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五章  すべてはこのために

「母上……。」

 半ばよりかかるようにして開けた扉の隙間からアザリスは身体をねじ込んで、その先にいた母ウェルリーズにそっと声をかけた。

 今はまだ空に暗さも残る朝の時間。

 アザリスは扉を蹴破るようなけたたましい音にたたき起こされた。昨日の祖父アブミット公爵ロドリスとの面会もあり、疲れが出たのか、その日の夜頃から体調を崩していたアザリスを起こすにしては、あまりにも早い時間、そして激しい音だった。

 その様子から常ならぬことが起こったのだろう、と思ったアザリスの予感は、その扉の音をたてたと思われる侍女の蒼白な顔が、それを確信にかえた。

 彼女から話を聞いたアザリスは、微熱でだるい体を無理やり起こし、起こしに来ておいてなぜか引き留める侍女を振り切り、ここまで来たのだった。

 思い通りにならぬ身体に苛立ちながら辿り着いたそこは、アザリスの両親、王夫妻の寝室である。

 母上、と呼びかけると、ウェルリーズは目を丸くして、息子の突然の登場に驚いている様だった。

「アザリス……! 体調が悪いのではなかったの?」

 まだ顔が赤いわ、と眉をひそめるウェルリーズは、たっと席を立って、厚手の羽織を持って戻ってくる。そして、それをアザリスの肩に着せ、彼の手を掴んで彼女が座っていた椅子に座らせた。

「少しだるいだけです。それより、父上は……?」

 そう言ってアザリスは眼前のベッドに横たわる父の顔を覗き込んだ。

 そもそも、アザリスがこの部屋に苦労してきたのは、部屋へと飛び込んできた侍女が「陛下が御倒れになりました……!」という知らせを持ってきたからであった。

 だが、そうして父王の顔を覗き込んだアザリスは、訝しげに傍らの母を見上げる。

「ただ、眠っているだけに見えますが……?」

 「倒れた」というぐらいなのだから、病気にしろ、毒にしろ、外傷にしろ、もっと苦しげな父王の姿を、アザリスは想像していたのだ。しかし、今の彼の姿は、特には苦しげな様子もなく、ただ眠っているだけのように見える。今にも目を開けて起き上がるのでは、と思うほどだ。

 どこが悪いのだ、というアザリスの言外の問いに、ウェルリーズは弱々しく笑うと、眠る王の額に手を伸ばした。

 ウェルリーズが王の額にかかる髪をかきあげて、額を露わにする。はじめは何をしているのか分からなかったが、ウェルリーズの指差す王の額をよくよく見てみると、ようやく違いに気が付いた。

「これ……。」

 そこには、うっすらと、肌よりもさらに抜けるような白さで、文様が浮かんでいた。本当によく見なければ分からないほど、うっすら、ではあったが、額に大きく浮かぶその文様は、異様な存在感を持っていた。

「私が気が付いた時、発光していたの。……でなければ、気が付かなかった。」

 ウェルリーズは厳しい顔で、その額の印をつ、となぞった。

 なんでも、まだ夜明け前の時間、何の加減か目を覚ましたウェルリーズは、額が発光する王を発見し、その時には既に、目を覚まさなかったという。

「これは何の印なのですか、母上?」

 ウェルリーズは小さく溜息を吐くと、首を振った。形としては、人を深い眠りに落とし悪夢を見せる印に酷似していたが、細かい部分が少し違っており、詳しい事は分からないらしい。ウェルリーズは、勿論基本的な呪術は網羅しているが、あまり人を(のろ)うようなものは得意としていない。彼女が得意とするのは、人に加護を与えるものであったり、未来を視る、(まじな)い。

 此度王にかけられたのは「(のろ)い」の方で、基本の型以外になると、よく分からないらしい。

「解呪師の方は、母上?」

「今呼んでるわ。」

 そうですか、とアザリスは答えると、椅子に深く座りなおして、眠る父王を見た。掛布から出ていた手を握ると、ゾッとするほど冷たかった。微熱のある身体のため、余計にそう感じられたのかもしれない。だが……

