表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

一章  義母と義息

 まだ日が昇りきらぬ朝の時間。夏の暑さが抜け、秋が来つつあるのを感じた。

 王宮の回廊を歩いていた王妃、ウェルリーズは涼しくなってきた空気を感じながら空を仰いだ。

 今日はいい天気であった。まさにお出かけ日和、といった青空。こんな日に外に出て思い切り遊べないのは残念だわ、と息を吐いた。

「義母上。」

「あら、リアン。おはよう。」

 後ろからかかった声に振り返り、ウェルリーズはにっこりと笑いながら、手を振った。

 九年前、今上に伴われ初めて会った義息は、その父である王とそっくりの、目の覚めるような美貌の青年へと成長を遂げていた。当時、まだウェルリーズの胸ほどであった背丈もあっという間に伸びて、今は顔を少し上げなければ、彼の顔は見えない。

 リアンの闇に溶けるような優しい色の髪と瞳は、ウェルリーズが会ったことはない、彼の母親譲りだという。

 おはようございます、と微笑みを浮かべ返すリアンは、よく女性を卒倒させていると、嘘か真かそう囁かれているが、確かにそれは甘やかであった。

「それで、義母上。また、呪術寮へお出かけだったのですか。」

 リアンはあくまで笑顔を浮かべたままそう言った。

 ウェルリーズは、ぐっと詰まって、誤魔化すようにえへと笑って見せたが、リアンの表情は動かなかった。

 呪術寮、術式省の被官の官庁のひとつである。術式省は呪術、魔術などの才に長けた者達が在籍する官庁で、ウェルリーズ自身、かつてはその中にいた人間である。他の省庁はある程度の年齢になってから官吏として登用されるが、術式省だけは少し特殊な省で、ウェルリーズも五歳の時にはすでに、呪術師として、呪術寮に在籍していた。呪術、魔術の類は、無闇に使ったり、暴走すれば、まわりや術者自身にも危険が及ぶという理由が、特例が認められている理由の一つであった。

 また術式省、その被官の官庁の四等官の決め方も特殊で、歳に関わらず、力の強い者がその座に就く。ウェルリーズ自身も十歳から結婚するまでの四年間、長官の座に座っていた。とはいっても、通常は十幾つの子供が長官となった者達は、多くは次官など年嵩のものに執務を委任してしまう事が多い。

 だが、ウェルリーズは違った。

 十とは思えぬ落ち着いた物腰、朗らかな性格と、強い力、そしてそれを誇示することなく制御する精神力に、長の座を退き十四年経った今でも、彼女を慕う元部下は多かった。

 そのため、特に同年に近い者達は、何かにつけ彼女に相談を持ちかけ、ウェルリーズも結果として呪術寮に足を運ぶ結果となっていた。

 が、もちろん、リアンがウェルリーズを咎める理由は、呪術寮の者達と仲良くしている事自体に起因したものではない。

 リアンはふうと溜息を吐いた。

「貴女が呪術師と……、外朝とかかわりを持つこと、特に先々王の時代の者が良く思っていないのは、ご存知でしょう。」

 ウェルリーズは苦笑いを浮かべた。

 ウェルリーズが結婚と共に政庁を離れた後、特に同性の者を中心にではあったが、彼女の元へと訪れる呪術寮の人間も多かった。少しお茶をする程度で留めていたため、王もさほど気にすることもなく、ウェルリーズが呪術寮の方へと足を運ぶことも、咎めはしなかった。

 そんな王に代わるように、ウェルリーズの行動に眉をひそめたのは、王の傍近くに仕えていた、諸大臣、上流貴族の面々だった。

 五十年程前、先々王に嫁いだ娘は、元々女官として、外朝にも顔を出していた娘であった。貴族の娘が女官として王宮へと奉公へと上がるのは珍しい事ではなく、その時まではだれもその娘の経歴など気にはしなかった。

