祈り
「ちょっと休憩行ってくるからー」
あの後。
結局ターニャに逆らえず、この飯屋で、せっせと修理代を稼いでいる。
こんなことをしてる場合じゃないけど、動くための手掛かりはゼロだ。
「ありがとうございましたー!ターニャ、俺も休憩していい!?」
昼飯時を過ぎた店内を見渡し、ターニャが笑顔で頷くのが見えた。
思わず、体が固くなる。
「ジタン、待ってるから焦らない……でー!」
「ウィンズ!」と満面笑顔で駆け寄ったジタンに、正面衝突よろしく抱きつかれた。
痛い……だから、焦らないでって……。
抱きつくというより、もはやこれは、タックルという名の攻撃に近い気がする。
「あたしは主じゃないのか……」
「主様だよ、お姫様」
「……わかってない」
寧ろあたしがわからない。
押し倒された格好で溜め息を吐くのは、お決まりになってしまった。
それでもジタンの頭を撫でてやるあたしは、何てお人好しなんだろうか。
まあ、嬉しそうだからいいけど。
そうは言っても、悪いことばかりでもない。
人に触れることで、ジタンは少しだけ、今の時代に慣れつつある。
もともと人懐こいのと美少年面も相まって、今では、この飯屋の看板だ。
ただ、仕事が決まったときの最初のひとことには驚いたけど。
「俺、ウィンズのこと以外に興味ないからしない」
これには、流石のターニャも固まった。
「だってウィンズにはやることがあるんでしょ?ウィンズがしたくないことをする必要はないよ。ウィンズ以外の人の命令は聞かない」
つまりだ。
ジタンの言い分によると、世界で一番大切なのは主であるあたしだということらしい。
よって、ジタンの中では、あたしがやりたいことが優先であり、嫌々なことはする必要さえないと。
そして、あたしがやらないなら、もちろん自分もする必要はないと。
わかるようでわからないというか、ある意味理に適っているというか。
「ジタン、やりたくないわけじゃないんだよ」
「ウィンズ、そのお仕事やりたいの?ウィンズがやるなら俺もやる」
「いや、まあ、ジタンはすきにして構わないけど」
もともと、あの騒動にジタンは関わっていなかったのだから。
と言う前に、ジタンが口にした科白は、またも、あたしの脳天に衝撃を与えたのだ。
「ウィンズは俺の世界だから、ウィンズの言うことが全て」
花の咲くような無垢な笑顔で。
以来あたしは、自分の言葉に注意を払うようにしている。
主であるあたしが気を遣うなんて笑えるけど、それでジタンがいろいろなことを学び取る機会に恵まれるなら、やっぱりそれは、いいことだ。
「お人好しだなあ」
自覚するほどに。
休憩に入ったジタンに連行されながら、少しだけ、本当に笑ってしまった。
飯屋の裏手にある縁側に二人で座り、一息つくべく煙草をくわえる。
ぱちん、と指を鳴らした先の火を点ければ、ふわふわと煙が昇った。
いそいそとお茶を持ってきてくれたジタンを誉めて、その笑顔を肴に空を見上げる。
「ウィンズは煙草吸うんだね」
「ん」
魔術師は大抵吸うんだよ、と言えば、どうして?と返された。
「永いときの一瞬の暇潰しかな」
人狼族のように、種族の全てが長寿というなら、感じ方はまた違うのかもしれない。
ただ、永きを生きると言っても、あたしは人間だ。
普通に生まれていたなら。
同じときを歩めたなら。
普通の人間を伴侶に選んだターニャなら、少なからず、そんな葛藤があったんだとあたしは思う。
人狼であっても、同じ選択をした者なら。
「魔術師で、魔力があって。ウィンズは、それが嫌なの?」
隣の黒くも無垢な瞳が、悲しげな色を湛えて見つめていた。
「嫌じゃないよ。ただやっぱり、見たくないものも増えるかな」
「例えば?」
この子はどこまでも無垢だ。
それが記憶がないせいなのか、はたまた、本来生まれ持ったものなのか。
あたしにはまだ、わからないけど。
例えば。
「例えば、国が滅びるのを目の当たりにしたり。例えば、大切な人が先に逝ってしまったり。例えば、魔力故にそういった手伝いをすることになったり」
それは、例えばの話なんかじゃないけど。
「煙草を吸うとね、そういうことを思い出すの。自分の小ささ、とか」
何も出来なかった無力さや、抗えなかった不甲斐なさ。
そんなものが、立ち上る白煙の向こうに見える。
そんな気がして、ときには古傷が疼くけど。
「忘れちゃいけないんだよ」
忘れてはいけない。
刻んでおかなければならない。
乗り越えて、前を見据えて進むため、生きるために。
「生きてるんだから」
「生きて、る」
「そう」
ジタンは静かに聞いていた。
きっと、あたしの気持ちが伝わっている。
主のそれを理解しようと必死なのが、顔に出ていておかしかった。
大丈夫、きっといつかわかるから。
祈りを込めて、あやすように優しく撫でた。
ふわふわとした黒い毛並みは、するすると肌に馴染む。
気持ちよさげに目を細めるジタンは、素直で無垢で、可愛らしい弟のようだ。
「いいこともあるんだよ」
「いいこと?何何?」
ぱあっと明るくなった顔に、ジタンが忘れないように、しっかりと伝わればいい。
「ジタンと出会えたのは、永く生きてたからでしょ」
そしてまた、理由は何であろうと、ジタンも生きていてくれたから。
誰であろうと、何であろうと、個々である限り、それは唯一。
唯一を大切に思える。
その唯一に出会い、そう思うことが出来る。
「誰であろうと、それは唯一。ジタンもあたしの唯一だよ」
代わりは効かない。
ジタンはジタンで、あたしはあたしだ。
これだけは伝わればと、ただ、消えていく白煙の向こうに祈った。