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暑くて熱い夏まつり(激突編)

八月だ。

道路も焼ける暑さに、下がらぬ気温の寝苦しい夜。

日本の夏、異常が日常、人が死にそうな毎年の夏だ。

そんな夏のある日、出社してすぐ、新人同期三人が部長のデスクに呼ばれる。

部長はいつもの軽い口調で言う。


「君たちも一人前の悪人となるために、避けて通れないものがある。そのための仕事だ」


一人前の悪人?

ということは、いままでのアレコレはなんだったんだろう?

悪とはいったい…………。

「じゃあ、これ、今週の土曜の夕方に着て来てね」

そう言って部長は大きめの紙袋を各々に押しつけた。

中身を覗くと、俺の袋の中には、紺色のなにか、布みたいなものが入ってた。

横の藤巻さんのは青色で、朝原さんは白に紺線が入ってる。

「それ、浴衣の一式。社の装備品だけど、みんなサイズはMでよかったよね」

部長の言葉に、それの正体が知れるが、え、浴衣?

「この週末にはこのあたりで夏祭りがあってね。やっぱ雰囲気は大事でしょー」

はい?

「大丈夫―。休日手当はでるし、振替休日とってね。お祭りの代金は会社もちだから、半分遊び気分で行こうか」

祭りに行くの? 浴衣着て。

毎度おなじみ、困惑にお互いの顔を見合わせる俺たち。

…………だから、「悪」っていったい。

疑問のあまり、そろそろ哲学になりそうだ。

まあ、でも着物着て祭り楽しむのもありかな。

夏祭りなんて、高校以来だ。

「あ、そーだ! 私も浴衣着ちゃおうっかな」

…………へ?

「一人だけ仕事着ってのも寂しいもんねー」

…………それ、仕事着なんですか?

「ちゃんと祭り仕様でいくから、安心してね」

親指グッと突き出す部長に、俺たちはさっきとは違う困惑から顔を見合わす。

―――それ以外にもウサギあるんですか?

ていうか、『仕様』ってなに?

この上さらに謎を増やすのか、このひと。

俺たちはこうして、混迷の極みにありながら、週末を迎えるのだった。



しくった。

俺、着物の着方わかんねぇ。

部長の発言に気を取られてそこんとこを聞き忘れた。

藤巻さんたちにも聞いてみただけど、ふたりとも着付けなんてしたことないって。

頼みの綱の実家の母も、まさか着付けの為だけにこっちに来てもらうわけにもいかないし、とはいえ、電話口からでは説明しようがないだろう。

しょうがないから、着付け解説の動画をみながら着てみた。

着てみたんだけど。け、ど、けど、なーんか変な気がする。

帯がしっかり締まり切ってないような、形がずれているような。

こう、前のあわせもゆるくて。サイズあってないのかな?

