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エピローグ

 寮の玄関扉を前にして、星樹は足を止めた。壁に掛かっている大鏡で身なりを確かめ、満足したところで扉を押し開ける。

 いい天気だ。太陽の光は眩しく、空は青く、寮の前庭は朝露で光る春の花が揺れて、香りを漂わせている。そんな光景の中に目的の人物を見つけると星樹は、小走りで彼女に近づいた。

 すると、こちらに横顔を向ける格好だった花漣の頭部が跳ね上がった。勢いよく振り返り、ぱっと笑顔になる。


「星樹、おはようっ」

「おはよう、花漣。中で待ってればいいのに。朝はまだ寒くない?」

「ん……。でも、お花がいい匂いだし、鳥の声もよく聞こえるから、気持ちいいの」

「そう。だったら、風邪を引かないように気をつけてね」

「うんっ」


 小さい子供のような反応に苦笑すると、星樹は彼女の左手を取った。繋いで一緒に歩き出す。


「ねぇ、星樹。ずっと気になってることがあるんだけど、訊いてもいい?」

「授業のこと?」

「ううん、『国守の書』。あのとき星樹がお話した物語。あれは、あの子が魔物になって、あの神殿で眠ることになった経緯を、童話風に変えたものだって言ってたでしょ?」

「詳細は何も伝えられてないから、ほとんど想像だけどね」

「うん。それでね、わたし、ずっと考えてたの。王様が第四代国王様で、お城に招待された鳥たちは歌い手だっていうのはわかるの。国王様は、王子様を助けようとして奔走されたんだなって」


 そこで花漣は、どこか遠くのほうを眺めるように、顔を上げた。


「でもね、ぜんぜんわからない人が、ひとりいるの。ねぇ星樹。あの月の女神様って、誰だったのかな」


 眠りについたあの赤ん坊の前では、最後まで読めなかった物語。その結末は、『王子様はすやすやと夜の国で眠り続け、王様たちはいついつまでも子守歌を歌い続けました』というものだった。

 何も解決していない、誰も幸せになっていない童話に、初めて読んだときはなんてつまらない話だろうと気分が悪くなったものだが、今となってみれば納得だ。きっと、あの赤ん坊が本当の意味で目覚めたとき、完結するのだろう。それまで真相は闇の中。いや、


「真相は夜の中、ってところかしらね」


 花漣は星樹を振り返って眉を上げ、そうしてから笑った。


「うん」


 ぷらんぷらんと、互いに繋いだ手を揺らしながら、ゆっくり歩く。幼等部の敷地に繋がる道は通い慣れた道。考え事をしながらでも迷うことはない。

 今日は子供たちと遊ぶのだ。封印の儀で約束を反故にしてしまった分、今日は一日中遊んであげることになっている。ただ、花漣を連れて行くことは、子供たちには内緒。きっと歌姫を見たら驚くだろう。星樹はこの悪戯の首謀者である恩師の笑みを思い出して、思わず頬を緩め――はたと気づいた。


「私もひとつ訊きたいことがあるんだけど」

「なぁに?」


 のほほんとした笑顔を半眼で見やる。


「あなた、どうして私が読み聞かせをしてることを知ってたの?」


 のほほん笑顔が固まった。

 ややあって、眉が垂れ下がる。


「怒らない?」

「怒るときは怒るわよ」


 きっぱりと言い切ると、花漣は口をもごもごと動かした。ややあって、口の動きに声が加わる。


「星樹が一人でどこかに行くのに気づいて、こっそりついていったことがあるの。子供たちと遊んでいるところまで」


 これは、予想外だ。

 黙り込んだ星樹を、花漣が目を閉じたまま窺ってくる。


「怒った?」


 返答に困ること数瞬。


「呆れた」


 星樹はため息でいろいろなものを吐き捨てた。


「知らない場所へ一人で行ったあなたにも呆れるけど、ぜんぜん気づかなかった自分にも呆れたわ」


 怒られないとわかって毒気のない笑顔に戻った花漣が、照れ隠しのように手をぶんぶんと振る。その反対の右手には杖を持っているのに、使う素振りはまったくない。

 甘えすぎていたと、謝った花漣。だが、帰ってきてからはむしろよく甘えてくるようになった気がする。それでもまったく悪い気がしないのはなぜだろう。

 星樹もまた、花漣の手をさらに強く振り回して慌てさせ、笑う。


「今度知らない場所に行くときは、ちゃんと私に言いなさいよ?」

「うん。星樹もね」

「え、私も?」

「だって、星樹だけで行くなんて、ずるいじゃない」

「そういう問題?」


 どうも納得できない言葉に首を傾げた星樹はしかし、よぎった花の香りにくすぐられ、いつの間にか頬を緩めていた。

 春風はまだ冷たいけれど、繋いだ手は暖かい。案外、理由はそれだけで充分なのかもしれない。

 噛みしめ、星樹は頷く代わりに、友人の手を優しく握り直した。




 聖なる(がく)が、千の昼と万の夜を、どうか優しく等しく護りますように――――。

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