9.可愛い王女様
居た部屋から3回は迷子になれる道を歩いて、細かな細工がされた見るからに普通じゃない扉の前にたどり着いた。
扉の両端にはまた近衛騎士さん。
中には恐らく王太子家族がいるんだろう。
シュビックさんが小声でよろしいですか、と振り返る。
大丈夫じゃないと言ったら帰らせてくれるんだろうか。ちらりと目を合わせる。
……いや、その目!帰るのは無理だな。諦めも肝心だ。
今から会うのは、取引先の社長さん。商談は纏まらなくてもいいけど、失礼のないように振る舞う。よし!
小さく頷く私を確認して、シュビックさんが扉を叩いた。
「近衛騎士アルフォード・シュビック。画家ナオミ・タグチ様をお連れ致しました」
大声ではないのによく響く、低くていい声だなぁ。
ああ、現実に戻らなきゃ。
「入室を許可する」
厳かな声が返ってくると、扉が中向きにゆっくり開いていく。腰を折って上体ごと目線を下げるシュビックさんに倣って、私も日本式のお辞儀をする。
面倒だったビジネスマナー講習を思い出すんだ!
「失礼致します」
「……失礼致します」
口開いていいのかわからないけど、とりあえずそう言ってシュビックさんに続いて部屋に入る。
遠くに人が見える…。
えーっと部屋を説明した方がいい?
まずは、天井が高い。彫刻がされたデザイン天井、どうやって掃除するのかわからない高さにシャンデリアがキラキラ。あ、掃除どころかランプの灯し方も不明。
それで、前室っていうのかな。日本なら「まぁ!広々としたリビングですねぇ!」て言われるくらいの広さの部屋にソファーとローテーブル。もちろん豪華なやつね。
正面にはこっちじゃ見たことないクリアガラスの扉。両端には近衛騎士さん。あ、入り口の方にも近衛騎士さん。
そのガラス扉の向こうに広い家が3、4軒入りそうなホール。違うね、部屋なんだろうね。
「こちらへ」
遠くの人がまた一言だけそう言った。
お!シュビックさん進みますか~!グイグイ行く感じですね~!
行ってらっしゃぁい!
……すみません、私も行かせていただきます…。
後ろにいるから見えてないし、絨毯で足音も聞こえないはずなのに、私が進んでないのがどうしてわかるの?チラッと目線だけで歩け!って言ってくるの止めて。うぅ 逃げたい。
ガラス扉から中へ入ると手前にダイニングテーブル、あちらこちらにソファーと飾り棚。
スタスタと進むシュビックさんを追いかけるように進むと、奥の一際豪華なソファーとローテーブルに、ご夫婦とその間に女の子がゆったりと座っているのがようやく理解できる。
その後ろにはまた近衛騎士さん達。
キョロキョロできないから簡潔に部屋を説明すると、より高い天井、キラキラシャンデリア、豪華な壁に豪華な絨毯。掃除がしにくそうな飾りがいっぱいで、ほんのりフローラル香るすごい部屋!
ソファーの直ぐ側まで来て、また頭を下げた。
「直」
「はい!」
ソファーに座ったセピア髪のキラキラ服男性に、急に名前を呼ばれて勢いよく返事をする。
「………………」←ソファーのキラキラ男性
「………………」←シュビックさん
「………………?」←私
「………直」
え?返事したけど?
「はい」
訳がわからず目線だけちらりと上げて様子を伺う。
「………………ふっ」
あれ?キラキラ男性、今吹き出した?
「名前を聞こう」
震える声で言い直された。
直。なを。名を!!!!
いやぁぁぁぁ!
「すみません。ナオミ・タグチと申します。すみません」
発音違うじゃない!どうして気づかなかったの私!
「そちらへ」
3人の向かいのソファーを勧められ、シュビックさんをちら見すると、一歩下がることで座るように促された。
「…失礼します」
お尻をふんわり包む座り心地抜群なソファーに浅く腰かける。
「聞いていると思うが、今日は3人の肖像画を描いてもらいたい」
キラキラ男性、もとい王太子殿下が穏やかにそう言った。
「はい…」
しっかり返事できなかったのは理由がある。
私から見て目の前の壁、3人の後ろの壁にどう見ても有名な人が描いたらしき肖像画がかかっているんだ。ルノアール絵画みたいで、写実的ではないけど、女の子…じゃない王女様の大きさを考えても最近描かれた絵だと思う。
「どうかしたか?」
「いえ、あの…」
聞くのは失礼なのかな?
黙って描いて、気に入らなかったら処罰とかない?