うーん、大丈夫かなー。

こういうことって、なんか色々ちゃんと決まってるんじゃなかったっけ。

鏡で自分を見ていると段々と不安になって、なんか申し訳ない気がする。

誰にかはわからないけど。

ま、ずっと鏡見てても、これ以上どうなるもんでなし、そろそろ時間なんで、会社に向かおう。

あ、―――草履ないや。


夕暮れ間近の空の下、手持ちのサンダルでつらつら会社に向かって歩いていると、同じ方向へ向かってぞろぞろと親子連れや、学生、カップルなんかと出くわす。

みんな祭りへ向かうのかな。

ピンクの浴衣の女の子がお父さんお母さんと手をつないで歩いてる。

真っ赤なヒラヒラの帯がまるで金魚みたいだ。

「井槌さん」

背後から声をかけられ、振り向くと浴衣姿の朝原さんがいた。

おお、髪も結ってあってちゃんと浴衣スタイルだ。

白地に紺の花模様が入った浴衣が赤い帯で締められている。

「こんばんは。浴衣、ちゃんと着られました?」

朝原さんの言葉に、

「こんばんは。いや、もうヨレヨレですよ」

と、俺は苦笑で応える。

でも、朝原さんは「いえ、ちゃんとされてますよ」と言ってくれた。

朝原さんが自分の帯を指さす。

「私なんて、これ、帯はホックでとめて輪にしてあるんですよ。リボンのところはひっかけるだけでいいようにしてあって」

「そうなんですか? 全然ちゃんと締めてるようにみえますよ」

実際、俺には普通に着付けた帯との違いがわからない。

「そうですか、よかった」

お互い素人仲間をみつけてホッとした俺たちは、並んで会社へ歩く。

「お祭りなんて久しぶりです」

「俺もですよ。浴衣なんて、初めてだし」

「ひとりで着付けなんて、大変ですよね」

「無理ですよねー」

あはは、なんて苦労話に花を咲かせていたら、会社の通りまでついていた。

見れば、玄関先にもうきていたのか、ふたりの影がある。

ひとりはピシッと着付けた藤巻さんで、その隣には―――。

ねじり鉢巻きに半被を着てるいつも通りのウサギの姿があった。

「やっほー、井槌くん、朝原くん。祭りと言えば半被だよね!」

祭り仕様。

これが。

―――。

―――うん、なんだろう。

―――これは、あれだ。イベントとかで出没するうさんくさいウサギ感がハンパない。

え? なに、俺たち、これの隣で祭り行くのか?

うわぁー…………。

隣にいる藤巻さんがすでに疲れた顔をしている。

ずっと衆目にさらされたんだろうなぁー。ご愁傷様。

あ、子供がウサギに手を振って、部長が倍にして振りかえしてる。

テンション高いな、あのウサギ。

「じゃあ、みんなそろったことだし、行こっかー」

「はい」

そうして、俺たちは、祭りの中心へと向かう。

人ごみはますます増えて、賑わいが増していく。

「それで、部長、俺たちは具体的に何をしに行くんですか?」

道はもうお祭り客で混雑気味だ。部長の声もちょっと大きめになる。

「基本、普通にお祭り楽しんでくれればいいから。お小遣いはさっき渡した分で足りると思うけど。あ、一応仕事中だから飲酒は禁止ねー」

「はーい」

「ってことで、サイダー飲もう!」

言うそばから、部長は屋台のサイダー屋に突撃する。

「おっちゃん、サイダー四本ねー」

「まいど!」

しかし、さっきから思ってたけど、この中で祭りをいち番楽しんでないか、このウサギ。

サイダーを皮切りに、フランクフルト、焼きもろこし、たこ焼き、大判焼き。

「こういう屋台で買う焼きそばとかお好み焼きってなんで美味しいんだろうねー」

そうなんだよな、祭りマジックで屋台の商品って美味いんだよね。

いや、そうじゃない。そうだけど、そうじゃなくて。

なんか、このひと、食べる瞬間が見えないんだけど。

たしかに手に箸をもってお好み焼きを持つのだが、次の瞬間にはもう消えているのはなぜだ?

頬には確実に食べたというソースの跡が。

だが、この顔には書いてある口しかないはず。

どこに空間ポケットがあるのか、傍から全くうかがわせない。

おそるべし、ウサギ!

