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Story7「飢えた獣」

『あの痛ましい事故から丁度一年が経ちます。乗客を乗せた飛行機が雪山に墜落した事故で、事故原因は航空会社側の整備不良によるものでした。また当初捜索は難航し、救出されたのは事故から約一ヶ月後のこと。死亡者83名、行方不明者5名。事故から一年経った今日、事故現場の麓では事故発生時間になると人々による黙祷が捧げられました。続いてのニュースです。連続通り魔事件について、今月に入り被害が18件に及びました。警察は……』


 俺はテレビの電源を消すと床に放置されたスマホをポケットに突っ込んで家の外へ出た。朝と呼ぶにはまだ暗い時間、冷たい風が頬を撫でた。






 落ち着いた雰囲気の店内に、客は俺しかいなかった。

「俺の話を聞いてくれませんか?」

 唐突だったと自分でも思う。

 だけれど俺はこの話を誰かに言わねば気が済まなかったのだ。

「構いませんよ」

 喫茶店のマスターであろう若い男は俺の前に紅茶を置くと静かに俺の言葉を待った。

「俺がこの喫茶店に来る途中、………ついさっきのことなんだけど」

 俺は今まで握りしめていたスマホの、ひび割れた画面を見つめながら話しだした。

 このスマホはもう使い物にならないだろう。






 俺はまだ月が照らす早朝に家を出た。

 理由は特にない。なんとなく落ち着かなかったから散歩がてらにコンビニにでも行こうと思っただけだ。

 以前はこの時間にも人を見ることがあったが、最近続く通り魔事件のせいか人っ子一人いなかった。

 スマホを操作しながら街灯の明かりを頼りに道を歩いていると、電柱の影から何者かが躍り出た。

 俺は反射的に飛び退く。

 代わりに手から離れたスマホが地面に勢いよく叩きつけられた。

 そいつは街灯の明かりに照らされ立っていた。

 目深にフードを被っていて表情こそ分からないが、体格からして男だろう。

 手にはナイフが握られていた。

 そいつは再び俺に向かって飛びかかる。

 俺は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。

 街灯の光でナイフが輝いた。

 そいつは俺に向けてナイフを振り上げたが、しかしすんでのところでナイフはとまった。

 そしてそいつは即座にもとの電柱の影へと隠れた。

 なにやらブツブツとつぶやいている。

「俺は…なんてことを……」

 電柱の影から聞こえるその声に俺は聞き覚えがあった。

 だから俺は声をかけた。

「なぁ……お前、もしかして…」

 今思えば斬りかかってきた相手に声をかけるなんて俺は馬鹿だったと思う。

 しばらく返事がなかったが、程なくしてそいつは電柱の影から出てきた。

 おもむろにフードを脱ぐ。

 その顔は行方不明の俺の友人その人だった。

「…久しぶり」

 友人は躊躇いがちに言葉を発する。

 さっき俺を襲ったのは本当にこいつなのか疑わしいほど弱々しかった。

「久しぶりって…お前今までどこにいたんだよ!病院抜け出して、家にも帰ってねぇ大学にも来ねぇ…。人がどれだけ心配したと思って…」

 俺は恐怖を忘れ、友人に近づいた。

 そして今まで何をしていたのか、何故自分を襲おうとしたのかと聞いた。

 友人は俯きがちに言う。

 何から言えばいいのか。自分はいつからか狂ってしまった。

 そしてどうか今から言う事を信じてくれと。

 俺は迷わず頷いた。

「さっきはすまなかった。ありがとう」

 友人は泣きそうな顔で次のように語った。






 丁度一年前、俺は弟と一緒に飛行機に乗っていた。

 両親が死んでから初めての旅行だった。

 そして俺達を乗せた飛行機は雪山に墜落した。

 一瞬の出来事だった。

 最初は何が起きたのか分からなかった。

 強い衝撃ととてつもない寒さが俺を襲った。

 すぐに俺は隣に座っている弟に声をかけた。

 俺も弟も目立った外傷は無かった。

 俺達以外にも意識のある乗客が16人いた。

 その中に骨折なんかで身動き出来ない奴も数人いた。

 運良く助かった俺達はまず救助を呼ぼうとした。

 だがスマホやケータイはみんな圏外で、機内の無線も壊れていた。

 だがまぁ、飛行機がいつまで経っても到着しないとなれば流石に空港側が気づいて救助を要請するだろうってことになって、動けるやつは食料の確保と暖をとるためのものを探すことになった。

