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不仕合せを減らしたい。ただ、その思いからだけなのです

 虐待で幼い命が消えていく。

 こうした事件のニュースを、朝の出掛けに目にするたびに、やりきれない気持ちに襲われます。みんな見る人だれもが、この子に起きた理不尽さの塊を共有し、ひりひりざらざらする感覚を感じながら一日を過ごす姿が想像出来ます。この間の、三歳の女の子に起こったときも同じ想いが起こりました。ニュースやワイドショーの一方通行の新たな事実とか、関係者の証言が流れるたびに、何かやるせない虚しさを感じてスイッチを切ってしまいました。


 その事実は変わらないにしても、事実を受け取るだけではない存在の大きさに対するモヤモヤが「ひとつのお話」になっていったので書き留めてみました。なんだか、すーと一気に続いて、そして終わったので、そのままを掲げます。

 その子の命が、ザラザラした断面で終わったのでないものとして感じてもらえれば幸いです。



  「ねえ、ちょっとテレビ、テレビ見てみて。この人って保護猫の猫カフェで説明してくれたひとだよ」

 平日の朝食を終えて、仕事用の服に着替えようとクローク部屋に入っていると、慌てたように妻が呼びかけてくる。見ると、ずっとテレビ画面に見入ったままだ。送還後の空港のロビーで、警察に連行されていく映像だ。男女混在の5人の中にその人物を見つけ、自分でも確認するように指さしながら私に押し示す。「ほらっ、ほらっ、この黄色いキャップの男の人、あの人に間違いないよ。ふーん、篠田優希(しのだゆうき)って名前だったんだ」

 アナウンサーの声のトーンから、事件の内容が凶悪事案でないことは伝わった。なんだかほっとした。彼の目深にはかぶっていない黄色いキャップの下の顔は、あの時の古民家という呼び名の中古住宅を改装した猫カフェののどかな日常と変わっていなかった。

 着替えを終え、駅に向かい、いつもの電車のつり革につかまっても、あたまはあの時まで戻っている。駅まで車で送ってもらう間も、妻は思い出した断片を口にしていた。



 猫飼いたいねって盛り上がってあちこち廻ってたころだから、3年前だよ。買い物先のショッピングモールで居合わせた保護猫の譲渡会で、そういった猫たちへの興味につながって、保護猫の猫カフェがあることを教えてもって一回だけ行ったんだよね。「岩合さん」の番組に出てくる猫みたいに、景色をもった猫って感じがして、可愛いかったし、気持ちも入っていったけど、ペットショップでガラス越しに見る子猫たちと違って、やっぱり距離のある感じがして、1時間もいないで帰ってきたんだっけ。そのとき、遠くにいるその仔たちに代わって説明してくれたのが・・・・篠田さんだった。

「二階にも一匹います。7歳の男の子で、一番の此処の古株です。気に入ったときはわたしの足元にもすり寄ってきますが、身体に(さわ)られるのは嫌がります。上がられたら扉を開けっぱなしにしないでください。階下(した)から事情をしらない新入りが間違ってそっちの部屋にあがってしまうと、ひと悶着おこってしまいますんでね。ほんとうに、人間に慣れないだけならいんですが、ほかの猫にもなれなくって、でも、そうした猫も猫なんですよ」

 妻が、あたりをキョロキョロする。「あまり、いないんだ」の目を向けたので、篠田さんはファイルに挟まった写真を指さし、生まれて3か月の黒と三毛のこの姉妹たちは、すでに里親が見つかり、昨日トライアルでいなくなってしまったのだと気の毒そうにいった。「先週に来てくだされば、甘ったれた声が広がって、皆さんがイメージされる猫カフェっぽかったんですけど」と、すらすらの営業トークが終わったあと、その猫の話をしてくれたのだった。私は、あーこの人は、誰でも愛してくれる猫も好きだろうけど、誰でもが振り向かない猫のことが本当に大好きなんだろうと思った。

「猫を家族と思ってくれるなら、家の中で一生を過ごさせてください。籠の鳥って、なんだか物悲しく聞こえますけど、外の鳥よりも長生きするんですよ。猫も同じ。野良(のら)の平均寿命は3年もないんですが、家の中で家族として過ごせば、20年も長生きしてくれるんです。いま日本にいる家猫たちは、わたしたち人間よりも超高齢社会にいます。たぶん、私たち人間よりもハッピーに余生を過ごしていますよ。だから、20年の子育てする覚悟があれば子猫を選べばいいし、あなた方と同じ年齢のパートナーをお探しなら、6歳のあの子なんてぴったりですよ。ヒトみしり、ネコみしりなんて曲がったところも愛嬌と思ってもらえれば」



 ワンセグに繋いだら、ワイドショーに変わった2つの放送局が、篠田さんを取り上げていた。相関図をしめしたクリップボードの真ん中は、若い頃はさぞ美人だったんだろうという女性の顔写真が貼られ、元児童福祉司と書かれている。篠田さんに伸びた矢印の先には、「里親へ」と表記されていた。「若い頃の栗原小巻に似ていますね」と、シルバーヘアーのコメンテーターが落とすようにぽつり声を漏らしたが、MCさえそれを拾わずそのまま番組は進行していった。途中からつけた画面からも、番組に顔をさらしている誰もがどこから言葉を掴んで話せばいいのか困惑している混ざってない空気がすぐに見て取れた。

「わたしたち夫婦にとって、ユウナがわが子であることは何ら変わらない。そのことだけは揺るがない真実です」養親のアメリカ人夫婦は、インタビュアーに対してそのことだけを淡々と繰り返していた。何度も何度も同じことばを繰り返しているのに、彼らの眉間には(しわ)一本たっていなかった。穏やかで、強く吠えなくとも形にいびつがが入るような不自然さは一片たりとない自信に溢れていた。アシスタントの女性アナウンサーは放送事故と思われないよう、あの事件のとき3歳だったユウナちゃんは成長して5歳になっています。日本語も日本人であったことも知らずに、現在のご両親の愛情に包まれ幸せに過ごしていたそうです、と手元のメモを読みあげた。

