ヴァーユ
ビーチェの店を出た頃には、すっかり日が落ちていた。
もとが暗い店内だったから、そんなに違和感はない。
ジタンの手にある黒星石は、闇にあってもときどききらりと煌めく。
「初めて見たけど、不思議な石だねえ」
「グローブにくっつけてくれるんでしょ?」
「右手が空いてるからね」
『宵闇の兎』と呼ばれる武器商人なら、果たしていくらの値をつけるだろうか。
彼女はまあ、たくさんのお宝を持っているから、主人を選ぶような気難しい石は欲しがらないかもしれないけれど。
何にしろこれで、ジタンは炎を扱える。
風と炎か。
「上手く連携を取って闘えば、あたしとあんたは、相性いいかもね」
風は炎を煽り、相乗効果が生まれる。
もちろんあたしの風は、炎を遮り鎮火するだけの力もある。
何にも染まらない漆黒は、同じ色を持つジタンによく似合っていた。
「すぐに市場に行く?」
「そうしたいけど」
果たして市場が、ビーチェが言った男が、この時間までやっているかどうか。
「行くだけ行ってみるか」
宿を取るほどの金も時間もない。
金は全て、ターニャに預けてきていた。
市場までそう遠くない道を今度は、堂々と歩きだした。
夜道は歩いちゃいけません。
遠い昔に、聞いた気がするけれど。
「久しぶりに遭った」
「そうかよ、俺もだぜ」
夜盗に出くわしていた。
今日はジタンに乗ってここまできたわけで、出会う暇さえなかった。
前後を取られているとは、つけ狙っていたか。
リーダーらしきガタイのいい兄ちゃん……というには少々年増な男が、汚らしい舌で唇を舐めている。
月明かりできらりとナイフや剣をわざとらしく見せつけ、恐怖心を煽りたいらしい。
が、
「誰?」
隣の無垢な漆黒の瞳は、緊張感の欠片もなかった。
「悪い人」
伸すか。
と思ったのも束の間。
「ぎゃあ!」
「うっ!?」
「あうっ!」
隣で風の唸りを感じたと同時に、目の前の三人が瞬殺された。
「う、うう……」
生きてはいるらしい。
──速い。
ひゅう、と風を纏い振り向いたジタンの瞳には、金色の一筋が獣のように浮かびあがっていた。
一瞬にして三人だ。
しかも、得物もなしに体術のみで。
風が、纏わりついている。
ごく自然にジタンを取り巻き、ジタンを受け入れ加勢をしているようにも見えた。
この子もまた、風に愛された者か。
能力自体はなくとも稀に、そういった者は確かにいる。
流石は獣人、人狼族の純血種。
自然は彼らと共にあるのだ。
「てめえらああぁあ!」
「ウィンズ!」
左手を振り払う。
それだけだ。
──ひゅっ。
風が鳴く。
路地裏のより後退した遥か先で、背後にいた四人はくたりと伸びた。
「ウィンズ……すごい」
「ジタンもね」
相性は、間違いなくよさそうだ。
夜盗を縛り上げ、突き出すつもりで引っ立てる。
所々折れているようだが、自業自得なので仕方ない。
気絶した一人をジタンが担ぎ上げたとき、男の腰巻きから、ぼたぼたっと何かが落ちた。
「これ……宝石?」
あたし達より前に、襲われた不運な人がいたらしい。
「あ、もし!それは自分のなんだ!」
市場の方向から掛けられた声に振り向けば、息を切らしながら駆けてくる男が見えた。
どこか見覚えが……。
「あれ、水晶で見た職人じゃない?」
ジタンの言葉に、ああ、と納得する。
無精髭を蓄えた男は精悍な男前で、外見は三十代半ばといったところだろうか。
夜盗に巻かれたらしく、肩の上下はかなり激しい。
「助かった助かった」と、大事そうに宝石袋を受け取った。
「よかったね、おじさん」
水晶を見たときの嫌々な雰囲気はどこへやら。
ジタンは笑顔でそう言った。
「おじさんて」と突っ込みそうになったのを、取り敢えずぐっと堪える。
見た目的には間違っていない。
「いやあ、本当に助かったよ。商品掻っ払われて追い掛けたんだが、どうにも追いつけなくてなあ」
がははは、と豪快に笑った彼は、今度ははたと、あたしを見た。
「『風の魔女』とお見受けするが?」
「知ってるの?」
「こう暗くちゃ何だ。お礼も兼ねて、うちに来てはどうだ」
願ったり叶ったり。
「ついでに泊まっていけよ」と言われ、今夜の宿は決まった。
「こう見えて俺の本職は武器職人でね」
煎れたてのお茶を出しながらそう言った彼は、エィツ・マッケンローと名乗った。
「あんたらほどじゃあないが、少しばかり魔力もあってな。婆さんが魔術師だったってわけだ」
彼が言うには、その婆さんとやらには放浪癖があるらしく、しばらく見ていないとのことだった。
まあ、魔術師なら、どこかで元気にやっているかもしれない。
