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 窓がなく、分厚いもやに囲まれているのならば、神殿内はさぞ暗いに違いない。そんな予想に反して、屋内は明るく、そして静かだった。白い壁や柱の彫刻も天井に描かれた絵画も美しい形を保っており、荒れた様子は微塵もない。入り口が開かれるとともに噴き出した黒いもやはといえば、固まっているのは部屋の隅だけという状況だ。

 本当に、国ひとつを滅ぼしてしまうほどの魔物がここにいるのだろうか。

 星樹はたまらず、前を歩く国王へと視線を振った。


「国王陛下。ここに封印されている魔物は、どういうものなのですか?」


 返答は簡潔であり、予想外だった。


「わからん」


 そして苦笑まじりに続ける。


「魔物が生まれ、封印されたのは、第四代国王が治めていたときの話だ。私が第十八代を名乗る以上、過去に十三回は再封印がおこなわれたことになる。だが、魔物の特徴だけでなく、封印方法の詳細すら何も伝えられていなくてな」

「先王様……お父上様からも、ですか?」

「ああ。唯一王家に代々伝えられているのは『語り継ぐべからず。ただ伝えるべし』という言葉だけなのだ。ほかに有益な情報といえば……、私が子供の頃、父上が冗談まじりにおっしゃっていたことが、少々気になる程度かな」

「私がお聞きしても、よろしいでしょうか?」

「ははは、たいしたことではないぞ? 『結局のところ、四代はただの馬鹿だ。しかしお前も大きくなれば、彼の気持ちを理解できるようにはなるよ』だそうだ」


 そして国王は、半ば独り言のように呟いた。


「さっぱりわからん」


 同感だ。

 胸中で頷くと星樹は、抱え持つ古書へと目を落とした。

 国宝『国守の書』――。本来は歌姫が、その名とともに受け継ぐ本である。そして魔物の存在同様、こちらも使い道がわからない状態なのが心許ない。

 そもそも、ただ読むだけでいいのならば、国王が代理を務めれば良さそうなものだ。書かれている内容を記憶しておく必要があるならば、事前に読んで聞かせて覚えれば済む話なのだから花漣でも問題ないはずである。なのに星樹という本読み役をわざわざ選ぶ必要があったということは、儀式で何かしらの重要な役目があるのだろう。この本には。

 事情は論理的に理解できる。だがしかし、歌姫の目として同行することが決まったあとで一度だけ読ませてもらい、内容を把握しているがゆえに、国宝に対する尊敬の念はないも同然だった。


(こんな本がいったい何の役に立つっていうのかしら。載ってるのは、ただの幼児向け童話と童謡なのに)


 広間の隅で蠢くもやはといえば、壁や天井、その境目など、至るところに発生してはいるが、襲いかかってくる気配はなく陰からこっそりとこちらを窺っているようにしか見えなかった。臆病者か、人見知りをしている子供のようだ。これではどうにも危機感がそがれる。

 思わずため息をついた星樹は、なぜか急に重くなってきた右手に苛立ち、そのあとで、重さが変わったのではなく後ろに引っ張られているのだと気づく。

 振り返ると、不思議そうに周囲へ顔を振っている花漣がいた。手が引っ張られたのは、彼女が周囲に気を取られているせいで歩調が遅れたためだ。

 繋いだ手を強めに振り、花漣の意識をこちらに向けさせる。


「ちゃんと歩いてちょうだい。国王陛下をお待たせしてしまうわ」

「あっ。ごめんなさい……」


 謝罪したのもつかの間、花漣は眉を垂らして困った素振りを見せながら、再び周囲に顔を向け出した。


「ねぇ、星樹。……やっぱり、ここ、誰かがいる気がするの」


 目が見えないくせに、何かを見つけようとしているかのようだ。こんな何が起こるかわからない場所で、無駄な行動をするその神経がわからない。

 たまらず星樹はため息をついて苛立ちを漏らした。


「私たち以外にってこと? だったら魔物でしょう?」


 当たり前の意見を言うと、彼女は不納得の表情を浮かべた。


「……でも……」

「どうした?」


 ついには足を止めてしまった花漣に気づいて、国王もまた立ち止まった。振り返った彼に機嫌を損ねた様子はない。初めて逢ったときのまま、穏やかな微笑を浮かべている。しかしだからこそ、足手まといになっているとしか思えない学友が腹立たしく、彼女を制御できないことが申し訳ない。

 星樹は花漣に向き直った。論理的に言い聞かせる。


「ここは封印の神殿よ? 普通に考えてごらんなさいよ。国内でいちばん厳重に護られてる王宮の奥に建っていて、窓がひとつも見当たらないような建物で、中には魔物が眠ってるのを誰でも知ってる場所に、侵入者なんているわけがないじゃない」


