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I.o.method  作者: 鈴木真心
Chapter 2
9/14

理由と気持ち

エィツに礼を述べ、早々にアルジアへと向かい、ターニャの飯屋に到着したのはその日の夕方。

これから北のイシュバジルへ向かうには、イリッシュもいるため、もちろん徒歩となる。

よって、旅支度を整えるためにも一泊必要だった。


そして彼は、いつになく不機嫌甚だしかったのだ。



「ジタン、どうした?」



一日ぶりのシャンプーの匂いを振り撒いて、がしがしと頭を拭きながら、ぶすけるジタンに問い掛けた。



「……」

「主様を無視すんのか」

「……しない、けど」



けど、何だ。


ベッドの上で膝を抱えて、ちら、と向けられた視線はすぐ逸らされる。

言いたいけれど言えない。

そんな雰囲気が滲み出ていた。



「何、怒らないから言ってみな」



隣に腰掛けたなら、ぎし、とベッドが鈍く軋む。

びく、と肩が揺れて、「うー」と小さく唸ると、また沈黙を守ってしまった。



「お腹でも壊した?」

「……違う」

「疲れちゃった?」

「……違う」

「どうしたか言ってくれないと、あたしにはわからないよ」



ようやく交わった漆黒は、ただただ、不安に揺れていた。



「俺、ウィンズがすきなんだ」

「……知ってるけど」



何を今更。


あれだけ大々的に愛情表現されれば、いくらあたしが鈍かろうがわかる。

が、返答が気に入らなかったのか、ぎゅ、と眉根に皺が刻まれた。



「違う、だいすきなの」

「うん、知ってるよ」



あたしはこの時、『だい』の部分が伝わらなかったことが気に入らなかったんだろうと。

そう思っていた。

そうだと疑わなかった。


──天地がひっくり返るまでは。



「……」

「……」



まさに。

まさに今、天地がひっくり返った。

あまりに驚きすぎて、声も出ない。


ジタンは覆いかぶさったまま、ひたすらにあたしを見つめていた。

その漆黒の瞳で。



「違う……違うんだ、ウィンズ」



ああ、また泣きそうになって。

あたしはその瞳に弱いんだって、知っているはずなのに卑怯だ。


その毛並みのいい髪を、耳を、撫でてあげたいのに、体は力が抜けてしまっている。

真っ直ぐな視線に射抜かれて、まるで、ピンに刺さった蝶みたいだ。



「違う……違わないけど、何か違う。上手く言えないけど……」



必死に絞り出したらしい言葉は、語尾が震えている。

つぐんでは開き、またつぐんでは開き。

自分でも上手く言葉にならないらしく、眉根の皺が深くなっていくのが見えた。



「俺……俺、記憶も、なくて……言葉もあんまり、知らなくて……」

「……うん」



ようやく、それだけが口から零れる。



「知ら、なくて……でも、」

「……うん」



心が痛い。


ひたすらに言葉を探すジタンに、そんなことを感じた。

ひたすらに言葉を探して、ひたすらに伝えようとするジタンに。



「でも、でも……でも、ウィンズが、すき、なの……」



息が、止まった。


あたしはばかだ。


あたしは、ジタンの気持ちをわかっていなかった。

主になったのは成り行き──本当に?


運命なんて信じてない。

そんなものはこの世にない。


それでも、震えるこの子を抱きしめたいと思う気持ちは何だろう。

親心とは違うようなこの気持ちは……何だろう。


嘘じゃない。

ジタンの瞳がそう言っている。

だいすき。

ジタンの瞳がそう言っている。


だいすき。

だいすき。

傍にいて。

傍にいたい。

離さないで。

離れたくない。

──愛して。


記憶がないが故に、何もわからないが故に、信頼する者があたししかいないが故に。


だからあたしが『主様』。

だからあたしが……『お姫様』。


散らばったあたしの白をジタンの手が優しく掬う。

ただただ、慈しむように。

その手があたしの唇をなぞる。

ゆっくりと、震えながら。



「……だいすき、ウィンズ」



ゆっくりと降りてきた端正なその顔は、確かに、青年の表情をしていた。


一瞬、全てはあたしの勘違いかもしれないと思った。


ジタンはまだ、無垢なのだから。

親しい者があたしだけだから、主があたしだから、感情がごちゃ混ぜになっているのかもしれないと。


それでも。



「……ん」



降ってきた柔らかな感触を何故か、拒めないあたしがいた。


どうしてなんて、わからない。


触れて、啄んで、恐る恐る侵入してきた温かな舌を絡める。



「ふ、あ……んう」



自分のではないような甘ったるい声と、それを追うように水音が鼓膜を打つ。

大きな手で耳を塞がれて、それらは、体の中で甘やかに響いた。


こんな口づけは初めてだ。


求められ、慈しまれ、存在を確かめられているような口づけ。


要領を得たらしいジタンの舌が、優しく歯裏をなぞる。

思わず反った背筋が、ぞくりと震えた。

その隙間にするりと手を差し入れられ、上手く力が入らない。

支えられた体は不安定で、揺れるような感覚に陥った。



「……は、ジ、タン……」

「ウィンズ……」



離れた唇を細い銀糸が繋ぎ、ジタンの舌がそれを舐め取ったのが視界の端を擦った。


一瞬、後悔を滲ませた顔が、あたしの胸元に沈む。



「ごめ、なさ……ごめんなさい……やだ、嫌いにならないで、ならないで……ウィンズ……」



小さくため息が漏れた。

あたしこそ、とは言えなかった。


──ならないよ。


聞こえたかはわからない。

どちらでもよかった。


その体を抱きしめたなら、腰に回されたその手に、ぎゅう、と力が籠もるのを感じた。


流されたのか。

それはわからない。

流されたのかどうかさえ、あたしにはわからなかった。

ただ、応えたい。

そう思ったあの瞬間は、きっと真実。



「大切だよ」



少なくとも、出会った時よりはずっとずっと。

ジタンといる時間は、確かに、過去のそれよりずっとずっときらめいている。


ジタンの気持ちはやっぱり、あたしからしたら勘違いかもしれない。

あたしの気持ちはまだ、曖昧にしかかたちをなしてはいないけれど。


その両腕に力を込めて、ただ今は、この子を離さないように。




翌朝、六時。



「……ウィンズ?」

「うーん……」



もそもそと寝返りを打つ。

まだ早朝なのに何……誰?



「ウィンズ」

「!?」



飛び起きた。

するり、空しく上掛けが滑り落ちる。



「……」

「……」



ドアの先には、目を見開いたターニャ。

しっかりと目が合った。



「……胸、まる見え」

「……はい」



飛び起きたせいで上掛けがずれて、ジタンの上半身もまる見えだ。

ターニャの視線は、それは素早く全てを確認した。



「一言だけいい?」

「……どうぞ」



気まずい空気が部屋中に漂って、知らず目が泳ぐ。



「イリッシュのことが済むまで、避妊はしてよね」

「……はい」



って言うしかなかった。


ようやく上掛けを胸元まで引き上げて、肩を落としたのは言うまでもない。





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