 アザリスはその手をさらに握り込む。

 背筋に走る悪寒は、本当に熱によるものなのだろうか。




 それから時を置かず現れた解呪師、エリーズは、リアンに伴われ部屋へと入ってきた。

 解呪師、それはその名の通り、(のろ)いを解くことに特化した呪術師の総称である。今代の呪術寮長官であるエリーズも、解呪師のひとりであり、名実共に国一番の解呪師であった。

 王の一大事に彼女が来ることは十分予想できていたウェルリーズであったが、実際にその姿を見て、自身でも驚くほど安堵した。

 エリーズは挨拶もそこそこに、早速準備へと取りかかった。今は落ち着いている様子の王ではあったが、いつ急変するとも知れない。対応は早ければ早いほどよかった。

 エリーズは、印の描かれた王の額に指先を当て瞑目した。ウェルリーズは不得手とすることだが、直接、印や呪われた当事者に触れることで、どういったものがかけられているのか、探っているのである。基本の印に、付属させたい効果や術者によって、少し基本形を変えることで、効果を上げているものに対しては、これをして、解呪の糸口を掴む。

 暫くは黙ったままエリーズは王の額に触れていたが、ふと指を離し、眉を潜めてその指先を見つめた。そしておもむろに、持ってきていた鞄から、透明の液体で満たされた小瓶を取り出した。液体はちゃぷんと瓶の中で揺れている。呪術師であるウェルリーズだけは、その中身が聖水だということが分かった。

 エリーズはその聖水瓶の栓を抜き、その中身を少しだけ掌にとった。そして、彼女がその聖水に空いている方の手の指を浸し、王の額の印をなぞっていく。その様を見て、今度はウェルリーズが眉を潜めた。

 聖水や聖油と言った類のものは、術の効果を引き上げる力を持つ。例えばウェルリーズが、聖油で印を描くことで占いの精度を上げているように、この場合は、解呪の効果を引き上げる。

 聖水を使わねばならぬほど、呪の力が強いのだろうか。

 固唾をのんでその様を見守る中、エリーズは印をなぞり終えると、その上に手をかざし、ぽそぽそと何事かを呟いた。

 はじまった……。

 エリーズの手のひらの周囲に小さく風が起こり、王の前髪をふわりと持ち上げる。それに呼応するように、その下の印も、仄かに、ではあったが光を発した。

 そしてすぐに風は治まり、光も消えてしまう。

 エリーズは手を下ろしたが、表情は強張ったまま、そしてなによりも、王の額に文様が浮かんだままであった。

「エリーズ……。」

 膝の上でぎゅっと手を握り締めているエリーズに、ウェルリーズがそっと話しかけた。エリーズはその声に引かれるように王の方を見ていた顔を上げて、ウェルリーズを真っ直ぐ見つめた。暫く、エリーズは何も言わずウェルリーズを見つめていたが、やがて、サッと頭を下げた。

「私には、解くことが出来ません。」

 王の額に浮かび続けているその文様を見、ある程度は予想していた事ではあった。だが、はっきり言葉にされると、やはり、衝撃が襲う。

 そのエリーズの言葉を最後に、部屋はしんと静まりかえり、誰一人として口を開こうとはしなかった。

 何を言えばよいのかすら、分からなかった。




 解呪法を探す、そう言ってエリーズが部屋を退出した後。

「義母上、少し御耳に入れたいことが。……アザリスも。」

 それまで、部屋の隅で事の成り行きを黙って見守っていたリアンが、不意にウェルリーズに話しかけた。

 改まった口調の兄に、自然出て行こうと腰を上げかけたアザリスも、引きとめられ、母と目を見かわしつつも椅子に座りなおした。

「数ヵ月前、私が刺客に射られたのを、覚えておいでですか。」

 ウェルリーズとアザリスは、もちろん、と頷く。五十年前ならいざ知らず、ここ十数年は比較的穏やかな情勢が保たれており、王族の暗殺などといった血なまぐさい事件は起こってはいない。そんな中起こった彼の事件を、忘れられるはずがなかった。特にウェルリーズにとっては、自分の目の前で起こったもの、そして、リアンとの関係を変えてしまうに至ったもの。忘れられるはずがなかった。