 機体は胴体部分しか残ってなかった。

 荷物が詰め込まれている尾部は近くに見当たらなくて、乗客の手荷物から使えそうな物をかき集めた。

 チョコレートなんかの菓子類、機内食であろうものとそれから毛布。

 すぐに救助が来ることを祈って、俺達は機内で毛布にくるまりながら死体と夜を明かした。


 だが一週間経っても救助は来なかった。

 食料は後わずかしかなかった。

 動けない怪我人達は動ける俺達よりも衰弱が激しかった。

 数日経てば死ぬだろう。

 誰かが言った。

 早く死ねばそれだけ口減らしになるのにと。

 その日、一番弱っていた人が死んだ。

 俺達の食料はわずかながら増えた。

 だから誰も、死体の首にくっきりと付けられた青い痣について追求したりしなかった。


 ある日弟が言った。

 お兄ちゃん、僕達このままどうなっちゃうの?

 安心しろ。兄ちゃんが守ってやるから。


 弱っている人間から順に死んでいった。

 俺には、俺達にはどうする事もできなかった。

 否、しなかったんだ。

 誰かの死は自分達の食料が増えることを意味するから。


 ついに食料が尽きた。

 救助は来ない。俺達は忘れられたのだろうか。

 生存者は11人となった。


 救助は来ないが腹はすく。

 一人が死体の肉を食べることを提案した。

 その場にいた全員が嫌だと言った。

 だが提案したそいつだけは食べた。

 それを見て何人かも食べるようになった。

 俺も弟もとてもじゃないが死体なんて食べられなかった。


 死体を食べることを選択した人は次第に増え、食べていないのは俺と弟だけになった。

 死体を貪るそいつらはどんどんおかしくなっていった。

 まるで獣のようにその目はギラギラとしていた。

 皆寒さと空腹でどうにかしていたのだ。

 弟がキャンディーの入った袋を俺に見せた。

 飛行機に乗る前に俺が買ってあげたやつだ。

 いざという時のためずっと食べずに隠していたそうだ。

 俺と弟はそれを食べながら生きながらえた。


 吹雪が落ち着いた日を狙って俺は弟と飛行機を離れた。

 胴体から離れた尾部を探すため。賭けだった。


 二時間ほど歩いただろうか。

 半壊の尾部を見つけた。奇跡だと思った。

 その日は持ってきた毛布を広げ、そこで夜を明かした。

 尾部の中の荷物は一部無事に残っていた。

 お土産に買ったのだろうか。

 箱に詰められたお菓子を食った。


 新たに確保した食料を持って、俺達は他のやつらのいる機体の胴体のもとへ戻った。

 そこには4人減って5人しかいなかった。

 他の人達はどうしたのかと聞けば死んだと答えた。

 皆うつろな目をしていた。


 5人は美味しそうに死体を食べていた。

 まるで食事を楽しんでいた。

 俺と弟は尾部で見つけた食料をこっそり食べていた。

 ある朝目覚めると、何やら騒がしかった。

 5人が言い争いをしていた。

 やがてそれは激しくなり、ついに殴り合いとなった。

 雪の上が赤く染まった。

 そして4人が動かなくなった。

 血を浴びて一人立っている男は俺と目が合うとそのまま近づいてきた。

 俺の体は思うように動かず、走ろうとした足はもつれその場に倒れた。

 安心しろ。

 お前が死んだ後は俺がちゃんと食ってやるから。

 そいつは気味の悪い笑みを浮かべながら俺の首を絞めた。

 意識を失いそうになる中、俺は必死で抵抗した。

 弟が俺に気づいて走り寄ってきた。

 俺と弟は必死で戦った。

 生きるために。

 何がどうなったのかはよく分からない。

 俺を襲った男は機体にもたれかかるように動かなくなっていた。

 頭からは血が流れていた。


 俺も弟も体力は限界だった。

 きっともう助けは来ないのだろうと思った。

 両親を事故で亡くしてから、俺と弟はずっと一緒だった。

 思えば両親が死んだのも飛行機事故だった。

 皮肉なものだなと力なく笑った。

 尾部で見つけた食料はあとわずかとなった。


 弟が吐いた。

 どうしよう。

 俺は飴を弟の口元に持っていった。

 弟は首を振って言った。

 お兄ちゃん、僕はもう手遅れだよ。

 俺は言った。

 大丈夫だ。兄ちゃんがお前を死なせたりしないから。

