23.異世界なら、私も画家
そわそわする私の隣で、メアリーさんがドアノッカーを鳴らした。
いつものお手伝いさんが出てきて、部屋に案内される。
「いらっしゃいませ。お二人とも来てくれてありがとう」
ラフなワンピースに身を包んだマリアさんが、にこやかに迎えてくれた。
その腕にはおくるみにくるまれた小さな赤ちゃん。
「おめでとう、マリア!体調はどう?」
「マリアさん、おめでとうございます!」
小さい!小さい!!可愛い!可愛い!!
マリアさんの腕にすっぽり収まった赤ちゃんは、目をつぶって寝ているようだった。
「おかげさまで、体調は戻ってきたわ」
「男の子?女の子?」
「男の子よ」
「可愛いですねぇ!」
「うふふ。ありがとうございます。ナオミさん、抱っこされてみます?」
「え!?し、したいですけど…。メアリーさん、お先にどうぞ!」
今までで抱っこしたことあるのは、小さくても1歳は過ぎたような子でふやふやの赤ちゃんを抱っこするのは、落としそうで少し怖い気がする。
「では、お先に。ふふふ。赤ちゃんの匂いがするわぁ!」
メアリーさんは流石、危なげなく抱っこして頭をクンクンしていて、余裕な様子だ。
今日は、赤ちゃんが産まれたマリアさんのところに出産祝いを持って来た。
まだ産まれて4週間程だけど、日本とは違って30日は安静に。みたいな考えはないらしい。
「ナオミさん?抱っこ出来そう?」
「…大丈夫ですかね?落としそうで怖いのですが…」
いつの間にかまた赤ちゃんを抱っこしたマリアさんに楽しそうに聞かれ、心配な気持ちをそのまま口にする。
「イスに深く腰かけて?腕をこうして…頭がここに来るので、首を支えてあげてくださいね」
微笑んだメアリーさんが、私の腕を抱っこする形に動かしてくれた。
動かされたままに腕を維持していると、マリアさんが立ち上がり、腕に赤ちゃんをそっと乗せてくれた。
温かくて、思ったより軽くて、ふやふやで、手が小さくて、とにかく可愛い!!
「か、可愛い…!!」
腕は固定したままで怖くて全く動かせないけど、命の重さを感じる。
可愛いなぁと見つめていると、顔がくしゃっとなった。
あ、ヤバい。
「ふっ!うんにゃぁ!ふやぁぁ!」
「ごめん!ごめんね!マリアさん!すみません、泣いちゃいました!」
慌ててマリアさんに返そうにも、どうしていいかわからずおたおたする。
慌てた様子もなく赤ちゃんを抱っこしたマリアさんは、背中をポンポンしながらゆらゆらと揺らして、赤ちゃんはまた眠ったようだった。
私もいつか自分の赤ちゃんを抱っこするときが来るんだろうか…。
穏やかで温かく、優しいこの時間を持つことが出来るんだろうか。
また旦那さんがいる時に、絵を描きに来ることを約束してマリアさんのお家をあとにした。
◇
玄関がカタンとなった。パタパタと玄関に向かうと、制服姿のアルフォードさん。
「おかえりなさい」
「ただいま、ナオミ。」
伸ばされた両手に近付くと、ぎゅっと抱き締められ、チュッとキスをされる。
慣れないけど、嬉しい一瞬だ。
「これ、土産だ」
「もう、何もいらないって…」
「そうか、せっかくチョコレート買ってきたが、いらないなら明日職場に」
「いります!」
慌てて受け取ると、アルフォードさんが笑った。
夕飯を2人で同じテーブルに座って食べる。
「ふふふ」
「ん?どうした?」
「いえ…この時間、好きだなと思って」
「…そうか」
私が話せば、アルフォードさんが優しく返事をくれる。
表情が見える距離に人がいて、話しかければ必ず返事がくる。
それは、当たり前に思えて、実際にはとても幸せなことだ。
「この前のユナのスープも美味しかったしな」
「だっ!あれは、加熱したらあんなに味が変わる調味料なんて日本にはなかったからですよ!」
クククっと笑うアルフォードさんが言ったのは、この前私が失敗したスープのことだ。
クリーム色の調味料は、使う前に味見した時には、ちょっと塩味がする香辛料みたいな風味だった。
だから、スープの仕上げにパラパラって振って、ちょうどアルフォードさんが帰ってきたから急いで出した。
それから、何気なくスープを飲んだらすんごく酸っぱくて、思わずむせた。アルフォードさんは咳払い一つだったけど単に私に気を使っただけで、そうじゃなければ噴いてもおかしくなかったと思う。
それくらい酸っぱかった。
「アルフォードさんだって、お肉焦がしてたじゃないですか。中は生で」
悔しくて言い返せば、アルフォードさんはにっこり笑う。
「うん。あれば失敗だったな。ナオミが可愛くて見つめてたらついな」
顔が熱くなり、思わず目を伏せた。
平気な顔でちょいちょいこういうこと言ってくるんだよね!