 もっとも、リアンもそれは承知しており、殆どは確認の意味合いで問われたもので、二人が頷くのを確認し、頷き返した。

「その首謀者、と思しき者の捕縛の準備が整いました。」

 その言葉に、ウェルリーズもアザリスも、目を見開いて、リアンの見返した。

 ウェルリーズは、あの事件の調査にリアン自身が指揮を執っている、というのは王から聞き及んでいたが、全く進展がなかったのではなかったのだろうか。実行した暗殺者は死体で見つかり、雇い主の特定は厳しい、と言っていたはずだ。

「様々な偶然と幸運が重なって、雇い主が判明したのが少し前。そして、やっと準備が整て、決行しようと思ったのが昨日。今日、経過を奏上して、明日にでも捕縛をする許可をもらおうと思っていたところでした。」

 リアンはそう言い終わると、何か物言いたげな表情でウェルリーズを見た。その少し寂しげな視線は、どんな言葉をつくすよりも、ウェルリーズに真実を語っている気がした。

 あぁ……。

 だが結局リアンは、話を続けるだけだった。

「まだ確証はありませんが、此度の父上の事も……おそらくは。」

 悔しげに視線を落とすリアンに、ウェルリーズも、そう、としか返すことは出来なかった。もっと早くに分かっていれば、今回のようなことにはならなかったかもしれない。そう思っているだろうリアンの気持ちを、痛いほど感じながらも、感じているからこそ、ウェルリーズは何も言うことが出来なかった。陳腐な慰めは、より彼を傷付ける気がした。

「ですので、明……」

「―――すみません。」

 そしてリアンが話を続けようとした時、アザリスはリアンの言葉を遮るようにそう言って立ち上がった。

「少し、体調が悪くなってきたので、部屋に戻ります。」

 それだけ言うと、アザリスはふらつきながら、だが足早に、ウェルリーズとリアンが呆気にとられている間に部屋から出て行ってしまった。

「それで?」

 ウェルリーズは苦笑を浮かべつつリアンに続きを促した。アザリスはここに入ってきた時から、顔が赤く、熱がある様子だった。体調が悪くなってきたということは、熱でも上がってきたのかもしれない。それなら、ややこしい話を聞くより、ゆっくり養生する方が先決である。

「はい。許可がおりれば、明日中にも全て終わるかと。」

 リアンもウェルリーズに頷き返すと、そう言った。

 リアンは捕縛の準備が整ったと言っていた。きっと、捕縛の兵やその他の準備も済んでしまっているのだろう。そして、ウェルリーズの予想が正しければ、きっと、そう時間はかからない。

「ねぇ……。」

 ウェルリーズはリアンを見上げ、にこっと微笑む。それを見てリアンは何かに怯えるようにビクリと身体を震わせた。

 ああ、やっぱりそうなのね……。

 リアンは「首謀者」という言葉を使うだけで、それが一体「誰」なのか、ということは何も言わなかった。

 ウェルリーズが知らない人物だからだろうか。

 いや違う。

 ウェルリーズはそう思った。王族を、ウェルリーズも含め、害してもよい、または害して益になる人物で、暗殺者を雇えるような人物となると、その数は相当絞られるはずだ。

 そしてその多くが、貴族。

 そして、その筆頭は。

「……父、なのね。」

 リアンは何も言わなかった。

 だが、その沈黙こそが、なにより肯定の意を示していた。

「いいの。」

 ウェルリーズはリアンにそっと近付いて、その彼の首に腕を回した。

 いいの。きにしないで。わたしは、大丈夫だから。

 そもそも愛のある父娘ではないのだ。あの男に感じるのは、一抹の悲しさのようなものだけで、安堵の方が大きいのだから。

 リアンの腕がウェルリーズの背にまわされる。そして、痛いほどの力で抱きしめられた。

「ごめん……。」

 耳元に落ちる、その聞こえるか聞こえないかの呟きは、どこか泣きそうな声にも聞こえた。ウェルリーズは彼を抱く手に一層力を籠める。

 これは何に対する謝罪だったのか。

 その意味も分からぬまま。




 明くる日。早朝に目を覚ましたアザリスは、朝のまだきんと冷える中、廊下を歩いていた。昨日までの熱でだるかった身体は、嘘のように元気になっており、まだ起きるには早い時間ではあったが、折角だから、と朝の空気を吸おうと散歩へと繰り出したのだった。たまにすれ違う人々は、驚いて、体調を気遣う言葉を投げてきたが、アザリスは大丈夫だと請け負って、一人で城内を歩き回っていた。外は雪が積もっており、さすがに身体を冷やすから、と出ることは避けたが、結局は我慢できずに外廊下の縁からではあったが、雪を触り、少しだけ、と小さな雪だるまを完成させて、廊下の縁に置いた。

 その時、ふっとアザリスは顔をあげ、辺りを見渡した。

 声……?

