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Story4「籠の鳥」

 かごめ かごめ

 籠の中の鳥は

 いついつ出やる






「よぉ紅茶屋の旦にゃ」

 虎皮の美しい小太りの猫が店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ、トラ猫さん」

「まだこんな悪趣味な店続けてるとはにゃ」

「悪趣味とは失礼ですね。まぁ座ってください」

「本当のことだろう。不幸集めのどこがそんにゃに楽しいのやら…」

 呆れたように言う猫に男はいつものようにカップを取り出す。

「…どうぞ。いつものです」

「………ぷは~。相変わらず旦にゃんとこのミルクティーは旨いにゃあ」

「貴方の言う悪趣味のおかげでね」

「まぁまぁ旦にゃ、そう怒らにゃいでくれよ」

「怒ってなどいませんよ」

 男は笑顔で返す。

 猫かぶりとはまさにこういう顔のことをいうのだろう。

「詫びとしてはにゃんだが、一つ昔話でもしよう」

「いいですね。さ、もう一杯」

「お、よろしゅう。俺が百万回生きたってのは知ってるだろうが…」

 新しく入れられた湯気の立つ紅茶にふぅーふぅーと息を吹きかけながら猫は語りだした。






「海~海~、どこへ行ったの?」

「にゃ~」

「海、こんなところにいたのね」

 ある時俺は遊女の猫だった。

 そいつは没落貴族の娘でにゃ、借金の形に女衒に売られて、齢10の時に遊郭にやってきた。

 ん?にゃんで遊女が猫にゃんか飼ってたかって?