そして、もうひとつ。

「…………部長、そんなに買って食べられるんですか?」

俺たちも何個か食べてるけど、部長の手にはすでにもう両手では収まりきらないほどのビニール袋がぶら下がっている。

「だーいじょうぶ、私こうみえて大食いだから!」

いえ、どう見ても小食動物です。

焼きもろこしをかじりながら、最低限の抵抗として心の中でツッコんだ。


「あ」

屋台を歩いてるときからマズいなあとは思っていたんだ。

やっちゃたー。

「すいません、部長」

「ん? どうしたの、井槌くん」

「俺、帯がほどけてきたみたいで。ちょっとどっかで直してきていいっすか?」

「おやおや、そりゃ大変だ」

人ごみのなかを立ち止まり、三人が俺を気づかわし気に見る。

「じゃあ、ちょうどいいから、いったんここでお祭りは終わりにしようか」

部長がパン、と手を打つ。

「朝原くんと藤巻くんは先に、ここを出た右にある『しのぶ』って居酒屋行っててくれるかな。私の名前で予約入れてあるから」

「はい、わかりました」

「井槌くん、ここだと邪魔だから、そっちの裏で帯、しめなおしちゃおう」

「部長、すいません」

「いいよいいよー」

ふたりと別れて、俺と部長は屋台のすき間を通って、暗い茂みの方へ抜ける。

光の薄くなった木々の間、少し開けた場所で止まる。

「さてと」

ゴソゴソと音がして、

「その帯だと結びづらいから、こっちの柔らかい帯に変えちゃおっか」

―――いまどこから出した、その帯。

両手いっぱいに焼きそばだの綿あめなど持っていた部長の手に、マジックみたいに帯が現れた。

茶色いそれは、受け取ると、手触りがすごく柔らかい布だ。

「それ、“絞り”っていう帯。ちょうちょ結びでいいから、それで前で結んで、そのまま、背中にずらせばいいよ」

「はい、わかりました」

ゆるんでいた帯をほどき、動画を思い出しながら着物を整え、もらった帯でグルグルと巻く。

ちょうちょ結びか。

なんか、小さい子の浴衣姿みたいだなぁ。

でも、簡単で助かる。

あ、縦結びになっちゃった。

「―――っと。部長、こんなんでいいですか?」

結び終えた俺は、間違ってないか部長にたずねる。

「オッケー、大丈夫、問題なしだよ」

サムズアップする部長に、とりあえず安心する。

「じゃあ、ふたりと合流しようか」

「はい」

俺たちが屋台の明るい方へ向かおうとした、その瞬間。

ふいにガサガサと何人もの茂みをかき分ける大きな音が響いた。

「動くな!」

声に驚いて固まっていると、銃を構えた男たちが、俺と部長を囲んでいた。

あっという間の出来事だった。

―――え?

なにこれ?

「全員両手を頭につけて、地面に伏せろ、警察だ!」

ヘルメットに防弾ベストで武装した人たちに銃口を向けられ、俺の身体にレーザーポインターみたいな赤い点が浮かぶ。

その中のひとりが俺の腕をつかみ、背中に回して動きをおさえこむ。

隊長らしきひとりが叫ぶ。


「我々は『着物警察』だ! 貴様の着付けは間違っている! なんだこの帯の結びは!」


「!?」

俺の腕をつかんでいる奴が俺の帯を引っ張る。

「男の浴衣に帯は角帯、『貝の口』もしくは『片ばさみ』が原則だ! それをなんだ貴様、兵児帯に蝶結びだと! 女子供の結びをしおって!」

「ええっつ!」

そんなこと突然言われても!

「歴史上、兵児帯は鹿児島の成人男性から起こったと言われてて、そこから女性子供に広まったんだってさー。現代は女性が主に使ってるけど、別に男性が使ってもおかしくないんじゃないかなー。ま、個人の好きでいいと思うんだよねー。兵児帯だと角帯と違ってちょうちょ結びで楽だし」

「部長、それこの人たちに向かって言ってプリーズ! ついでに俺をヘルプ!」

「やきそば食べ終わってからねー」

いつの間にか一人離れてベンチに座って、のんきに焼きそばを食べている部長がのんきに言った。

「隊長! このもの、草履ではありません!」

「なにぃ!? そいつ、なにを履いている!」

「クロックスです、隊長!」

「よりによってクロックスか、貴様!」

クロックス怒られた!?

「クロックスいいじゃんか! 楽だし、靴ずれないし、どこでも買えるしお手頃価格!」

「貴様、クロックス原理主義者か! 伝統を蔑ろにする重罪だぞ!」

俺の発言に奴らの怒気が増した気がするが、罪の判定がわからん!

ていうか、なに、『着物警察』って?

そんなものあんの?

なんで俺そんなものに銃突きつけられて怒られてんの?

わけわからん?!

「部長―、なんとかしてくださいよー」

ほっぺに紅ショウガつけた部長が「やれやれ」といいながら腰を上げる。

そして、上半身を深く曲げ、地面に指をつける。

反動をつけ思いきり背をそらし万歳をし、深呼吸。

深く息を吸い、手をメガホンにして一声!