欧米風というか。純日本人はなかなか馴染めない。
アルフォードさんに先にお風呂を勧めて、食器を片付けてから私もお風呂に入った。
上がると居間にアルフォードさんがいなかったので、寝室を覗くとベッドに腰かけて座っていた。
「ナオミ、おいで」
両手を広げてそう言われ、テコテコと歩いてベッドに近寄ると、アルフォードさんが自分の片膝をポンポンと叩いた。
「おいで」
え?膝の上に、ってこと!?
「し、失礼します…」
あまり体重がかからないようにそろっと座った。
アルフォードさんが笑う気配がして、キュッと腕が回される。
心地よくて、胸に預けるように頭を倒せば、私の髪に埋めるようにアルフォードさんの顔がくっついた。
「いい香りがする」
「…アルフォードさんが大量に買った石鹸の1つですよ」
一緒に暮らし始めて、アルフォードさんからのプレゼントはお土産という名称に変わっただけで未だに続いている。
「ああ。次は何が欲しい?ナオミは何も欲しがってくれないから」
「必要なものはすでに全部ありますから。足るを知る、ですよ」
「たるおしる?」
「『身の程にあった程度で満足して、ムダに不満を持たない』っていう意味です。でも、私は『ないものを思って不満を抱えずに、今自分にあるものを知って大切にする』という意味で使ってます」
「今あるものを知って、大切にする。か」
アルフォードさんの腕にぎゅうっと力が入って、なんだかくすぐったい。
「アルフォードさん、私欲しいものありました」
一番欲しかったものがある。
手に入らないと諦めていた、欲しかったもの。
「ん?なんだ?」
「帰ってくる場所、です。アルフォードさんが、私の…家族が、帰って来てくれる場所が欲しいです。おかえりなさいって言いたいです。待つことより、待たなくていいことの方が悲しいから」
「ナオミ?」
呼びかけられて上を向けば優しくキスをされた。
もっとくっつきたいな。
腕を伸ばして首に回すと、抱き返してくれて触れた体が温かい。
「遅くなったり、急に泊まりになったり迷惑かけると思うが、俺が帰ってくるのはナオミの所だ。だから、待っていてくれるか?」
「はい」
「ナオミが帰ってくるのも俺の所であって欲しい。おかえりと言わせてくれ」
「…はい」
また泣きそうだ。最近、涙もろくて困る。
「ナオミ、愛してる」
「私も…あ、あい…だ、大好きです」
頑張れなかった。アイシテルってすんなり出てこない。
日本人の羞恥心が強すぎる。
アルフォードさんがふっと笑った。
「ナオミ?俺にも欲しいものがあるんだが?」
「なんですか?」
「敬語を使わずに、愛称で俺の名前を呼ぶナオミ」
「愛称…?」
「幼い頃はともかく、今は俺のことを愛称で呼ぶのは母ぐらいだからな」
そういえば、お母さんはアルフって呼んでたな。
私も、そう呼ぶってこと?