 別に珍しいことにゃんかじゃねぇーよ。

 “猫は傾城の生まれ変わり”にゃんて言うくらいだ。

 猫が寝子なのと同じように遊女だって寝子だろう?猫も杓子も猫かぶって猫撫で声で手を招く。

 まぁにゃんだ。たまに暖をとるのにも使われたさ。

 とにかく俺以外にも飼われている猫はいたぜ。

 女は元貴族だったこともあって芸達者で器量も良かったにゃ。

 だからまぁ、それにゃりの優遇はされていた。

 それでも苦労はしてたさ。

 遊郭は華やかで美しいだなんて表だけ。

 実際は手酷い折檻や性病の蔓延、必死に稼いだ金さえ見世に搾取される始末だった。

「ゆな、海は見つかったのか?」

「姐さん。お騒がせしました」

「よいよい。海も主を困らせるでないぞ」

「にゃ~」

「フフ。それよりお前が面倒を見ていた子が身籠ったらしいな」

「はい。ご存知でしたか」

「その子にこれを渡しておあげ」

「これは?」

「鬼灯の根だよ。堕胎薬だ。お前も知っておくといい」

「ありがとうございます、姐さん」

 女には二つ上の姐さんがいた。

 姐さんは猫の俺にも優しくて、他の遊女達にも慕われていた。

 夜に月を見上げながら姐さんは俺によくこう呟いていた。

「海、あたし達は籠の鳥。美しい翼と美しく囀る唇を持っていても、決して籠からは抜け出せない。廓の中で死ぬのを待つだけなのよ」

 そんな時、ある事件が起こった。

「え、姐さんが掟を破って折檻にかけられるだって?」

 その事件が遊郭の女達を賑わせた。

 遊郭には守らにゃければにゃらない掟があった。

 掟を破れば普通の折檻では済まにゃい。

 俺も今までに何人か折檻にかけられた人間を見てきたが、身も心もボロボロになって戻ってくるか、ひどけりゃそのまま死んでいた。

 もちろん俺の飼い主の遊女もそれを知っていた。

「姐さんに会わせてください。一目でいいんです。お願いします」

 必死で頼んだが、仕事に戻れ、お前も折檻が必要かと脅され引き下がるしかにゃかった。

 姐さんが破った掟ってのは廓からの逃亡、逢引だった。

 馬鹿だよにゃ。戀に溺れた遊女の結末にゃんざどれも同じさ。

 叶わにゃい夢だよ。

 姐さんが折檻部屋から出されたのは三日後の朝だった。

「姐さんっ」

「ああ…ゆな…」

「姐さん、姐さん、姐さん…」

「にゃ~」

「海もいるのね」

 姐さんは弱々しく俺の頭を撫で、俺の飼い主の手をとるとか細い声で言った。

「あの人が、見せてくれた……籠の外は…美しかったよ」

 お気の毒ににゃ、既に虫の息だった姐さんはその後すぐに息を引き取った。

 その夜は綺麗な満月だった。

「ゆなさん。おかげさまで、また働くことができます」

「ああ、鬼灯の根がちゃんと効いたのね」

「はい」

「あれは私がお世話になった姐さんに貰ったのよ。貴女にって」

「もしかして今朝…」

「ええ」

「残念ですね…」

「仕方ないわよ。掟を破ったんだから…」

「ゆなさん…」

「もし。客が入った。人が足りないから貴女も来なさい」

「はーい、今行きます。ゆなさん、失礼します」

「ええ。いってらっしゃい」

 女は妹分を見送ると、俺を抱き上げていつか姐さんと月を見た場所へとやってきた。

「あたし達なんて所詮お人形なのよ。男の心を満たすための可愛いだけのお人形。だからお人形に感情なんていらないの。姐さんは戀を知ってしまった。人形が戀をするなんて可笑しな話なのに」

 女はそう言って、窓の格子に手をかけた。

「にゃ~」

 姐さんは籠だにゃんて言ったが、俺にはそんな生易しいもんには見えなかった。

 ここはさしずめ牢獄にゃ。

 浮世とは切りはにゃされたある種の別次元。

 一歩足を踏み入れたその瞬間から、もう浮世へは戻れない。

 それは遊女も客も同じことだにゃ。

「お前の名前、海って言うだろ?私ね、ここに売られる前は家族とよく海を見たの。いっぱい働いて、いつか借金返せたら、また見れるかな。その時はお前も連れて行ってあげるね」

「にゃ~」

 だけれど、女はちゃんと分かっている。

 籠の鳥は誰かが扉を開けにゃい限り外へは出れにゃい。

 中の鳥がいくらあがこうとも。



 人一人死んだところで遊郭の中は変わらにゃい。

 女のかわりにゃんざいくらでもいる。

 月日は流れ、ある日のこと。

 女のもとに一人の幼い遊女見習いが連れてこられた。

「つばきと申します。今日からお世話になります」

「それじゃゆな、頼むよ。この子の将来には期待しているんだ。お前は客や他の遊女からの評判もいい。立派な遊女に育ててやっておくれ」

「はい」

 その娘は齢10。

 丁度女がここに売られた年と同じだった。

 借金の形に売られ、借金を返すためにこの籠の中で色を売り続ける。

 稼いでも稼いでも終わらにゃい生き地獄。

 遊女たちはやがて考える。

 自分を外へ連れ出してくれる伴侶はどこか。

「かごめ、かごめ。籠の中の鳥はいついつ出やる。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った。後ろの正面だあれ」

