日常編・3
正統な魔女とは、正統な魔女から魔法を習った者のことを指す。血筋ではなく、誰から学んだかが魔女にとっては重要なのだ。そしてレイラは師から薬学を学び正統な魔女を名乗っている。魔女たちの殆どは捕獲を恐れ薬学を捨てたので、レイラのような者は貴重だ。しかし魔女は、魔法使いにも薬学師にも作れない薬を作れる。そしてそれを求めている者も多い。需要と供給が全く合っていない状態であるが、だからといってレイラはそれで荒稼ぎをしようとは考えていない。師からそれは口酸っぱく何度も何度も繰り返し教えられたからだ。
『良いですか、レイラ。我々は作りたい薬だけを作りたいだけ作れば良いのです。下手に人に応えようなどとしてはいけません』
『どうしてですか』
『親切と礼儀を忘れ、冷淡と暴虐に振舞えと言っている訳ではないのです。しかし我々を含め、人は弱い生き物です。何でも言うことを聞いてくれる金のなる木がそこに植わっていれば足を踏み外すこともあります』
『…』
『我々が狙われる存在だということ、作る薬によれば国家予算にも匹敵するようなものもあること、薬がもたらす少なくない効果、これだけは忘れてはいけません。請われても、軽々しく応えてはいけません。分かりましたね』
『はい、お師さま』
習った時は正しく意味を理解していなかったレイラだったが、一人立ちしてからは師の言っていたことがよく分かった。レイラの生まれた地域では魔女も魔法使いもそこまで珍しくはなかった。しかしだからこそ、そこから出てみたくて珍しい薬草を探しに行くだなんて尤もらしいことを言って、家出当然に地元を後にした。そしてすぐに後悔した。
『魔女がいたって本当なのか』
『本当よ、しかも魔法薬を作れるらしいわ』
『質屋が買い叩けたと喜んでいたからな、まだ遠くには行っていないはずだ探しだせ!』
『一獲千金も夢じゃないぜ、やっとツキがまわってきた!』
何をするにも先立つものが必要なのだと何の気なしに寄った質屋だったが、中々に高値で魔法薬を買い取ってくれた。ほくほくと足取り軽く、次はどこに行こうかなんて浮かれていたらこのざまである。あれだけ師に教えられたというのに、レイラは自分の迂闊さを呪った。何とかその場を切り抜け、けれどすぐに家に帰ることも嫌でどうにかこうにか生きてきた。
後から知った話だが、レイラの生まれた地域は魔女や魔法使いが悪意ある人々に狙われないように作った場所だったらしい。魔女や魔法使いは個別に保護されている訳ではないが、普通の人間と同様に誘拐や殺傷すれば加害者は犯罪に問われる。街と村の間のようなコミュニティだったが、勿論他のそれらと同じように国から騎士団や警備隊が派遣されていた。思い返せば結構に厳重だった警備だったから、国には特別な納税でもしていたのかもしれない。
何度か危ない目にもあった。どうすれば危ないのか、どうすれば魔女だとバレないのかを学び、信用できる商人の見分け方を身につけた。そこまでになると、生きるだけには余裕ができすぎて何か珍しい魔法薬を作ってみたくなった。何せそれを理由に飛び出してきたのだから、師でも過去に数度作っただけだったという上質な魔石が必要なレシピが思い出された。故郷には魔石を採掘できる場所などなく、けれど上質な物なんて高くて手が出せないしそもそも入荷もされない。
魔石が欲しいけど上質な物なんてどうやって買えばいいのか、と悩んでいるそんな時だった。信頼できる商人がある鉱山を教えてくれたのだ。そこは宝石を採掘する鉱山であるが、魔石も発掘することがあるらしい。しかし今は仲卸業者を通さずに直接の買い付けを主に行っているから、魔石が欲しいのなら自分で行って見てきた方が良い、と教えられレイラは当たり前のように魔女であることを隠してその鉱山へ向かった。
―――
「行かない方が平和だったんですけどねえ」
「何の話だ」
「こちらの話です。ほら、こっち終わりましたよ」
「…まだ」
