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走り切れ、研修

悪人株式会社、出社一日目。

新人への研修がはじまった。


「本日から三日間、皆さんの研修を受け持たせていただきます小垣です」


会社の小さな会議室、長机に座る俺たちの前にたつ人は静かな声でそう言った。

肩までの髪に、事務の制服姿の若い女性。

小垣さんは、俺がこの会社に飛び込み面接したとき、受付けてくれたひとだ。

ウサギのインパクトが大きすぎ忘れていたが、この会社には他にも働いているひとがいる。

そのひとり、小垣さんは見た感じ、ごく普通の会社員だ。

なのに、


「わが社はご存じの通り、世界征服を謳っており、皆さんにはそのために身につけておかねばならない、いくつかの基礎を学んでもらいます」


残念なこと言ってるー。

真面目な顔で変なこと言ってるー。

わかってはいたが、ガッカリ感ハンパない。

俺の内心の気落ちに気づくはずもなく、小垣さんの研修は進んでいく。


「では、まず挨拶の仕方、電話の取り方、お茶の入れ方をおしえていきます」


小垣さんは、後ろのホワイトボードに、マーカーで“あいさつ、電話、お茶”と板書する。


「朝、出社してきたら、『おはようございます』。退社するときは『お先に失礼します』もしくは『お疲れさまでした』と、声をかけあいましょう。これは社内のコミュニケーションを潤滑にまわすためのものです」


―――おや?


「次に電話。社にかかってきた電話は『はい、悪人株式会社でございます』といってとりましょう。受話器は、3コール以内で、それ以上かかった場合は、必ず頭に『お待たせいたしました』をつけます」


―――おやや?


「お茶の茶葉の適温は80度です。ですので、さきに湯飲みに人数分お湯を入れて、少し冷ましてから急須にいれてください。少し蒸らして、湯飲みに少量ずつ、まわしていれると濃さも均等になります」


―――おややや?


なんだ、ごく普通の研修が進んでしまっているぞ。

これではまるで当たり前の会社の新人研修みたいではないか。

うむむ。


「―――では午前中の研修はこれで終了です。お疲れさまでした。これよりお昼休憩にはいります。一時間後、また会議室へ戻ってきてください」


そういって、小垣さんは退室していった。

淡々と終始一貫して静かな声であった。

俺たちはそれを呆然と見送った。

手元に残るメモには社会人の一般常識、マナーに、お茶の温度が書き記されている。


…………は!


俺たちは顔を見合わせ、その互いの表情から意図を汲む。

「普通ですよね!?」

「普通です!」

「普通でしたね!」

だよね!

これって一般的な新人研修だよね!?

会社の新人が教わるアレコレだよね?

まともな研修だよね!

これまでの経験が経験なので、それが逆に不安感をかもしだす。

なんだ、なんだこの前フリは。

またどっかからウサギがひょっこり現れてなんかしでかさないか、これ?


「…………でも、普通なら、それはそれでいいんじゃないですか?」


キョロキョロそこらを見渡す俺に、朝原さんがこっそりと言う。

「もしかして、部長がいなければこうなのでは?」

藤巻さんもつられて小声だ。

俺はふらつく視線を止め、ふたりを見る。

真剣な目だ。

うん、これは、―――ワンチャンあるのでは?

まともな会社というカンジの本質的なものがとうとう現れたのか。


ならば、これはこれで、ヨシ!


俺たちは無言でうなずきあう。

「いや、よかったですね、一時はどうなることかと」

ははは。

なごやかな空気が俺たちの間を漂う。

昼の日差しが会議室にやさしい。

「朝原さん、お弁当なんですね。おいしそうです」

コンビニのおにぎりを頬張る俺。それに対して、朝原さんは水筒でお茶まで持ってきている。すごいな。

「昨日の残り物なんですよ。通勤途中にコンビニなくて」

恥ずかしそうにいう朝原さん。

パン屋の紙袋から焼きそばパンを取り出す藤巻さん。

「ここいらで、会社近くにいいお店あるといいですね」

「総菜屋とかパン屋とか」

「カフェとかあったらオシャレですね」

「いいですね」

ねー。

安心感からまったりしたおばちゃんたちのお昼みたいな空気になっている。

昼寝でもしてしまいそうだ。

ほのぼのお昼をしていたが、休憩もおわりに近づいて、ごみを片して、椅子に座りなおす。

時間になると、午前と同じように、静かに小垣さんが部屋に入ってきた。


「では、午後の研修を行います」


よしきた。


「午後からは、みなさんに実習を行なってもらいます」


まかせろ。


「実習は簡単な作業です」


どんとこい。


小垣さんがホワイトボードに大きく単語を板書する。


「みなさんには、これから『誘拐』をおこなってもらいます」


はい、終了―!