 だが、王妃となった娘は、頭が良かった。だが、自分の野心を隠せるほどには、賢くはなかったのだ。

 やがて、国は王派と王妃派で分かれ、内乱寸前まで陥り、その末に王は毒殺された。無論、王妃の手によって。

 その後、まだ王太子であった先王が王妃を処刑し、王座へとつき、倒れかけた国を何とか持ち直した。

 今でこそ国は平穏に見えるまでの回復しているが、まだ先王即位のころの記憶を持つ重鎮は多く、ウェルリーズと王の結婚ははじめから懸念が抱かれていた。

 それは十四年経った今でも、変わってはいない。

「私も当時のことは詳しくは知っているわけではありませんが……。術式省は政局とも関わりが多いのですから―――」

「分かってるわ。」

 術式省の、とくに呪術師の職務は、王朝、国を敵からの呪いから守り、そして、安定した国家となるように守護をすること。また、政務の助けとなるように、未来を占い、それを王に告げることであった。

 しかし、今上は未来を占い、それを知ることを厭っていた。そのため、呪術師長官であり、またとくに占いの的中率を誇っていたウェルリーズだったが、結婚するその日まで、王と顔を合わせた事は無かった。

 それでも、呪術師は政庁への影響力が多い。

 ウェルリーズもそれを分かっていた。だから結婚した当初は、もう呪術師の者達を会うつもりすらなかったのだ。

「でも、説得力はないわね。」

 今こうなっている以上、何を言っても仕方がないのは分かっていた。

「………分かっているのなら良いんです、義母上。」

 リアンは肩を竦めてそういった。

「そういえば。アザリスは……。」

「そうね……。」

 ウェルリーズは悲しげに微笑みながら頷いた。

 アザリスは、ウェルリーズの実子で、リアンからは腹違いの弟にあたる。

 ウェルリーズはリアンを見上げた。零れそうになる溜息をなんとか押しとどめ、微笑みかけた。上手く笑えなかった気がする。

「あの子が、貴方の半分でも身体が丈夫だったら、ね。」

 アザリスは産まれながら体が弱かった。病床についている事も多く、最近でこそ、成長したからだろう、起きていられる時間も増えたが、彼の歳がまだ両の手で数えられた頃などは、起きていられることも少なかった。

 それに反するようにリアンは、風邪すらひくことも片手で数えられるほど、幼い頃も病気になることは少なかったという。

 どうしてもっと、丈夫に産んであげられなかったのだろう。

 アザリスが高熱を出してうなされるのを見るたびに、ウェルリーズはそう思っていた。

 そしてそれと同じくらいに、王に問題の無い子を産んであげられなかったことが、その事に関して文句も言わぬ、優しいあの人に何も返せない事も、ウェルリーズは苦しかった。

 リアンは曖昧に微笑むのみで何も返さなかった。

「ああ、後でアザリスの見舞いに行きます。」

 口にしたのは全く関係の無い事だった。ウェルリーズも、その言葉に乗るかたちで、笑みを向ける。

「ありがとう、あの子も喜ぶわ。」

 あの子は兄上が大好きだもの、と茶目っ気を加え返すと、リアンも笑って、では、と言ってその場を後にした。

 リアンの無言の優しさは、彼の父の優しさととても似ている気がした。




「気分はどう?」

 そういって入ってきた母を、アザリスは満面の笑みで迎えた。ウェルリーズは、用事の無い日はいつも、昼の少し前の時間に顔を見せる。今日もそろそろ来るだろうと思っていたところだった。

 つい三日ほど前から熱を出して倒れていたアザリスは、現在もベッドの中に留め置かれたまま、上体だけ起こした状態で、膝の上に乗せていた本を脇へと退けた。元々手慰みにと持ってきたものの、読む気も起きず、表紙だけ開いた状態で彼の膝に鎮座していたものだ。