 花漣の眉が情けない角度に下がり、唇が薄く引き絞られる。


「でも……でもね?」


 今にも泣きそうな表情で、再び周囲に顔を向けた。


「反響してるせいで、よくわからないけど……、やっぱり誰かがいる気がするの」


 するりと手をすり抜け、一歩、二歩、三歩。そして、さまよっていた動きが止まった。正面――神殿の奥へと正対して。


「淋しそうな声……。なんだか、泣いてるみたい」


 瞬きをした一瞬後、あっさりと彼女の身を集中力が包み込んでいた。




   天の涙が降りしきる

   灰色の空に きみは今 何思う




 歌が、心を癒やす力を含んで流れ出した。




   凍えるならば 下を向けばいい

   緑の大地が 雨で輝く

   流れるならば 止めどないままに

   溢れ 集い いつか大河となる




 相変わらず完璧な音程だ。音を外す気配すら皆無である。何気なく歌っているようにしか見えないのに、質は最上。

 美しい。

 心は素直に賛辞を贈る。そして、だからこそ、悔しい。

 実力だけでも充分すごい力を持っているくせに、運だけで歌い手の頂点に立つ存在になるなんて。自分など、生まれつきの才能など何も持たず、必死にあがいて練習をしてやっと、毎回ぎりぎりの成績で主席を取ることができているというのに。




   さらば喜びの時よ

   口づけも痛みなら ぼくはただ見守ろう

   いざ行くがいい 悲しみの道を

   光の園が 彼方できみを待っている




 星樹は、優しい歌声と、それを紡ぐ花漣の微笑みから、目を逸らした。代わりに周囲を窺う。

 他者が存在すると言うが、どう見てもどう窺っても人の気配は感じない。足音も物音もせず、静かなものだ。明るい室内は、中に入ったときから印象が変わらず美しいまま――


(…………?)


 記憶のどこかが、何かに引っかかった。

 わけのわからないまま胸の奥が、ぎぅ、と冷える。思わず本ごと己を抱き、星樹は辺りを見渡した。違和感の正体を探る。

 気づけば、理解は一瞬だった。部屋の明るさである。明らかに暗くなっているのだ。正確には、壁や柱の色が白から灰へ、そして黒へと変化しているのだ。部屋の隅で固まっているばかりだったもやが広がり、濃さを増しているせいだ。

 急いで振り返る。


「国王陛下っ」


 彼から笑みが消えていた。


「わかっている」


 周囲を窺いつつ、王が右手をゆっくりと剣の柄に置く。

 もやがうねり始める。揺らぎ、固まり、形を取ったのは、まるで太い蔦だ。気づけば壁も天井も覆い尽くされている。


(囲まれた……っ)


 後ずさりをして、しかし背後にも黒い蔦が蠢いていることに気づいて立ちすくむ。いつどこから襲いかかってくるかわからない。蔦を見ながら、星樹はより深く本を抱きしめた。


「星樹?」


 そのとき耳に飛び込んできたのは、緊張感などかけらもない声。


「呼吸が乱れてるみたい……。どうしたの?」


 どのような場所でも最後まで歌いきる、その集中力はすごいものだ。しかし周囲に配るべき配慮と注意まで忘れるのは論外だ。

 緊張と恐怖に煽られ、頭に血が上る。体が芯から震える。


「馬鹿っ! 何を呑気なことを言ってるのよっ!」


 身をすくませた花漣に顔ごと向き、怒鳴る。


「今どういう状況になってるか、あなたは本当に何もわからないのっ?」


 ――ひゅおっ。


 耳の端で、風が吹いた。

 密室なのに?

 思うのと同時だった。視界の端に影がよぎるや否や、星樹と花漣の間に一抱えもある蔦が現れ、しなった。


「星樹ッ!」


 国王の声が。

 直後、風景が狂った。

 我に返った星樹が最初に認識したのは、体の重さだった。次いで、重さの正体が激痛だと気づく。


「は、うっ」


 うまく呼吸できない。かすんでいるのか混乱しているのか、視界がはっきりしない。そんな中、近すぎるほど目の前に壁が見えた。正確には、なぜか壁に頬を当てていた。いつの間にこんな体勢になったのだろうか。張り付いてしまったかのように動かない。


(…………、違う。これ、壁じゃない)


 これは床だ。自分はうつぶせに倒れているのだ。なぜ?

 痛覚に邪魔されながらも思考を働かせる。

 最後に見たもの。そして今の状況。それらから考えられる原因はひとつしかないように思えた。突如目前に現れた蔦。あれに弾き飛ばされたのだろう。しかしどうして自分が最初に狙われたのかがわからない。


「星樹っ! 星樹っ、どこにいるのっ? 星樹っ!」


 かすかに花漣の声が聞こえる。彼女の近くからは何かが激突を繰り返す音と足音、そして強い息遣いも。

 国王が戦っているのか。

 だとしたら悠長に理由を考えている状況ではない。このままいつまでも倒れていては駄目だ。起きなければ。

 星樹は体に力を入れた。歯を食いしばり、ひどく痛む腕を胸元に引き寄せ――――


(ない!)


