Ⅹ
細い石畳の続く坂道。
坂の天辺まで上る途中、脇道に入ったところに、今夜のステージがある。
あまり大きなハコじゃない。百人程度詰め込めば満員になる。それでも、プロデビュー
する前から、世話になっている。
俺達は、ここで定期的にライブを演っていた。プロとして活動しだしてからも、そのライブハウスは俺達の活動の拠点だった。
ライブは夜の七時から。
夕方から入って、リハをやる。
祐輔にそう聞かされてから、俺の心臓は高鳴りっぱなしだった。
ステージでプレイする事ができる。
ずっと、長い間忘れていた、思い出そうともしなかった音楽と言うステージ。
思い出そうとしなかったんじゃない。
自分の記憶に蓋をして、無理やりに閉じ込めてきた。そうしなければ、俺は生きていく事が出来なくなっていた。だが、今は―。
祐輔に連れられて、バックヤードを通り抜け、塗装の剥げたドアの前に、俺は立っていた。
このドアの向こうに、懐かしいヤツ等がいるはずだ。
俺の心臓は、更に速くなった。
あまりの速さに、脳味噌までくらくらする。血が、心臓からものすごい勢いで送り出され、脳まで達した後、同じようにすごい速さで引いていく。
「お前、具合でも悪いの?」
祐輔が、不審な目つきで俺を見る。
「顔、青いよ」
俺は、貧血でも起こしそうなくらい、くらくらしていた。
祐輔は、ドアのノブに手をかけ、握った。
開けるな。そのドアを開けないでくれ。
ドアが開けば、全てが砂で出来た像のように、風に吹かれてサラサラと崩れ落ちていくような気がした。
だが、一方で、早く懐かしい顔ぶれを早く確認したくてうずうずする。
頭が、くらくらする。
現実なのか、幻想なのか。いや、これは全て俺の過去の出来事を体験しているんだから、俺の幻想かもしれない。リアルな幻想。それでも、俺は木綿子を抱きしめる事が出来た。ギターをまた弾く事ができた。祐輔と、再会する事ができた。
現実なんだ。そう自分に言い聞かせた。
祐輔は、俺の心中なんてお構い無しに、なんの躊躇いも無く、ドアノブを回した。
俺は、眼を開けているのが怖くて、まぶたを固く閉じた。
「おーっす」
祐輔は声をかけながら、ドアの向こうへ歩いて行った。
「おはよー」
「新曲、できたかー?」
ドアの向こうから、思い思いの声が聞こえる。
俺は、心臓を掴まれたような痛みを憶えた。
「陽平、何してんだ?」
ドラムのコウイチだ。コウイチが俺に話しかけている。
ゆっくり、眼を開けると、目線の先に上半身裸の筋肉質なコウイチの姿があった。
俺は、コウイチに向かって足を踏み出した。二歩目からは駆け足になった。
コウイチに抱きついた。
「なっ!何だ、いきなり」
「コウイチっ!」
「なんだ、こいつ泣いてんの?」
すぐ傍から、ベースの亮太の声がする。顔を上げると、亮太が俺を不思議そうに覗き込んでいた。
「りょうた・・・・・・」
俺は、涙眼で、亮太に手を伸ばした。
「ひえっ」
亮太は、その手を避けようと身体を引いた。
「気をつけろよ、そいつ今日おかしいんだ」
祐輔が、苦笑いで言い放った。
「感動の再会なんだ、浸らせろよ」
俺は、無理やりに亮太の首に腕をかけ、右腕にコウイチ、左腕に亮太の首を抱きしめた。
俺の仲間だったヤツ等。
遠い昔に離れた仲間が、全員俺の前にいる。
俺は泣いた。涙が止まらない。
二度と会うことなんて無いだろうと、記憶から消し去ろうとしていた、懐かしい仲間達。
一緒に夢を追いかけて、諦めて、そして離れ離れになった。
もう少ししたら、俺達はバラバラになる。
俺が送ってきた人生では、その予定だ。
デビューシングルは、あまり売れてはいなかった。