「魔力があるなら、あいつらやっちゃえばよかったのに」
「そうもいかねえんだよ」
ジタンの問い掛けに、エィツはまた豪快に笑った。
「俺の魔力はもっぱら職人用らしくてな。それなりに体術は仕込まれたが、まあ、普通より強えってくらいだ。足の速さも並の人間と変わらねえ。陣も術も使えねえんだよ」
「職人用って?」
ジタンは興味津々だ。
質問は任せて、お茶を啜ることに専念することにした。
「親父が職人でな。俺の魔力は、武器防具に込めることで発揮されるってえわけだ」
部屋中ずらりと並べられた武器防具──さっきから一味違うと思っていたが、原因はそれか。
確かに、腕のいい職人だ。
それにしても、陣を張れないとなると。
「この店の陣は誰が?お婆様?」
話からすれば、エィツではないはずだ。
しかし、確かにここには、強力な陣が張られている。
ああ、とエィツは立ち上がり、四方に灯された灯りの一つを指した。
「陣光石を四方に置いてんだ。お得意様がくれてね」
すん、と鼻を鳴らしたジタンは、曖昧な顔で首を傾げている。
匂いがわからないらしい。
つまり、魔力の気配を消すことが出来る者が作った、高度な陣光石というわけだ。
それを見ていたエィツは、何故か、得意気に胸を張った。
あんたが作ったわけじゃなかろうに。
「ふっふっふっ……わからんだろう。人狼のあんちゃんだってわからんだろうよ」
「ジタンだよ」
「そうかジタンか」
「ジタン・トーチ」
「そうかジタン・トーチか」
放っておいてもいいかな。
気の合うらしい二人は、ふっふっふっと笑い合っている。
ジタンに至っては、何故そうしているのかがわからない。
気をよくしたらしいエィツが、大発表とばかりに腕を広げた。
「これを作ったのはな、あの『宵闇の兎』だ!」
「ああ、やっぱり」
し─────ん。
「もっと驚けよ!」
そう言われても。
「だって武器職人なんでしょ?武器商人のあいつと何らかの交流があっても、おかしくないじゃない」
それでいて一流の魔術師といったら、それしかあたしには思いつかない。
相変わらず、古今東西交流の幅が広いことで。
腹が減ったと騒ぎだしたジタンに、エィツが台所へ立つ。
「借りてもいいなら、ジタンに作らせるよ」
「いいのか?悪いな」
「その代わり、お願いがあるの」
ポケットから黒星石を取り出して、エィツにかざして見せた。
「これだけあったら、カツの卵とじ丼と卵スープが作れるねー」
「まあ……そうね」
うきうきと腕まくりをするジタンを台所に残して、作業場へと顔を出した。
「どう?」
「ずいぶんといい品だ。どこで手に入れた?」
すっかりやる気満々なエィツは、灯りにかざして黒星石を眺めている。
「ビーチェっていう占い師の店でね」
「あの婆さんとこか。よく買えたな」
「ジタンにくれたの」
「珍しいこともあるもんだ」
魔力ある者の間でビーチェは有名だ。
そしてまた、彼女の人嫌いも有名な話だった。
「お前さん達には助けてもらったしな。三時間もありゃあ、立派な魔具に仕立ててやるぜ」
「頼むわ」
タダと思っていいだろうか。
いざとなったら、足りない分は後日支払いに来ないとならないかも……。
作業は本職に任せて、台所も大丈夫だろう。
手持ちぶさたに煙草をくわえ、壁を覆い尽くす見事な魔具達を見て回る。
伝説の品とまではいかずとも見事な出来映えが、エィツの腕が一流であることを物語っていた。
「すごいわね……そりゃあ、あいつも取引したいはずだ」
魔力を込める、というだけあって、それぞれに魔具と言うに劣らない魔力性能が付属されている。
エィツの魔力は、内に込めることに特化しているのだろう。
まさに、職人用だと思った。
「破壊のために使うより、ずっといいね」
例えこれらが、それを目的に作られたとしても。
使い方次第、持ち主次第なのだ。
これは、とある武器商人の言葉だったけれど。
夕食で一旦休憩に入ったエィツは、もう少しだからと作業に戻っていった。
適当に奥の部屋を使ってくれと言われ、洗い物を済ませてからジタンと共にそこへ向かう。
小綺麗にされたそこには、ダブルベッドがあった。
ダブルは流石にどうだろう。
今までの一ヶ月、同室だったとしてもベッドは別だった。
ジタンはそういった気配さえさせないけれど、そうは言えども青年だ。
……体だけは。
いや、あたしだって生娘なわけじゃないけれども。
まあ、大丈夫か。
「ウィンズ、お風呂は?」
「先に借りてきていいよ」
いってきまーす!と元気に出ていったジタンを見送って、ベッドに身を投げる。
──あれ……?
