第八章 ある夜の物語
「お父さんの作った物語、体験してきたよ。とても素敵だった」
「ははは。なんだか恥ずかしいな」
「お父さん、絵を描くの? 知らなかった」
「社会人になってからは時間が無くて趣味は読書一本になっちゃったけどな。どうだ? けっこうな腕前だろう?」
お父さんはパレットと筆を近くの台に置くと立ちあがる。そして向き合った。
「私、お父さんの世界にいるんだね」
「そうだよ。今、亜子はお父さんの心象世界の中にいる。神様も粋な奇跡を起こしてくれるもんだ。運命に逆らっている僕なんかのためにさ」
お父さんはスタスタと歩くと美術室の窓をガラリと開けた。
外からそよそよと風が入ってきて、油絵の臭いをかき回した。
「知っていると思うけど僕は子供の頃から本を読むのが大好きでね。そしていつからか自分でも物語を書きたいと思うようになっていたんだ。書くのならどんなのが良いだろう? 胸躍る冒険ものか? 誰もが唸るミステリーか? 胸がときめく恋愛ものか? 決めきれないまま成長した僕は大学生になってある女性に恋をした。愛した。亜子のお母さんだよ。そしてお母さんからも恋されて愛された。大学を卒業して二年が経ち、僕らは家族になった。その時、ようやく決心したんだ。いつか生まれてくる子供のために優しいファンタジーの話を作ろうとね」
お父さんは窓の外を、満天の夜空を見上げながら続ける。
「お母さんがお腹に新しい命を宿したと知り、また、その子が女の子だと知って、僕は『亜子』と言う名前の女の子を主人公とした今夜の物語を作り始めた。生まれてくる女の子のためにとても素敵なものにしなければと意気込んだよ。そして子供の頃から絵に描き続けた幻想世界をベースに話を作った。けれど完成しなかったんだ。結末がうまく見つけられなかった。そうこうしているうちに子供は生まれてしまった。亜子が生まれたんだ。でも僕は作りだした物語に君の未来を重ねていたから、いい加減な結末をつけるよりは、じっくりと人生を歩みながら完結させようと考えた。それを自分の人生の生きる理由の一つとしたのさ」




