Story1「赤い林檎」
美しくなければ生きていけない。
それがお母様の口癖だったわ。
美しくなりなさいと。
なんでも、お母様は昔とても貧乏だったみたいなの。
でもある時、街にお忍びで来ていた王子様、つまり私のお父様と出会って…。
一目惚れだったみたいよ。
お父様は許嫁がいたにもかかわらずお母様を選んだの。
お母様は当時から町一番の美人って言われるぐらいだったから当然よね。
大臣達は全員大反対してなんとか止めようとしたみたいだけれど、お母様を見てその美しさに開いた口が塞がらなかったみたい。
気づいたら結婚してたって、今では笑い話よ。
お母様亡き今も私は言いつけを守っているわ。
「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのは誰?」
「はい。それは貴女様でございます」
ほらね?
お母様が亡くなるときに私に残してくれた魔法の鏡。
結婚して子供ができても、私の日課は変わらない。
「どうりで、随分と美しい女性だと思いましたよ」
目の前の男はそう言って紅茶を差し出した。
美しい男だった。
「そんなことよりも、私の寝室はいつから紅茶のお店になったのかしら?」
私は確かに寝室の扉を開けたはずだった。
それが何故、こんなところで紅茶を飲むことになったのだ。
「神出鬼没がこの店の売りですから」
「笑えない冗談ね」
きっと夢でもみているんだわ。
先ほど出された紅茶を一口飲んでみる。
紅茶は普段からよく飲むけれど、これほどおいしいものは初めてだった。
そうよ、これは夢。
だからここがどこだってどうでもいい。
そんな風に思うのは甘い紅茶のせいだろうか。
「どうかしましたか?」
この正体不明の男と一緒にいるのは危険だろう。
だけど少しなら構わないのでは?
なんせ男は怪しい以上に美しいのだ。
それが私の心を好奇心へと駆り立てた。
もう少し彼と話していたい。
夫は一年前に死んでしまったし、私も一人の女なのだから。
「いえ、何でもないわ」
紅茶の香りが私の余計な思考を絡めとった。
「ところで鏡のお嬢さん。お話の続きが聞きたい」
「お嬢さんって…、もう15になる娘もいるのよ?」
どんなに私が美しいといえど、もうそんな歳でもないだろう。
「私の名前でしたら…」
名乗る前に男の人差指が遮った。
まっすぐ立てられた指が私の唇から男の唇へ、動きだけで静かにと語る。
ニコリと笑う姿は妖艶といってもいい。
「名乗る必要はありません。それがこの店のルールですから」
私はただ頷くことしかできなかった。
「さぁ続きを…」
男に促されるまま、私は口を開いた。
「私はいつものように鏡に尋ねたの」
その日はなんでもない、いつもと変わらぬ午後だった。
鏡のある部屋には、私と一部の信頼のおける部下しか入れない。
部下といってもただの掃除のために入るだけで、この魔法の鏡の存在を知っているのは実質私だけといってもいい。
「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのは誰?」
「貴女様でございます」
あぁ今日も私は美しい。
「ただ…」
鏡は真実しか語らない。
「それも直に変わるでしょう」
一瞬鏡がなにを言っているのかわからなかった。
「一体…どういうこと…?」
私の震えた声とは反対に、鏡は冷たく言葉を紡ぐ。
「咲いた花はいずれ枯れる。それは貴女も同じこと」
それは歌うように、残酷な現実を告げる。
「今は固い蕾でも、直に花が開くだろう」
気づいてはいた。
「老いは若さに勝てません」
言われなくとも知っている。
雪のように白い肌、林檎のような頬、絹のようなその髪。
私に似ている私の娘。
「ならば花開く前に枯らせてしまえ」
私はすぐに部屋を出て、部下の元へ向かった。
娘を殺せと命じたわ。
だけど部下は反対した。
この部下はきっと娘にたぶらかされている。
「じゃあ貴方が死になさい」
使えない部下は殺した。
これがいい見せしめになったのか、部下たちは途端に言うことを聞いた。
連れてこられたのは一人の狩人。
「今すぐ娘を、あの忌々しい子を殺しなさい」
花開く前に…。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
いつの間にか私はカップを強く握りしめていた。
「ああ…ええ、いただくわ」
握りしめた指先が白い。
「それで、娘さんは殺せたのですか?」
「いえ、失敗したわ」
紅茶を飲み下した喉が鳴った。
「狩人が言うには、娘は森に逃げてそれっきり…いくら探しても見つからなかったそうよ」
「それはそれは。ですが、森に逃げ込んだのならもう死んでいてもおかしくはないでしょう。夜の森は危険ですから」
「生きているわよ」
そう。あの子は生きている。
娘が森から帰らなくなって数日後。
私は鏡に問いかけた。
「鏡よ鏡よ鏡さん。さぁ答えて。世界で一番美しいのは誰?」
「それは貴女の娘、若く美しいあの娘」