大して知名度も無い、ロックバンドなんて、掃いて捨てるほどいる中でビッグになるのは思っていたより難しかった。テレビにでも出たら知名度は上がるのかもしれないが、そんな仕事は来なかった。地道にライブハウス廻りを続けるしかなかった。
バンドが二枚目のシングルを発表した頃、俺達は、現実の重みに耐えられなくなっていく。二枚目のシングルは、レコード会社のお情けで出したようなものだった。売れなければ契約解除。その現実は重かった。レコードは売れず、レコード会社から最期の手段として、マネジメント方針の変更を言い渡される。バンドの路線変更を迫られた。
だが、俺達には、ハードロックを捨てることなんて出来なかった。
そして、レコード会社の契約解除と共に、俺達のバンドは消滅した。
今は、バラバラになることなんて予想してない、一番楽しかった時間を過ごしていた頃だ。
俺達は、大学で知り合った仲間だった。学部は違うが、同じ軽音のサークルにいた。コウイチは別の学校だったが、祐輔の幼馴染で、バンドを組む時に祐輔の紹介でメンバーになった。
バンドの結成当初は、ストーンズのコピーをやっていた。俺は、もちろん、キースに憧れてギターを手にした類だったから、ストーンズをやるのは楽しかった。
学際で初めて人前で演奏した時、御他聞に漏れず、音楽の道に進みたいと決意を固めた。だが、音楽の道に進むためには、それぞれの技術の向上はもちろん、オリジナルの楽曲も必要だし、自分達のスタイルだって考えなければならなかった。
色んな音楽のジャンルに手を出した。俺達は、色んな分野の音楽を聴きながら、やがてハードロックと言うジャンルに出会った。この頃、へヴィメタルはジャンルとしてそこそこ認知度があった。ツェッペリンやディープパープルが、それだったが、音楽が多様に変化していく中で生まれたハードロックは、まだこの国ではジャンルとしてへヴィメタルに一括されていたと思う。ハードロックの認知度を、この国で爆発的に上げるバンドが世界に登場するまでには、もう少しの間があった。そして、ヴァン・ヘイレンが世界を圧巻した。エドワード・ヴァン・ヘイレンのトリッキーなギターに俺は熱中した。バックビートにアクセントを置き、サウンドを重視した、ハードロックと言うジャンルは、俺達を熱中させた。
俺達は、ハードロックをやる。
日本のロック界に名を残すバンドになる。
十代の終わり、まだ、大人になりきれない若さを残した俺達は、音楽で道を立てることを目標にし、ライブハウスで本格的に活動を始めた。
小作りで整った顔の祐輔を、ルックスでウリにしようと冗談で誰かが言ったが、祐輔は頑として聞かなかった。見た目で人の気を惹いても、そんなのはロックじゃない。激しさがあってこそのロックだ。そう言って、男臭さを意識して出していた。
俺達は本格的なハードロックをやりたかった。
世間では洗練されたテクニックとルックスのミュージシャンがもてはやされ、男臭さを押し出したバンドは、泥臭さかった。
まだ、俺達の音楽について来てくれるファンは少なかった。日本で、バンドをやることがブームになるのは、まだまだ先の話だ。かろうじて一部のLAロックのファンが、俺達を聴いてくれるくらいだった。
ヴァン・ヘイレンが有名だったとは言え、この国のロックシーンでは、ハードロックとへヴィメタルの境界は無いに等しいくらいだったんだ。レコード会社が俺達を拾い上げてくれても、俺達が認知されるには、時間がまだ必要だった。
あのまま、解散せずにバンドを続けていたら、俺達の音楽は時代とマッチしていっただろう。あと、もう少し時間をかければ、強烈なハードロックの時代が来る。それは、もう目の前だったんだ。
だったら、俺は何をすべきなんだ?