え……
「アルフとかアルとかフレッドとか、ナオミの好きに呼んでくれたら嬉しい」
ハードルが高い、と文句を言いたかったけど、なんとなく…いや、勘違いかも知れないけど…
アルフォードさんがわくわく期待している風で、断りづらい…
「アル…あ、ア、アルふ…アル……」
段々声が小さくなる。
頑張れない…頑張れないよ…
「ああ、ナオミ…!」
ぎゅうと抱き締められた。
あ、もしかして今のでオッケー?
やった。よかった。
ほっとしていると、アルフォードさんの顔が近づいて、キスをされた。
少しくすぐったくて、でも幸せで。
その空気に、勇気を出して口を開いた。
「今日」
「ん?」
「マリアさんの所に行って来たんです。マリアさんも元気そうで、赤ちゃんも可愛かったです」
「…そうか」
「赤ちゃん、抱っこさせて貰ったんです。小さくて、ふやふやで。泣いちゃったんですけど、マリアさんの腕に戻ったらすぐ泣き止んで。
……私もいつか自分の子どもを抱っこするのかなと、ちょっと考えちゃいました」
「ナオミの子を抱くことはないだろう」
伏せていた視線をバッと上げると、アルフォードさんが目を細めて笑う。
「俺との子どもを抱くことはあるかもしれないがな」
「…うん。そうですね。『私の』子どもじゃなくて『2人の』子どもなんですね」
「まぁ 子どもが出来なくても、ナオミが俺だけのもの、なままでいいんだがな」
私が気に病むことがないようにかけてくれる言葉が嬉しい。
「いつか…。まだ、怖いですけど。いつか、赤ちゃん欲しいなと思いました」
「ああ。そうだな」
アルフォードさんがぎゅうっと私を抱き締めた。
◇
結婚をしても、アトリエの場所が変わったくらいでお仕事に大きな変化はなく、のんびり画家を続けている。
大きな家の、正門に近い一室を外から入れるようにして第二のアトリエを作った。
小さな看板をかけ、不在表もつけた。
ちなみにこの不在表、なんと文具店さんから依頼を受けて、専用の焼き小手を作り、不在表が売れるとそれに応じて報酬が貰えるようになった。
文字が読めなくてもわかる不在表は、なかなか好調な売れ行きで、街を散策していて、不在表をたまに見かけるとついニヤニヤしてしまう。
日中の外での営業はアルフォードさんから頼まれて止めることにした。
その代わり、お店の前で営業していいと言ってくれるお昼営業のお店を紹介され、変な人に絡まれることが少なくなった。
夜は相変わらずお店で営業させもらっている。(アルフォードさんにものすごく心配されたけど)
時間があるとアルフォードさんも一緒に来てくれ、私が依頼を受けたり、周りの人と話しているのを静かに待って、帰る時には手を繋いで帰る。
初めは冷やかされて恥ずかしかったのに、アルフォードさんがあまりに堂々とのろけるため冷やかす方も面白くないのか、直ぐに落ち着いた。
日本の紙とペンががなくなってもお仕事が続けられるように色々試行錯誤中で、上手くいかないこともたくさんある。
でも『異国の有名画家』ではなく、『画家のナオミ・シュビック』として見てくれる人が増え、頑張ろう!と毎日思える。
………ナオミ・タグチじゃなくて、ナオミ・シュビックになったの。
ふふふ。まだ「シュビックさん」とか言われたら自分が呼ばれてると気付くまで時間かかったりするけど。
きゃ~!んふふふふ!!
トントントン!
わっ!ビックリした。
ニヤニヤしてる場合じゃない。
私は慌ててアトリエの扉を開けた。
「こんにちは。ご依頼ですか?」




