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 寮の玄関扉を前にして、星樹(せいじゅ)は足を止めた。外には大勢の人間が集まっているが、玄関の中に人の気配はない。それでも念を入れて周囲を見渡し、人目を気にする必要がないことを確認してから深呼吸をした。心を落ち着かせ、そして横の壁に掛かっている大鏡に顔を向ける。

 全身を映す鏡には、黒髪を結い上げて正装した自分の姿が映っていた。

 ほんの少し動くだけで空気を含み、大きな袖と足首まで覆う衣の裾がふうわりと揺れる。普段着にはない柔らかな薄絹の感触は、肌触りの心地良さも手伝って、不思議と心が高鳴るものだ。しかもその衣は、楽士のみが着ることを許された藍色である。

 十年前――五歳で親元を離れて以来、憧れ続け、目標であり続けた正装衣。それを身にまとっている自分が、確かにそこには映っている。だが、やはりどれだけ眺めてみてもまるで現実味がない。似合っているとも思えない。


「変な顔」


 自分でも呆れるほど可愛くない仏頂面に向かって吐き捨て、星樹は鏡から顔を逸らした。代わりに己の懐へ視線を落とすと、帯に差してある小さな横笛を手に取った。この十年間、どんなときもずっといちばんのお守りだった白木でできた手彫りの横笛を、そっと胸に抱きしめる。


(父さん、母さん。私、頑張るね)


 細工職人の父が作り、立派な楽士になれるようにと母が願をかけてくれた笛に誓い、願う。


(だから、もし逃げてしまいそうになったら、背中を押してね)


 笛が温かくなるほど握りしめ、祈ると、星樹は顔を上げた。笛を再び帯に差し、扉の取っ手に手をかける。

 押す手に迷いが。

 渦を巻いている感情を、しかし振り切り、星樹は一息に扉を押し開けた。

 銀珠(ぎんしゅ)国国王が崩御したのは、今から一週間前。以来、王宮の一角からあふれ出したという黒いもやは国中に広がり続け、濃くなる一方だ。まだ朝であるにも関わらず、外は夕方のように薄暗い。普段であれば、寮の前庭は朝露で光る春の花が揺れ、香りを漂わせている季節なのに、だ。

 しかし今朝は違った。景色が一変していた。


(なんて、綺麗……!)


 道沿いに小さな明かりがいくつも並べられ、たくさんの人々が溢れている。

 集まっている楽士たちは、間違いなく学生ではない。ここ、聖楽院(せいがくいん)は、全寮制の最高学府であると同時に、様々な行政機関が入った総合施設でもある。きっとこれらに属している優秀な楽士たちなのだろう。ゆえに、すぐわかった。場を満たしている歌は、対象者の体に不可視の盾を与える『守護の聖歌』だ。

 歌い手が紡ぐ聖歌は、弾き手が奏でる音色によって効果を増幅され、力を発動している。疑う余地のないほど、緻密で強固な音楽だ。

 道を挟んで広がる楽士の藍色に、教師たちがまとう若葉色。そして普段着姿の学生たち。橙色の明かりに照らされ、色とりどりの服が揺れている。耳にも目にも心地良い光景に、思わず感嘆のため息がこぼれ出る。


「――あ、来たわよ」

「じゃああの子が『歌姫の目』?」


 耳の端に外野の声が引っかかったのは、そのときだった。


「要するに歌姫のお()りなんでしょ? 大変よね」

「主席なのに……。かわいそう」

「貧乏くじ引くなんて運がないよなぁ」

「あー良かった、成績悪くて。あたしだったら絶対に嫌だわ」


 小声で交わされる同情と好奇の笑い声。他人事として面白がる学生たち。

 音色の陰で鳴る雑音が耳障りだ。美しい音楽に酔っていた心が現実に引きずり戻される。和らいだ気持ちが再び冷たく固まっていく。

 彼らに同情される覚えなどまったくない。これは名誉ある役目だ。心から国を護りたいと思う自分だからこそ務まる、自分こそが赴くにふさわしい役目なのだ。成績の善し悪し以前の問題である。国の存亡がかかった儀式を学院祭か何かと同じように捉え、面白半分で見物しているような人間では、逆立ちしたところで務まるものか。程度の低い学生に哀れまれるなど、冗談ではない。

 星樹は薄く唇を噛んで怒りをやり過ごすと玄関扉を閉め、人垣が連なる道へと踏み出した。

 音の中に入ると、楽士たちの音楽が一点に向けられているのがよくわかる。その先は、王宮からの迎えであろう、見たこともないほど豪華な二頭立ての馬車――その前で、院長から言葉をもらっている小柄な少女だ。

 ふと、こちらに横顔を向ける格好だった少女の頭部が跳ね上がった。勢いよく振り返る。

 長い杖を両手で抱き寄せるように持った彼女は、空中の匂いをかぐようにしばし顔の向きをさまよわせたあとで、ぱっと笑顔になった。目を閉じたままとは思えないほどしっかりと、星樹に体ごと向き直る。


「星樹、おはようっ」


 背中にかかる亜麻色の髪は、一部を綺麗に結い上げられ、小さな生花が飾られていた。薄紫色の正装衣もきっちりと着付けをされている。普段は飾り気のない――どうしても自力では難しいのだろう盲目の少女は、人の手によって別人かと思うほど愛らしい姿になっていた。