 弟は少し笑いながら言った。

 お願い。お兄ちゃんだけでも生きて。


 俺は飴を弟の口に入れた。

 最後の食料が無くなった。


 俺は弟を抱きしめながら毛布にくるまった。

 痩せて細くなった弟の体は確かに温かく、俺は少し安心した。

 お兄ちゃん。僕が死んだらお兄ちゃんは僕を食べるんだ。それで…生きて。

 弟はそれだけ言うと深い眠りについた。

 俺は弟を抱く腕に少し力を入れた。


 目が覚めたとき、弟は冷たくなっていた。

 それは決して寒さのためばかりではない。

 俺は一人になった。


 凍てつくような寒さが俺を襲う。

 死に包まれた空間、流れる涙は氷に変わった。

 俺は兄なのに、弟を守ってやることができなかった。

 生きる希望が無くなっても、空腹は無くなってくれやしない。


 事故に遭ってから何日たったのだろう。

 捜索は打ち切られたのだろうか。

 弟の声が聞こえる。

 生きて。僕を食べてでも生きるんだ。…お兄ちゃん。

 その声に誘われるまま、俺は生まれて初めて人を食った。


 分からない。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 血にまみれた自分がひどく恐ろしくなった。

 これではまるで獣じゃないか。

 どこからか紫色の長い髪の少女が現れて言った。

 これがお前の運命だよ。

 それから少女は吹雪の止んだ外を指差した。

 人影が複数こちらに向かってやってくるところだった。

 飛行機だ!見つけたぞ!!

 誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 これはひどい。誰か生きていないのか!

 俺はフラフラと手を挙げた。

 あとのことは記憶がない。


 目が覚めたとき、そこは冷たい機内でも死体の山の中でもなかった。

 白い天井、温かい布団、点滴を変える途中だったのだろう看護師が慌てて人を呼びに行った。

 医者が言った。

 ここがどこだか分かるかい。

 俺は頷いた。

 君は助かったんだ。おめでとう。

 俺は助かった。一人だけ。


 食事が喉を通らない。

 無理やり飲み込んだら吐いてしまった。

 無理もないだろう。あんなことがあった後じゃ…。

 医者達は哀れなものを見る目で俺を見た。

 人を食べたんですよね。辛かったでしょう。今の心境をお聞かせください。

 記者っていうのは随分と不躾なもんだな。


 長い病院生活は俺から日付の感覚を奪った。

 点滴のみで生きる体はいつまで経っても細いままだった。

 気づくと俺は病院を抜け出していた。

 夜の道を街灯の光に照らされて俺はパジャマのまま立っていた。

 道端になにか置いてある。

 見ると、捨てられた子犬がダンボールの中で小さく震えていた。

 その時俺は俺でなくなった。

 再び意識を取り戻したとき、俺の口は子犬の血にまみれ、辺りにはバラバラに引き裂かれたその肉が散らばっていた。


 それ以来今まで何をし続けていたか、言わなくても分かるだろう。

 最初は動物だった。それでは物足りなくなって次第に…。

 俺は人間だ。

 だが同時に獣としての俺がいた。

 そしてそれは日が経るに従って少しずつ人間の俺を喰らっていくのだ。

 今少し経てば人間である俺は獣である俺にすっかり喰われて消えてしまうだろう。

 ちょうど、太陽が月で隠れるように。

 そうすれば俺は飢えた獣となって、今日のように道で君と出会っても友人であることを忘れて、君を裂き喰らうだろう。

 ああ、分からない。

 こんなことになるくらいなら、俺はあの時あの飛行機の中で弟と一緒に死ねばよかったんだ。

 そのほうが俺は幸せだった。

 あの時はあんなに死にたくないと思っていたのに、今は生きていることのほうが恐ろしい。







 俺は息を飲んで友人の語る奇妙な話に聞き入っていた。

 友人は続けて言う。

 なぁ、山月記って覚えてるか?

 そう、高校んとき授業で習っただろ。

 結局、虎になった李徴はどうなったんだろうな。

 “人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。”

