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その日のライブは、お世辞にも盛況とは言えなかった。

 かろうじて、閑散と言う言葉じゃないくらいに客は入っていた。

 それでも、俺達は自分達の演奏をやりきった。

 予定していた曲全部に、俺のアドリブを入れた。

 俺は、久しぶりのギターに興奮状態だった。

 音楽の事だけを考えて、音楽と向き合う。本当に、久しぶりに心地良い疲労を感じていた。

 他のメンバーも、少し興奮気味だった。

 ライブが終わった後も、俺のアドリブについて意見を言い合っていた。

 俺は、ソロでアドリブをする事はあまり無かった。なるべく、皆で仕上げた音で、レコーディング通りの音でライブをやりたいと思っていたし、派手なアドリブは曲の構成を壊す事もある。

「今までアドリブなんて、そんなに演らなかったのにさ。急にどうしたの?心境の変化?」

亮太がビールを飲みながら、俺の肩に肘を置いた。

「いいぜ、あれ。俺ベースでお前についていくの楽しかったもん」

「心境の変化、ね。俺達に辺り構わず抱きつくくらい、すごい事でもあったか?」

 祐輔が、少し意地悪な眼で俺を見た。

 すごい事、と言えば俺が、お前達とこうして再会している事自体、ものすごい事なんだ。俺が再びギターを手にする事なんて、二度と無いと思っていたのに。

「俺、生まれ変わったんだ」

 俺は、意味深に笑って見せた。

「気持ち悪」

 祐輔が、昼間の事を思い出したのか、また嫌そうな顔をした。

「今日みたいな陽平のソロを、曲の中にもっと入れよう。ギタリストが目立つ方がやっぱり売りになる」

「そうだな、勝手なアドリブは目立ちすぎて逆に壊れるけど、曲の構成の中に入れてしまおうか」

 コウイチと祐輔は、二人で曲の構成について話し合いを始めた。

 オリジナルの曲を創るのは、俺と祐輔が殆どだったが、曲のアレンジはコウイチが主導で進めていく。コウイチは祐輔の高い声が生きるように、曲の構成を考える。

 俺達は曲作りに熱中して、夜が明けたのも気がつかなかった。

 酔っ払って、上機嫌になった亮太を、担ぐようにしてコウイチは帰っていった。

 帰り道、朝焼けの中を、祐輔と二人で歩いた。

「木綿ちゃん、寝てるな」

 ぽつりと、祐輔が呟いた。

 多分、木綿子は仕事で疲れ、俺の帰りを待ちきらずに眠りに就いただろう。

 もう、早起きの奴等は街を出歩いている時間だ。木綿子もそろそろ起き出して、会社へ行く用意をしている頃だ。

「いいよな、お前は。木綿ちゃんみたいな彼女がいるから」

 祐輔は少し寂しそうに見えた。

「お前だって、グルーピーもどきの女がいっぱいよってくるじゃねぇか。俺は木綿子一人だけど、お前は選びたい放題だろ」

 この頃、バンドで一番人気を集めていたのは、やはりヴォーカルの祐輔だった。派手な女達が何人も祐輔の出待ちをしていたりする光景がよく見られた。

「馬鹿。一人だけ、って言うのが良いんだよ。何人相手がいたって、本気で好きじゃなきゃいないのと一緒だ。俺によってくる女なんか、馬鹿ばっかりだよ。愛の無いセックスなんか、マスターベーションと一緒なんだよ。それもわかりゃしねぇ」