 どこからか数名の微かな話声が聞こえた。普段ならどうとも思わないものだ。侍女達がお喋りに興じているのはよくあることである。

 だが、今のアザリスは、雪遊びをしていたところで、指先は真っ赤、服にもきっと雪が付いている事だろう。この歳にもなって雪と戯れていたことが何とはなしに気恥ずかしくなり、どんどん近づいてくる声の主をやり過ごそうと、廊下から外に通ずる短い階段を降り切って、廊下から死角になるところへと、飛び込み、そこでしゃがみ込んでじっとしていた。幸いそこには雪が積もってはおらず、直に雪がない分、まだ冷たさはマシだった。

 このように、深い意味があったわけではなかった。たとえ見つかってしまっても、きっと笑われるくらいのもの、そう思っていた。

 アザリスが息をひそめ様子を窺っていると、やはり声の主はこの廊下へと出てきたようだった。おそらく少し先の曲がり角から曲がってきたのだろう。

 声は二人、両方とも男のようだったが、何の加減か、もしくは知らぬ者なのか。声では誰か判別することは出来なかった。

 足音や声が大きくなってくるにつれ、次第に会話も明瞭になってくる。

「―――の方は。」

「……て………よ。問題ない。…う手は………てある。」

「わかりました。では、もう一方も?」

「ああ。」

 アザリスは息を殺したまま、頭上を仰ぎ見た。まだ、二人の姿は見えないため、まだ少し離れているのだろう。アザリスはさらに壁に張り付くようにして、息をひそめる。

 一体、何の話を……。

 どことなく声音にきな臭いものを感じた。ただの世間話にはとても聞こえぬような。アザリスは出来る限り気配も消そうと努めた。ここにいるのがばれてはまずいような気がしたのだ。

 上方の二人はアザリスの存在には気が付いていないようで、会話を続けていた。

「上手くいくと良いのですが。」

「大丈夫だろう。あれをやったのは本当に奴だ。……もっとも、彼女の方へ行ったのは予想外だったろうが。だが、まぁ……結果はこうだ。接触もしているし、材料はそろってる。」

「まぁ、そうなんですけど。」

「あちらも殺してはいない。わかってるだろう。」

 殺す……?

 アザリスは声を出さないように、自分の口元を抑えながら、どんどん不穏さを帯びる会話を聞いていた。これは本当に大変なものかもしれない。

 足音が大きくなる。そして、頭上を通りかけているのが分かった。見つかってしまったら、どうなるだろう。アザリスはばくばくと音をたてる心臓を抑えるように、胸をぎゅと掴んだ。

 そして、頭上で足音が止まった。

 よもや、見つかったか、と冷や汗を流しながら頭上を見上げたが、あいかわらずこの位置からでは二人は見えず、まだ、会話が続いているところからも、二人はこちらの存在に気が付いていないのだろうと見当をつけた。気は抜けないが、少し安堵する。

「それはそうですけど。ちゃんと目は覚めるので?」

「さあ。……だが、大丈夫だろう。元に戻せる範囲で、と厳命してある。」

 一度は治まっていた鼓動が、また激しく打ち始める。だが、今度は見つかったやも、という不安からではない。

 これは……。

 アザリスは、自分の予感が間違っている事を、心から願った。会話の意図は分からない。だが、アザリスの予感が正しければ、これは。

「心配ないさ。事情を知る者には消えてもらう。王が目を覚ますのは。全てが終わってからだ。」

「―――っ!」

 上方で気配が動く。

 しまった……!

