日常編・1
「レイラ、どこに行くつもりだ」
「西の洞窟ですよ」
「何故、君は私を置いていこうとする」
「え、ちょっとそこまでだから?」
「屋敷から出て十キロはちょっととは言わない」
「ちょっとです、箒ですぐですよ」
「馬を出そう」
「遅いか「天馬だ」
「…天馬が可哀想」
「何を言う、それが奴らの仕事だろう」
「まあ」
郊外の大きな屋敷の裏門からこっそり出て行こうとしていたレイラは案の定、オーウェンに捕まった。レイラは近年珍しい薬学を得意とする魔女であったから、薬草の群生地にちょっと行きたかっただけだった。それだけだったのだが彼女の従者は、そのちょっとを許さない。
正統な魔女であるレイラは自身の力を正当に理解していたので、オーウェンが何が何でも付いてきたがるのが本当に気に入らなかった。虎の獣人の癖に後追いをして鳴く猫のようだと揶揄しても、飼い主が心配でねと一蹴される。けれど一人の時間だって欲しいタイプの人間だったのもあり非常に気に入らなかった。
「そもそも君が働く必要などないのだ、私の稼ぎだけで十分だろう」
「もう現状そうですけどね、どうして貴方に食べさせてもらわないといけないんです」
「レイラ、その話は既に終わった筈だ」
「そうですね。私が手慰みに魔法薬を作ることに関しての話も、もう終わっている筈ですね」
「…天馬を」
「は、こちらに」
どこに隠れていたのか、黒豹の獣人が葦毛の美しい天馬を連れてきた。天馬とは文字通り天を駆ける馬である。鳥よりも大きな翼を持つ彼らは地道に地を駆ける馬とは違い、重力に惑わされることなく目的地まで連れて行ってくれる。オーウェンのような巨体を乗せるのは可哀想だとレイラは言ったが、この美しい天馬は彼らを乗せることが好きだった。何なら乗らない日が続くと厩舎から脱走してきては、乗れと言わんばかりに目の前をうろうろと歩き回る。
だというのにレイラは持っている箒を離さない。たまには箒に乗りたいのだ、オーウェンの主人になってから彼女は箒に数える程しか乗っていない。自身で風を切るあの感覚を味わいたいだけなのに。
「レイラ、天馬に乗らず私すら連れていかぬと言うのなら薬草摘みは禁じる。大人しく屋敷の薬草園に行きなさい」
「禁じるとは何です、主人は私なのですが」
「その通りだな、我が主殿。貴女は良い主人であるから、憐れで小心者の従者の言葉を聞き入れてくれるだろう?」
「憐れで、小心者? どこに?」
「目の前にいるだろう。さあ、乗りなさい」
オーウェンはひょいとレイラを抱き上げて天馬に乗せた。乗せられてしまうとさすがにこの美しい生き物の上で暴れられないので、大人しくするしかない。箒も取り上げられてしまったが、ここからの逆転劇はないだろうと諦めた。萎れたレイラの後ろにオーウェンがどっかりと乗ると相当な重量だというのに、葦毛の天馬は今にも飛び出してしまいたいと機嫌良さげだ。
「オーウェン様、午後からの商談は」
「お前に任せる。あまり煩いようなら喉元に噛みついてやって構わない」
「畏まりました」
「畏まらないで欲しい」
「だそうだ。我らが主人は博愛主義者でいらっしゃるから、まあ程々にな」
「は」
「は、じゃなくて、程々でもなくて。貴方たちの商談ってどうしてそういつもいつも物騒なんです」
「物騒だなどとは心外だな、我々はいつも誠実で迅速な商談を心がけているのだが」
「…もう何も言いませんからね」
レイラはついに、言うだけ無駄だと力を抜いてオーウェンにもたれた。黒豹の獣人が静かに頭を下げるのと同時に待ちきれないと天馬が飛び上がった。
「いってらっしゃいませ」
―――
久しぶりにレイラたちを乗せて飛ぶことができた天馬が、満足そうに野草をむしっている。その横でオーウェンは岩に腰かけながら主人の薬草摘みをじっと見つめていた。手伝おうとすると根から採るものと葉から採るものとの違いなどを指摘され叱責を受けるので、仕方なく大人しくしている。その方がレイラも必要なものを必要な分量だけ、しかも自分のペースで採取することができるので気が楽なのだ。西の洞窟の前の湿地には彼女が求める薬草が多く、鼻歌交じりに採取している。
「レイラ、そろそろ戻らないか」
「もうちょっと」
「先程からそればかりだな」
「嫌なら帰って下さって結構です」
「レイラ」
「…主人を聞き分けのない子どものように言うのを止めなさい」
咎めるような声色にさすがのレイラも手を止めてオーウェンを見た。その恵まれた巨体だけでも十分に迫力があるが、不機嫌そうに顔をしかめている様は子どもどころか大人でも尻込みするような威圧感がある。しかしレイラは主人である。そしてオーウェンは従者である。彼女たちの雇用契約は正統な魔女であるレイラの魔法によってきちんと管理をされており、それに違反するようなことがあればオーウェンとてただではすまない。
