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日常編・2

 オーウェンは元々は奴隷であった。奴隷の子どもであったから、生まれた時から奴隷であった。視界が明確になる前に売られたので父母は知らない。見目の良い赤子であったから初めは愛玩用にと売りに出され少し育つと見世物に、そして育ち切ると重労働のそれとして売られた。奴隷はモノであるので主人がコロコロと代わるのは珍しいことでもなく、主人の気分を害せば鞭で打たれるのも食事を抜かれるのも当然であった。耐えかねて主人を生まれ持った力でねじ伏せようとして拷問の末に殺された奴隷だって見てきた。


 それでもオーウェンはずっと機会をうかがっていた。初めは子どものように純粋に、こんな生活はもう嫌だと嘆いて脱走を試みた。すぐに捕まって酷く打たれ、背中にはその時の跡が未だに残っている。しかしオーウェンは諦めなかった、単純な逃走ではすぐに捕まってしまうことを理解した彼は主人が代わる度にその人となりをつぶさに観察した。


 この主人は疑り深く心根が臆病であるから奴隷たちの管理は厳重である。この主人は管理を使用人に任せているが、使用人はベテランでしかも奴隷たちが一番に嫌がる拷問を心得ている。この主人は頭が悪いが妻が目を光らせている上に軍との繋がりがある。


 そして、オーウェンにとって奴隷生活最後の主人となった男は鉱山の経営者だった。親から譲り受けたばかりの宝石が多く採れる鉱山で働かされるためにオーウェンは買われた。男は頭は悪くなかったが、楽観主義者で酒好きだった。今までの主人たちと同様に気に入らなければ暴行を繰り返したが、自分で加虐したい類の人間だった。愛玩用の奴隷や子どもならば主人自らがしたとてそれは恐ろしいものだろうが、成長しきった虎の大型獣人であるオーウェンに箱入り育ちのお坊ちゃまの拳などは痛くも痒くもなかった。それは他の奴隷たちにも同じことが言えた。侮辱され踏みにじられる屈辱は味わったが身体にかかる負荷が少なかった分、他の奴隷たちも比較的に健康だった。


 オーウェンは男から信頼が得られるよう従順に従って見せた。すると男はすぐにオーウェンを信用しきって、何なら家の仕事もするかと言ってきた。オーウェンは読み書きができなかったが、寝る間を惜しんで短期間でそれを覚えたので男はひどく喜んだ。肉体労働だけの奴隷は安いが、教養を付けた奴隷は高いのだ。二束三文が化けたと男が笑っていたのをオーウェンたちは未だに嗤いの種にしている。そしてオーウェンは家の仕事も男の仕事も全て自分と他の奴隷が行うから、使用人を全て解雇して構わないし男もずっと遊んで暮らせばいいと唆した。男はそれはそれは喜んで、苦言を呈してくれた友人を無視してオーウェンの言った通りにした。


 オーウェンと奴隷たちはよく働いた。昼間は鉱山で宝石を採掘し夜は男の館で使用人のように振舞った。男は自分は奴隷を使う能力が高いのだと周りに言いふらしながら毎日、酒を浴びるように飲んで暮らした。どんなに外で金を使おうと奴隷たちが毎日せっせと宝石を採掘してくるので何の問題も心配もないと豪語していた。その頃にはもう、オーウェンは独自に宝石を卸す業者まで管理していた。奴隷を意味する首輪と腕輪を嵌めたまま、奴隷とは思えない豪胆さで業者とやり合っていた。


 そんな折である、男が急死した。酒の飲み過ぎだったと医者が言った。男の親は隠居をしていたがまだ達者だったためすぐに舞い戻ってオーウェンたちを責めた。しかしその異常性にもすぐに気付いた。何故、この館には奴隷しかいないのだと男の父親が叫んだ。それと同時に装備を整えた騎士が複数、館に押し入ってきた。



『ああ、騎士よ! 見てくれこの様を! 私の息子はこの奴隷たちに殺されたに違いない!』

『…彼らは奴隷で間違いないのですな』

『何を言う! 首輪と腕輪をつけているだろうが、あれが奴隷でなくて何だと言うのだ!』

『ご主人、国際法というものをご存知か』

『国際法だと? そんなことはどうでもいい! 早く息子を殺したこの奴隷たちを引きずりまわしてしまえ!』



 騎士たちはため息を吐いた、それ以外に何もしようがなかった。中には気分を悪そうに口を押さえている者や頭を抱えている者までいた。オーウェンは嗤いを堪えるのに必死だったが、男の父親は全く動きもしない騎士たちを不審がりもう一度彼らを見た。