 アザリスは自分の喉から漏れた呻きで、自分の存在が知れてしまったことを察した。

 自分はどうなるのだろう。捕まったらどうなるとも知れない。だが、相手は二人。その上アザリスは体力もそれほどない。逃げ切れるとはとても思えなかった。

 ならば。

 アザリスは意を決して、すくっと立ち上がった。せめて、父王を呪ったと思われる敵の顔だけでも、拝んでやるつもりだった。たとえ襲われようとも、命乞いなどしてなるものか、と思いながら、その先を、二人の男を見た。

 そして、言葉を失った。

「あ………。」

 足が震え、思わず一歩後ずさった。

 眼前の男が微笑む。

 そして、アザリスは男の目的を悟った。

「全部……?」

 その為だったのか、その言葉は言葉にならずに消えた。言葉にするのが恐ろしかった。

 怯えさえ宿すアザリスの表情を見、男は自嘲気味に笑い、そうだよ、と言った。

「………っ!」

 アザリスはその場から身を翻す。逃げようと思ったのではなかった。ただ、この場にいたくなかった。受け入れたくなかった。

 だが、いくらもしないところで、アザリスは手首を掴まれ足を止めざる得なくなった。もがいて、その拘束から抜け出そうとした。だが、すぐに後ろから羽交い絞めにされ、口元に布を押し付けられた。

 薬品の匂いがした。

 そして、意識が急速に遠のいていく。

「俺はお前が羨ましかったよ……。」

 最後に聞こえた声は、本当に彼から発せられたものだったのだろうか。

 遠のく意識の中、最後に聞いたその声は、あまりにも痛々しい声だった。




 夕方部屋に行くからいてほしい、そう、エレイン伝てでリアンから連絡があった。アザリスは今日は珍しく体調が良いらしく、自室にいないそうで、ウェルリーズは朝、王の顔を見て、それ以外は自室にほぼ籠りきりだった。

 窓から外を見れば、遠くの空に朱みが射してきて、夕暮れの訪れを告げていた。

 もう既にあの男が捕縛されているのだろうか。夕方に来る、と言っているリアンは、きっとこの結末も携えてくるに違いないが、未だ何の情報も入って来ていなかった。

 正直なところ、生家であるアブミット家がどうなろうと、ウェルリーズ自身どうとも思えなかった。唯一の心残りとも言えたはずの母も、かなり昔に行方不明になり、今はその座に後妻の女が収まっていると聞いていた。全くの無関心にこそなれないものの、どうなってもいいと思っているのは、紛れもない事実だった。

 そろそろリアンが来るだろうか。

 そう思い、部屋の扉を見つめたとき、頃よく扉が叩かれる。おそらくリアンだろう。

 ウェルリーズは喜色の滲む声で、どうぞ、と声をかけた。

 いつもなら、そっと音をたてぬように開かれる扉。しかし―――

 立ち上がった拍子に倒れた椅子が、床とぶつかって高い音を響かせた。

「な、何………?」

 蹴破るようにして乱暴に開けられた扉。

 そして、剣を構えた兵達が数名、部屋へと押し入り、ウェルリーズを取り囲む。ウェルリーズは突然の展開に、声を上げることも出来なかった。

 兵達はウェルリーズににじり寄る。みな、睨むような鋭い目つきで、ウェルリーズを見据えていた。

 そしてその中の、おそらく長なのだろうという人物が、要件を告げた、

「王妃ウェルリーズ、貴女に巫蠱大逆の容疑がかかっている。共に来て頂きましょうか。」

「なっ……!」

 ウェルリーズは言葉を失った。

 巫蠱、つまり人を呪う事。そして、大逆、つまり王や王太子などへ危害を加えようと、もしくは加えたこと。

 つまりは、王の昏睡状態に陥らせた人物として、ウェルリーズの名が挙がったことを意味していた。それもおそらくは、かなりの確信をもって。そうでなければ、王妃の部屋に剣を構えて乱入するわけがない。