「何故、屋敷の薬草園では駄目なのだ、君が望むものを全て集めただろう。それこそ今、君が摘んでいるものと同じ薬草だってあった筈だ」
「育てたものと自生しているものでは薬の出来が違ってくるのです」
「多少は、だろう。手慰みで作る物にそこまでする必要があるのか」
やけにしつこく突っかかってくるオーウェンに、今度はレイラが顔を顰めた。そしてすぐにため息を吐いた。
「何を怒っているのです」
「怒ってなど」
「置いていこうとしたのが、そんなに駄目でしたか」
「っ、当たり前だろう」
「信用のないこと、ちゃんと帰りますよ。あれは私の家なのでしょう?」
「その通りだ、君があそこから一生出なくても良いように仕上げたのだぞ」
「私だって熱烈に外に出たい訳ではありませんが、絶対に出るなと言われるのは嫌です。息抜きもしたいし箒にも乗りたいし」
「箒なら屋敷でも乗れるだろう、息抜きとは何だ。買い物か、森林浴か? では屋敷の中にそれができる場所を作ろう」
「そういうことではないんですよ、もう。貴方は私以外には冷静で大人ぶってる癖に。どうして私に対してはいつまでもそうなのです」
今度こそ呆れてレイラはもう一度ため息を吐いた。オーウェンは非常にアンバランスな男だ。屋敷では最早自身が主人であるかのように他の従者を纏め更に増やし、既にレイラが理解できない商談を纏めてきては大金を仕入れてくる。人を使うのが非常に上手く、生まれが生まれでなかったのならば今頃は国を裏から牛耳っていたに違いなかった。その当たりのことをレイラは好きにさせていたが、一度は切れた主従契約をもう一度結びなおした上のこの男の執着を正しく理解してはいなかった。
「レイラに、捨てられるのが怖い」
「誰が捨てるんです、こんな大きな猫ちゃん。他の子もそうですが、生き物を迎えると決めたからにはその責任をとらなければいけないんですよ。…大体オーウェン貴方、私を逃がす気などさらさらないでしょう」
「君は魔女だ、いざとなれば我々を撒くのも訳ないだろう。それに君は魔女なのにか弱い、もし屋敷の外で私が付いていない時に何かあったらどうしたらいい」
大きな体を憐れっぽく縮こませるオーウェンは確かに物音に怯える猫のようだった。実際に第三者が見れば、大男が怒りを何とか制御しているような一触即発のような風体でもあったが、レイラには確かに大きな猫ちゃんにしか見えなかった。けれど彼女にも二言はないのだ。納得をして契約を結びなおしたのだから、外出しても帰るつもりであるし責任をとるつもりもある。
か弱い、という言葉に反論できないのは彼女が近年珍しい薬学を得意とする魔女であるからだ。そういった魔女は年々減少傾向にある。何故ならば彼女らは薬学に特化し過ぎていて攻撃魔法が苦手なものが多かった。抵抗ができずに権力者に捕らえられ、閉じ込められたまま一生を過ごす者も少なくなかった。だからこそ近年の魔女は、特に正統な魔女は薬学などよりも攻撃魔法や防御魔法などを重視し薬学の多くを捨てた。そのせいで多くの魔法薬が手に入りづらくなっていったが、では魔女を保護しようとはならなかったのだ。
正統な魔女とは、正統な魔女から魔法を習った者のことを指す。血筋ではなく、誰から学んだかが魔女にとっては重要なのだ。独学であったとて魔女にはなれる。魔法を使う者の中で自分自身の力を使う者を魔女と呼び(女という字が当てられるが、男でも魔女なり得る)自然界にある力を使う者を魔法使いと呼ぶのだが、使える魔法が違うため両者の交流はあまりない。レイラは師からも薬学は止めておけと何度も諭されたが、その師とて薬学に秀でた魔女であったので説得力がなかった上にその技を途絶えさせるのが惜しかった。
けれども魔女たちの殆どは薬学を捨てたし、隠れて一部の者だけと交流をとり静かに暮らすか、名のあるギルドに在籍し力ある者でも容易に手出しができないように強くなるかの二択を選んだ。レイラは当然ながら前者である。とはいえ、対策を一切していない訳でもないのでそんなに簡単にどうにかされることはないのだ。
「…確かに憐れで小心者ですねえ」
「そうなんだ、だから慰めて欲しい」
「薬草摘み終わったらね」
「後どれくらいで済む…?」
「もうちょっと」
「ネコ科は待つのが不得意なのだが」
「大丈夫です、優秀な肉食獣は狩りの際のタイミングをひたすらに待てますから」
「狩ってもいいと?」
「何のことでしょう?」
「…はあ」
「もうちょっとですよ」
レイラの言う「もうちょっと」程、信用のならないものはなかった。それこそ本当に後数秒で終わることもあれば、一時間経っても二時間経っても終わらないこともある。オーウェンは尻尾をぶんと振り回し地面に強かに打ち付けた。
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