 祐輔が、自分の恋愛感を語るなんて珍しいと思った。

「俺だって、まともな女と、ちゃんとレンアイしたいけどさ。そんな相手に会えたお前が羨ましいよ」

 ふと、祐輔は、木綿子に惚れているんじゃないか、と思った。

 俺の記憶の中では、祐輔は一度もそんな素振りを見せたこともないし、第一、好きな女の話なんてあまりするヤツじゃなかった。

「やらねぇぞ、あいつは」

 俺は少しの危機感を感じながら、小さな声で言った。

「お前、何勘違いしてんの?馬鹿じゃねぇ」

 祐輔は大声で笑った。俺には、笑い声がわざとらしく聞こえた。

 大雑把でだらしない俺より、優しくて気の利く祐輔の方が、女から見たら理想の相手だろう。もし、祐輔が本気で木綿子に惚れていたら、俺はコイツには敵わないだろうと思う。

「あいつは、俺が」

 俺は、立ち止まって半歩前を行く祐輔の背中に向かって言った。

「俺が、幸せにするんだ」

 祐輔が立ち止まって俺を振り返った。丸い眼を更に丸くして、驚いた顔をしている。

「馬鹿だな、お前。そう言うのは、木綿ちゃん本人に言えよ」

 祐輔は俺の肩を、軽く握った拳で叩いた。

「ま、その為にも俺達、ビッグにならねぇとな」

 祐輔は、もう一度、俺の肩を叩いた。

 歩きながら、俺達は俺の部屋のあるアパートの前まで来ていた。

「後でまた。今日、マネージャーに会うから、その後に寄る」

 祐輔は、そう言って自分の部屋がある下宿屋の方へ消えていった。

 家に着くと、木綿子はもう起きていて、会社に出掛ける用意をしていた。

「おかえり。遅かったね?お早う?かな」

 四角い鏡を、テーブルに置いて、木綿子は化粧をしていた。

「ご飯作ってあるよ」

 木綿子は、化粧の途中の笑顔を俺に向けた。

 木綿子とは、デビューする前から一緒に住んでいる。一緒に、と言っても、大学を勝手に中退した俺が、親からの仕送りも止められ、アパートの家賃が払えなくなって追い出されたのが始まりだ。

 つまり、俺が木綿子のアパートに転がり込んだ訳だ。

 学生でなくなり、まともな収入さえ無いのに、夢だけは大きい俺を木綿子は何の躊躇も無く受け入れてくれた。

「ライブ、どうだった?」

「うん」

 俺は、木綿子の隣に座り込んだ。

 昨日の出来事を、興奮気味に、木綿子に語った。

 木綿子は化粧をしながら、俺の話に相槌を打つ。

「楽しんで演れたんだ、よかったね」

 鏡を見ながら、彼女は俺の話を聞いている。

 口紅を取り出し、唇にその色を乗せようとしている彼女を見た時、化粧の儀式が終わりに近づいているんだと思った。化粧が終われば、彼女はいつものように電車に揺られる為に部屋を出て行く。

