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Story2「泡沫」

 波の音が聞こえる。彼女の歌は聴こえない。

 もう一度、もう一度。

 魔女がくれたプレゼント。

 次こそ、絶対に。

 砂は再び流れ落ちた。






「………ん」

 私の顔に朝日が差込み徐々に意識が覚醒する。

 岩の上で寝ていたせいか体が痛い。

 大切な幼馴染である彼女がいなくなって何日たっただろう。

 あれからずっと泣き疲れては眠り、目覚めては泣いてを繰り返した。

 涙は枯れても悲しみは枯れてはくれなかった。

 あの日、私の目の前で彼女は死んだ。

 彼女は泣きながらそれでも笑顔で死んでいった。

 二度と歌えなくなった彼女の唇は最後に確かにこう紡いだ。

『ごめんね。大好きだよ』

 あの時の光景がいつまでも頭から離れない。

 私はそれをかき消すように首を振って頭から海へ飛び込んだ。

 海の中を全速力で泳ぐ。

 こんなに速く泳ぐのはいつ以来だろう。

 彼女がいなくなる前はよくこうして二人で…。

 考えるのはよそう。

 太陽がてっぺんを過ぎる少し前、私は再び眠りについた。

 

 次に目覚めたのは太陽がまだ空で光っている時だった。

 知らない鳥のさえずり。ここはどこ。

 周りを見回す。私は一軒の家の前にいた。

 海はどこにも見当たらない。こんな場所知らない。

 どうしてこんな所に。

 嵐でも起こらない限りこんなところまで流されるわけないのに。

 そもそもそれならば流される前に目が覚めている。

 空は相変わらず晴れていた。

 とにかくどうにかして移動しないと…。

 私が身じろぎしたとき、それはガチャリと扉を開けて出てきた。

「おや、これはまた珍しい…。人魚のお客様ですか」

 出てきたのはやけに整った顔の、若い男だった。






「あの時の貴女は本当に大変でした。ひどく暴れて」

「うるさいわね。人間に見つかったんだから人魚としては当然の反応でしょ」

 あの日、私が目を覚ましたあの場所はポルボローネという名の店の玄関前だった。

「マスター、あまりその娘をからかってやるな」

 私の隣で緑の魔女、ウィリィディスが言った。

 彼女がマスターと呼ぶこの男は最初に私を見つけたとき、あろうことか私をそのままお姫様抱っこで店の中へ連れ込んだ。

 ウィリィディスはその時ポルボローネにたまたま来ていた客である。

 腰まである緑色の髪で、緑を基調としたフード付きのロングコートを着ている。

 ウィリィディスに倣って私もこの男をマスターと呼んでいる。

「マスター、紅茶のおかわり」

「おや、初めは人間の出す飲み物など絶対に飲まないと言っていた貴女がおかわりですか」

「…昔のことでしょ」

 性格の悪い男だ。そのくせ顔がいいから余計ムカつく。

「ところで人魚の娘」

 ウィリィディスが話しかけてきた。

「たまにマスターから話を聞くが…、ここに来るのは何度目だ」

 私は言葉に詰まった。もうここには数え切れないくらい来た。

 何度も、何度も。

「人魚姫ならもう何度もここに来ていますよ。失敗の報告しかもらっていませんが」

 マスターが新しい紅茶を手に口を挟んできた。

「…いい加減私のこと人魚姫って呼ばないでくれる」

「どうしてですか。いいじゃないですか、姫」

「私みたいなのに姫なんて似合わないわよ。あの子のほうが…」

「あの子のほうが似合うと?貴女のいうあの子はここにはいないでしょう。“ここ”というより“この世”と言った方がいいですが」

「うるさい。次は必ず…」