「なんだ?話してみよ」
「あの…あちらの絵は、最近描かれたものでは?」
「ああ、そうだ。宮廷画家に描かせたんだ。よく描けているだろう?」
「ハイ。ステキナ絵ダト思イマス」
そうじゃなくてですね。
「最近描かれたのに、素人の私にまた依頼されたのは…あの、どうしてか伺っても…?」
「ああ。ジャック・ミルシーを知っているだろう?」
ジャック・ミルシー。たぶんジャックさんのことだな。
「はい。存じております」
「あやつがな、そなたに絵を描いてもらったのだと言って、それが素晴らしかったと近衛の中で話題になっていたのだ。私はそれを見ることは叶わなかったが。気になったので、その後近衛の何人かにあなたに依頼させた。その描き上がった絵を見たが、どれも素晴らしかった。それで興味が出てな」
ああ、最近描いた男性の中の何人かが近衛騎士さんだった、と。
やたら私のことを質問してくる人達がいたけど、調べられてたのかな?
………こわっ!
「重ねて失礼致しますが、もし…あの、もしもですが、私が描いた上で、その絵がお気に召さなかった場合、どうなるのでしょう、か?」
「どうなる、とは?」
「し……処罰、とか。が、あるのかと……」
王太子殿下がきょとんとした顔をした後、フッと笑った。妃殿下も口許が笑いを堪えているのがわかる。
「気に入るか気に入らないかは主観の問題だからな。描かせた上で気に入らなかったらからと言って、そなたに何かすることはない。『気に入らなかった』等と吹聴して回ることもないから、不利益になることはないだろう」
「それなら、はい。変なことを聞いて申し訳ございません」
「そなたは異国の者であろう?そなたの国では、主観の問題で処罰されたりするのか?」
「いえ、主観の問題といいますか…。偉い方の機嫌に左右されることがたまに…いや、ごく稀にありますので…」
昔は稀に処罰されてたのかな。
今は、よく仕事やり直しさせられたりするよね。
お偉いさんのご機嫌取りは社会人に必要なスキルだ。
「ふむ。難儀な国なのだな。それで依頼は受けるか?断っても処罰したりはしないぞ」
クククと笑いそうな声で言われ、断る選択肢があることに逆に驚く。
シュビックさんは有無を言わせない感じだったのに。
処罰がないなら、受けた方がいい。よね?
王室からの依頼だし。
「失礼しました。慎んでお受け致します」
「うむ」
満足気な返事をした王太子殿下の横で、妃殿下が微笑んだ。
掌をきちんと膝に乗せた王女様は、上目遣いで私を見つめている。可愛い。
どのような絵を描くのか話していると、お手伝いさんが静かにお茶の準備をしてくれた。
口を付けていいのか少し迷ったんだけど、緊張し過ぎて口がパサパサでそっと飲んだ。味はわからなかった。
話を進めると、両殿下は写真館みたいなイメージしかないらしい。掛かっている肖像画も、妃殿下がイスに座り、その右後ろに王太子殿下が立ち、2人の間に王女様が立っているよく見る構図だ。
同じように描くことは出来るけど、比べられそうだから避けたい。
どうしようか少し考えていると、王女様がそわそわしているのに気づいた。それを妃殿下が嗜めている。
「あの、すみません。飽きちゃいましたよね。描くようになったらまたお顔を拝見しますが、それまではどうぞご自由にされてて結構ですよ」
2人にそう声をかけると、王女様の顔がパッと明るくなった。やっぱり可愛い。
ハーフアップにしたブロンドの髪は緩やかに波打ち、光を反射してキラキラ艶々。白い肌に子どもらしい丸いほっぺ、桃色の唇はぷっくらしていて、真ん丸お目目は王太子殿下と同じ金色がかったオレンジ色。
妃殿下は新緑のような優しい緑の瞳だけど、目の色以外は妃殿下にそっくりだ。
「あのね、きょうはえをかいていただくひだから、おりこうにしておかなくてはいけないのですよ?」
えっへんと胸を張ってそう言う王女様。可愛すぎる。萌える。
妃殿下が思わずというように、ふっと笑った。
「王女様はよくわかっておいでですね。ですが、お利口にされた絵はあちらに描いていただいたのでしょう?私は王女様が笑った絵を描きたいので、王女様が笑顔で過ごせるようにしていて下さい」
王女様は返事をせずに、隣の妃殿下をちらりと見上げた。