俺は、俺が音楽の世界から離れた後、世界を熱狂させるバンドがいくつも生まれたのを知ってる。ディープパープルはメタル的な音楽からハードロックへ移行した。八十年代の半ばから九十年代、時代はハードロックの隆盛を極める。
それを知っている俺が出来る事。
もう少し。
バンドをもう少し続けていれば。
俺達は、時代に受け入れられる日が来たのかもしれない。
あの時、青春と呼べる日々を過ごした仲間達。
あの頃と同じ姿のままで、俺の前に再び現れたんだ。
やり直す事。
運命を変える事。
そうだ。
俺は、運命を変えるんだ。
「ちょっと、気持ち悪ぃ!離せよ」
亮太が、俺の腕から逃れようともがいた。
「お前、いい加減にしろよ。何だよ、感動の再会って。しょっちゅう顔つき合わせてるくせによ」
「何だよ、頭でもおかしくなったのか、こいつ」
「ヘンなんだよ、こいつ。俺にも抱きつきやがった」
それぞれが勝手に俺の事を変人扱いする。
その声を聞きながら、俺はまた涙が溢れてきた。
「あー、もう、男に抱きつかれるなんて趣味じゃねぇんだよっ」
筋肉質のコウイチの腕が、俺の脇腹を抱え上げ、俺はまた床に横倒しになる羽目になった。
床に倒れたまま、俺は笑いが込み上げてきた。
あの頃のままだ。
みんな、俺の前にいる。
声を出して笑う俺を、他の三人が囲んで、気持ち悪そうに見下ろしている。
「こいつ、ホントおかしいんじゃないの?こんなんで今日のステージ大丈夫か?」
亮太が、自分のこめかみの辺りで人差し指をくるくると回しながら言った。
「ギターはまともに弾いてたから、大丈夫なんじゃないの?」
祐輔が怒りを噛み潰してそっぽを向いた。神経質な祐輔は、ふざけるのが嫌いだ。俺にとって、これはふざけているんじゃないんだが、俺の身に起こっていることをメンバーたちに説明するのは難しい。
「どうしたんだ?お前」
コウイチが座り込んで俺を覗き込む。
俺は、泣き笑いの顔を上げた。
「嬉しいんだ。お前達がいることが。ありがとう、いてくれて」
コウイチの問いに、素直な気持ちで応じた。
「ヘンなヤツだな。まあ、いいけどさ。俺達に感謝するってんなら、最高のギターで返してくれよ」
コウイチは、苦笑いをしながら片手を差し出し、俺の腕をつかんで床から引き起こした。
最高のギター。そうだ。俺はライブを演るんだ。
俺の身体、俺の指はギターを憶えていた。
コウイチのドラム、亮太のベース。
祐輔の歌。
それに俺のギター。
また四人で演るなんて、俺には夢のようだ。
リハを始める。今日は、ワンマンらしい。他のバンドの姿は見えない。
俺は、Tシャツの裾で顔を拭き、ギターを手にした。
祐輔が、曲のリストを俺に見せる。
「曲順、間違うなよ。お前いつも曲順憶えてないだろ」
そう言って、祐輔はアンプの足元にリストを貼り付けた。
祐輔と二人で作ったオリジナルが、リストに並んでいる。
曲のタイトルを確かめながら、俺の中にメロディーが蘇ってくる。
アンプにシールドを繋ぎながら、俺の手は震えが止まらなかった。
心臓が高鳴る。心臓から送り出される血液が興奮を促す。
「よーし、始めるぞ」
コウイチが、スティックで軽くスネアを叩きながら言った。
一曲目は、タテ乗りの激しい曲。
コウイチのドラムソロから始まる。ドラムのリズムを聴きながら、俺の心臓は落ち着きを取り戻していく。
二小節目から亮太のベースが、ドラムに重なる。二人のセッションに割り込むように俺はギターを鳴らした。三人の激しいセッションが始まる。とっくに忘れていたと思っていた曲は、頭の中で鮮明に蘇り、俺の指は俺の意思なんて関係無く勝手に動き出す。
祐輔が一瞬、怪訝な顔をした。
イントロのセクションの終わりと共に、祐輔の高いキーでヴォーカルが始まる。
あの頃のままだ。
あの頃のままの音。
俺はギターを弾きながら、また泣きそうになった。
激しいビートが続く。インテルメッツォ。俺の指は、激しい動きを止められなかった。
身体の中から、熱いものがこみ上げてくる。
クラシカルで高速のアルペジオ。激しいフレーズ。俺は、いつの間にか、元々の予定には無いフレーズを勝手に生み出し、ギターをかき鳴らしていた。
最後のフレーズを弾き終えて、一瞬の静けさが場を包んだ。
「なんだ、お前・・・・・・」
祐輔が、目を丸くして俺を見た。
他のメンバーも、手を止めて俺のことを見ている。放心状態の頭で、俺は考えた。
何か、おかしかったか?
呆けた顔で、メンバーの顔を見回した。
「なんだよ、そのアドリブ!」
祐輔が大きな声を出した。
俺は、もともとの曲の流れに無いアドリブでソロを弾いた。
勝手なアドリブで祐輔を怒らせたのかと、思ったが、祐輔は笑顔だった。
「サイコー!なんで今までやらなかったんだよ、この野郎!」
亮太がはしゃいで、マイクを通して言う。
「お前、それで行けよ、今日の曲全部、お前のアドリブ入れて演ろう!」
コウイチが興奮気味に言った。
「まったく、普段からそれぐらい熱入れて弾けよ」
祐輔が言った。
俺は、ようやく、仲間との再会が、リアルなものになった。