 私は思わず怒鳴った。

 それをウィリィディスが静かに制す。

「マスター、いい加減その悪癖を止めろ」

「失礼」

 マスターはにっこりと笑って口を閉じた。

「人魚の娘、お前に砂時計を渡した日のことを覚えているか」

 覚えている。もちろん。

 私はコクコクと頷いた。

「これを使えば容易に時間を戻すことができる」

 私の懐にあるはずの砂時計はいつの間にか彼女の手の上にあった。

「砂時計の天地を反転させ、砂が落ちきる頃にはお前は幼馴染のいた日常へと再び戻れる」

 魔女の手の中でガラスの中の砂が金色に輝いた。

「店内での使用は禁止ですよ」

「心配せずとも分かっている」

 マスターの言葉にウィリィディスが砂時計をテーブルに置いた。

 砂の時間は止まったままだ。

「時間を戻すとは世の理を曲げること。すなわちそれなりの対価も必要」

 私の視線はカップの中の紅茶へと向く。

「冷めては紅茶が美味しくありません」

 マスターが静かに紅茶を入れ直した。

 一連の動作を流れるようにやってしまう。

 一息ついてウィリィディスが言った。

「時間を戻せば戻すほど、その時間と同じだけお前の寿命が短くなる」

 紅茶に口をつける。

 普通にしていればかっこいいあのマスターの紅茶は本当に美味しい。

「分かっているわ。ちゃんと…対価のことも」

 カップをソーサーに戻すと、私はウィリィディスと向き合った。

「私は、私の命よりも彼女の方が大切なの」

 魔女の瞳が一瞬だけ鋭くなった気がした。

 マスターが人好きのする笑みで話に入ってくる。

「ウィリィディスさんは、たとえ何百年何万年と生きる人魚でも時間を戻し続ければ死ぬぞと、貴女のことを心配しているんですよ」

「魔女の私が他人の心配などするものか」

「はいはい、照れ隠し照れ隠し」

「…チッ、これだからこの男は」

 ウィリィディスはそっぽを向くと紅茶を勢いよく飲んで、むせた。

 すかさずマスターがナプキンを差し出す。

 私はそれを一瞥してマスターに声をかけた。

「もう帰るわ」

「もう少しゆっくりされないのですか」

「寿命が足りなくなる前に私は彼女を助けなきゃならないの。時間がもったいないわ」

 マスターが私を抱き上げ、外へ出る。そのまま近くの小さな湖に下ろされた。

 この湖の底には海へとつながる一本道がある。

「いってらっしゃいませ。またのお越しをお待ちしております」

 男は人魚を見送った後、扉を開け店内へと戻る。

 魔女はカウンター席で気怠げに空のティーカップを傾けていた。

「貴女はいつまでいらっしゃるおつもりですか、ウィリィディスさん」

「なぁ」

 男の問い掛けに構わず魔女は話す。

「あの娘、後数回時間を戻せば死ぬな」

「縁起でもない。もしかしたら今回は幼馴染を助けられるかもしれないでしょう」

「意地が悪い。マスターもさっきまたのお越しをお待ちしておりますなどと、遠まわしに失敗の報告を待っていると言っているようなものではないか」

「聞こえてたんですか」

「聴いていたんだ」

 魔女の手の中で弄ばれるカップに手を伸ばしそっと受け取る。

「もっとも、意地が悪いのは貴女の方ではありませんか」

 魔女のために新しい紅茶を注ぐ。

 差し出そうと男が顔を上げた時にはそこには誰もいなかった。

 まるで最初からいなかったかのように音もなく。

 しかしソーサーの上に置かれたメモが確かに魔女がここにいたことを示していた。

『Gratias ago』(ありがとう)

「またのお越しをお待ちしております…」

 誰もいない店内で男は小さく笑った。


 