「どういうこと?あの子はもう…」
「貴女はもう枯れるだけ。一度咲いた花は二度咲くことはない」
「うるさい!あの子は死んだはず!!本当のことを言いなさい」
「ついに花は咲いた。美しい花は森の小人達の家にいる」
憎くて憎くて仕方ない。
私がずっと一番だったのに。
「良いではありませんか。一番でなくとも貴女は十分美しい」
紅茶屋の男は微笑んだ。
「優しいのね…」
「いえ、本当のことを言っただけですよ」
「でもね、一番じゃなきゃダメなのよ」
「…というと?」
「美しくないと、一番じゃないと、私はお母様に叱られてしまう」
「亡くなられたお母様に?」
「ええそうよ。お母様はいつだって正しいの…」
だから、早く娘を殺さないと…。
「それは大変ですね」
「娘の居場所は分かっているのよ。あとは殺すだけ」
「では、貴女に素敵なプレゼントを差し上げましょう」
男はそういうと籠を取り出した。
「プレゼント?」
「ええ。この籠をよく見てください」
そう言うと、男はその籠を真っ白な布ですっぽりと隠した。
「種も仕掛けもございません」
「あら」
男が布をさっと除けたとき、籠には真っ赤な林檎が三つ入っていた。
「おいしそうな林檎」
「先日とある知り合いからいただいたものです」
一つだけ手に取る。
「食べてはいけませんよ。これは呪いの毒林檎。食べたら最後、その人は死んだように眠り続け目覚めることはありません」
「まぁなんて素敵なの」
これで娘を殺せる。
「ですが気を付けてください。人を呪わば穴二つ。もし呪いがとけ目を覚ました時、その呪いはかけた者に返ってきます。貴女の一番大切なものがなくなりますよ」
「呪いはどうやったらとけるの?」
「それをくれた知り合いは忘れたと言っていました」
「肝心な部分を忘れるのね。まぁいいわ。さっそく使わせてもらうわね」
椅子を降り、私は出口の方へと向かう。
「そうだ、紅茶の代金」
「貴女の素敵なお話が聞けたので、それで構いません」
「そう、美味しかったわよ。出口、ちゃんと寝室につながっているんでしょうね」
「貴女が望めば何処へでも」
「ありがとう。楽しかったわ」
次こそは確実に殺してやる。私の手で。
「いってらっしゃいませ」
背後では紅茶屋の男が頭を下げていた。
だから気づかなかったのだ。
男の口角が僅かに上がっていることに。
「それでね、目が覚めたらびっくり。目の前に王子様がいるんだもの」
「随分ロマンチックなお話ですね」
新作ですと、紅茶屋の主人は音もなくカップを差し出す。
「以前いただいたものも美味しかったけれど、今回のも一段と美味しいわ」
「ありがとうございます」
すっと頭を下げる主人を見て思う。
この人は所作の一つ一つが本当に綺麗だと。
「また貴方に会えてよかった。ずっとお礼が言いたかったの。この間は私を店に匿っていただき、本当にありがとうございました。」
銃を持った男に追いかけられた日のことを思いだす。
無我夢中で走った森の中、この店を見つけなければ撃ち殺されていたかもしれない。
考えただけでゾッとした。
「それで、その王子様とはご結婚を?」
「ええ、もちろん。ただ…」
「ただ?」
「私が目を覚ました丁度その日、お母様が…亡くなったの」
母の死を知ったのは、王子と共に城に帰った日だった。
聞くところによると、割れた鏡の破片が顔中に刺さったらしい。
ただ、一生治らない傷が顔に残ったそうだが、死には至らなかった。
それでも美しくあることに固執していた母には耐えられなかったのだろう。
使用人が気づいたころには既に窓から飛び降りた後だった。
即死だった。
「私、突然襲われて。何も告げずに城を出ていったから…。きっとお母様は心配していたに違いないの。だから早くお母様に会って安心させたかった。だけど…もう…」
涙がとめどなく流れ落ちる。
主人が静かにナプキンを差し出した。
「お母様に私の晴れ姿…見てもらいたかった…」
母は私の憧れだった。
肌は白く、林檎のような頬に、艶やかな髪。
私もいつかあんな風に綺麗になりたいと思っていた。
「仕方のないことです。亡くなられたお母様のためにも、貴女は幸せにならなければなりません」
「はい。ありがとうご主人」
「さぁ、涙を拭って。そろそろお帰りにならないと、きっと王子が探していますよ」
「ええ。天国の母に心配かけないよう、頑張ります。色々とありがとうございました」
紅茶屋の主人は店の扉を開けると優しく微笑んだ。
「またお越しくださいませ、スノープリンセス」
咲いたばかりの花のように美しい娘が店を出たあと、男は静かに扉を閉めた。
Closeの看板をかけて。
「貴女の母親でしたらきっと、天国ではなく地獄行きでしょうがね」
誰もいない店内には男の声しか響かない。
「気を付けてといったのに…無くしたのは美しさ、ですか。結果的には亡くしたわけですが」
視点が変われば物語などHappy endにもBad endにもなるものだ。
神出鬼没の喫茶店。
代金は素敵なお話で。