はじまりはウサギの面接
『悪人株式会社 正社員募集』
俺がその看板を見つけたのは、残暑も厳しい9月のことだった。
大通りから一本奥に入った路地のテナントビル。
セミの声がよく響く昼間、アスファルトからの照り返しが熱い。
俺はスーツの上を脱いで汗をぬぐう。
もう一度看板を見る。
『悪人株式会社』。
間違いなくそう書いてある。
目の錯覚ではない。
惹かれるように道を進み、建物の前に立つ。
四階建てのビルに玄関。
見てくれはありふれた雑居ビル。窓から見えるのは普通のオフィス。何人かが机のパソコンに向き合って仕事をしている。
何も変わったことのない、普通の会社だ。
―――変わった名前もあるものだ。
クスッと笑い、俺は少し気分が上向きになる。
さっきまで、俺は暑さと共に地面に溶けてしまいそうに憂鬱な気分だった。
鞄の中につまった履歴書と、参考書と、家に届いていた不採用通知。
俺は就職活動真っ最中の学生だ。
それも、もう夏も終わるというのに内定の一つもないダメ学生だ。
落ち込む。凹む。ため息が出る。
今日もまた学校の就職課に行って先生に励ましとダメ出しをくらった。
「君は、人が良すぎるんだね。だから、面接のとき正直さが出てしまう。他の子なら上辺だけの返事もできるんだけど、君はそこで顔に出てしまうだろ?」
確かに、俺は「御社のために精一杯働きます」とか「ここが第一志望です」とかいうのにどうも抵抗がある。
友達なんかは、「そんなの嘘でもいいから言っとけよ。向こうだってわかってるよ」って言う。
俺もそう思う。
だけど、それでも、俺の顔は心に正直で、会社の面接官に嘘をつくことをためらわせる。
―――俺は本当にここで、いいのか? こころから働きたいと思っているのか?
そのせいか、採用試験は連敗続きだ。
採用されたら自分が嘘つきになった気になるから、ちょっとホッとしているけど、でも、それで就職できないのは別問題で、やっぱり普通に困る。
そんな葛藤をしているときに見つけたのがこの看板だ。
社名に堂々と“悪人”なんてつけるんだ。そうとう変わった人が社長なんだろう。
それに、その下の「正社員募集」
―――。
連敗し続け早数十社。
いい加減慣れてきたともいえる。
そして、俺の鞄の中にはいつでも対応できるように履歴書は在中だ。
アポはない。
だが、断れ慣れた俺に怖いものはない。
職種、給料、休日は問わない!
決まってくれるのなら、どこだってかまわない!
そう、俺はいま無敵だ!
いざ行かん、正社員への道!
(後日、この日の俺は疲れきっていたせいで脳内アドレナリンが異常だったと後悔しながら思う)
俺は玄関の扉を開く。
室内に入ると、クーラーの涼風が俺の体温を一気に下げてくれる。
中央に腰高のファイル棚を二列、そこから線対称に部屋は分かれていた。
向かい合わせに並べられたパソコンデスクが六つ。壁側に並べられたファイルラックに玄関側には窓。これが左右同じように並べられている。
そして、中央、俺の正面にデスクが一つ。
いわゆる管理職がすわるような位置に陣取られた他よりちょっと大きめのデスク。
そこに、
―――ウサギがいた。
いや、正確には
―――ウサギの着ぐるみを着た何かがいた。
それはデスクのパソコンにむかい、何かを打ち込んでいた。
え?
その手でブラインドタッチできるの?
いや、その前に暑くないの?
今日最高気温三十度超えてるけど。
「何か御用ですか?」
声をかけられるまで、俺はウサギを凝視し続けてしまっていた。
慌てて視線を外し、声の主を見る。
若い女性。肩までで切りそろえた黒髪の、眼鏡をかけた人だ。
「なにかお約束でも?」
言われた俺は目的を思い出し、ようやく声を出す。
「あ、あの、俺…じゃなくて、私、表の社員募集の看板を見まして、突然で申し訳ありませんが、ぜひ、面接をさせていただければと………」
「ああ、採用希望の方ですね。少々お待ちください」
女の人はそう言って、踵を返し、部屋の奥へ向かう。
向かった先は、―――あのウサギだ。
「部長、いまあちらに、うちに就職希望の方がお見えになったのですが」
部長?!