 李徴にとっての猛獣が臆病な自尊心と尊大な羞恥心だというのなら、俺にとっての猛獣ってなんなんだ。

 いや、よそう。考えるのは。

 きっとそんな単純なものじゃない。

 弟は俺にとっての枷だったんだ。獣を閉じ込めるための。

 忘れられないんだ。

 あの時の肉の感触が。

 寒くて、空腹で、必死だった。

 ずっとずっと、兄として必死に生きてきたんだ。

 この気持ちはだれにもわからない。だれにもわからない。

 弟が死んだ今、枷は無くなったはずなのに、それでも人間の俺は繋がれたままなんだ。

 …生きて。

 弟が最後に残したこの言葉が俺をいつまでも生に繋ぎとめる。

 これが弟を食った報いだというのか。



 ようやくあたりの暗さが薄らいできた。月は光を失いつつあった。

「こんな俺の話を聞いてくれてありがとう」

 友人は泣きそうな顔で笑った。

 そして俺にナイフの柄を向けた。

「最後に頼みを聞いてくれ」

「まさかお前…」

「俺を殺してくれ」

 俺は嫌だと言った。

「時間がないんだ。俺は直に獣となってしまう」

「だけど…」

「もう誰も殺したくない!」

 俺は友人を見た。

 友人の目は揺らがなかった。

 俺はナイフの柄に手を添える。

 その上を友人の手が覆った。

「君にこんなことをさせてごめんね」

「謝んなよ。俺の決心が鈍るだろ」

 友人はクスリと笑うとその手に力を込めた。

 ナイフはズブリと友人の胸に刺さり、友人はそのまま仰向けで倒れた。

 息も絶え絶えに俺を見て言う。

「これで弟に会えるかな。…あ、でも、あいつは今頃父さんや母さんと一緒に天国だろうから……、俺はやっぱり一人ぼっちか」

「……呑気に笑ってんじゃねぇよ」

 俺は情けなく泣いていた。

 友人の死に顔は穏やかな笑顔だった。






「どうぞ」

 俺はどうやら話しながら泣いていたようだ。

 喫茶店のマスターが真っ白なナプキンを俺に差し出した。

「すんません」

 こんな綺麗なやつで涙なんて拭いていいのか迷ったが、せっかく渡してくれたものなのでありがたく使った。

「話、聞いてくれてありがとうございます。つっても…こんなの信じてもらえないでしょうけどね」

 俺は温かい紅茶を口に含みながら言った。

「信じますよ」

 即座に答えたマスターに俺は笑いながら言う。

「気ぃ遣って貰わなくて大丈夫っすよ。俺自身、夢でもみてる気分ですから」

 それでもマスターは真面目な顔で言った。

「本心ですよ」

「いやでも、人が人を食ったり、獣とか……。それに、俺は友人を……。普通に考えてナイでしょ?」

「失礼ながらその普通は貴方の基準でしょう?貴方の非現実が必ずしも非現実だとは限りませんよ」

 俺にはマスターの言っている意味が分からない。

 というよりこの人は変わっているなと思った。

「俺にはちょっと難しいっす…」

「そうですね。実際に見てもらった方が早いでしょう。ねぇ、ウィオラーケウスさん」

 マスターの視線の先、俺の隣の席には、紫色の長い髪をした少女が座っていた。

 少女のテーブルの前には大量のクッキーが盛られた皿が置いてある。

「え…!?いつからいた?てかいつ店に入ってきたの!?」

 少女は叫ぶ俺を気にせずクッキーを頬張っている。

 マスターは少女に言う。

「話は聞いていたでしょう?彼になにか見せてあげてはどうですか?」

 少女はマスターをちらりと見ると、ほっぺたいっぱいのクッキーを紅茶で一気に流し込んだ。

 少女がいた事にも驚いたが、俺はそもそもマスターが少女に紅茶を差し出すところすら見ていないことに気づいた。

「それを貸せ」

 少女はポカンとしたままの俺に言った。

「え、でもこれ壊れてるよ?」

「いいから貸せ」

 有無を言わせぬ少女の態度に俺はすぐスマホを渡した。

 少女は画面のひび割れたスマホを手に取りその傷をなぞるように指でなでた。

 そして乱暴に俺にスマホを投げ返す。

 少女は再びクッキーを食べることに専念した。

 そしてさっきまで確かに壊れていたスマホには傷一つ残っていなかった。


 俺は気づけば自分の部屋にいた。

 手には傷一つないスマホが握られている。

 今の今まで俺は夢を見ていたのだろうか?

 俺はそもそも出かけてなんかなくて、友人は今も行方不明のままで、変なマスターのいる喫茶店や不思議な少女なんかもいなくて…。

 テレビを付けると、時刻は朝の10時を表示していた。

『最新のニュースをお伝えします。本日明け方、行方不明となっていた大学生が遺体となって発見されました。遺体の胸部にはナイフが刺さっており、警察は連続通り魔事件として………』

 俺は膝から崩れ落ちた。涙がとめどなく流れた。

 その日を境に、テレビでは新たな連続通り魔事件のニュースが流れることはなく、それは犯人が見つからないまま他のニュースの中に埋もれていった。


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