「調子はいいです、母上。」

 アザリスは、にっこりとそう返したのだが、次の瞬間には、でも、といいながら、口をへの字に曲げ、文句を口にする。

「でも、暇で。今日は体調いいんですよ。……本当ですよ。」

 苦笑いを浮かべるウェルリーズに、本当に元気なのだ、と主張する。確かに、少しだけ熱っぽい気はしたが、走り回ったりしなければ問題はないと、アザリス自身は思っていた。だが、侍医がこれを許さない。皆、過保護すぎるのだ、と思う。アザリスは、案じてくれているのも分かっていたため、表立っては言わなかったが、時たまこうして、不平を漏らした。

 もっぱら、本を読んで過ごすアザリスだったが、基本的にアザリスは身体を動かす方が性に合っていると思っていた。難しい本を読んでいると、頭痛がする。

 もっとも、その身体を動かすというそれを、行動にうつさせてもらったことは、簡単に数えられるほどの機会しかなかったのだが。

 なんとか、城の中だけでも歩き回る許可をもらえないかと、アザリスがさらに言いつのろうとした時、部屋の扉が叩かれる音がした。

「兄上!」

 アザリスがどうぞと声をかけ、静かに開いた扉から入ってきたのは、アザリスの尊敬する兄、リアンだった。

 今にもリアンの元へと駆けていきたかったアザリスだが、リアンに視線で制されて、大人しくリアンが近付いて来るのを待った。

「今日は元気そうだね。」

 実のところアザリスは、昨日までは起き上がるのも辛かったのだ。調子が良い、よいった彼に、ウェルリーズが苦笑いを浮かべた理由もここにあった。

 当然、その事はリアンも知っており、その顔には、ほっとしたような気配がある。駄目押しのように、アザリスの額に手をやるリアンに、アザリスは肩を竦めた。

 そんな風にされるほど、もう子供という齢ではないのに、と。

 とはいっても、大好きな兄に甘やかされるのが好きなのだが。

 ほどなく、熱はなさそうだな、と一つ頷いて、アザリスの額から手を離したリアンは、そういえば、と懐を探って二通の封筒を出した。

 そして、それをウェルリーズとアザリスにそれぞれ差し出す。

「これは義母上、こっちはアザリスに。陛下…、父上からです。」

「父上から!」

 アザリスは嬉しそうにそう声を上げると、さっそく、と封を切って中の手紙を取り出した。ウェルリーズは後で読むことにしたのか、そのままの状態で開ける様子はなかった。

 数日の旅を経たせいか、少しだけよれてはいたが、中を開けてみると、真白の便箋に丁寧な字で三枚にわたる(ふみ)が綴られていた。

 そう、今、王はこの城を不在にしている。彼は、王都から離れ、今は東の地にいる。何年か前に火災で焼け落ちた東離宮の再建の様子を視察に行っているのだ。

 手紙の内容は、アザリスの身を案じ、あちらの様子を綴り、そして最後。

「母上、父上がお帰りになるみたいですよ!」

 手紙は、あと数日でここを出る、この手紙が着いた頃には出発しているだろう、という内容が書かれていた。

 ウェルリーズも息子に負けず劣らず、嬉しげに目を細める。

「そうなの。なら、お出迎えの準備をしなければね。」

 東離宮のある場所から王都までは、約一週間かかる。つまり、もう一週間はせぬうちに王は帰城することになるだろう。王が城を出てから一月近く経っている。アザリスの目から見ても、父母は仲の良い夫婦であったので、一月も顔を合わせていない王の帰りが嬉しいのだろう、とうきうきとした様子の母を見て、アザリスにこにこと、そうですね、と返した。

「ああ、でも、帰ってから熱を出したりしてないか、って書いてある。」

 アザリスは、出ちゃいました、父上、と嘆息した。

 アザリスは今回の王の行幸に一緒について行っていたのだ。もっとも、二週間程滞在する王とは違い、それほど他所に滞在する許可を侍医から得られなかったアザリスは、三日ほどで先に帰っては来ていたが。