黒いマジックで『誘拐』って書いてある!

見間違いないぐらいでっかくキレイな字で書いてある!

「手順としては、1、予告をする。2、誘拐を実行する。3、金品の受け取り。4、誘拐被害者の返品、となります」

キュッキュッと1から4までの工程を書かれているけど、これをメモするべきか手が止まる。

って、そんな簡単なものだっけ、誘拐。

てか、するの、誘拐。

いまから?

完全に犯罪。

やるんですか、マジで!?

「それでは、まず、第一に、予告電話を行います」

唖然とする俺たちをしり目に、小垣さんは携帯を取り出して、何処へと電話をかける。

行動早っ!

「――もしもし、いつもお世話になっております。悪人株式会社、小垣でございます。………はい、はい、では、そちらの佐藤浩二さま、おひとり様ご誘拐に、午後二時にそちらへうかがわせていただきます」

言った! 誘拐って言った!

その前に、自分の名前言った! 誘拐犯、実名言った!

俺の心臓がいやな鼓動を立ててるよ!

「はい、はい、ありがとうございます。では失礼いたします」

携帯をしまい、小垣さんは顔色変えずに俺たちに向く。

「このように、相手先に失礼のないように、わかりやすく簡潔に用向きを伝えるようにしましょう」

うん、間違いのないくらいわかりやすいおひとりさま分の誘拐予告だったよ。

「―――では、みなさん、実地研修へ向かいますので、外出の準備をしてください。そんなにかからないので、貴重品とメモ帳だけで結構です」

待ってください、色々と追い付かない。

「誘拐は時間厳守、お客様を待たせてはいけません。余裕ある行動を心掛けましょう」

すでにカバンを持ち、会議室を出る小垣さんを、俺たちは慌てて追いかける。

そりゃ遅刻する誘拐犯なんていないけど。

何の迷いもなく歩いて俺たちに戸惑う余裕も与えてくれない小垣さんが、会社の玄関で、ピタリと足を止める。

何だと思って前を覗けば、――犬がいた。

黒いラブラドールレトリバー。

人懐っこい目でこちらを見ている。

小垣さんはしゃがんで視線を合わせて、その子の頭をなでる。

「佐藤様のクロ君ですね?」

返事をするように黒ラブ君が尻尾をふる。

かわいい。

じゃなくて。

また色々おいつかない事象が発生している。

なんで犬?

小垣さんは立ち上がり、

「井槌さん、クロくんのリードをお願いしますね」

「あ、はい」

俺は慌てて、クロくんのリードを手に持つ。

クロくんはおとなしく俺につながれてくれた。

おとなしい子だな。

賢いかわいい。

じゃなくて。

これどこの家の子?

佐藤さんちの子っていったけど、こんなとこいて大丈夫?

俺この子つれて怒られない?

心臓のリズムがまた一段と変な方向にいってるんだけど。

もうピンボールの玉みたいなんだけど。

クロくんを連れて社から表へ出た俺たちは、社用駐車場に止めてある車に乗り込んだ。

車は普通の白いワゴン車で、ガラスもスモークとかになんてなってない透明だ。あ、営業って書いてある。

「いきますよ」

小垣さんの発車の声に、俺はシートベルトをつかんでどんな運転が待ち構えているかと身構えるが、発進はゆっくり、道中も法律順守の安全運転だった。

十分もしないで、車はオフィス街のあるビルの前に止まる。

「目的地です。みなさん、おりてください。井槌さん、クロくんを連れてきてください」

エンジンを切って小垣さんの指示に俺たちは従う。

ビルに入り、(犬つれてても平気なのかな?)エントランスの受付けのひとに、小垣さんが呼びかける。

「お忙しいところ失礼します。私、悪人株式会社、小垣と申します。御社の営業の佐藤様と二時にお約束しておりまして、お呼びいただけますか?」

「悪人株式会社、小垣さまですね。少々お待ちください」

どう聞いても変な会社名を連呼してる。表情が変わらない受付さん、プロか。

待っている間がどんな視線を受けているか考えるとむずがゆい。

おとなしく座ってるクロくんのほうが平気そうだ。

「お待たせいたしました、佐藤です」

大変ありがたいことに、待つ時間はそうかからなかった。

営業の佐藤さんは四十ぐらいのおじさんで、俺たちを見て不思議そうな顔をした。

「その、そちらの犬は…………?」

佐藤さんはごく当然の疑問を口にする。

だよねー、不思議だよねー。

小垣さんが佐藤さんに一礼する。

「はじめまして、私、悪人株式会社の小垣と申します。そして、こちらにいらっしゃるのは、佐藤様宅のクロくんです。勝手ながら、会社におつれさせていただきました」

手で俺の連れてる黒ラブくんを指す小垣さん。

「では、佐藤様、―――クロくんの命が惜しくば、我々と来ていただきましょう」

「え?」

「え?!」

佐藤さんもだが、思わず俺が驚いた。

なんて堂々とした誘拐宣言。

それと、ああ、この子、やっぱりこのひとのうちの子なんだ。

さっきから佐藤さんめがけて飛び出そうとしているのをリードで押さえてるけど、すごい力だ。黒ラブ強い。

佐藤さんが動揺した声で言う。

「命って、いったい何を………!?」

「おやつをあげて血糖値をあげます」

え、それ相手にダメージ与える脅し文句?