いや、それよりも、ウサギなのはノーコメントなのか?
部長と呼ばれたウサギが、女の人の声に顔をこっちに向ける。
視線が合う。
なんか、無機物な目が怖い。
当然だけど、ウサギが立ち上がってこっちに来る。
いや怖い怖い、なんか怖い。
今更だけど、入るとこ間違えた気がする。
「おー、うちに就職希望かね。そいつはありがたいなー。いまはどこも人手不足で困ってんだよー」
普通だ。
でも、着ぐるみのせいで声がこもってて、男か女かいまいちわからない。
「まあ、中にあがってもらって。小垣さん、お茶だしてもらえるかな」
「はい」
俺の応対をしてくれた女の人、小垣さんが「どうぞ」と俺を奥にある応接ソファに案内してくれた。
ウサギ部長にソファを勧められ、俺はかしこまって座る。
「履歴書ある? あったら見せてもらっていいかな」
「あ、は、はい!」
鞄から取り出し部長の手に渡す。
部長は着ぐるみの手なのに、指を器用に操り履歴書をながめる。
「学生さんかー。暑い中就職活動大変だねー」
「い、いえ、それほどでも………」
普通だ。
いい人だ。
ウサギだけど。
「えーと、井槌湊くん、イヅチミナト、でいいんだね?」
「はい」
俺は緊張に固まり上ずった返事をする。
「うちの社名みたよね?」
「は、――はい」
「だからね、うちは世界征服を目指している会社なんだけど、大丈夫かな」
さっきと同じ、普通な声でそう言った。
ウサギの無機質な目が俺を見る。
―――え?
このウサギいまなんつった?
「いや、世界征服なんて、大風呂敷だったかな、ははは」
ウサギの笑い声に、あ、冗談なのかと安堵する。
「さすがにいきなり世界は無理だから、段階を踏んでまずは県の征服を行っているんだけどね」
冗談じゃなかった。
いまハッキリ征服っつったぞ。
いやいや、あれだ、これは市場を席巻するとかそういう意味であって、間違っても子供番組の悪の組織的なそういう意味ではないはずだ。
「ああ、うちは安心安全を掲げた悪の組織だから。改造人間作ったり人類せん滅とかはないからさ」
断言された。
悪の組織っつった。
いやいやいや、あれだよあれ、スーツアクター的な、演劇的なそういうあれだよ。演出の意味とか意気込みという。
「でも、当然警察とか公安には秘密がいっぱいだし、守秘義務で家族とかにも会社のことは言えないから、そこんとこは了解してほしいかな」
―――はい、アウト―!
真っ当な会社じゃない。
反社、限りなく黒のやばいとこだここ。
に、逃げた方がいいのかな。
「まあ、その分、他の会社より給料はいいから、危険手当ってやつだね」
………給料。
「基本残業はナシで。うちは業務はブラックだけど、内容はホワイトをモットーにしてるから、効率重視。体育会系はナシで」
………………ホワイト企業。
「会社は生活の基盤だけど、生活の中心にしてはいけない。仕事と生活は分けているし、生活のために仕事があると考えている。だから、休日や有休は一年目でもちゃんと取ってもらうよ」
………………有給休暇。
「どんなもんだろう。ちなみに、新人は一応、アルバイトで三か月の試用期間があるけど、労災はあるから、心配しないで」
…………。
俺は立ち上がり、九十度の礼をする。
「ぜひ、御社で働かせてください!」
「あはは、元気だねー。うちはかまわないけど、」
「本当ですか!」
「でも、試験は受けてもらうかな」
―――試験?
まあ、そりゃそうか。
筆記かな。難しくないといいけど。
「大丈夫、簡単な心理テストだよ」
そして、俺は駅前の広場にいる。
まだまだ日差しのきつい時間帯。行き交う人たち、通り過ぎる車にバス、タクシー。
改札までの道には街路樹がかすかな木陰を作っている。
その木陰沿いに、中学生だろう、制服姿の生徒たちが、募金箱をもって募金を呼び掛けている。
ありふれた光景。
そのありふれた光景に馴染んでいるのか浮いているのか、スーツ姿の俺と、隣に立つ着ぐるみウサギ部長。
恐ろしいことに部長は着替えることなく駅前まで歩いてきた。
大丈夫かな、熱中症とかにならなきゃいいけど。
「じゃあ、井槌くん、これもって」
どこにもっていたのか、部長から手渡されたのはコンビニ袋。ずっしりしてる。
何だと思って中身を見ると、一円五円十円、山盛り一杯の小銭。
―――なんだこりゃ?
