第二章 ある物語の始まり
意識の遠く向こうから何者かのささやきを耳にしてふと気付くと、私はお父さんの書斎のデスクに広げた宇宙の科学雑誌の上に突っ伏していた。どうやら本を読んでいるうちに眠ってしまっていたらしい。顔を上げると頬に張り付いた科学雑誌がバリバリと音を立てて破れ、しかめっ面のお父さんの顔がよぎる。
「何時だろう?」
デスクの端にちょこんと立っているカードタイプのデジタル置時計を見る。午後の九時を少しすぎた時間か。無性にのどの渇きを覚えて書斎を出ると廊下の空気が生ぬるい。もう秋も中盤だというのにまるで夏の夜に似ていた。
一階へ下りてキッチンへ行くとコップに牛乳をそそぐ。それにしても暑い。冷たい牛乳をのどに流し込んでも、耐えられなくなってリビングの大窓を開いた。庭の空気もぬるく暖まっている。
「最近は変な気候が多いからなぁ。温暖化、深刻化?」
空模様を確かめるために空を見上げる。途端、強烈な違和感に襲われて、私は後ずさった。だって空には目を疑うほどの満天の星が散りばめられていたから。私は十七年もの間この家で暮らしてきたけど、天の川まではっきりと視認できる夜空は初めてだった。
空気の層が奇跡的な配置で星の光の量を増幅させているのかな。なんにせよ、この暑さやこの星空はニュースになる。そんなことを思った。そしてお父さんも奇跡的に目を覚まして病室からこの星を眺めていられたらいいのにと思った。お父さんは星が好きだったから、こんなに圧倒的な迫力をもった星空を眺めたならきっと興奮して元気になるに違いない。
あまりの暑さに入浴はシャワーで済ませた私は、夏の終わりに押し入れへ閉まった七分丈のパンツとTシャツを出して着替えると縁側に腰掛け、庭に足を投げ出して涼みながら奇跡の夜空を眺めていた。先ほど、星の本を読んで、星座なんかも勉強したはずなんだけど、こんなにも星があるんじゃ星座を線で結ぶなんて無理だ。諦めてぼんやりと眺めよう。それが正解だと思う。