「あー! このひと、銃のトリガーに指をかけてるぞー!」


ぞー、ぞー、ぞー。

エコーがかかるくらい大きな声で部長が叫んだ。

全員、一瞬何が起こったかと呆然とする。

にわかに起こった空白。

だがそれは、突如発生した大量の足音にかき消された。

茂みの奥から浮かぶように、なにかが現れる。

それはまたしても、フル装備の武装集団だった。

俺たちを包囲していた奴らを、さらに囲むようにそいつらは銃を構える。


「我々は『指トリガー』警察だ! 貴様ら、その銃の持ち方はなんだ! 銃の安全な使い方がわかっておらんのか!」


隊を率いているらしき男が『着物警察』たちに怒声をはる。

「銃口を安全方向に向けて、指はトリガーにかけない! それが基本だ! そんなことも知らないのか!」

俺と同様、呆然としていた『着物警察』隊員が、自称『指トリガー警察』の叱責に我に返る。

「いま作戦行動中だ、ふざけたことを言うな、この馬鹿者!」

「なんだと、この馬鹿者! 貴様の様な奴がいるから誤射事件や暴発事件の犠牲者が絶えないのだぞ!」

「これは実弾じゃなく環境にも優しいBB弾だ! 当たってもちょっと痛いだけだ!」

ウソだ、それ当たったら超痛いだろ。

「黙れ、無知! そのような驕りが事故の元だとわからんのか! いかなる状況でも安全確認、安心第一! さては、貴様、にわか使用者か!」

「我々の伝統を守る戦いをにわか扱いするか! さては貴様らゆとり世代か!」

とんだ風評被害きたな。たぶんゆとり世代関係ない。

お互いに銃を向けあい舌戦を始めたやつらに、俺のツッコミはたぶん届かないだろうから言わないけど。

なんでもいいから解放してほしい。俺は伝統も安全も詳しくない、ただの市井の一般人の凡人の、ただの悪役会社員だ。

「いや、最後のそれ充分不審者でしょ。彼ら、円状に包囲すると同士討ちするから一方向からの隊列を組むのが本当はいいんだけどねー」

いつのまにか匍匐前進して俺のそばまで来ていた部長がポソリとつぶやく。

うわ、いつの間に! って、

「部長、ひとの心読めるんですか? それと、それ、あいつらにツッコんでくださいよ」

「アハハ。さて、じゃ、私らはお暇しようか」

ほこりをパタパタはらいながら俺の疑問をスルーして、部長が立ち上がる。

そして、俺を押さえていた隊員の、その銃の上部をひょいとつかみ、隊員の手首を支点にグリッと半回転させる。

「ぐわぁっ!」

隊員の痛そうな声があがり、拘束していた手が緩む。

そのスキに俺はその場を離れる。

「待て、貴様、逃げるな!」

「うえっ!?」

俺の逃亡を阻もうと、他の着物警察の隊員が俺にヘッドロックをかける。

くっ、首を絞められて息が苦しい。

だが、その隊員の腕は瞬時に外され、俺の気道はすぐ酸素を確保される。

なんだ、何が起こった?

それを理解するのは次の声が聞こえたからだった。


「この場にいる全員に告げる! 我々は『ヘッドロック』警察だ! なんだ貴様、その絞め方は! 片腕で首を絞めるだけではない、こう、逆の手で頭をもって!」


新たに現れた第三勢力、『ヘッドロック』警察の手により、俺の首がより精確に極められた。

周囲を見れば、他に何人も首をぎっちり絞められている奴らがいる。

すっげぇ迷惑!