「木綿子」

 儀式を終わらせたくなくて、彼女の顔をこちらに向けようと声をかける。

 口紅を持つ手を止めて、彼女はこちらを見た。

 そのまま、俺は彼女の顔に自分の顔を近付ける。

 軽く、唇を重ねた。

 唇を離し、両手で、木綿子の頬を包んだ。

 もう一度、今度は愛しさを込めて、唇を重ねる。右手が、木綿子の首筋から下へ移動していく。

「こら、だめ」

 冷たい感触が、唇の先に当たった。

 木綿子の持つ口紅が、俺の唇に当てられていた。

 俺は木綿子から手を離し、鏡を見た。

俺の色の無い唇は、木綿子の赤い口紅の色が、半分だけついていた。

 その顔を見て、くすくすと木綿子が笑った。

 他愛も無いイタズラが、愛しかった。

「会社行くんだから、邪魔しちゃダメ」

 木綿子は化粧の続きを再開した。俺は、大人しく彼女の隣に座って、彼女の髪の香りを嗅いだ。

 木綿子は、化粧を終えて、立ち上がった。

「行くなよ」

 俺は、情けない男の振りをして、木綿子の足に縋り付いた。

「馬っ鹿じゃないの?」

 木綿子は笑いながら、俺の腕を振りほどき、電車に揺られる為に部屋を出て行った。

 俺は、服のままベッドに倒れこんだ。

 心地良い疲労が、全身を覆っている。

 少し眠ろうかと眼を閉じたが、この二日間の出来事が閉じた瞼に次々と蘇り、寝付けそうに無かった。

 木綿子の身体の感触。

 ギターの弦を押さえた左手の感触。

 全て、過去に体験していたはずなのに、新鮮で眩しい。

 一つ一つを反芻するように思い出すうち、俺は眠りに引き込まれていった。

 遠くから、高音の透き通るヴォイスが響いてくる。

 シンセサイザー。独特のパーカッションのフレーズ。

 まるでサバンナの草原を思わせる。AFRICA。

 木綿子が好きなアルバムだ。

 昨夜、帰らない俺を待ちながら彼女が聴いていたのかもしれない。

 ハードロックをやっていても、違うジャンルの音楽を拒否するような事は、俺はしない。

 TOTOは、素晴らしいバンドだと思っている。木綿子はメロディアスでキャッチーなこのバンドが創るサウンドが好きだった。

 セールスの為に曲を創っている、と揶揄されても、売れる曲を創れる事自体才能がある証拠じゃないか。TOTOは一流の才能の集合体だった。

 眠りの中で、俺は思った。

 何故、音楽が聞こえるんだろう?

 木綿子が帰っているのか?

 眠りはだんだんと浅くなり、音楽がはっきりと耳に聞こえてくる。

「木綿子か?」

 俺は、寝惚けた頭を起こし、ぼやけた眼で部屋を見回した。

 オーディオの前に、黒い影が蹲っている。

 誰だろう?

 祐輔が来ているのか?だが、玄関の鍵は閉まっているはずだ。

 影が、のろのろとした動作で、こちらを振り返った。

 黒いコート。黒いハンチング。黒いスーツに黒いネクタイ。

 わずかの間に、すっかり忘れていたそいつの事を、俺は思い出した。

「死神・・・・・・」

 死神は、立ち上がって俺に甲高い声で言った。

「やあ、葛木さん。調子はどうすかぁ?」

 相変わらず、口角を上げてにやけている。

「お休みのところ失礼。お邪魔してますよ。しかし、人間の音楽なんて、アタシは興味ありませんが、この音楽は良いすね。神を讃える歌に似てます」

「何の用だ」

 俺は、憮然として死神に言った。

 死神は、俺を迎えに来る、と言っていた。

 俺はこの時代に戻され、この時代をやり直そうと決めた。だが、まだ何もしていない。

「やだなぁ、そんな顔して。様子を見に来ただけっすよぉ」

 ハンチングを押さえながら、死神は笑った。

「それで、アナタを縛り付けている想いがどこにあるのか、見当はつきましたか」

「俺は・・・・・・・・」

 俺は、そう、俺の魂をこの世に縛り付けている想いを解消する為、この身体に入った。

「俺は、確かに、今の時をやり直したいと思っている。この時間さえ、うまく行っていれば、俺は木綿子を幸せに出来たんだ。生まれてくるアイツに、親父はギタリストなんだ、って胸を張って言えるんだ」

 俺は、弁解するような声で死神に言った。

 死神は、困ったような顔をした。

「葛木さん、アナタ、運命を変えようなんて考えちゃいけません。アナタの運命は既に定められていたことなんすよ。どうあがこうが、それは逃れられません」

 だが、俺はこの時間の俺自身を変えたい。

「それは、結構な事です。そうする事で、アナタの後悔が解消されるならね。そうすれば、アナタはこの世に思いを残すこと無く、晴れて天国の住人になれる。だが、しかし、運命は変えられない。アナタの運命は」