「耳がはげちゃいますよ」
「…」
巨体を横たえたオーウェンの耳にレイラはせっせと櫛を通していた。しかしいくら大きな体を持っていようと耳である、櫛を通す場所はそんなに多くない。元から何の汚れもついていない綺麗なそれを何十分も梳いていては地肌に悪そうである。しかしオーウェンはレイラの膝に頭を乗せたまま動く気がないようだった。
この部屋はレイラの居住スペースの一つで数人の従者しか入れないようになっている。床にはふわふわの綿毛のような絨毯が贅沢に敷き詰められており、裸足で歩くとそれはもう幸せな気分になれる。勿論そのまま寝転んでも良いようにこの部屋では土足厳禁の上、毎日念入りに掃除されていた。そんな幸せなスペースでオーウェンの毛並みを整えるようになったのはいつの頃からだったか。ここまでくるとどちらが従者か分からない。レイラはこっそりため息を吐くと、毛並みの良い耳を撫でた。
この屋敷はレイラではなく、オーウェンが建てたものだ。オーウェンたちは確かにレイラの従者であるが、彼女は別段彼らが他に仕事を持つことを止めはしなかった。もう好きにしてくれ、ついでに従者も辞めてくれて良いと何度も言っていたにも関わらず何だか大所帯になってしまったものである。
「オーウェン、その地響きみたいな音どうにかならないんですか」
「…君は獣人でないから分からないだろうが、これは制御できるものではないんだ」
「貴方だけなんじゃないですか」
「ネコ科の全員がそうだ」
「今度ネイサンに聞いておきます」
「聞けばいいさ、奴もそう言う」
さすがに耳を梳き過ぎたのでこれまた綺麗に手入れされた髪に櫛を通す。絡まりも引っかかりもなく、何とも梳きがいのないそれをさらさらと撫でるよう櫛を通していくとオーウェンの喉から地鳴りのような音がした。いつものことであるし、厳めしい大の大人が猫のように喉を鳴らしているのは可愛いは可愛いのだがいかんせん音は可愛くなかった。
「ほらもう十分綺麗ですよ、反対向いて。ほら早く」
「君はグルーミングというものを分かっていない。後でお返しにしてやるから手本にしなさい」
渋々といった体で体を起こしたオーウェンは反対側を向きながら不機嫌そうにそう言った。ざっと勢いよく血の気が引くのを感じたレイラは顔を青ざめながら慌てた。
「あ、結構です。大丈夫です、お気になさらず」
「遠慮する必要はない。さあ、反対側も頼む」
「結構ですってば、あ、こら、どさくさに紛れて内ももを揉むんじゃないんですよ!」
「相変わらず、魅惑の柔らかさだ」
「誰かさんが太らせるからですよ! それ以上したらもうしませんからね!」
レイラが力いっぱい押してもオーウェンはびくともしない。毛並みばかりが乱れて先程よりもよほど櫛の出番がありそうだったが、オーウェンは怒るでもなくくすぐったさに笑った。
そんな賑やかな部屋の外を従者たちが通りかかった。清掃用の魔道具を転がしながら廊下の掃除である。この屋敷にはメイドのようなハウスキーピング専門の使用人はいない。全員が従者という役職で、執事や庭師などもない。役割が分かたれていない訳ではないが、役職としては全員が従者であるのだ。
「すっごい仲良いっすね。あの怖ぁいオーウェン様がでれっでれ」
「そうだな」
「あのお二人って番になってどれくらい経つんです? そろそろ赤ちゃんとかの準備ってしなきゃなんじゃ」
「あのお二人は番ではない」
「…ん?」
「あのお二人は番ではない」
黒豹の獣人は手元の資料を読みながらわざわざそう二回言った。青年と少年の間くらいの雪豹の獣人は耳をぴるぴると振ってまさか、と笑いながらもう一度魔道具を転がした。この魔道具は彼らの女主人が作ったものだ。歪な球体をしているがそれを転がしていくと、その中にどういう訳だかゴミが溜まっていくという優れものだった。
「おお、やっぱすごいコレ。めっちゃ楽、その上楽しい」
「良かったな、その調子でこの廊下全てピカピカにしろよ」