急激に襲ってきた眠気に、視界は少しずつ、遮られていった。
──あたし、こんなに疲れてたっけ……?
一面は緑だった。
空は限りなく白に近い青で、緩やかにまた白が流れゆく。
小鳥の囀り、木々の柔らかな葉擦れ、頬を撫で髪を攫う風は優しく通り過ぎてまたやって来る。
ざあ、と風が鳴いた。
「はじめまして」
「参ったな……」
突如現れた彼女の言葉と、あたしの言葉が重なる。
光を纏う黄金の長い髪、透けるような真っ白い肌。
空の色をした右目と緑の色をした左目は、空と大地を繋ぐ役割であることを指している。
それをあたしは知っていた。
「ふふ、ずいぶんね。わたしはずっと待っていたというのに」
ふわり、と彼女が笑う。
あたしも笑うしかない。
あたし如きでは、手に負えないからだ。
「あなたの名前は?」
「知っているでしょう」
「たぶんね、一応よ」
不躾な物言いにも、彼女は柔らかく笑ったままこう答えた。
「ヴァーユ」
それは、今は失われつつある古代神の一人の名前。
そして『あたし』が『あたし』である限り、何よりも身近であるはずの神──『風神』の名前だった。
「あなたは何と言うの?」
「ウィンズ・ゼロムス」
「『風』の名前を持っているのね」
嬉しそうに彼女が笑えば、それに応えて風が凪ぐ。
どうしよう……神様なんて、この上なくこわいんだけど!
そうは思えど完全に意識を引っ張り込まれている今、あたしにどうこうはまず出来ない。
そう、ここは精神世界だ。
「待ってたって、どういうこと?」
「ああ……あなたのいる今より少し昔の人間がね、わたしの一部を現世に引っ張り出してしまったの」
すごいことをした奴がいたもんだ。
あたしの苦い顔に気づいたかどうか。
それはわからないが、彼女は話を進めた。
「せっかくだから、そのままにしてあるのだけれど」
風は自由であり、ありのままを受け入れる存在。
すなわちそれは、司る神の気質そのものと言える。
彼女はまさにそれだ。
ほう、と頬に手を当て嘆息する様は、どこか演技じみている。
面白がっているようにも見えるのは、気のせいだと思いたい。
「なかなか『わたし』を扱える者がいなくて、寂しい思いをしていたの」
「まあ、そうでしょうね」
神とはすこぶる我が儘であると、それは遥か昔から語られている。
気難しく、自由奔放。
気に入らなければ容赦なく切り捨て、崇めなければへそを曲げて天罰を下す。
善も悪もなく、それはただ神の意志だ。
神々が見目麗しくあるのは、その方が神自身、都合がいいからに他ならない。
と、どこぞの悪女が語っていた覚えが記憶の片隅にあるが、否定は出来ない気がした。
賛同もしたくないが。
「あなた、使ってくださらない?」
……。
「あたしが?」
「あなたには『わたし』の力があるでしょう?わたしが気に入ったのだもの、きっと『わたし』の一部も扱えるわ」
そもそもヴァーユの言うそれが、どんなものかもわからない。
が、断ったら断ったで、末恐ろしい気もする。
悶々としていたなら、また風が鳴いた。
「その家の主に言えばわかるわ。『ヴァーユ』よ──」
目の前は、真っ白になった。
──重い。
気がついて最初に思ったのは、そんなことだった。
「……何故に抱きついて?」
すやすやと寝息を立てるジタンの漆黒に縁取られたその目はもちろん伏せられており、長くも青年らしい手足は、がっちりとあたしをホールドしている。
ふわふわとした髪の毛が、あたしの鼻を掠めた。
あ、柔らかい。
何ていい毛並み……
「ぶえっくし!」
「ウィンズ!」
それは素晴らしい寝起きで飛び起きたジタンが、覆いかぶさるように、今度は前からあたしをホールドした。
「よかった!よかったああぁあ!ウィンズ、全然起きなくてね!俺、心配で寝れなかった!」