 同い年の学友。

 そして、儀式で重要な役目を果たす歌姫。

 星樹はにこにこと笑っている少女の前で足を止めると、彼女の目が見えないのをいいことに軋む眉間を取り繕わずに口を開いた。


「おはよう、花漣(かれん)。待たせてごめんなさい。馬車に乗ってちょうだい」


 花漣の顔から笑みが少し遠のく。


「でも、星樹……」

「遅くなるでしょう? 早くして」


 言い捨て、星樹は院長に向き直って会釈をした。


「申し訳ありません、支度に手間取りました。すぐに出発します」


 すると、聖楽院の長を務める老人は困った素振りで微笑んだ。


「まぁ待ちなさい。せっかく楽士の皆さんが集まってくださったんだ、君も歌の加護をいただいていきなさい」


 ――よく言う。どうせ気遣う振りをして、自分が善人であることを周囲に見せつけたいだけだ。特別な感性が必要とされる歌姫と違い、替えがきく『目』の心配など、かけらもしていないくせに。

 星樹に藍色の正装衣を与えた人間の物言いに、ぐらりと腹の底が煮える。

 しかしこらえ、星樹は頭を上げた。


「いえ。また最初から演奏していては本当に遅くなってしまいます。国王陛下をこれ以上お待たせするわけにはいきません」


 睨みつけること、しばし。院長は小さく息を落とすと頷いた。


「わかりました。では歌姫のこと、頼みましたよ」


 案じるのは歌姫のことだけ。おきまりの挨拶という形ですら、星樹の安全を祈る言葉もなしか。嫌になる。

 だが星樹は再びぐっと我慢した。会釈し、踵を返して馬車に向かう。

 花漣はすでに乗り込んでいるようだ。馬車の足元に用意された踏み台に足をかけ、登る。

 と、


「お姉ちゃん! 星樹お姉ちゃーんっ!」


 唐突な呼び声に驚き、星樹は馬車に足をかけた状態で振り返った。

 今の声は楽士のものではない。それ以前に、大人や年の近い学生のものでは絶対にない。星樹は急いで顔を巡らした。

 高く澄んだ声の持ち主たちを見つけたのはすぐだ。人垣の後ろ、少し離れた場所で、十人ほどの小さな人影がこちらに向かって全身で手を振っている。皆、見知っている顔ばかりだ。四歳から九歳までの、親元を離れて幼等部専用の寮に住んでいる子供たちである。

 目が合い、自分たちの存在に気づいてくれたとわかると子供たちは、手を振るのをやめると互いに顔を見合わせ、


「せーのっ。星樹お姉ちゃんっ、いってらっしゃーいっ!」


 一緒に声を上げると、男の子も女の子も目を輝かせて頬を上気させ、背伸びをしたり飛び跳ねたりしながら、小さな体をめいっぱい使って手を振り始めた。

 本当だったら、今日は一緒に遊ぶ予定だったのに。以前からおねだりされていた本を読んであげる約束だったのに。新しい歌を教えてあげたり、彼らが練習している曲を聴いてあげるはずだったのに。それを破る形になってしまったのに。それなのに見送りに来てくれたのだ、みんなで。

 優しく痛む胸を押さえ、手を振り返す。それを見てなおいっそう大きく手を振ってくれる姿が、本当に嬉しい。


(ありがとう。帰ってきたら、今度こそ絶対に遊ぼうね)


 星樹は手を止めると、子供たちの傍に立つ女性教師へと目を転じた。すると、白いものが目立ち始めた彼女は、昔から変わらない微笑みで、はっきりと口を動かした。


「気をつけて、行ってらっしゃい」


 声は届かなくとも、想いは伝わる。

 星樹は体ごと恩師に向き直り、深く深くお辞儀をした。


(行ってきます。先生)


 そうしてまた彼女と目をまっすぐに合わせ、もう一度子供たちに向かって手を振ると、今度こそ星樹は馬車に乗り込んだ。


「可愛いお見送りね」


 隣に腰を下ろすなり、何が楽しいのか花漣が声を弾ませてきた。


「星樹は優しいから、どこでも人気者なのね」


 花漣がこんなことを言うのはきっと、彼女が聖楽院に来たばかりの頃、戸惑いがひどかった様を見るに見かねていろいろと手助けをしてやったせいだろう。

 彼女が、偶然に先代歌姫が訪れた村で、偶然歌を歌っていたところ、偶然才能を見いだされ、試験を受けるどころか特別待遇で聖楽院に入ったのは去年のこと。それは盲目であるが故に学校に入れずにいた花漣の歌唱力を惜しみ、聖楽院が援助を申し出たからだと思っていた。国王が変わるとともに歌姫も代替わりすることになったある日、突然花漣が歌姫に任命されるまでは。

 本来なら国を挙げていくつもの試験がおこなわれ、そうしてようやく決定するはずの歌姫。なのに試験に挑むことすらできないまま、歌姫になる夢をあきらめざるを得なかった子たちの傷ついた顔を知っているだけに、花漣の世話を焼いた過去が不愉快で仕方ない。彼女に優しいなどと言われても不快でしかない。


「別に、そんなことないわ」


 突き放すと星樹は、そっぽを向いて外へと目をやった。

 扉が閉められ、馬車がゆっくりと揺れ始める。

 いよいよこれから向かうのだ。国王が代替わりするたびにおこなわれてきた、国の安寧を脅かす魔物の再封印。失敗したらこの国が滅ぶという、最重要儀礼の場へと。


「一緒に頑張ろうね、星樹」


 その名の通りの、花びらのように軽い声がかけられた。

 不快だ。

 本当に不快だ。

 なぜそんな簡単に、一緒に、などと言えるのだ。運が良かっただけの人間のくせに。


(私は、あなたなんかとは違うわ)


 何の努力も苦労もせず王家に次ぐ特別な座を手に入れた少女は、きっと何も見えていないのだろう。風景だけでなく、人の心も。


(あなたには一生、わからないんでしょうね)


 星樹は堅く口を閉ざし、己の服に小さく爪を立てた。

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