 心配性の侍医達には、そろって渋い顔をされるのだが、王はこうしてちょくちょくと、遠出の際はアザリスを伴った。そして、侍医達は信じようとしないのだが、外に出ている間の方が何故か体調が良い。だが、決まって帰って来てから熱を出して倒れるため、緊張で熱が出てないだけだ、と言いくるめられる。ちなみに、今回の熱も言わずもがなである。

 父王は、城から出る方が体調が良いことを、唯一知っていて、なおかつ信じてくれている人なのかもしれない、とアザリスは思っていた。もっとも、はっきりと聞いたことはないのだが。

 父が帰ってきたら、色々お話を聞かせてもらわなければ。

 アザリスは、あの爽やかな空気で満たされていた東の土地を思い出しながら思った。




 部屋に戻ったウェルリーズは、一人でじっくりと王からの手紙を読んだ後、さて、と勢いづけて立ち上がった。内容としては、アザリスが語ったものとそう変わりはしない。ウェルリーズ宛の手紙にも、こちらを案じ、ねぎらい、近況を語って、そして、もうすぐ帰途につくという旨が記されていた。

 お出迎えの準備、とは言ったものの、実際ウェルリーズにできることはそれほどない。帰城する王を迎えるためのパーティーか何かを企画しても良いのだが、倹約家であった先王の影響を受けたのか、今上もさほどそういった催しを好まない。それならば、笑顔で「おかえりなさい」を言った方がよほど喜んでくれるのを、ウェルリーズは知っていた。

 それならば、あとウェルリーズにできることなど一つしかない。

 ウェルリーズは、王妃であると同時に、呪術師である。




 術式に使った後の水晶は、どす黒く染まる。

 床に落ちたままの黒く染まってしまった水晶をウェルリーズは拾い上げて、周りにびっしりと文様が刻まれた小箱に放り込んだ。

 王の帰途の安全を願い、加護を与える術。それは、旅の中で降りかかるであろう災厄を澄んだ水晶の中へ閉じ込めること。その災厄を閉じ込めた水晶は、きちんとした手順をもって廃棄しなければ、それ自体が災いを呼び寄せるものになるので、それを封じ込める小箱に入れておくのだ。

 小箱のふたをしっかりと閉じたウェルリーズは、もののついで、ともう一つの呪術を行うことにした。


 ウェルリーズが取り出したのは、赤く染められた五つの紙片だ。ウェルリーズは慣れた様子でその紙片に、透明の液に浸したペンで文様を描いていく。紙にうっすらとのっていく透明の液体、聖油は光をキラキラと照り返している。

 ウェルリーズはその油が滲んでしまわないように注意深く持って外へ出ると、その紙片を頂点として、正五角形が描けるような位置に地面へと置いた。彼女自身はその中心に立つと、そっと目を閉じた。

 木々が微かに音をたてるほどではあったが、確かに吹いていた風が、その瞬間にピタリと止まった。

 ウェルリーズが一言何事かを呟く。

 その言葉は普段使われる言葉とは一線を画する音で紡がれた。それは術師たちが術を使うために使う特別な言葉であった。

 ウェルリーズがもう一言呟く。

 すると、じっと沈黙を保っていた、赤い紙片たちが、パタパタと音をたてはじめた。無論、風は凪いだままだ。

 そして、もう一言つぶやくと、紙片は動きを止め、そして、チリチリと音をたてて燃え始めた。それは、じりじりと紙の部分だけを燃やして、聖油で描かれた印の部分は、まるで焼印のように、地面に焼き付いていた。

 焼きついた印は淡く赤色に発光していた。

 発光した五つの印から、這うように一際強い光を発した、同じく赤い光の筋が伸びて、その五つを複雑に結んで行った。這うように蠢き、光の筋を地面に刻んでいったそれが、最後の所までたどり着くと、それは、小さな五つの印と絡み合った、大きな一つの印へと姿を変えていた。