部長の顔を見れば、相変わらず表情のわからないウサギ顔。
「これから、君の悪人度を測ります」
―――は?
「これをもって、あの可憐な子供たちの前を無慈悲に、残酷に、無視をして通り過ぎてください」
―――え?
それは、実質、普通に歩くだけでは?
「そんなことで、いいんですか?」
「あ、その間に一回はあの子たちと視線を合わせること。コレ必須」
………なに?
「目、合わせるんですか?」
「しっかり見つめてね。あの子たちの、『お金いれてください!』っていう気持ちをちゃんと受け取ってから通り過ぎてね」
―――うっ!
「そ、それは………」
俺は再び手に持っている小銭の山を見る。
―――こんなあからさまな小銭を持っておいて、視線も合っていながら、それを無視して歩けだと!
な、なんという非道! なんという悪行!
「さあ、レッツゴー!」
部長がバシン!と俺の背中を押す。
半ばつまずくように押し出された俺は、ためらいながらも歩き始める。
―――ど、どどどどうしよう。
歩くだけなんて簡単なことなのに、手にした小銭と、それ以上に重たい脚にとまどう。
健気に金を無心する子供たちの声がどんどん大きくなっていく。
「助け合いにご協力おねがいしまーす!」
―――う、すでに心が痛い。
「恵まれないひとたちに募金をお願いしまーす!」
ハイトーンの子供たちの声が耳から突き刺さる。
―――うわ、ごめん。俺は、今から君たちの期待を裏切り、ただ前を通り過ぎようとしている卑劣な大人になろうとしている。頼むから、そんな澄んだ声で呼びかけないでくれ。
「募金おねがいしまーす!」
そんな俺の葛藤と裏腹に青空に響く澄んだ明るい声。
罪悪感に耐えられず、思わず後ろを振り返る。
ウサギ部長が俺を見て、グッと親指を立てる。
―――励ましてんじゃねえよ、クソウサギ!
怒りを力に変え、俺は再度歩き始める。
そうだ、ただ歩くだけだ、なんのことはない。
そうだ、手に持っているのは子供貯金銀行の小銭だと思え。軽い軽い。
そして、それをもって募金をしている子供たちに目線を合わせて、通り過ぎるだけのこと。
大したことではない。
平気平気。
なーんてことないさ、オバケなんてうーそさ。
ねーぼけーたひーとが、とおりすぎるだーけさ。
「恵まれない人に募金をお願いしまーす!」
だけどちょっと、だけどちょっと、ぼーくだって怖いな。
さあ、あと数歩で彼らの前だ。
行け、俺。
これが大人の心意気だ。(意味不明)
少年少女らの前をクールにさりげなく通り過ぎる大人、すなわち俺に、
「あ、募金お願いします!」
一人の少女が明らかに俺に向かって声をかけてきた。
ああっ、なんてことだ! 速攻でロックオンされた!
ついでに、顔を合わせてしまう。
見あげていた少女の目は、太陽のようにきらめき、輝いていた。
少女はたしかに、俺の手にしたコンビニ袋の中身を目撃していたのだ。
それは中身が小銭であることを確信している声。
そう、少女は、俺がこの小銭を募金のために持ってきたと疑うことなく声をかけたのだ!
明らかな確信犯!
くっ! やられた!
ひるむな俺!
負けるな俺!
少女は無垢な子犬のように純粋な目で俺を見ている。
だがこの勝負、俺の一生がかかっているんだ!
一瞬の温情が生涯の敗北となっていいのか、俺!
否! 断じて否!
踏み出す一歩が重い。
手にした小銭が鉄球よりも重い。
…………。
―――ふんがぁー!