「つばき」

「あ、ゆな姐さん。お客様はもういいのですか?」

「ええ、さっき見送ってきたばっかり。もう今日は誰の相手もしたくない気分」

「そんな訳にはいきませんよ。姐さんは人気ですもん」

「フフ、そんなことないよ。…それより、さっきの歌」

「え、ああ。…ここに来る前はよく友達と遊んだんです。かごめかごめって」

「…そうかい。いや、懐かしい歌だと思ってね。私も幼い頃はよく友達とやっていたよ」

「姐さんも?それじゃ一緒ですね」

 二人は本当の姉妹の様に仲が良かった。

 この俺が嫉妬するくらいににゃ。

 やがて見習いの娘も一人の遊女として働くようににゃった。

「姐さん見ておくれよ。この鏡、さっき貰ったの」

「あら、素敵じゃないか。お前も随分気に入られたね」

「えへへ、また来てくれるって」

「よかったじゃないか」

「にゃ~」

「…あれ?姐さんそんなかんざし持ってたっけ?」

「ああ、これ?…貰ったのよ」

「いいなぁ」

「フフ、お前も鏡を貰ったばかりじゃないか」

「それでもっ」

 どれだけ物を贈られようと、どれだけ言葉を交わそうと、どれだけ体を重ねようと、女にとって男は所詮金づるでしかにゃい。

 そう思い続けにゃいと到底正気ではいられにゃかった。

 毎晩違う男の相手をしては甘い言葉で惚れたふりして相手をその気にさせる。

 手練手管、己の全てで心を繋ぎとめる。

 お客をとってにゃんぼの世界。

 そうしないとこの世界では生きてゆけにゃいからにゃ。

 戀にゃんてしていられにゃい。

 姐さんの様ににゃるか、もしくは…。

 いい結末にゃんて無いさ。

 しかし運命ってのは残酷でにゃ。

 これも女の性ってやつにゃのか…。

「あら、姐さんその着物どうしたの?」

「…貰ったのよ」

「いつもの常連さん?最近よくいらっしゃるわよね。その人、姐さんに本気で惚れてんだね」

「ええ、そうね」

「さすが姐さん。私も頑張らなきゃ」

 頑張って生きてここを出るんだ、と。

 投げ込み寺ってのを知っているか?

 死んだ遊女の行くところだにゃ。

 遊女のほとんどが売られた女だ。

 死体の引き取り手なんていやしにゃい。

 だからここで埋葬される。

 といっても、墓穴にゴミのように投げ込まれるだけの簡素な葬式さ。

「また来てくれたのね。ありがとう」

 それは満月の晩だった。

「会いたかった」

「私もよ」

 女と男は抱き合い、ただただ愛を囁きあった。

 この時すでに知っていた。

 女は知っていた。

 自分がもうただの人形ではにゃいことを。

 戀が己の体をじわじわと蝕んでいることを。

 やがて男が口を開く。

「次の満月の夜。…一緒にここを出ないか?」

「…え?」

「一緒に逃げよう」

「でも…」

「禁忌だってことは分かっている。…見つかれば俺もお前もただでは済まないだろう」

 男は言った。

「お前を…愛しているんだ」


色もなき 心を人に そめしより

   うつろわむとは思ほえなくに


 決行は次の満月の晩とにゃった。

 俺は知っていた。

 男にはもうここに通い続けるだけの金がにゃかったことを。

「姐さん。最近あの常連さん来ませんね。何かあったんでしょうか?」

「え、ああ。そうかい?」

「はい。あ、でも大丈夫ですよ。姐さんには他にもまだまだお客さんいますから」

「ええ、そうね」

 俺は知っていた。

 女はあの日から、いやもっとずっと前から、一人の男以外に抱かれることにただただ苦しんでいたことを。

「あ~あ。嫌な客に気に入られちゃったかも。ホント態度悪いんだから。姐さんってそういう客相手にどうしてるんですか?」

「ええ…」

「…姐さん?…姐さんっ?」

「…え?ごめんなさいね。何の話していたかしら」

「もう。最近姐さんぼーっとしていること多いですよ。何かあったんですか?」

「何もないわ。私きっと疲れているのかも」

 


 そうしてとうとうその日がやってきた。

 美しい満月の晩だった。

「こっちだよ」

 男は約束通り女を迎えに来た。

 女は俺を抱えて言った。

「海、お前を連れて逃げるのは無理なの。すまないね。いつも私の傍に居てくれてありがとう。海に連れて行くって約束も破っちゃったね。さぁ、お前も自由だ。あとは好きなところへ、行きたいところへお行き」

 女は俺をそっと下におろして頭を撫でた。

「にゃ~」

「……そこで何をしているの?…ゆな?」

 現れたのは楼主の妻だった。

「はやく。こっちだ」

「今行くわ」

 男は女の手を強く握った。

 女は男の手を強く握り返して言う。

「…月が、綺麗ですね」

「…っ。…そうだね」

 背後で楼主の妻が大声で人を呼んでいる。

 二人は走った。


 “かごめ かごめ”


「まだ近くにいるはずだ。探せ。」

「…逃がしゃしないわ。」


 “籠の中の鳥は”