ていうか、

「締まってる! むっちゃ締まってる! 脳への酸素が! なるほど、柔道家が言う“落ちる”ってこういう感覚! って、部長―マジピンチ!」

「あー、はいはい」

ガツン、って感じの鈍い音がして、俺の拘束が三度解放される。

見れば、俺の首を絞めていた『ヘッドロック』警察隊員が、地面に倒れて悶絶している。

「うん、これを肘にくらったら痛いよねー」

さっき奪った銃。というか鉄の塊(凶器)を手にもって、部長(犯人)がしみじみと言う。

あー、それは確実に痛い。

俺も苦しかったから同情はしないけど。

「また伝統を破壊する痴れ者が現れたか!」

「正確な情報を蔑ろにする愚か者度もめ!」

「正しい方法を知らない無法者たちが!」

「我々こそ正義!」

「われらこそ正統派!」

「我が行く道こそ至上の道!」

「いまこそ我らの力を見せるときだ!」

「いざ、かかれー!」

「おおーーっつ!!」

あ、『警察』同士がもめ始めた。

みごとな乱戦だ。

もう誰も俺たちのことなんか気にしてないぞ。

ぽかんとしていたら、トントンと部長に肩を叩かれた。

「さ、井槌くん、いまのうちに逃げるよ」

「あいつら、ほっといていいんですか?」

「吠えたい奴らには勝手に吠えさせておけばいいんだよ。あの戦い、もう私たちとは関係ないことになってるしね」

「は、はい」

たしかに、この戦いに俺たちがいる理由が完全に見当たらない。

それに、これ以上あいつらにつきあっていたら、俺の身体が何らかの致命的損傷を受けるだろう。

首めっちゃ痛いし。むち打ちとかなってないだろうな。

「―――これ、労災対象になります?」

「なるよ。さらに、あいつらを論破できたらボーナス査定対象内にしてあげよう」

三すくみになって戦いながら舌戦を繰り広げる訳のわからん集団相手に?

労災おりるならいいや。

俺はコンマ秒で考えるのをやめた。



表に戻ると、通りはさっきとおなじで屋台のきらめきと人ごみでにぎわっていた。

裏の大騒ぎがウソみたいだ。

「部長、あいつら一体なにものですか?」

道を行き、痛む首をさすりながら聞く。

「なんだろうねー。ヒマなんだろうねー」

「ヒマって、それだけでひとにいちゃもんつけてくるんですか?」

「お祭りの夜に祭り楽しまないで警察ごっごしてるんだから、ヒマ以外の何物でもないでしょ」

ああ、そうか、なるほど。

ん、―――そうか?

「さあ、ふたりに合流しようか。私お腹すいちゃった」

あんだけ食ってまだ食う気か、このウサギ。

胸焼けしてきた。



居酒屋につくと、なかはカウンターとテーブル席がある店で、ふたりはテーブル席にいた。

ふたりは、俺たちが現れると心配そうに声をかけてくれた。

「遅かったですね。大丈夫でしたか」

「あれ、帯を変えたんですね。きれいでいい感じですよ」

ああ、まともな人たちとの会話が身に染みる。

「待たせてごめんねー。ちょっと変なひとに絡まれてねー。でも問題なかったよ」

なかったのか、アレで?

「じゃあ、料理頼もうかー」

各々が料理を注文すると、先に店員さんがおちょこと徳利を持ってきた。

「あれ、部長。今日はお酒禁止じゃ?」

「これはね、中身は烏龍茶。ちょっと無理言ってお店の人に中だけ変えてもらってるの。せっかくだから、雰囲気だけでも楽しもうよ」

部長がそう言って俺たちにお茶を入れてくれる。

おちょこから立ち上る香りがほのかに甘い。

「うわぁ」

「これ、美味しいですね」

「すごい爽やかな香りと味です」

俺たちがお茶の味に驚嘆していると、部長が嬉しそうに笑う。

「これね、私のお気に入りのお茶なんだ。おいしいでしょ」

「はい」

へー、烏龍茶って、こんなおいしいものだったんだ。

「お待たせいたしましたー! だし巻き卵に大根サラダ、手羽先に明太子のパスタ、鉄板焼き、オムライスになります!」

店員さんが料理を続々と卓上に並べていく。

「部長、お茶のおかわりいいですか?」

「どうぞどうぞ。これ、お料理にもあうと思うんだー」

たしかに、このさわやかなのどごしは、色々と料理にあいそうだ。

さて、食べるかと箸を取る。

その瞬間、背後から肩に手が置かれる。

「突然ですいません。ちょっとよろしいですか?」

かけられた声に振り返ると、メガネにスーツ姿の中年の男性が座っていた。


「私は『マナーコンサルタント』です。あなたのマナー、間違っていますよ」


うっわ、また来た!

