べられるな」

「オーウェン様もどうぞ」

「私はいい、お前が食べなさい」

「レイラ様はいかがですか」

「…生クリームは少な目でお願いします」

「このくらいでしょうか」

「(多い…)」

「かなり少ないのですが、足りますか? もう少し足しましょうか?」

「大丈夫です、ありがとう」



 やはりこれでもかと生クリームの載ったカップケーキの皿を受け取りながら、レイラは苦笑した。初見ではこんな風に会話をすることも想像していなかったのに、誤算もよいところである。最終的には契約終了と同時に殺されて、四肢を切り裂かれた上に売られるかもしれないなどと考えていたことは秘密だ。

読んで頂きありがとうございました。

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