「今回のことの不可思議さ、奇妙さは兎も角も、まずは良かった。虐待されて死んでしまったと皆んなが思っていたあの3歳の女の子が生きていて、幸せに暮らしていたんだから」

 白髪の御大(おんたい)は、それだけを言った。三歳のときのその女の子の写真がアップになる。ただただ「愛おしい」しか浮かんでこないその幼い顔をみつめていると、事件のやるせなさ切なさがフラッシュバックされる。あのとき、なんでこんな非情さが本当の現実として目の前に現れてこなければならないのかと、誰もが沈痛な想いにとらわれた。殺されたものが無垢であればあるほど、やり場のない気持ちはどこか別の場所におけずに自分の処へ戻ってくる。「理不尽な」自分ごととして共有される。だから、あの女の子が生きていたと分かったことは、あの時のやり場のない切なさにとらわれた者たちは、みんな一様に救われている。



 ようやく、番組に写っている顔ばかりでなく、それを見ている誰ものもやもやばらばらだった感じが、一つ処に集まった。スタートラインに付くと、それぞれ割り振られた持分から話を始めるいつものTV番組が進行される。

「食べるものも飲むものも与えられず、鍵のかかかった部屋に閉じ込めれれて・・・・・衰弱はしていたけど、死んでなかった。息をしていた、生き返った」

「だけど、(おおやけ)にはネグレクトによる衰弱死と発表された」

「・・・・服役しているわけですよね、その子の母親は。ネグレクトした結果の致死罪ではなくて、殺人罪で」

「そもそも何かしらの大掛かりな、組織的な関わりがなければ、こんなこと出来るわけない。生きている子どもを殺されたことにして、事件が、裁判がなされるなんて」

「その子が生きているのなら、その母親、殺人は犯してないことになりますよね。それって・・・・」

「いいや、それは違う。違うで」

 リレーの順番を超えて、元お笑いタレントが割って入った。それが、こぼれたような素直な声だったから、すぐに全員の足元に染みてしまった。「そんな頭でっかちにならんかて、その場に居合わせたら、血の通った常人(じょうじん)ならみんな同じ思いが生まれる。あの子に殺った(やった)もん、あの子から取り上げたもん、なんも変わりはあらへん。あの子が()うなるよう(ほうむ)ったんや。あの女が毒親であって、3歳の我が子を殺したのは確かなことや」

 いつもはすべるダジャレが売りの元お笑いタレントが、やっと滑りだした番組の進行をもとに戻していく。「食べ物も飲み物も与えられず、3歳の仔が鍵のかかった部屋に1週間もおったんや。3歳やのにおしめ外れんと、そこから染み出た水分なめながらじっと待ってておったんや。きっと、息がつながったのはそれや。生き残ったのは、その子が掴んだもの。母親がしたこと、せんかったことの罪の深さには万にひとつのぶれはありゃせん」

 だじゃれのほか、極貧と非情の子供時代を売りにしていたその人の声には、それを切り売りするときでない凄みがあった。素の声よりほかこぼせないことがある。選択など出来ないただ一つのこと。自分ではなくて他人ではなくて、そこにある無垢なもののカタチ。マンション3階のその現場に居合わせれば、きっと、小さな命の神々しい存在と、そこに至るまでにヒトが成すことの非業さ、顧みぬことの非情さの穴の深さが肌に刷り込まれる。その後、とるべき行動は共有される。



 もともと、あの5人が繋がっていたのは、猫の縁だけだったのかもしれない。

 各自が胸の奥にたたえている静かで平らな水鏡の上に、始めにそれを目撃した児童福祉司が揺らぎ、順々に伝播し、彼ら5人の平らなものを揺らしていった。きっと、わたしなんかよりもずっと、見えなくとも見なけれないけないものをきちんと見ることのできるひとたちなのだ。

 ー 自分のおしっこをなめて繋がったユウナの命よりも大切にするものなんて、わたし、持ち合わせない ー

 その一言よりほかに、必要な伝え方なんていらなかっただろう。あの猫カフェが畳まれたのは、あの事件からそう遠くない時分だったと思う。捜査が進めば、あの保護猫の猫カフェがフリップボードの背景に出てくるかもしれない。でも、それってどうでもいいことだ。彼ら彼女らが、児童福祉司であったり、外務省の職員や警視庁の検視官であったり、猫カフェの管理人であったりなどをクリップボードで結びつけるのがどうでもいいように。平らな水鏡を揺るがす神々しさとは関係ないことだ。



 「まとめるような物言いで恐縮ですが」と御大は収拾を図る。「精神科医の、大勢の人間をカウンセリングしてきた者として、これだけは言わせていただきたい。我々も含めて、この事件を見ている皆さんがこの5人に対して何かしら神々しい感覚を覚えているでしょう。自分たちとは違う、毒親と切って捨てているユウナちゃんの母親との大きな距離が、それをまた増幅させている。けれども、やっぱりわたしたちは同じ人間なのです。神々しいこともすれば、毒とも鬼とも呼ばれることもする。同じひとがどちらも行うこともあれば、何かのタイミング、ちょっとした時間の掛け違いのために起こることもあるのです。母が我が子を殺す哺乳類は2種類います。チンパンジーとヒトです。私たち人間はそうした生き物なのです。だから、こうした神々しさを目の前にすると、何も出てこない。ただ素直に打ち震えるだけになってしまう」







 

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