Story11「know」
彼らは知っていた。命の儚さを。
だが彼らは知らなかった。命の重みを。
彼らは知っていた。悪を。
だが彼らは知らなかった。正義を。
彼らは知っていた。痛みを。
だが彼らは知らなかった。愛を。
彼女は知っていた。真実を。
そして彼女は知らなかった。現実を。
「いらっしゃいませ」
中東のとある国、偶然見つけたお店に私は1人足を踏み入れた。
「まさか、この土地に来てこんな素敵な喫茶店に巡り合えるとは思わなかったわ」
「ありがとうございます」
店員が愛想よく対応する。思わず目を奪われるほど、美しい男だ。
カウンター席には先客がおり、1人カップを傾けていた。短く切られた灰色の髪に灰色を基調とした服と、女の割に随分と地味な恰好である。
1人で考えることに疲れていた私は、その女性に声をかけることにした。今は1人でいる気分ではない。
「すいません。隣いいですか?」
「構わない」
簡潔な返事。女性の了承を得たことで、私は席に座った。店員に注文をし、程なくしてレモンティーが運ばれる。レモンの香りに誘われ1口含むと甘さの中にほんのりと苦みが広がった。
「こんな危険な場所に、女性1人で旅行ですか?」
私の問いかけに女性はちらと視線を向けて答えてくれる。
「まぁそんなところだ。お前こそ1人じゃないか」
「ああ私、ジャーナリストやってるんです。ほらっ」
そう言って私は首にかけたカメラを掲げて見せた。
女性は少しだけカメラの方を見るがすぐに目をそらしてしまう。あまり興味がなさそうだ。だが私は構わず続けた。
「戦場カメラマンって言ったほうが分かりやすいですかね?」
女性は何も言わずに手にしたホットミルクを飲んでいる。無視しているというわけでもなく、ただ黙って私の言葉を待っているといった風情だ。
「ここに来る前も、私は紛争地域で取材していたんですよ」
私はカップの中のレモンティーに視線を落とした。
火薬の臭いに混じる血と焼けた肉の臭い。
赤ん坊が大きな声で泣いているが、その子を抱いている母親と思しき女は、あやすどころかピクリとも動かない。それを気に留める者もいない。
赤ん坊の泣き声に混じってうめき声が聞こえた。いたるところに怪我人がいて、助けを待っていた。
私は動かない母親と泣きやまない赤ん坊にむかってシャッターを切ると、ボロボロな街の中を歩いた。
ここは、つい先ほどまで銃弾が飛び交う戦場だった。
「知っていますか?世界中のどこかで、今も人は殺しあっているんです」
私は言った。
「昔からずっとそうだった」
彼女が答える。
「じゃあ、これは知ってます?戦っている人の中に、私達よりもずっと幼い子供がたくさんいるってこと」
貴女は見たことがありますか?銃を持った子供。玩具なんかじゃない、本物の。
私は今日、1人の少年兵士と話をしました。ちょっと過激な紛争区域に入った時です。もちろん、十分に注意して取材しました。自分が死んでしまっては意味がありませんから。なぜ危ない真似をするのかですか?……伝えたいんです。何も知らない人達に。
少年は腕に怪我をしていました。流れ弾に当たったんだとか。少年は最初こそ私のことを警戒していましたが、私が必死で傷の手当てを申しでたことと、多分少年自身も血の流れる腕の痛みに耐えられなかったんでしょう……ちゃんと傷の手当てを受けてくれました。
「貴方、歳はいくつ?」
手当てをしながら私は少年に話しかけた。
「……12」
少年はぽそりと答える。
「どうして、戦っているの?」
「上官の命令だから」
少年の答えに迷いはない。
「怖いと思ったことはないの?」
「怖くないよ。でも撃たれると、すごく痛い」
少年は涙も流さずに、腕を見ながらただ痛いと言った。
「人を殺すことは悪いことなのよ」
「でも、大人の人達はみんな言っているよ?悪い奴は殺さないといけないって」
「大人の人達?」
「うん。僕を育ててくれた人。僕達は正義のために戦っているんだ」
正義。この子は、この子も含めた子供達は、幼いころから戦うための教育を受けてきた。何も知らない子供にとっては、大人達の言うことが全てなのだ。だから、この子達は人を殺すことに迷いがない。躊躇いはない。それが、この子達の生きる意味だから。