 抱いていたはずの古書がない。

 重い頭を引きずり、周りを見やる。

 あった。

 おそらくは弾き飛ばされたときに手放してしまったのだろう。眩暈のせいでざらつく視界の中、離れた場所に『国守の書』が落ちていた。本は『物質保存の聖呪』によって保護されていると聞いたが、あの蔦に引き裂かれないとは限らない。何より、敵に奪われるわけにはいかない。

 右腕を伸ばす。が、届かない。

 近づかなければ。


「動くなっ!」


 飛んできた鋭い制止。


「本などいい! 自分の身を守れ!」


 反射的に止まった星樹は、本に向けていた顔を横へ動かす。

 手を離してしまった本よりもよほど遠い場所に、蔦を相手に戦う国王と彼に護られている花漣がいた。一目で二人の全身を捉えることができる。これほどの距離を吹き飛ばされたのかと驚くとともに、全身が痛むのも道理だと納得し、同時に、動けなくなるほどの怪我ではなかった幸運に感謝した。

 そうだ。手足は折れていない。まだ動けるのだ。ならば、


(お預かりした本を護れないなんて、そんなの、負けたのと同じじゃない!)


 星樹は両腕で床を押し、頭を上げた。腕の芯にしびれにも似た痛みが走る。息が苦しい。それでも震える腕にさらに力を入れ、己の上体を押し上げた。再び本を見据えると、腕と膝で這いずり、近づく。


「星樹、怪我をしてるのっ?」


 音で星樹の場所と状態に気づいたか、花漣が悲鳴を上げた。


「駄目っ。お願い、動かないで! 星樹っ!」

(嫌よ!)


 痛みがじんじんと響き、熱い。手も足も指先の感覚が薄い。しかし歯を食いしばり、再度手を伸ばす。

 届いた。

 途端に片腕では体を支えきれなくなり崩れ落ちたが、手には表紙の手触りがある。星樹は思わず頬を緩めると、力がうまく入らない指先に焦りながら急いでたぐり寄せた。

 本はどこも破れていない。目立つ汚れもない。判読不能になるような損傷を負わせずに済んだようだ。

 安堵の息を落として強く本を抱きしめ、星樹はもう一度上体を起こした。時間が経ったおかげか慣れか麻痺か、痛みが軽くなった気がする。目も、時折光が明滅するのがうっとうしいが、見えないわけではない。


(大丈夫。動けるわ。動きなさいっ。花漣と同じ、足手まといになるつもりっ?)


 己を叱咤して体を起こし、どうにか座ることに成功すると、星樹は国王と花漣を見やった。

 神殿の外に出るならともかく、奥へ向かう必要がある以上は逃げても無駄だろう。この場である程度は撃退する必要がある。少なくとも国王の剣は蔦に効いているようだ。まるで岩でも斬っているような音が響いているが、斬り払われた蔦は霧散している。可能なのは間違いない。


(攻撃歌で援護するか、私と花漣は自力で身を守って攻撃は陛下にお任せするか……)


 逡巡は数秒。星樹は花漣めがけて声を放った。


「花漣!」


 その瞬間、左の脇腹に激痛が走った。肋骨の辺りだろうか。息が引きつる。しかしこらえ、続けた。


「私の位置はわかるわねっ?」

「う、うんっ」

「そこにいては国王陛下のお邪魔になるわっ。こちらへ来なさいっ」


 言い終わると、大きく息を吸い込んだ。

 再び激痛が。


(息が……。これじゃ声量が出ないっ)


 深く咳き込み、しかし頭を振って弱気を捨て、痛みが喉を詰まらせてしまうぎりぎりのところまで息を吸った。声を飛ばし、歌の障壁で花漣の身を包み込む。すると、彼女が杖を突きながら足早に歩き出した。歩幅も方向も迷いがない。まっすぐに星樹へと向かっている。歌も効いているようだ。花漣に伸ばされた蔦の数本が、彼女に届く前に音を立てて弾かれ、惑っている。


(もう少し……もう少し……っ)


 きりきりと胸が軋む。だが、花漣が傍に来るまでもてばいい。そこまで耐えられれば――――


「っ、げほっ。ごほっごほっ」


 歌が潰れた。

 息継ぎの場所を間違えたわけではない。普段ならば何の問題もなく一息で歌えたはずだ。普段ならば。これは痛みのせいだ。普段と同じ量の息を吸えていないせいだ。


(なんでこんなときに……!)

「きゃあぁっ!」


 悲鳴。

 痛みに苛立っていた意識が我に返る。弾かれたように顔を上げ、星樹は言葉を失った。

 花漣の細い体が、黒い蔦に絡め取られていた。もがき、逃げようとする彼女が、瞬く間に埋め尽くされていく。


「やっ、星樹っ! 星樹ぅーっ!」


 体を覆い尽くした蔦の間から、必死に伸ばされる花漣の左手。ついさっきまで繋いでいた手。それもまた捕らわれ、黒く見えなくなっていく。

 駆け寄る国王が大きく剣を振り上げた。最も太い蔦へと振り下ろす。しかし、それを嘲笑うかのように蔦は花漣を取り込んだままもやへと化けてすり抜け、神殿の奥へと散り消えた。

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