目が合った妃殿下は仕方ないといった様子で眉を下げ、嗜めていた手を外した。
「いい子にしておくのよ」
「はい。おかあさま!」
嬉しそうに立ち上がり部屋を歩き始めた王女様を、王太子殿下も優しい目で見つめている。
勝手な想像で、王室って政略結婚かと思ってたんだけど、少なくともこの家族は温かく信頼し合っているのだと感じた。
うーん…写真館よりはそっちの方が描きやすいかな。
「特にご希望がなく差し支えがないのであれば、今のこのプライベートな状況を絵にしてもよろしいですか?」
「この状態を?」
「はい。出来れば、いつもされているようにご夫婦で話されたり、王女様と遊ばれたり、自然にしていただけると描きやすいです」
「ふむ。動いていてよいと言うことか?」
「はい。お顔を描く時には、走り回ったりは控えていただきたいですが。あの、どれくらいのお時間を取って貰えるのでしょうか?」
「4時間ほど取ってある」
4時間じゃ3人描くのは厳しいな。
「何日かに分けて描かせて頂けたりは?」
「殿下方はお忙しいので、別にお時間を取る予定はございません。家で描き上げていただいても結構ですが、描くために謁見できるのは本日のみです」
後ろからシュビックさんが代わりに返事をする。
王太子殿下は困ったように眉を下げるだけだ。
全部を4時間で描くのは無理だ。顔は優先するとして…
「今着ていらっしゃる服を、後日見せていただくことは?」
「服?」
「はい。王宮でなくても大丈夫ですので、今着ていらっしゃる服、というよりは絵に残す服を別の日に見せていただければ、4時間でも描けるかと」
「うむ。わかった。許可しよう。アルフォード、手配を任す」
「はっ!」
部屋の隅にあった小さなテーブルとイスを借りて描き始めれば、時間との戦いだ。構図も決まってないので、コピー用紙にとりあえず顔を描いていく。
一度並んで立ってもらって、身長差や体格を分かりやすくデッサンし、後からでも描けるようにする。
服は後回しにして正解だった。さすがに王族はズボンに上着とかではなくて、王太子殿下は礼服だろう白い服。肩章があるだけで、型は騎士団の制服と同じだけど。上服の、腕以外の前後面と袖に金色の刺繍がびっちり!花と鳥だと思うけど複雑な紋様になってて、とにかく描きにくい。
妃殿下は透明感のある水色、王女様は柔らかい色合いのピンクのドレス。これがまた!
パニエが入ってるのかふんわり広がった裾に、こっちの世界では初めて見たレースにフリルがたっぷり。そうでないところには同じ色の糸で細かな刺繍がされ、見てる分にはゴージャス&エレガントで素敵だけど、描くには面倒過ぎる。
シルエットだけ写して、模様は後回し!
サラサラカリカリと必死に描いていると、途中まで比較的静かにしていた王女様が飽きたみたいで、私が描いてる絵を覗きにきたり、部屋のソファを順々に座ったりうろうろし始めた。
ここは王太子夫妻の居室だと言っていたし、王女様にとっては普段遊んでいる部屋の1つなのかも。
気付けば違う部屋から人形を持ってきて、絨毯に直接座り込んで遊んでいる。初めは嗜めていた妃殿下も、まあまあと王太子殿下に言われて諦めたみたい。
3人で床に座り込み、おままごとをしている姿は「王太子ご家族」ではなく、普通の仲のよい家族そのもので、私はその瞬間を描くことに決めた。
構図を決めてしまえば、スケッチブックには瞬く間に絵の輪郭が出来上がっていく。
王太子殿下は膝の上に王女様を乗せ、王女様が真剣な表情で「おままごとの王子様の演じ方」を語るのに、笑って耳を傾ける。そんな2人を、仕方ないといった様子で微笑んで見つめる妃殿下の瞳はどこまでも優しい。
後からでは描きにくい箇所を優先して。顔の表情も出来れば今描きたい。
必死に描いてると、ノックの音がした。
「お時間です」とだけ聞こえた声に「今」と短く返事をし、王太子殿下が立ち上がった。
「さて、時間がきたようだ。絵の出来上がりは後日だな?楽しみにしておく」
「わかりました」
イスから立ち上がりお辞儀をすると、頷いて王太子殿下は部屋を出ていった。
妃殿下と王女様はまだ少しだけ時間があると言ってもらえたので、また必死に顔を描いていく。王太子殿下の顔を優先しておいてよかった!