「で? あのお二人っていつから」
愛嬌のある笑顔で問いかけた雪豹の獣人に対して、黒豹の獣人は表情も視線の先も変えぬままにもう一度口を開いた。
「あのお二人は番ではない」
「…」
「…」
「え、真面目に言ってます?」
「大真面目だ」
「あ、そっか。レイラ様が獣人じゃないから番って言わないんですね、夫婦?」
「夫婦でもない」
「頭おかしいんじゃないですか?」
「俺もそう思う」
次の商談相手の探られれば痛む腹の内を余すところなく書き記した文字を追いながら、黒豹の獣人は頷いた。尊敬している相手ではあるが、頭はおかしいと思っていた。この屋敷の従者は皆そうである。雪豹の獣人はこの屋敷に迎え入れてまだ日が浅いからリアクションが新鮮であるが、初めの内は全ての従者がこうだったなと黒豹の獣人は感慨深くなった。
「…え、本当に?」
「本当だ」
「…俺、生まれた時から奴隷だったから分かんないんスけど、ああいう上の階級の人たちってそういう、その、あの、あれなんです?」
「俺も生まれた時から奴隷だったが、あの人たちが異常なのは理解している」
「…」
「…」
「…え? じゃあ何で放置してんスか? あれってあのままでいいやつなんスか?」
「この屋敷の人間は大体もう諦めの境地に至っている」
諦めの境地というか、もう正常な判断ができなくなって最早これが普通なのではないかと思い抱いている者も多い。雪豹の獣人は頭を抱えた。
「いや、良くないっスよ! 良くない! あんな思いっきりマーキングし合っといて番でも夫婦でもないって! あ、いや!? あれ? あ、恋人ってやつ…」
「でもない」
「もおおおお!」
「騒ぐな煩い、お前はいつから牛になった」
「俺は! 雪豹!」
「隅に埃が残っているぞ」
「あ、はい。じゃねえ! 本当に良くないっスって!」
「“良くないです”」
「良くないです!」
黒豹の獣人はよく騒ぐなこいつ、と思いながらも内心では同意していた。グルーミングにマーキングなんて、子どもでも番でもない男女がそんなに簡単に行うことではない。
獣人は混じっている獣の気性に引っ張られる者もいないことはないが、基本的には一対の番を求める。自身に見合う番を得られるのならば、野にいる獣のようにわざわざ季節毎に別の番を求める必要はない。番を得る前にはお遊びをすることだってあるが、番を得られたのであればお互いに囲いあう。グルーミングやマーキングはその一環であり、つまりお互いが番であることを他人、特に他の獣人に示すものでもある。
この屋敷にいる者は元は奴隷ではあったが、買われた家によっては子どもさえ勝手に作らなければ恋愛ごとは自由にしてもいいなんて場所もあったし、全くそういうのが分からないなんてことではないのだ。確かにあれは異常だ、良くはない。諦めの境地ではあったが、新しい風のおかげでこの異常性を再認識できたと黒豹の獣人は僅かに頷いた。
「俺も、他の従者たちもあの手この手を尽くしたんだ。…だが、方向がおかしくなるばかり。もう諦めるしかない」
「ネイサン様…」
「様という敬称はあのお二人だけでいい」
「あーもう! やりづらい! どうでもいいんスよケイショウ? なんて! あの人たちどうすんです!?」
「煩い、どうもできん。そこの毛玉を取っておけ」
「獣人がいっぱいいると、こういうの絶対ありますよねー」
「うちはレイラ様以外全員が獣人だ。その辺の比じゃないぞ、念入りに掃除しておけ」
「うっす。…。…。…。って、ちげえ!」
ネイサンと呼ばれた黒豹の獣人はさすがに煩すぎると、雪豹の獣人の尻を強かに蹴った。かなり強めに蹴られたというのに雪豹の獣人は、ちょっと飛び上がっただけでそのまま掃除を続ける。やはり獣人は頑丈でいい、とネイサンは頷きながら次の仕事の構成を練った。
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