 そこ全体から、強い赤の光が照射される。下から真っ赤な光が、その中心に立っていたウェルリーズを照らす。

 ウェルリーズがぽそりと最後の呪文を呟く。

 すると、彼女を照らし出していた光が、サッと消え失せ、ウェルリーズが目を開けたときには、地面に刻まれていた印は、まるで最初から何もなかったかのように、きれいさっぱり姿を消していた。

 そして、この場に起った変化の方へと、ウェルリーズが目を向ける。

「……義母上。」

 そこには呆然と立ち尽くす義息がいた。




 呪術を使っているときは、神経が冴え渡る。だから、リアンが部屋に入ってきたのは勿論、部屋の戸を叩いていたのもウェルリーズは気が付いていた。だが、呪術を使っているときは、神経が冴え渡るのと同時に、身体と精神が分離されたような感覚もあり、分かっていてもすぐには身体が動かないのだ。

 ほったらかしてごめんね、とウェルリーズが謝ると、リアンはどこか上の空で首を振った。リアンはウェルリーズの招きに応じて、椅子に腰を下ろした。ウェルリーズは手ずから茶を淹れて、リアンの前に自分も座った。二人分のカップに花の香りのする茶を注ぎ淹れると、その華やかな香りの立ち昇るそれを、一つリアンの前へ置く。

 リアンはそれにはっとしたように、その茶を一瞥してから、ウェルリーズの方へ顔を向けた。

「呪術を見たのは初めて?」

「呪術……。」

 あれが、と言いたげに呟くリアンを見て、ウェルリーズはやっぱりと肩を竦めた。

 勿論、頭の良いリアンのこと、呪術自体を知らぬわけはないはずだが、普段の生活で呪術など目にすることは皆無といってよい。特に、彼の父たる今上は、呪術により未来を視ることを厭っていたため、さらに呪術を目にする機会がない。

 物心ついた時にはすでに呪術と共にあったウェルリーズには、なかなかに考え難いことではあったが。

「先程は……何を?」

「国の未来を占っていたのよ。」

 ウェルリーズは、陛下には内緒ね、と人差し指を自分の唇に当てながらそう言った。

 歴代、呪術師達を重用するか、否かは、それぞれ王たちの裁量にゆだねられていたが、此度玉座に座る王は、呪術師達を軽んじはしなかったが、呪術で未来を知ること、この一点についてはそれをひどく嫌っている。先王の時代まで尾を引き、自らにも多大な影響を及ぼした先々王の時代の混乱に、少なからず呪術師達のもたらした予言が関わっているからかもしれない、そうウェルリーズは思っていた。

 こうやって、国の未来を占ったことは、呪術師長の官を辞し、王の元へと輿入れしてからも何度もあるが、一度もその結果を王に伝えた事は無い。彼女がするのは、黙ったまま少しだけ手助けをするだけだ。

 もっともウェルリーズのするその占いは、はっきりとした映像や音声が見えるものではなく、もっとぼんやりした、感情やそれを現す色のようなものが見えるもの。ウェルリーズの占いは的中率の高さを誇るが、全てはこの感情や色などの受け取り方次第だ。

 その中でウェルリーズが王に対して出来ることなど、たかが知れていた。

 それでも止めぬのは、ただの自己満足だ。

「何が見えたのですか?」

 気になる? と問うと、リアンはとても、と返した。その割には、答える声は淡々としていて、本当に気になっているのか疑いたくなるような、そんな様子だった。

 だが、答えない理由もないな、とウェルリーズは思い、先程見た光景を思い返した。

 はじめに見えたのは変革、大きな変化をもたらすなにか。そして、周りはその変化を確かに喜ぶのに、密やかに忍び寄る仄暗い影、悲しみ、闇。

 微かすぎて、きっと見逃してしまう。そんな、黒。

 しかし、ウェルリーズにはそれが、見過ごせない何かに思えて、何故か忘れられず、脳裏にこびりついている。

 あの影は何を現すのだろう。そして、誰が抱えるものなのか。

 国全体か、王なのか、それとも―――?