 だが、エリーズが解けぬようなもの、ウェルリーズにはかけることが出来ない。(のろ)いの方面にはそれほど明るくないからだ。

 だが、その説明で納得できるのは術師だけだ。

 目の前の兵達のような、術について素人の人間には、かつて呪術寮長官であった、という肩書のみが映っている。

 ウェルリーズは焦りと恐怖で逸る鼓動を抑えようと、大きく息を吸った。

「誰の指示ですか……。」

 一番上にかけあわねば、嫌疑を晴らすことは出来ないだろう。

 本当は、聞くまでもなく分かっていたのに。

「私ですよ。」

 そう声が聞こえた。

 顔を見るまでもなかった。

 いや、声を聞かずとも、理性では彼だろうと、思っていた。

 けれど、認めたくなくて。

 ウェルリーズは、その声のした方へ目を向けた。

 夢なら、覚めてほしかった。

 ウェルリーズはぺたんと床に座り込んだ。

 声の出し方を忘れてしまったかのように、ただ震える身体を押さえつけて、彼を見上げた。

「リ、アン……。」

 何とか絞り出した声は、酷く掠れて、惨めな自分を体現するかのようだった。

 部屋へと入ってくる彼の足取りは、それまでと何も変わらず、顔もにっこりと笑みで彩られている。

 だが、その瞳だけが。

 彼の優しい闇色だと思った、あの瞳だけが、ぞっとするほど冷え切っていて。

 そのいろを、はじめて、おそろしいとおもった。

 だが、そのおそろしさを感じると、何故か今まで身体を支配していた動揺が消えた。

 ああ、そうか。

 リアンがウェルリーズの前に膝をついて、彼女と目線を合わせた。

 胸には、ただ悲しさだけが、虚無のような悲しさだけが残る。

「いつから?」

 そう尋ねた声は、ひどく穏やかだった。ウェルリーズ自身、何故か詰るような気持ちは欠片も出てこなかった。

 リアンはウェルリーズの頬に触れた。愛おしげにすべる指は、何も変わらない。

 ほんとうに、あいされているようだった。

「最初から。」

 そう告げるリアンの声も、静かだった。静かすぎるほど。

 リアンの目は、もうわかってるんだろう、と言っている。

 わかった。わかってしまった。

 知らずにいられたら、どんなにしあわせだっただろう。

 リアンはこの日のために、全てを仕組んでいた。

 全ては彼が王座につくために。

「貴方の望みは、これなの?」

 ほろりと涙が零れた。

 裏切られただとか、息子の王位を奪われるだとか、そういったことが悲しいのではなかった。

 次々零れる涙は、ウェルリーズの頬と、そこに触れるリアンの手を伝って、下へと流れて行く。

 リアンは、その涙を拭おうとはしなかった。

「そうだよ。俺は王になりたかった。そのためには、貴女も、王太子も……………邪魔だろう?」

 睦言でも囁く様に耳元で囁かれたその言葉は、ウェルリーズ以外の耳には届かず消えた。

 ウェルリーズはぽとぽとと涙を零しながら、その言葉を聞いていた。心が痛かった。

 この人を憎むことができたら、どんなに楽だろう……。

 それでも、愛しくて、抱きしめてほしくて、仕方がないのだ。

 愚かと言われても。

 リアンは立ち上がると、ウェルリーズを連れて行くように命じた。無理矢理立たされたウェルリーズは、半ば引きずられるようにして、一歩一歩、歩いて行った。

 そして、部屋を一歩出たとき。

「―――――っ、リーズ……!」

 ウェルリーズは思わず振り返った。

 どうして……?

 両脇を捉えられ、身動きの取れぬ中で、必死に首だけで後ろを見る。

 あぁ、どうして、そんなに泣きそうな顔をしているの……。

「貴方を、救ってあげれたら、よかったのに……。」

 一瞬足を止めていた兵達も、思い出したようにウェルリーズの腕を引いた。

 最後に見た彼は、酷く辛そうで、最後くらい笑顔を、見れたらよかったのにと思った。

 贅沢な願いなのは知っていたけれど。




 ほどなく、アブミット公爵家は取り潰しとなり、今回の謀反とも言える事件の首謀者であるその当主は刑死。一族のほとんども何らかの刑に処されている。

 当主の娘で共犯とされた王妃は、始終否認をしており、また、証拠が弱いこと、当主との関係の希薄さ、そして王妃という地位に免じられ、廃后され北の離宮へと幽閉の身となった。

 その息子であった王太子も、母と共に廃太子、同じく北の離宮へと幽閉された。

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