それからしばらくして、私も退出するように促された。
挨拶をして部屋から出ると、シュビックさんがまた前を歩く。迷いなく進むので、道を覚えてるんだろうな。私には無理だ。
初めに通された部屋に戻され、また1人にされた。
「はぁぁぁぁぁ~…」
誰もいなくなった部屋で大きくため息をついた。
疲れた…。あぁ疲れた。
緊張した。だって王族!!ってオーラが出てるんだもの。
小説みたいに王子様が超イケメンで、選ばれし乙女(ごめん、乙女って歳じゃないけど)とラブロマンス!なんてめくるめく世界は展開せず、現実的に地道に絵を描いてるだけだから、王族になんて会う機会があると思わなかった。
そして妃殿下と王女様は美形だったけど、案外王太子殿下は普通だったな。
「はぁ…」
もう一度ため息をついたところでノックがして、お手伝いさんがお茶と色々なお菓子を持ってきてくれた。
うわ~!美味しそう!何食べよう。チョコレートまである!
これ、お土産に包んでくれないかな。
図々しいとは思うけど、もう呼ばれることもないだろうし。
そんな考えが顔に出ないように気を付けてにっこりと笑顔を作った。
「ありがとうございます」
「いえ、なにかありましたらお声かけ下さい」
優雅に微笑み返してくれたお手伝いさんが、頭を少しだけ下げて部屋から出ていった。
「わぁわぁ!何食べよう!とりあえずお茶かな。
これ、お砂糖?珍しい。それと、ん~これミルクかな…。
はぁぁ…うんま。なにこれめっちゃ美味しいんだけど」
緊張から解放された変なテンションのまま、独り言をぶつぶつ言いながら紅茶みたいなお茶と、久々のチョコレートを摘まんでいるとまたノックの音がして、慌てて澄ました顔をする。
失礼します。とシュビックさんが戻ってきた。
「ナオミ様、お疲れ様でした」
「ありがとうございます。
そちらこそ……お疲れ様でした…?」
私が描いてる間の数時間、無表情で立ち続けてたシュビックさんにどう声をかけてよいのか、ちょっと迷う。
「恐れいりますが、少し話をさせていただいても?」
「はい」
私の向かいのソファに座って話した内容を要約すれば、
・王太子夫妻から依頼を受けたことを他言しないこと
(お偉いさんから依頼を受けたことと「他言するなと言われていること」は言ってもよい)
・服は部屋に持っていく
・後日もう一度来て、完成した絵を2人に見せること
・気に入らなければ書き直すこと
・くれぐれも他言するな
・信用出来るまでは監視してると思え
・くれぐれも他言するな×100
つまり、他言するなと。
こんなに念押しされるには訳があるようで。
やっぱり普通、私みたいな一般人が王族の顔を間近で見るなんてあり得ない。うんうん、そうでしょうそうでしょう。
仮にあったとしても、別邸か謁見室で謁見するもので、王宮の奥、王太子夫妻の居室になんて入ることは出来ないらしい。そりゃそうだね。
安全面を考慮して、王宮内の様子どころか王族からの依頼があったこと自体を黙っておけ、と。
何度も繰り返される念押しに
「もちろんです。
王族の方でなくとも、他言しないよう頼まれたお仕事の内容を口外することはございません」
と何度も何度も同じような返事を繰り返す。
しつこすぎて、真剣に聞いている振りをしながら、シュビックさんを観察する。
頭1つ位高い身長に、服の上からでもわかる整った筋肉。肩の感じとか、手の骨ばった感じとか、すごく好みなんだよね。
いいなぁ。この人モデルにイラスト描きたいなぁ。
1杯目のお茶をとっくに飲み終わり、添えられていたポットから勝手にお茶を継ぎ足し、焼きお菓子もこそこそと3つを食べ終えた頃、ようやく話が終わった。
これでやっと帰れる。
名残惜しそうにお菓子を見つめていたら、お土産に包んでくれた!
ギリギリ口には出していないし、日本人として1度は断った。
でも、それでもどうぞと言って貰ったのでありがたく頂いた。
口元が少しニヤニヤしたのが見られていないといいなと思う。
大きな通りまでは馬車で、そこからは歩いて送ってくれた。
お昼過ぎに王宮に入ったのに今はもう星空が広がっていて、灯りが点いてる家も少ない。
「明後日、服を持って参ります。本日はお疲れ様でございました。ゆっくりお休み下さい」
きっちりと頭を下げたシュビックさんに、よろしくお願いしますと告げて私は部屋に入った。
持っていた荷物とお菓子をテーブルに置いて、手早く歯磨きをするとボフンとベッドに倒れこんだ。
疲れた…。
靴を足で脱いで、服も適当に放って、もそもそと布団に潜り込んだ。
お風呂も面倒だ。明日入ろう。




