占い師の予言
現在、風を斬り、あらぬスピードでジラード荒野を駆け抜けながら、素晴らしい毛並みにひたすら埋もれている。
つまり、ジタンの背中に乗っているのだ。
面倒な盗賊にだって、このスピードなら鉢合わせする暇もない。
何日も掛かる旅路も、このスピードなら一日あれば充分だ。
ジタンがやる気満々なので、休憩はいらないようだし。
何て素晴らしい子か!
後でたくさん撫でてあげよう。
ちなみ、イリッシュの件を放り出したわけではない。
それについて、イリッシュ本人より先に、調査に向かっているのだ。
行き先はアルジア国より西、ラグト国の端にあるワーカー街。
「楽しみだなー」
他国に行ったことがないのか覚えていないだけか、ジタンの声は弾んでいる。
理由は何であれ、やる気があるのはいいことだ。
戻ってからを思うと不安が過るが……いや、今考えるのはやめておこう。
「見えたよ、ウィンズ!」
視線の先には、これまた久しぶりな土地が見えてくる。
何十年ぶりだろうか。
あいつは元気だろうか。
ターニャに会いに行った時のように、何だか嬉しくなった。
何百年生きていようと、会いたい人がいる土地がまだあることは、嬉しいものだ。
街の手前でジタンを人型に戻し、あたし自身の足取りも心なし浮かれている気がした。
ここにいる人物もまた、旧友の一人であるからに違いない。
「誰に会うの?また友達?」
アルジア国とは違った趣きを湛える市場は、土気色のレンガ造りの街並みに人を呼び、そろそろ夕刻を過ぎ夜になろうという時刻にも関わらず、それは活気に溢れていた。
ジラード荒野とメメンテ砂漠に隣接するここは、商人達が立ち寄ることも多い。
通りには、色とりどりお国柄様々な人々が行き交っている。
ジタンはひたすら、目を輝かせていた。
「そう。凄腕の占い師に会いに来たの」
「占い師!本で読んだ!」
説明が省かれて助かる。
自由気ままなジタンだが、こうしてちゃんと、どこにいてもあたしの後をついてくる。
素直というか、従順というか、とにかく、それだけは安心だ。
後で土産の一つも買ってあげようと思った。
それはそうと。
「迷いそうだな」
何十年程度でも、街並みは変わる。
道を変え、家を変え、人を変え、時には国さえも変えていくのが時間だ。
さて、目的地までうろ覚えで辿り着けるといいけれど。
どうにかこうにか記憶を手繰り寄せ、辺りを見回しながら路地裏に入っていくあたし達は、下手したら完全に怪しい者だと思った。
壁に張りついては、細い道を覗き込んで確認する。
「よし、誰もいないな」
目的が変わっている気がしないでもない。
怪しい動きで素早く走り込んで、何とか、一軒の寂れた家に外れそうなドアを見つけた。
ぎいい、と鈍い音によって開かれた空間は、ひたすらの闇だった。
ひょこっと覗き込んだジタンが「あ!」と声をあげる。
「あの人!?」
早い。
まだ入ってもないのに。
「夜目が利くのかい」
「うん!」
指先に灯りを点して、外れないようにドアを閉める。
そのずいぶん先──様々な道具に囲まれた最奥に、彼女は座っていた。
「騒がしい子でね。久しぶり、ビーチェ」
深くフードをかぶった老女が、優しく笑ったのが見て取れた。
狭い店内を何のその、興味深げにうろうろとジタンが見て回る。
お願いだから、何か壊したりしないでくれ。
いち早くビーチェの前まで到着したジタンは、元気よく挨拶をした。
「俺、ジタン・トーチ!お婆さんは?」
「ビーチェ・カザリだよ。よろしくね」
「よろしくね!」
差し出されたビーチェの手を握ってぶんぶん振り回すジタンに、慌てて制止を掛ける。
何を勘違いしたのか、今度は近くにあった椅子をかたかたと運んできた。