 死神が言った時、玄関のチャイムが鳴った。

 祐輔だ。マネージャーと会った後、ここに寄ると言っていた。

「まあ、いいでしょう。アナタがここに残す想いを昇華した時、またお会いしましょう」

 死神の身体が、壁に吸い込まれていく。

「じゃ、また」

 声だけを残して、死神は消えていった。

 玄関のチャイムは、ひっきりなしに鳴っている。

 俺が寝ていると思って、俺を起こすつもりで祐輔がしつこく鳴らしているんだろう。

 俺は、死神が消えた壁を一瞥して、玄関へ祐輔を迎えに行った。

「起きたか」

 ドアを開けると、昨日と同じように祐輔が立っていた。

「今日は抱きつくなよ」

 ヘンな警戒心を出しながら、祐輔は靴を脱いだ。

 キッチンの冷蔵庫を勝手に開けて、コーラの缶を出す。

「お、今日はオムライスだ!」

 祐輔は冷蔵庫の中を見て、驚嘆した。木綿子が作り置きしてくれる俺達の昼飯のメニューは、オムライスらしい。

「いいなぁ、優しいな、木綿ちゃん」

 祐輔は子供みたいに、はしゃいだ声をあげた。

 昼飯が楽しみだ、と言いながら祐輔はリビングのテーブルに座った。

 今日の祐輔は、妙にはしゃいでいる。

「何か、良い事でもあったか?」

 俺の質問に、祐輔はニヤリと笑った。

「さっき、マネージャーに会ったんだけどさ」

「それで?」

「お前、そんなに落ち着いていられるのも今のうちだぜ」

 祐輔は気を持たせるように、俺を見上げた。

 祐輔の顔は、にやけた笑いが張り付いているように唇の端が上がっている。

 俺は、壁に消えていった死神の顔を思い出し、少し嫌な気分になった。

「あー、ダメだ、笑いが出ちまう」

 祐輔は気を引き締めるように、自分の手で自分の頬をぴしゃりと叩いた。

「何なんだ」

 俺は、嫌な気分を悟られたくなくて、祐輔から眼を逸らした。

「あのな」

 祐輔は、俺の肩を掴んで、逸らした俺の顔を無理やり自分のほうへ向けさせた。

「俺達、テレビに出るんだぜ」

「今、何て言った?」

 テレビ、と言ったか?

「テレビだよ、テ・レ・ビ!」

 祐輔はテレビの三文字を区切った。

 俺は、記憶を反芻した。 

 確かに、俺達はたった一度だけ、テレビに出たことがある。

 俺の記憶の中では、あまり良い思い出じゃなかった。

 アイドル歌手のスケジュールのブッキングで、空いた穴の、穴埋めの為の出演だったはずだ。

 それでも、初めてのテレビ出演に意気揚々とテレビ局へ行った。しかし、俺達はいかにも場繋ぎ的な出演で、持ち時間も他の連中より短かかった。番組のプロデューサーに、持ち時間の都合上、自分達の曲の部分部分をカットして、時間内に収めるように言われた。自分達の曲をそんな風に扱われるのは、屈辱だった。

しかし、俺達はプロデューサーの言葉に従い、結果、消化不良の間抜けな演奏をしただけで一度きりのテレビ出演は終わった。

「どうした、呆けた顔して。テレビに出るんだぜ?もっと嬉しそうな顔しろよ。まあ、アイドルの穴埋めで急遽、ってとこだからマネージャーが無理にねじ込んだみたいだけどさ、コレって、チャンスじゃねぇ?」

 祐輔は嬉しそうに、俺に笑顔を見せた。

 チャンス。

 俺もその時はそう思った。

 これは、チャンスなんだと。俺達の存在を知らしめるチャンスなんだ。そう思った。

 実際は、大人しく言われた通りの演奏をこなしただけの俺達には、何のチャンスもめぐってこなかった。反響も無かった。

「何だよ?嬉しくねぇの?お前」

 祐輔は、考え込んでいる俺を小突いた。

「いや、びっくりして、さ」

 ようやく俺は、祐輔に返事をした。

「でさぁ、一応、デビューシングルの曲をやれってマネージャーに言われたんだけど、どうする?やっぱ、メジャーデビュー果たした曲だから、それでいいんだけどさ、アレンジとかちょっと、なんて言うかテレビ用とかに変えたりしても良いんじゃないかと思うんだけどさ。お前、どう思う?」

 祐輔は、嬉々として話し続けている。

「ああ、いいんじゃないか?」

 俺は気の抜けた返事をした。

 祐輔は、俺の返事に不満げな顔をした。

「何だよ、お前。乗り気じゃないのか?」

「いや、そんな事は無い。ただ、ちょっといきなりでビックリしてさ」

 あの時、俺達は自分達が最高の演奏を披露できるよう、曲のアレンジを一新して出演に臨んだ。そして、消化不良の気分を抱えたまま、とぼとぼと家路についた。

 あんな嫌な思いを、もう一度体験しないといけないのか。

 それを思うと、俺は死神にあった時以上に嫌な気分になった。

「コウイチと亮太にも早く教えないとな」

 明るく言う祐輔の声が、更に俺を憂鬱にした


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