「クロはもう年寄りなんだぞ、なんてことをしてくれるんだ!」

佐藤さんが小垣さんの発言に声を荒げる。

―――効果はバツグンだ!

「それがお嫌なら、我々と同行をお願いします」

「行くって、どこへ?」

「来ていただければわかります」

「しかし、いま私は会社に…………」

「おや、佐藤様は、クロくんより会社が大事だと?」

「?! そんなことはない!」



ということで。

クロくんを脅迫のネタに佐藤さんの誘拐に成功した俺たちは、―――動物園にいた。

市のはずれにある広大な土地のそれには、ドッグランが併設されている。

「そーれ、とってこーい!」

佐藤さんの手から放たれたフリスビーを、クロくんが追いかける。

芝生の上を黒い矢のように走り、空中でキャッチ。

得物をくわえ、尻尾を振って戻ってくる。

「よーしよし、いい子だ。クロはかしこいな!」

佐藤さんはクロくんの頭を力強くなでて、嬉しそうに声をかけた。

「もう一回だ。そら、とってこーい!」

飼い主の声に力強く走り出す黒い犬。

絵にかいたようなほほえましい光景だ。

その光景をしり目に、俺たちは、現在芝生の上で大の字になっている。

フリスビーの前に、俺たちはクロくんと全力の紐の引っ張りっこ&鬼ごっこを三十分以上しているのだ。黒ラブ、体力ハンパない。

普段なんのスポーツもしてない社会人にいきなり大型犬の相手とか、どんだけハードだ。

(飼い主はその間ずっと犬の姿をカメラで撮ってた。止めてよ)


小垣さんが、伸びている俺たちに、お茶のペットボトルを配ってまわりながら、説明してくれた。

「今回の依頼主は佐藤様のお宅の奥さまです。佐藤様は最近仕事で忙しく、帰宅も遅くなりがち。ペットのクロくんをかまってあげられず、寂しがっておられたそうです。それを見かねた奥様より、わが社に依頼がありました」

佐藤様がクロくんと遊ぶ時間をつくってほしいと。


つまり、これは、誘拐ではなく、―――


「会社員のサボり」

「ペットサービス」

「家事代行」

「なにを言ってるんですか。我が社による立派な犯罪行為です」

俺たちの感想を小垣さんが一刀両断する。

「依頼をもって悪を為す。わが社の経営理念に何ら反することのない立派な行いです」

そんなもんですか。

俺たちのしたことといったら、おじさんつれだして、一緒に犬と遊んだだけなんだけど、それが悪人のやることなのか。

まあ、楽しそうな佐藤さんとクロくんを見ていたら、なんでもいいけどさ。

犬、かわいい。

モフモフは正義。

ただ、今日は筋肉痛になることは避けられそうにない。

足しんどい。プルプルしてる。


「さあ、皆さん起きてください。このあと、佐藤様を会社にお送りし、クロくんをお宅にお送りします。それから社に戻ってレポートを提出していただきます。今日の一連の流れ、感想をまとめてください」

え!?

マジか! もう体力限界なんですけど!

俺たちが信じられない思いで小垣さんを見ると、表情も変えず、小垣さんはいう。

「報連相は社会人の基本です。報告はどんな小さなことももらさず、正確に行わなければ意味がありません。そのために、常に文章でまとめておく習慣をつけておくのです」

―――なるほど、そういうものか。

たしかに、そういう行動はいつもやってなければなかなか身につかないよな。

習慣、だいじ。

でも、こんな生まれたての小鹿状態になってからやることではないと思う。


なんて、俺が社会の理不尽をかみしめていお茶を飲んでいると、ポツリとつぶやきが耳に入る。


「というのは建前で―――」


「本当は、私が苦しむ若人を見たいから」


ぎょっとして、俺は視線を上げる。

小垣さんは

「なーんてね」

といって、ニヤリと笑った。

それはいわゆる、“悪人顔”と呼ばれるもので。

なるほど、たしかにこれは悪人のなせる所業だった。


俺は力尽き、地に倒れ伏した。


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