座れということらしい。
「人狼の子かい、ずいぶんと懐いているじゃないか」
「どうせ知ってるんでしょ」
「まあな」
「知ってるの!?すごーい!」
ビーチェは大抵のことを知っている。
そして、ビーチェは大抵のことが見えるのだ。
「物知りお婆さんなんだよ」
あたしの紹介に、フードの下の口元が苦笑を浮かべた。
あたしが煙草に火を点けると同時に、ビーチェは引き出しから水晶玉を取り出す。
「早速だけど、よろしく」
後は待つだけでいい。
「ジタンに土産の一つもやるんだろ。この店から、すきなものを持っていくといい」
「いいの?」
「ああ、」
人嫌いのビーチェが、珍しくジタンを気に入ったらしい。
「長生きな者は皆、どうも辛気臭いがね。あんたとジタンは、明るいからすきだよ」
確かにね。
皆、永き時に食われていく。
確実に蝕まれていく。
あたしは違うかといえば、そうではない。
けれどあたしは、それ以上にあの姉に昔から……もう生まれた時から振り回されているのだ。
沈んでいる暇なく姉は次から次へと悪事に勤しみ、尻拭いに奔走するうち、あっという間に時は過ぎていく。
まさに、開き直りと呼ぶべき克服の仕方だ。
「あんたの生き様は見事だよ、ウィンズ」
「心でも読んだ?」
「読まなくたってわかるのさ」
いいのか悪いのか。
何はともあれ、ビーチェからジタンに贈り物がされる。
この店には珍妙なものから貴重、希少なものまであるわけで、これは嬉しい話だ。
「何がいいかな」
「ビーチェ、何かくれるの?」
「らしいよ」
闇に咲き誇るジタンの笑顔に、つられたように、あたし達は笑った。
棚にひしめき合う品々を眺めながら、どれが似合うかを考えつつジタンに合わせてみる。
ジタンはジタンで、あれやこれやと気に入ったものを手に取っては歓声をあげていた。
「そんなにはやれんなあ」
ビーチェの苦笑いに振り向けば。
「ジタン!」
どこの成金かと言わんばかりにじゃらじゃらと着飾った彼が、得意満面でそこにいた。
青年だというのに、この無邪気さはどうなんだ。
「いっぱいすきなのあったよ」
「もう……ん?」
ジタンがつけたのか、たまたま引っ掛けたのか。
腰についた闇より深い漆黒の石が、何故か、煌めいたように見えた。
手に取って、灯りのもと目を凝らす。
「こんなものまであんの」
「流石の品揃えだろう」
ビーチェの言葉に唸るしかなかった。
『黒星石』──黒炎を宿すその石は、全てを焼き尽くすと言われる魔石。
「黒竜が死んだ後、その魂を宿した石だ。竜は気高き生き物、持ち主を選んだようだね」
決まりだ。
気高き魂は、無垢な魂を選んだ。
それに間違いはないと、あたしは断言出来る。
サイズからして魔力増幅器と同じくらいだから、空いている右手にグローブとして嵌めるといいかもしれない。
「本題に入ろうか、ウィンズ」
他の品物を棚に戻して、ビーチェの言葉に頷く。
これからの道標を照らしてくれる時間が来た。
その水晶には、何が映ったのか。
フィルターまで燃え尽きた煙草を灰皿に捻じつけ、小さな椅子に腰掛ける。
興味津々なジタンは、水晶を覗き込んでいた。
「まずはそうさね、黒星石をグローブに取りつける腕のいい職人は、市場の端にいる」
「そこまで見てくれたの」
相当お気に召したらしい。
弧を描く口元は、そうだと言わんばかりだ。
「広場へ抜ける手前だよ。煤けた茶色いテントを張ってる男さ」
「男なんだ」
水晶に映し出された無精髭の男に、ジタンの曇行きが怪しい。
皺くちゃの手が、優しく耳を撫でつけた。
「お姫様のためだ、我慢おし」
そんなことまで知ってるわけね。