「…逃げ切れたら、お前が見たいって言っていた海を見に行こう」

「ええ、きっと」

 

 “いついつ出やる”


「いたぞ。あそこだ」

「はやく」

「走れ」


 “夜明けの晩に”


「ゆな、走れ」

「…お前様?」

「すぐ追いつくから」

「いや…いやよ…」


 “鶴と亀が滑った”


「堪忍しな、ゆな。まさかと思ったけど、あの噂は本当だったんだね」

「ゆな。はやく逃げ……っう」

「期待していただけ残念だよ」

「…え。お前…様…?嫌…」


 “後ろの正面だあれ”


「…にゃ~」

「…たす…けて…」






「姐さん、姐さんっ、…ゆな姐さん」

「…つば…き…」

「にゃ~」

「海…、結局戻ってくるなんて…、せっかく自由になったのに…」

「姐さん、どうして?どうして掟を破ったりしたの?」

 女はやっとのこと折檻から解放され、弱った体で懐かしげに言った。

「あの時、どうして姐さんが外の世界のこと、美しいって言ったのか…分かった気がする…」

「…え?…ゆな姐さん?」

「いとしい。どうしようもなくいとしいの。例え一瞬だったとしても…、彼が籠の扉を開けてくれた」

「姐さん、分かんない。分かんないよ」

「あのひと時だけ…私はあの人のものになれたの…」

「…お願い死なないで」

「海をよろしくね」

「…姐さん?」

「…今いくわ。…愛しい人」

「姐さん?姐さん?ねぇ…返事をしてよ。姐さんっ、姐さん」

 あっけにゃいものだった。

 女は結局、姐さんと同じ道を辿ったのさ。

 後で知ったことにゃんだが、男には嫁がいたらしい。

 で、丁度嫁と上手くいってにゃい時に遊郭にやってきて、やがて一人の遊女に本気になっちまった。

 それが面白くにゃい嫁が、どこで嗅ぎつけたのか二人の逢引を知って、楼主に密告したってわけにゃ。

 …え?俺か?

 俺は遺言通り妹分に引き取られたぜ。

 ま、その妹分も病気にかかって表でつかえなくなったから裏にまわされたよ。

 裏の扱いは表と比べられにゃいくらいひでぇもんでにゃ。

 客自体少にゃいが、安い値段で体売ってにゃ。

 身も心もボロボロににゃって最後はこの世を憎みにゃがら死んでいったよ。






「…これで俺の話はおしまい」

「報われない話ですね」

「遊女にゃんて皆そんにゃもんさ。でも、旦にゃはこういう話がお好みだろ?」

「それではまるで私が趣味悪いっておっしゃっているみたいじゃありませんか」

「だから最初っから言っているじゃにゃいか」

「解せませんね」

 男は理解できないといった顔で首をひねる。

「まぁ、魔女達も旦にゃに負けず劣らず趣味悪いけどにゃ」

「…今度その魔女さん達に、トラ猫さんの夢は毛皮になることだとお伝えしておきますね」

 男の言葉に途端に猫は表情を変えた。

「いや~旦にゃは顔良し性格良し、文句のつけどころのにゃい方ですにゃ。さぞおモテににゃるでしょう?」

「さすがは猫。ゴマすりがお上手ですね」

「…勘弁してくだせぇ。魔女にゃんかに捕まったら命がいくつあっても足りねぇさ」

「冗談ですよ」

「旦にゃの話は本気と冗談が解りづらいにゃ」

「トラ猫さんの話が聞けなくなるのは残念ですからね。貴方を魔女に売ったりしませんよ」

「…そうかい」

 冷めたミルクティーを飲みながら猫はそっぽを向く。

「照れているんですか?」

「そんにゃわけあるか。…それじゃ旦にゃ、ごちそうさん。そろそろ帰るにゃ」

「今日はありがとうございました」

「また来るにゃ」

「はい。…お待ちしております」

 猫が帰っていった扉の向こうは夜の闇に包まれていた。

 冷たい風が店の中に入り込んだ。


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