 どことなく、胸に苦しいものが過る気がした。

 だが、ウェルリーズはそれを無視して、努めて明るい声で予言を伝えた。

「そう遠くない未来、大きな変革が起こる。それは、国を善い方向へと導くもの……。されど、そこには一抹の暗さが残るであろう。―――といったところかしら。」

 言い終わると、ふうとウェルリーズは息を吐いて、茶を一口啜った。

 予言をするのは、術自体よりも、その結果を伝える時の方がよほど神経を使うのだ。同じものを見ても、術者によって受け取り方が違う。その受け取り方次第で、意味は正反対になってしまい、また、伝え方でも、こちらが意図せぬように伝わることもままあるのだ。

 リアンはへぇ、とウェルリーズの言葉を咀嚼するように頷いた。

「変革、というものがどんなものかは?」

「残念ながらそこまでは。」

 そう言ってウェルリーズが肩を竦めると、リアンはさほど残念そうな様子でもなく、そうですか、とだけ返した。

 そこで会話が途切れる。

 二人は黙って向かい合ったまま、その苦痛でない沈黙を楽しんでいた。

 リアンの視線は、ウェルリーズを通り越して、その先の庭へ、先程までウェルリーズが呪術を行うために立っていた地面へと向けられていた。

 何を考えているのだろう。

 ウェルリーズはじっとリアンを観察しながらそう思った。窓から吹き込む風が、リアンの漆黒の髪をさらさらと撫でていく。

 濃い色の髪と瞳を持つ人間は、この国には少ない。なかでも、王家や貴族たちの多くは、金や銀の髪、緑や青、紫の瞳を持つのが常だ。王やアザリス、ウェルリーズ自身もその例には漏れず、いわばリアンの姿だけ、浮いて見えるのだ。

 今でこそ、生来の聡明さと、市井で育ったとは思えぬ立ち振る舞い、女を軒並み卒倒させるなどとも噂される美しい容姿、そしてなにより、自らの力で手に入れた、王の最も側近くに仕える侍従の地位で、黙らせてしまったが、彼が王宮へ来たころは、異国の血が混ざっていると、もしくはもっと酷い言葉の只中に晒されていた事も多かった。