こころのアクセルをベタ踏み、少女の視線を急カーブで振り払い、身に降りかかる声を薙ぎ棄てて俺は足を進めた。
「恵まれない人たちに募金をお願いしまーす!」
お、…………。
俺がいま、その恵まれてない人なんだよぉおおお!(異論は受ける)
最後の力だ。
俺は後ろも見ずに競歩の勢いで子供たちの前を歩ききった。
はあ、はあ、はあ…………。
暑さと、精神的な疲労の汗が俺のシャツを濡らす。
―――やった、やりきったぞ。
俺の背中にはいまだ彼らの声が聞こえてくるが、いい。
もういいのだ。
俺はやり切った。
すべては終わった。
―――ああ、子供だった俺の日々がいま終わったのだ。
天を仰げば、眩しいくらいの空と太陽が見降ろしていた。
そして、
「いやー、ご苦労さんでしたー。頑張ったねー」
いつのまにか俺の前に立っていたウサギ部長がやはり普通の声で俺にねぎらいの声をかける。
背中バンバン叩いたりしてくるそれに、軽く殺意がわく。
俺のノスタルジー台無し。
「ちゃんと指示した通り、お子様と顔を合わせたうえで通り過ぎたねー。いやー、見事な悪人。おめでとう、君もこれで私たちの仲間」
え? ということは?
ウサギ部長は俺の肩に手を置く。
「合―格―! 採用でーす。やったね井槌くん」
―――採……用? マジ?
「あ、あの、本当にこれでいいんです、か?」
「もちろん。採用試験なんだから。ちゃんと君合格だよ。詳しい話や契約内容はまた会社に戻ってから話すね」
ポンポンと肩を叩く部長の手に、俺はおぼろげながらに実感がわいてくる。
「あ、ありがとうございます」
「いやいや、これからよろしくね」
部長はグッと親指を立てる。
「一緒に世界、目指そうぜ!」
その『世界』、多分ちがう。
「じゃあ暑いし、いったん会社帰ろうかー」
部長が背をひるがえし、足を進めようとするが、動きが止まる。
半身をひねり、こちらを見る。
「っと、君、その前に、小銭」
「あ、はい。お返しします」
結構重いし、持っていることにまだ罪悪感があるから、正直助かる。
俺はコンビニ袋を渡そうと部長に手を伸ばす。
しかし、部長の手はそれをさえぎる。
「いやいやいや、それ、あそこに持ってっていいよ」
あそこ?
着ぐるみの手が指さす先は、さっきの子供たちの列だ。
「試験は終わったから、君、それあげてきて。それ、もともと募金に上げるように会社で貯めてたお金だから」
…………。
―――え?
「さ、…………最初から、募金するつもりだったんですか?」
「ちがうよー。最後にはそうするつもりだったってだけのこと。順番大事。ん? なに? 悪人は募金なんかしないとでも思った?」
普通はそうだと思う。
表情から俺の心情を把握したのだろう、部長が笑い声をあげる。
「あのね、うちの謳ってる悪人っていうのは、『心が悪い人』って意味じゃないんだよ」
―――へ?
「なーに、おいおいわかっていくさ。さ、まずはこの重い小銭を少年少女たちにあげて、身も心も軽くなってきなよ」
―――んん??
よくわからない。けど、俺は言われた通り、小銭をもって再び彼らの前に進む。
太陽が熱い。
その日差しに負けない明るい声。
でも、今度はまっすくその顔を見ることができる。
さっきの女の子の前に立つ。
「募金活動にお願いしまーす!」
「………あ、あの」
「はい!」
「これ。募金します」
ズッシリした袋を少女の手に渡す。
少女の顔がキョトンとしたものから、花開くように笑顔になる。
「ご協力、ありがとうございます!」
「い、いえ。その、頑張ってください」
「はい、ありがとうございます!」
その元気な声につられて笑顔になる俺。
―――こうして、夏の暑い一日、俺は不可思議な会社から内定を取ったのだった。
会社への帰りの道すがら、部長がふいに「あ!」と声を上げる。
「私の名刺を渡すの忘れてたね。はい」
部長が腰のポケットらしきとこから名刺入れを取り出し、俺に名刺をくれた。
そこには
『悪人株式会社 ローグ ライフ カンパニー
部長 贄 宇左衛門 』
携帯番号といっしょにそう書かれていた。
「あのね、それ、『にえ うさえもん』って読むの」
…………。
―――ダジャレかよ!
どこまでも澄み渡る夏の大空に、俺のツッコミが高く響いた。