『な、何だ貴様ら、その装備は。それは我が国の紋章ではないな! 誰だ貴様らは!』

『我々は国際騎士団ですよ。国際法に基づいて国境なく動くことを二大国から許された騎士団だ、この国もこれに加盟し二大国からの加護を受けているはずだがね』

『だ、だから何だと言うのだ! 私は息子を殺されて!』

『国際法にて百年前に奴隷制度は廃止の上、禁止されている。猶予期間は二十年もあった。それを含めても完全に禁止されて八十年は経っている。これは国際法違反だ』



 この大陸には二つ大きな国が存在している。西の大国と東の大国、その二大国の属国として複数の小国があるが、諍いを軽減するためにと作られた国際法というものがあった。自国の法律に加えこの法律を守るのであれば二大国から加護と支援が受けられるというもので、殆どの小国がこれに賛同している。


 オーウェンが生まれた国もそうだ。簡単に大きく三つでかみ砕くと「国同士で詐欺を行わない、優位な国が下位の国に無茶を言わない、二大国に喧嘩を売らない」となる。しかし他にも細かな決まりは多い。



『この国では普通に行われていることだ! そんなことはどうでもいい、この人殺しどもを早く処分しろ!』

『普通に? どこの家庭にもいると言うことか?』

『いるさ! さすがに下流階級は買えんがな、中流でも私たちのように事業をしている家庭では普通のことだ!』

『…ご協力感謝する』



 話していた騎士が手を上げると、騎士たちは男の両親を捕らえた。何が起こったのか分かっていない男の両親たちは喚いたが無視された上に、汚物の処理をするかのように扱われて連れて行かれた。



『貴方がオーウェンか』

『そうだ』

『私はグウェン。この国の法律違反は前から尻尾が中々掴めなかった。それを謝罪し、またこの機会を与えてくれたことを感謝する』

『貴殿が謝る必要のないことだ。しかし、今後どうなるかは教えて頂きたいな』



 学がないもので、と肩をすくめるオーウェンに騎士団長は握手を求めた。オーウェンはその手を暫く眺めて、それでも差し出されたままのそれに応じた。



『今後この国は国際法に則って裁判にかけられる。我々が証言する上にこの国にはそう旨味もない、取り潰されるが落ちだろう』

『そうか』

『ところでオーウェン、君は随分体格が良いな。騎士団に興味は?』

『一切ないな』

『考えが変わったら是非、私を訪ねて欲しい』

『ないだろうが、覚えておこう』



 話が終わったというのに離されない手を無理に振りほどいて、オーウェンはやっと一息ついた。するとグウェンと名乗った騎士の後ろから部下と思われる騎士たちが大きな器具を持ってやって来た。



『とにかくその悪趣味な首輪と腕輪を壊す。暴れないように君の部下たちにも言っておいてくれないか』

『分かった、礼を言う』



 生まれてこの方、新しい物を取り付ける以外で外されたことのない首輪と腕輪が破壊された。オーウェンと他の奴隷たちはこれで初めてモノでなく、人になった。


 オーウェンはずっと機を狙っていたのだ。本来この国でも国際法に違反していることは殆どの人間が知っていた。知ってはいたが、この国では当たり前のこと過ぎて感覚が麻痺していたのだろう。ただ外国人に奴隷たちを見せてはならないというのは暗黙のルールだ。そういう人間がいそうな場所では決して表に出さなかったり、どうしても出す場合は首輪と腕輪を外されることもあった。


 外国人の中にも奴隷を密輸する人間もいたが、真っ当な者に見つかれば国際騎士団に通報され国ごと裁判にかけられることを上流階級たちは知っていた。上流階級たちは奴隷商に対して奴隷を売る際には、主人にそのことをよくよく教え込めと通達を何度も出していたし自分たちで使う奴隷には魔法をかけて目くらましをしていた。