「徳利の注ぎ方はこのとがった注ぎ口を使ってはいけません。注ぎ口を使うことは徳利の円形を切る、すなわち『縁を切る』ということになって縁起が悪いのです」

流れるように語る『マナーコンサルタント』に、俺たちは声をなくす。

徳利の注ぎ口を使わないのなら、その注ぎ口は何のためにあるというのだろう。

無茶苦茶いうな、このひと。

「ああ、お嬢さん、パスタ、フォークでからめるのはスプーンの上で。フォークだけ使うのは正しくありませんよ」

「え?!」

朝原さんが突然の珍客に困惑している。

俺はもう四度目なので慣れたが、初心者には唐突すぎてついていけないのだろう。

「そちらの方も、ご存じですか、ライスはフォークの背に乗せて食すのが正しいのです」

オムライスを食べていた藤巻さんも固まっている。

あー、うっっっっっるさい!!

ひとの食い方にいちいちいちいち文句つけやがって。

それ絶対屁理屈だろ!

「はいはーい、そこまでねー」

モフモフうさぎの手が『マナーコンサルタント』と朝原さんの間に割って入る。

おお、部長。頼もしい。

「大変貴重なお言葉、ありがとうございます。では、お礼にひとつ、わたしからもマナーをお教えしましょう」

そういって、部長は右手のゲンコツを『マナーコンサルタント』の目の前にヒョイと出す。

こぶしがパッと開くとそこには花いち輪。

俺たちの視線が部長の手に集中すると、部長はそれを再び握りこむ。

パッと開くと、そこには一丁の拳銃を握った部長の手が。

え? いまどやってそこにだしたの?

「これ、さっきたまたま出会った人からもらったんですけどね」

ああ、あのひとたちか…………。

「アメリカの銃のマナーでは、人に銃を渡すときは弾倉を抜いて、銃口は相手に向けない。安全装置はロックしてね。これ常識」

こんな感じ、と部長は銃口側を手にもって、持ち手部分をこちらに向ける。

「さて、私の左手にあるこの黒くて細長い棒状の物。これ弾倉。いわゆる実弾ね。これも、そのひとたちからもらったものなんですけどね」

もらったというか、強奪したというか。

「これをね、グリップの下から入れて、スライドを引く。」

部長は棒状の弾倉を銃の持ち手の下にある穴に入れる。カチッという音と共に弾倉が固定され、部長の手が銃身の上部可動部分を引く。

「そんで、セーフティを解除」

モフモフの手が銃身についているメモリを動かす。

「これでこの銃は打てる状態になったよ」


「さあ、―――いま私の手にあるのは、本物かな、偽物かな、どっちだと思う?」


部長が『マナーコンサルタント』に銃口を向ける。

重い。

黒々とした銃身の重量がいま、ウサギのせいでより非現実的で、逆にその存在感を際立たせる。

静寂と緊張感に包まれ、おもわず俺は唾をのむ。

部長の指がトリガーをゆっくりと引く。

キリ、キ、キ、キ、


―――カチッ!


「ばーんっ!!」

「うひゃあありゃるらぁつが!」

部長の大声に『マナーコンサルタント』が悲鳴を上げて逃げていった。

「なーんちゃって! 弾倉空でしたー、ってもう聞こえてないか」

玄関を開けっぱなしにしていきやがったな、アイツ。

「特別の席ならともかく、食事なんて、食べやすく、食べたいように食べればいいんだよ。食への感謝と敬意をもって、ね」

だよね、大将、と部長はカウンター越しに厨房のおじさんに声をかける。

「ええ、お好きなように、美味しく食べていただけるのか一番ですよ。肩ひじ張ってちゃ、美味いもんも美味くなくなりますからね」

ほらねー、と部長は俺たちをみる。

「着物の着方とか法律で決まってるわけじゃなし。坂本龍馬は着物でブーツはいてたんだよ。“正しいから”といって人に口出す輩はほっとくのが一番」

たしかに。

アレなひとたちと関わるのはひたすら面倒くさいだけだな。

「さー、気を取り直してご飯食べようかー」

部長の号令で俺たちは再び箸を手に取る。

うん、ひと仕事終わったあとのメシはうまい。

―――。

あれ、結局、今日の仕事ってなんだったんだろ?

「“警察”は怖いね、“鳴るほど”」

「落語オチ!?」


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