 私は繰り返す。同じ時間を何度も何度も。

 天と地が反転し砂は再び流れ落ちた。

 目を閉じる。波の音が聞こえる。

 彼女の歌は聴こえない。

 私の大切な幼馴染。

 何度時間を戻しても彼女は必ず同じ人間の男に恋をした。

 人魚の体を捨ててまで傍にいたいと願った。

 そして裏切られて死ぬのだ。

 最初の私は何もできなかった。

 彼女は泡となって海へと消えた。

 次の私は髪を対価にナイフを用意した。

 銀のナイフ。魔法のナイフ。

 彼女がこれで男を刺せばそれで助かるはずだった。

 優しい彼女は泣いていた。

 彼女は泡となって海へと消えた。

 違う私は人間となった。

 彼女とともに男のもとへ。

 私の努力は虚しく散った。

 彼女は泡となって海へと消えた。

 私は人魚として、人間として、幼馴染として彼女のためならなんでもやった。

 彼女が男と上手くいった。

 それを妬んだ他の女に彼女は殺された。

 優しい彼女が躊躇ったこと。

 彼女の代わりに男の胸へとナイフを刺した。

 彼女は悲しみのあまり自ら海へ身を投げた。

 どの方法も結末は虚しいものだった。

 嘆き、悲しみ、代償を受け、又は自殺し、殺害されて、幸せだろうと、不幸せだろうと、彼女は泡となって海へと消えた。

 次はどうしようか。

 目を開ける。波の音が聞こえる。

 彼女の歌が聴こえた。

 砂は落ち切った。







 私は目を覚ました。

「だいたい人一人の命を救うのにどれだけの対価が必要だと思う」

 ウィリィディスの声が聞こえた。

「運命には抗えない。人魚の娘がどう足掻こうと、幼馴染の娘が死ぬことは決まっている」

「それでは何故最初に人魚姫に砂時計など渡したんですか」

 マスターの声も聞こえる。

「聞かずとも分かるだろう。暇つぶしだ。魔女の生は人魚よりも長いからな」

 遠のく意識の中、私は微かに口を開いた。

「…暇…潰し…って」

「おや、まだ生きていたのか。だがまぁ、その状態なら直に死ぬだろう」

「ウィリィディスさん、その言い方はどうかと思いますが。おはようございます人魚姫」

 なんで二人がここにいるの…。

 そうだ、彼女は…彼女はどこ。

 鉛のように重い体、私は必死で砂浜の上を引きずった。

「随分と哀れな姿だな。これが海の魔女たる人魚の姿か。荒れた肌にくすんだ髪、瞳は濁り声は掠れて…」

「ふむ…。人魚姫、貴女の幼馴染でしたら昨晩貴女の目の前で泡となって消えていきましたよ。また失敗ですね」

 魔女の目は冷めていた。

 男は笑顔で私を見下ろしていた。

 嫌、いや、イヤ…。

 助けなきゃ、あの子を、助けなきゃ。

 砂時計はどこ。時間を…時間を…。

「あ…う……」

「もう上手く声も出せぬだろう」

 魔女の手にあの砂時計が握られている。

 返して。時間を…。

「ゲームオーバーだ。娘、お前の寿命はもう尽きる。長い間楽しませてもらったぞ。お前が足掻く姿は非常に面白かった。幼馴染を救えなくて残念だったな」

 時間を……。

 砂時計へと伸ばした手が指先からサラサラとこぼれ落ちた。

 これは何…。

 混乱する私を置いて指先、手、手首、肘と私の体は砂と化す。

「さて…」

 ウィリィディスは大きく伸びをするとくるりと踵を返した。

「次のオモチャでも探しに行こう」

「本当に意地の悪いお方ですね」

 ウィリィディスはひらひらと手を振るとそのまま霞のように消えた。

 男はそれに小さくお辞儀をする。

 再び人魚へと視線を向けるとそこには砂の山があるだけだった。

 その山も波にさらわれ溶けていく。

「良かったですね。泡と砂、…これでずっと一緒にいられるじゃないですか」

 


 波の音が聞こえる。

 彼女の歌が聞こえた気がした。




 魔女も御用達の喫茶店。

 悩みがあるならいらっしゃい。


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