ちら、とあたしを見やってから、ジタンは小さく頷いた。
嫌々なのが滲み出ているが、気にしないことにする。
「さてお姫様、」
「それやめてよ」
「白髪の君がいいかい」
「『はくはつ』ね」
気にしているわけじゃない。
ただ、『しらが』は流石に、抵抗がある。
くく、とくぐもった笑い声に、大きく肩を落とした。
「で?」
「ああ。アルジアに戻りターニャの息子を連れて、北の地イシュバジルへお行き」
危険だとわかっている。
けれどあたしも、それしかないと思っていた。
取り敢えず、『氷の魔女』を頼りにするしかないか。
水晶の画像が変わる。
目を細め、砂嵐のように揺れるそれに見入った。
「ドヴェルグ族の生き残りがいるよ」
その言葉に、ジタンと目を合わせた。
何はともあれ行き先は決まった。
後は、あたし達次第といったところか。
ふっと消えた映像を不思議そうに見つめるジタンが、にこっとビーチェに笑顔を向けた。
「ビーチェは何でも見えるの?」
「何でもじゃあない。が、大抵は見えるさ」
ビーチェは大抵を見るが、全てを見通す千里眼を持つわけではない。
いくつもある中の道標の一つを示すだけだ。
何故か。
簡単なこと、魔術師のほとんどはあたしを含め、運命を信じていない。
運命とは何か。
過去が決まっているならば、未来も決まっているということだ。
定められたものからは逃れられないということ。
それすなわち、如何に足掻こうと、未来は変えられないということに他ならない。
そんなもの、信じて堪るか。
あたし達は生きている。
森も動物も泉も木も花も、全てが生きている。
あたし達には意志がある。
自ら選び、思考し行動している。
生まれたなら死ぬ。
それは変えられない自然の理だが、見えない先は自分で選ぶ。
自分で選ぶからこそ、全てには価値がある。
だからこそ、生には意味があり価値があるのだ。
少なくとも、あたしはそう考えている。
ビーチェもまた、似たようなものだろう。
だからあたしはビーチェに結果を聞くことはない。
ビーチェもまた、見えているかもしれないいくつかのそれを口にすることはない。
ジタンもいつか、それを考える日が来るだろうか。
出来るなら、そんな小難しいことを考える必要がなければいいと、密かに思った。
と、そんな胸中知る由もなく、ジタンは完全に前のめりだ。
「俺とウィンズがずっと一緒にいられるか見て!」
……ずっと?
待て、待て待てずっとって何?
ずっとって……ずっと、ジタンはあたしに面倒を見てもらうつもりってこと!?
いや。
いやいやいや、待ってジタン。
自活しようよ、自立しようよ、取り敢えずあんた大人でしょうが!
と言うまでもなく。
初めてじゃないかってくらいに、ビーチェは大声で笑った。
少なくとも、あたしが知る限りでは初めてだ。
「心配いらないね」
何が!?
とはやっぱり言うまでもなく。
「ジタンにとってウィンズはお姫様だ」
「そう、ウィンズはお姫様!」
主様の間違いだ。
「そして、ジタンの世界そのものでもあるね」
「そう、俺の世界!」
意味がわからん。
口を挟むまでもなく進んでいく会話に、ただ、呆気に取られる。
あたしの意志はお構いなしか。
フードの下から覗いた瞳は、今度は、あたしを見つめていた。
「あんたにとって、ジタンは星だよ」
「星?」
「まだわからんだろうさ」
謎の言葉の意味を教える気はないらしく、その瞳はただ、優しく弧を描いていた。
星、ねえ……。
「ウィンズの星かあ……俺、すごいねー!」
「ああ、すごいかもね……」
絶対に意味わかってない。
はしゃぐジタンから逃れられないとばかりの予言に、諦め半分。
そして何故か、気持ちの隅には暖かさも感じていた。