「寝てたよ」
「寝れなかった!」
「そうか」
まあいい。
うるうるの瞳には、どうせ適わないのだ。
「わかったから離して」
「離さない!」
「何で」
「心配した!」
それは本当らしい。
巻きついた腕は、小さく震えていた。
宥めるように撫でてやれば、落ち着いてきたのか、少しだけ力が和らいでいく。
人狼というより、子犬みたいだ。
「……心配、した」
「そうか」
「本当に心配したんだ」
「うん、ごめんね」
「神様に呼ばれてました」何て、言える雰囲気でなく。
窓からは朝日が射している。
ずいぶんと気を失っていたわけで、やっぱり、彼としては不安だったのかもしれない。
「置いていかないで」
小さく、耳元で呟かれたそれの真意を知る由はないけれど。
より引っつき虫と化したジタンを引きずるように台所へ行けば、輝かんばかりの笑顔でエィツが迎えてくれた。
「よう、コーヒー飲むか!?」
「元気だね」
「徹夜明けだ!」
ありがたくちょうだいして、煙草をくわえ椅子に座る。
エィツもまた煙草をくわえて、あたしの灯した火で先に白煙をあげた。
「渾身の出来だ」
渡されたグローブはジタンに渡したものと同じ焦げ茶色をしていて、中央には黒星石が鎮座している。
やはり左のグローブと同じく指先は出るデザインで、薬指の部分には、小さな漆黒の石がついていた。
「これは?」
「ジタンは人狼なんだろ?お似合いだと思ってな。安心しろ、全てサービス、お礼だから受け取ってくれ」
徹夜明けとは思えない晴れ晴れとした笑顔で、エィツはそう言う。
本当にタダでいいらしいから、お人好しもいいところだ。
「ありがたいけど、大丈夫なの?」
「あの武器商人と取引してんだ、充分稼がせてもらってるさ」
「確かにね」
嬉しそうにグローブを眺めるジタンにそれを渡せば、すぐに嵌めて見せてくれた。
「すごい、手に馴染む」
「そうだろうそうだろう」
革だけでも上等な品だ。
後は、黒星石をジタンがどれだけ扱えるか。
それは、あたしが修行してやれば、早い段階でものに出来るだろう。
扱える……ああ。
「『ヴァーユ』って、わかる?」
すっかり忘れていた重要単語に、エィツもまた「ああ!」と思いついたように手を打った。
「忘れてた忘れてた!」
どたどたと忙しなく作業場に引っ込んだかと思えば、両手に乗る程度の箱を持って帰ってくる。
ずいぶんと仰々しい鍵を開けたなら、見事な細工の真っ白な短銃が姿を現した。
「前に『宵闇の兎』が来たとき、これをお前さんにって言付かってたんだ。ほら、あの人銃マニアだろ?どっかで手に入れたらしくてな」
ひどいノーコンだけどね。
とは言わず。
「何か扱えなかったって言ってたなあ。まあ『ヴァーユ』──『風神』の名を冠するくらいの銃だ、人を選んでも不思議じゃない」
昨日今日と、よくよく人を選ぶものと縁があるらしい。
「とはいえ、流石は名の知れた武器商人だ。こんな伝説級の魔具、お目に掛かろうったって、なかなかそうはいかないぜ」
「確かにね……細工も見事だよ」
真っ白な本体は大理石だろうが、風の魔力が働いて驚くほど軽い。
持ち手に彫り込まれた女神は、夢で見たヴァーユとよく似ている。
瞳に嵌め込まれたアクアマリンとメノウが、魅惑的にきらめき、縁取りの金色が上品さを醸し出していた。
「何らかの力が働いてるのか、傷一つつかないんだよ」
ヴァーユの一部を封じ込めたくらいだから、最もな話だ。
「きれーい」
「そう言ってもらえれば、ヴァーユも喜ぶだろうよ」
エィツの話によれば、銃にも関わらず、弾はいらないらしい。
込める場所はあるが、扱える者にとって、それは飾りでしかないとのこと。
「あんたの力が弾になるのさ、『風の魔女』」
なるほど流石は『風神』の銃だと思った。