 汚らわしい色、そう彼の色が揶揄されるたび、ウェルリーズが並々ならぬ怒りを覚えたものだ。

 どこが汚らわしいのか、彼の黒は、こんなにも高貴で美しいではないか、と。

 初めて会った時からずっと思っていたのだ。

 彼がその身に宿す黒は、優しく包み込むような、夜の闇のような色だと。

 ウェルリーズはその闇色の髪に、触れてみたくなった。

 視線でなぞるように彼の髪を見て、瞳にそれを移した時、ウェルリーズはようやく彼が、じっと自分の瞳を見ている事に気が付いた。

 その静かな視線に総毛立つようなものを感じた。動かしかけていた腕を膝の上に置いたまま、ぎゅっと服の布を掴んだ。

 なにか、金縛りにでもあってしまったような、感覚がした。

 そのとき、リアンがふっと微笑んだ。

 それにより、ウェルリーズは呪縛から解き放たれたかのように、知らず詰めていた息を吐いた。

「義母上、占いはどうやってするんですか?」

 そう問いかけてくるリアンは、もういつもの義息子だった。




 ウェルリーズは占いに必要な道具を粗方揃えると、それらをリアンの前に並べ、彼の前に腰を下ろした。

 机の上には、黒い紙が一枚、聖油瓶とペンが置かれていた。

「まず、紙を用意してそこにどんな呪術を行うのか、っていう印を描くのね。」

 そういって、ウェルリーズは黒い紙片を指差し、そしてそれを引き寄せた。

 紙の色は占いたい対象に関連のある色にするのが良い。今回は試しに、ということでリアンの直近の未来を占う事としたため、色は黒。

 国の未来を占うために赤を用意したのは、国を興したとされ、神の末裔ともされる男の瞳が宿していたと伝わる、(あけ)の色にあやかった色だ。

 そういったことを説明しながら、ウェルリーズは聖油瓶を開け、ペンを浸す。そして、その油を紙片に乗せてゆく。

 この聖油は術に使うために特別に精製された油である。これを使うと術の精度を上げる効果がある。

 今回、印を描きつける紙は小さな紙片一枚だけ。これは対象の数や期間が短い為、国の未来を占うほど大きな印が必要でないからだ。五枚の紙片は、大きな印を描く代わりになる。

 描き終ると紙を脇へと退けて、ペンに付いた油を拭い、聖油瓶のふたを閉めた。

「これが、対象一人に対して直近の未来を占うときに使うものなの。」

 紙片をそっとリアンの方へと押しやる。リアンがじっくりそれを観察するのを見届けた後、ウェルリーズは、またそれを手元へと引き寄せた。

「それから呪文を唱えると、瞼の裏…頭の中? に、感情や色のようなものが明滅して、それがどういう意味を持つものなのか視ていくのよ。」

 それじゃあ、やってみるわね、とウェルリーズは言うと、目を閉じて紙片の上で手を組み合せる。

 ウェルリーズが呪文を一言口にする。すると、あの赤い紙片と同じように、ぱたぱたと紙片がはためく。

 そして、もう一言。すると、ぶわっと紙片から黒い炎があがった。

 リアンが息をのむ。止めようとしたのだろう、身動ぎする気配をウェルリーズは感じた。しかし、リアンはそこで動きを止め、また座りなおしたようだった。

 黒い炎は勿論、紙の上にあるウェルリーズの手を巻き込んで燃えている。たしかに、紙片はちりちりと音をたてて燃えている。

 だが、ウェルリーズの手は火傷する気配もなく、その炎はただの幻影かのようにも見えた。

 ウェルリーズ自身、どういう仕組みになっているのかなど分かりはしなかったが、印の描かれた紙片以外は、燃える事もなければ、手が火傷することもなく、そのほかが焼け焦げる事もないのだ。

 そして、最後の一言をウェルリーズが呟くと、黒い炎はしゅんと消え失せ、紙片諸共、最初から何もなかったかのように全てがなくなってしまうのだ。

 ウェルリーズが目を開けると、明らかにほっとした様子のリアンの目が合った。

「びっくりした?」

 そう言ってくすくす笑うと、心臓に悪いですよ、とリアンは苦笑を浮かべた。

 何も言わなかったのだからそれは驚いただろう。ウェルリーズも、初めて人が占う場面を見た時は驚いたものだ、と遠い昔を思い出した。自分がやっていても、目を閉じているので、具体的にどうなっているか分からないのだ。

「それで…結果の方は?」

 リアンが微苦笑を浮かべたまま尋ねる。

「そうだったわ。」

 ウェルリーズはようやく笑いをおさめると、先程視たものから導き出した、彼の未来について話しはじめた。

 ウェルリーズが見たのは、大きくは喜びと興奮。その中に影のように付きまとう悲しみの色が気にならないではなかったが、概ね明るい未来に見えた。

「貴方は今後数年のうちに、何か…悲願、のようなものを成し遂げるわ。」

「悲願……。」

 何か思い当ることがあるのだろう。リアンは少しそれについて考えている様だった。

 リアンが何か考えているらしいと思ったウェルリーズは、続きを口にするのを、リアンが顔を上げるまで待つことにした。ここからがウェルリーズにとっての本題だったからだ。

 リアンが何か望みがある、というのなら、いずれは成し遂げるであろう、そんなことは占うまでもなく、彼の性格を鑑みれば容易にわかることだ。だから、これはそれほど重要なものではない。