「違うわ。大人達は嘘をついているの」
「……嘘?」
「私は知っているの。世界では、貴方達と同じくらいの年の子達は誰も銃なんて持っていない。殺し合いなんてしない」
「そんな訳ない。だって僕の友達もみんな戦ってる」
ああ、この子達の世界はなんて狭いのだろう。この子達の知る世界は戦場だけなのか。
「貴方達みたいな子供は戦わなくていいのよ。本当は守られなければいけない存在なの」
私は優しい声音で言った。
「違う。僕達は戦うために生まれてきたんだ」
「それは間違っているのよ」
「じゃあ僕達はなんのために戦ってるっていうんだ!みんな死んだ。昨日も、一昨日も。命があっても、みんなどこか怪我をしている。本当は怖いよ!すごく痛いんだ!だけど、だけど、それが命令だから。そうじゃないと、僕らは生きていけない……」
少年の声は悲痛に満ちている。だが決して涙はみせない。泣くことはない。
「間違っているのはお姉さんの方だ!殺さなきゃ殺される」
「お願い聞いて。人を殺すことは本当はいけないことなの」
「うるさい黙れ!これ以上しゃべったら殺す」
少年は銃口を私へと向けた。
「もう行くね。こんなところ、誰かに見られて上官に告げ口でもされたら殺されるから……」
少年は私に背を向けると、前線へと走っていった。私は、止められなかった。
「止められたとして、どうするつもりだ」
私の話をじっと聞いていた女性が口を開いた。
「保護……出来たかもしれない」
「かも、なのか」
女性の声に呆れが混じっている。
「仕方ないじゃない。それでも、あの少年を止めたかったの。教えたかったの。貴方は銃なんて持たなくていいって。戦わなくてもいいって」
「お前の言っていることは正しい」
女性の目と私の目が合う。
「けど、お前のやったことは間違っている」
「……どういう、意味ですか」
女性は視線を私から店員へと移す。店員はまるで準備をしていたかのように彼女のからのカップへとホットミルクを注いだ。
その態度に私は少し怒気をこめて言った。
「貴女は何も知らないからそんなこと言うんです!あの子供達は洗脳されて、戦うためだけに生きているんです。愛情も受けられずに、ただそれを正義と思わされて、使い捨てのごとく戦わされているんです」
女性は言い返してはこない。私は続けて言った。
「私は少しでも彼らを助けたい。本当は何が正しくて、何が間違っているのか教えてあげたい。私は知っているから」
「お前は何も分かっちゃいない」
女性はきっぱりとそう言った。彼女に対する腹立たしさが増していく。
「そんなことないです。私は世界中をこの目で見て、そして撮ってきた」
首に下げたカメラに触れる。この中に、たくさん写してきた。
「その子供はもう銃を持てない」
「……は?」
私の訝し気な視線に、女性は物怖じせず答えた。
「今まで何の迷いもなく人を殺してきた。それなのにお前がそれは間違っていると言った。その子供の生きる意味を否定した」
女性の眼光が一瞬鋭くなる。
「真実を知ってしまえば迷いが生じる。だからその子供は銃を持てない。銃を持てなくなっても子供の生活は変わらない。その子の生きる場所は戦場だけだ。あとは敵に殺されるか命令違反で上官に殺されるかのどちらか」
「私が……悪いって言うの……?」
「真実を伝えることは大切だ。が、時として黙することも大切だ。可哀想に。子供も、そしてお前も」
気づけば私の指先は震えていた。それは己のやったことを否定されたことへの怒りか、間違いを指摘されたことへの羞恥か、はたまた女性に対する得体のしれない恐怖のためか、私には分からない。
脳裏に浮かぶは銃も持たずに戦場にただ茫然と立ち尽くす少年の姿。
恐怖に支配された私の思考をレモンの香りが遮った。
「どうぞ」
見れば店員が新しく温かいレモンティーを注いでくれている。
「ラーウスさん、ほどほどに……」
店員は女性へと言葉をかける。そして反応のない女性に少し呆れながら最後に私の方を見て微笑んだ。緊張の糸が一気にほどける。
可哀想に。
頭を過った女性の言葉を掻き消すようにレモンティーを口に含む。そこに甘さはなく、ただただ苦いレモンの皮の味だけが口内を満たした。
私はこれから、どうやってカメラのシャッターを切ればいいのだろう。