 だからオーウェンは宝石を仲卸業者を通さずに仕入れたいという外国の商人を集め、首輪と腕輪を晒しながら商談を行った。初めて彼を見た真っ当な商人たちは驚き、卒倒した者まで出た。この国の黒い噂はまことしやかに囁かれており、しかし国際騎士団の言ったように尻尾の掴めないそれであったので信じられないと顔に出していたが、そこは商人である。数人の商人はこの情報がどれほどの価値があり、どのくらいの高値で売れるのか全員で算段し始めた。優秀な商人たちのおかげで後はこのざまである。オーウェンと他の奴隷たちは笑いが抑えられなかった。



『さて、オーウェン。この国は裁判にかけられるが、この土地が君たちの物になることはない。私の裁量でそこまでできれば良いのだが、所詮は雇われの身でね。これからどうするつもりだ、必要なら国際機関の施設を紹介するが』

『ああ、必要ない。目星はつけてある』

『目星?』



 グウェンが訝し気にしているのを気にも止めず、オーウェンは騎士と元奴隷たちが入り乱れている玄関フロアを抜け重い扉を開けた。彼の耳はこの喧噪の中でも小さな足音を聞き分けた。



『いらっしゃいませ、魔女殿。お待ちしておりました』

『…この商談は無かったことに』

『まさか、自慢の品をご用意致しております。どうぞ、中へ』

『ご遠慮申し上げたいのですが』

『ご遠慮などなさいませんよう、どうぞ』


―――


 あの時どうにかして断っていればこんな面倒なことにもならなかっただろうな、とどうしようもないことをレイラは考えた。オーウェンの膝の上で。



「オーウェン、お仕事がはかどらないでしょう。コーヒーでも淹れてきますよ」

「カフェインは必要ないな」

「おやつとか」

「必要ない」

「疲れません?」

「席について一時間も経ってないぞ」



 オーウェンは集中力の無さを嘆くような声色でレイラの鼻を抓んだ。レイラは不機嫌そうにそれをよけて言い募る。



「私を乗せてもうすぐ一時間です。足が痺れたりとかするでしょう」

「…君如きの重量で?」

「重いと言われるのもあれですが、如きと言われると微妙ですね」

「この程度では負荷にもならんな」

「あああああ」



 座っている膝を揺すられてレイラは慌ててオーウェンの首に抱きついた。この男はたまにこういう小さい子を持つ父親のようなことをしだすから困る。


 レイラが思う存分薬草を摘み終わって満足した後、次は自分の番だとのたまったオーウェンは彼女を抱いて離さなかった。抱き上げて移動するのはいつものことであるのでレイラも慣れているが、仕事があるからと一時間近く膝の上でじっとしているのは苦痛である。初めは本をぱらぱらとめくったり、オーウェンの書類の字を追ったり足をパタパタさせたりしていた。飽きたのを察したオーウェンが尻尾を貸してくれたので、それを暫く撫でたりもした。しかし飽きた。もう飽きた。



「飽きたか」

「暇なんです、魔法薬とか作りたいなあって」

「駄目だ」

「…」

「…」

「…」

「ぐ、こら」

「駄目?」

「駄目だ」

「…」

「っ、く、止めなさい」



 レイラは無言でオーウェンの耳の後ろを強く撫でた。時々爪を立てながらわしわしと撫でてやると、オーウェンの喉から控えめな唸り声のような音がする。止めなさいと言っておきながら、オーウェンは撫でられている方の耳を少しずつ傾けてきた。



「ずっとこうしていたら、可愛い猫ちゃんで通るのに」

「無茶を言うな、こんな大男が可愛いなどと」

「喉鳴らしながら言っても説得力がないですよ」

「…」

「都合が悪くなると黙るの、どうにかなりませんか」

「もう少しだから、待っていなさい」

「仕方がないですね、お早くお願いします」



 オーウェンは頭を傾けたまま仕事を再開した。そのまま撫でておけと無言で強要してくるあたりがもう猫ちゃんなのだと、レイラはこっそり笑う。仏頂面のままで喉を鳴らす様は他人が見れば怒りが爆発する寸前なのだが、レイラは呑気に家の猫が一番可愛いなと撫で続けた。


 初めは恐ろしくて半径一メートル以内には絶対に近づけないと思っていたのに、時の流れは不思議である。初めて会った時はそもそも騙されていたものだから信用するまでに時間がかかったというのに、今ではこんな風に触れ合っていても恐怖など微塵も感じない。危機管理能力の低下を自覚しながらレイラは、まあ、この人たちがいるからいいやとぼんやり考えた。


読んで頂きありがとうございました。

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