 けれど、あの予言を伝えたら、リアンはどんな顔をするかしら。

 ウェルリーズの口から自然と笑いが零れる。ふふと漏れた笑いに、リアンが怪訝な顔でようやく顔を上げた。

「義母上……?」

「あぁ、ごめんね。続きを聞いてくれる?」

「続きがあるのですか?」

 ええ、と忍び笑いをしながら、ウェルリーズは頷いた。

 視えたのは一瞬、瞬くように現れただけ。

 だが、強烈な色彩でウェルリーズの眼に焼き付いた、薔薇色。

「貴方は生涯をかけた恋をする。」

 いたずらに成功した子供のような表情で、ウェルリーズがそう告げる。

 そのときのリアンの表情は、絵に描いたようにキレイな呆け顔。

 は……? と呆然とした声がリアンの口から漏れる。ここまで驚いてくれるのなら、もったいぶって言ったかいがあるというものだ。

 ウェルリーズにとっても、こんな結果が出るのは、本当に驚きだった。

 リアンには女の影が無いわけではない。だが、どこかいつもその女性達を突き放しているように見えて、踏み込んだ付き合いをしているようには見えなかった。それどころか、女性達から送られる、熱い視線をいつもどこか冷めた目で見ている。そんな印象だった。勿論、あからさまに冷めた目つきをしているわけではなく、そんな視線を向けられている、と気が付いている者は少ないだろうと思っていたが。

 そしてそんなリアンには、特定の女性もいた事がない。少なくとも、ウェルリーズは聞いたことがなかった。

 そんなリアンが恋をする。

 もちろん、これが成就すると決まったわけではないが、それでも。

 それでも、彼が心安らげる相手に出逢えるかもしれない。そんな期待を抱かせるこの予言は、ウェルリーズには嬉しいものだった。

 リアンが弱音を吐いたところを見た事がないから。

 弱音を吐ける人が見つかれば良い、ウェルリーズはずっとそう思っていた。

「それとも、もう、そういった人が……、すてきな人がいたりするのかしら?」

「『すてきな人』ですか。そうですね……。」

 リアンは思案するように、顎に手を添えた。

「………一方的に、想いを寄せている方なら、いますよ。」

 今度はウェルリーズが目を見開く番だった。

 そうだったの? と驚きを隠せぬ声で呟くと、リアンはいやに神妙な顔で頷いた。

「私の、知っている方かしら……。」

 いつからそんな相手がいたのだろう。

 ウェルリーズは尋ねる、というよりは、独り言のようにそう呟いた。

 リアンはその呟きを聞き逃すことなく、どこか含みのある笑顔を、ウェルリーズに向けた。

「ええ。……とてもよく、ご存知の方ですよ。」

 リアンはそう答えながら、徐ろにテーブルの上で組まれていたウェルリーズの手を、そっと握った。

「ど…うしたの?」

 リアンはその問いに笑みを深くするだけで、何も答えない。

 そして、手中にある彼女の手を片方持ち上げて、その指先に口付けを落とした。

 スッと細められた目で、リアンはウェルリーズを見た。射抜くような視線に、びくりとして、ウェルリーズは思わず手を引き抜こうとした。

 しかし、リアンはそれを許さず、逃がさない、とでも言うかのように、ぎゅとその手を握った。

 あぁ、この目が、女性達を虜にしたんだわ。

 ウェルリーズは、どこか他人事のようにそう思った。

「私は……」

 リアンの声がひどく、艶っぽく聞こえた。

 二人の視線が絡み合う。

 ウェルリーズは悪寒のような、だが、それとはまた違うような、ゾクリとするものを背筋に感じた。

 夢の中のような、ふわふわとした思考に侵食されて、全てが非現実的になっていく。

 続く言葉も全てが。

 リアンがそと息を吐く。

 その吐息さえも聞こえるような静寂の中、その言葉だけが異様な重たさで落ちてくる。

「私は……貴女が好きです。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