獣人とお姫様
世の中には時として、奇怪なことが起こるものである。
それはこの世に、魔力によって永きを生きる者が存在するように。
それはこの世に、姉と妹がいるように。
「……」
「……」
彼は無言だった。
あたしも無言だった。
彼は倒れていた。
あたしはそれを見つけた。
「……獣人?」
小鳥の囀りが清々しい緑の森の中、ばったり出くわしたのは、行き倒れの獣人な青年だった。
一方的に出くわしただけだけど。
あたしの呟きに、ぴく、と真っ黒い耳が小さく反応する。
うつ伏せなので、顔はわからない。
わからないまま、知らなかったことには出来まいか。
出来……ないよなあ。
「ちょっとあんた、獣人が森で行き倒れってどうよ。しっかりしなさいな」
「……うーん……」
「うーんじゃなくて」
一応、意識の確認を試みる。
気配と反応からするに、死んではいないらしい。
たぶん……
「お……お腹が……」
「減ってんのね」
だと思った。
獣人なのに、どういう了見だ。
仕方がない。
あたしは情け深いのだ。
「ほねいはんはりはとう!やはひーね!」
「何言ってっかわかんない」
手持ちの握り飯を与えてやったなら、飛び起きて食らいついた。
ついでに、あたしの手もちょっぴりかじられた。
痛い。
「お姉さんありがとう!優しいね!」
「ああ、そう」
あっという間に三つ平らげた彼は、にこっと八重歯だか犬歯だか牙だかを見せて笑った。
真っ黒な瞳は、くりくりとして犬っぽい。
獣人なんだけど。
「あんた、人狼族?」
「俺、ジタン・トーチ!」
「種族を聞いてんの」
「お姉さんは名前は!?」
どうやら自由な気性のようだ。
あ、面倒くさいかも。
ちょっぴり目眩がした。
自由過ぎる奴をよく知っている。
奴は、周りを振り回したあげくに「美人は何したっていいんだもん」とか、意味不明な利己的発言をするとんでもない悪女だけれど。
彼を一瞥した。
真っ黒い無造作な短い髪と真っ黒な耳に尻尾、真っ黒な瞳、毛並みはいい。
白い肌とのコントラストが、端正ながらも人懐こい顔立ちを際立たせている。
そしてその無垢な瞳は、きらきらとあたしを見つめていた。
「ウィ……ウィンズ・ゼロムス……」
負けた、と思った。
「ウィンズ……ゼロムス……?」
「……何よ」
何故か記憶を探るように首を傾げたジタンに、少しだけ身構える。
……知ってるとか?
いや、いやいやまさかね。
ただ、人狼族は長寿だ。
あの時代に生きていたとしたなら、知らないとも言いきれない。
ジタンが人狼族かどうかは定かじゃないが、人狼族じゃなければ何なんだ。
兎族の耳でもないし、妖精族でもないだろうし……。
とにかくどうなんだとこっそり観察していれば、「あっ」とジタンが声を上げた。
「ど、どうした?」
「俺、ウィンズのこともわかんない!」
あ、そう……『も』?
「あんた、いくつ?」
「わかんない」
「名前はわかるんだよね」
「ジタン・トーチ!」
「さっき聞いた」
年齢なんて、あたしだってわからないわけで、大したことじゃないけど。
わからないっていうか、覚えてられないっていうか。
ジタンをしげしげと観察する。
たぶん、人狼族。
外見年齢は二十代前半程度の青年まで成長しているから、人狼族の寿命や成長過程から考えても、最低で見積もって百歳以上かと思う。
人狼族は森なんかでは、そう珍しくもない種族だ。
ただ、こうも混じり気のない真っ黒な毛並みは、永く生きてるあたしでも、見たことはない。
獣人と呼ばれる種族達は、太古の昔からこの世界にいた者達であり、少なくなってしまった妖精族と比べたなら、まだまだ数多く存在しているのだ。
ただ彼らは、人間が多くの大地を支配するようになったことで、純血交配が難しくなっていった。
人と交じり、人に混じり、純血種自体は希少となっている。
簡単に言えば、外見もカラフルになってきているわけだ。
つまり、ジタンが純血人狼であれば、かなりな希少価値があるわけだけど……。
「ジタンは、いつからなら覚えてるの?」
「うーんと……あ、ちょっと前に、洞窟で気がついたとこから!」
あっけらかんと笑うジタンの言葉に、少しだけ、眉をひそめた。
洞窟で気がついた。
つまり、洞窟で覚醒した可能性がある。
そうなれば、記憶がないのもわからない話じゃない。
まさか、永きを渡って眠らされていた?
「どうしたの?お腹空いた?……俺、全部食べちゃった?」
……この子が?
きゅーん、と耳をへたれさせるジタンに、「え、何で?」と首を捻った。
でも、何か、何か、
「その洞窟、連れてってくれない?」
何か、見捨てられない性分なんだよなあもう!
お人好しっていうか、子犬みたいな瞳に弱いっていうか、何でこうもあたしは、あの姉と違うのか。
同じには死んでもなりたくないけど。
「いいよー」とあっさり了解したジタンから、ばふんっ、と煙が上がった。
「やっぱり人狼か」
「背中に乗ってー」
虎くらいはあるだろう真っ黒な大狼に変化したジタンが、ふりふりと尻尾を振りながらぺたりと伏せのポーズを取った。
それにしたって、人懐こいにもほどがある。
人狼族とはプライドの高い種族だ。
気に入った者としか話さないし、背中に乗せるのは主と認めた者だけだと聞く。
記憶がないとはいえ、こんなんで大丈夫か。
自分とは関係ない不安に苛まれつつ、せっかくの厚意と好奇心から、ふさふさの背中に乗せていただくことにした。
あ、毛並みがいいから、ふさふさの格が違う!
ふわふわのもふもふだ!
うっとりとしたあたしをよそに、ジタンは、風のように森を駆けていった。
緑を抜け、地を蹴り、到底人では出せないスピードで風を斬るジタンは、あっという間に例の洞窟に到着して見せた。
流石は人狼族。
歩いてなら、半日は掛かるだろう距離だ。
「すごいね、ジタン」
頭を撫でてやったなら、えへへ、と嬉しそうにまた尻尾を振って見せた。
周囲をくまなく観察する。
洞窟を中心に、円形に木々がそれを囲み、中心から木々までの半分の位置には、やはり中心を囲むようにぐるりと石碑が立てられている。
五芒星魔法陣か。
一つの石碑に歩み寄ってみたなら、風化が激しかった。
手入れはされておらず、所々に蔓が這い苔蒸している。
星の角数は、多いほど効力は高い。
ただ、自然と石碑を媒体としているなら、その効力は単純に考えても1.5倍にはなる。
後は術師の能力の問題だ。
石碑を見て回れば、それぞれにも五芒星が刻まれており、斜めに黒ずんだ署名が走り書きしてあった。
「これ、誰の名前かわかる?」
まだ大狼なままの後ろに控えていたジタンは、くうん、と一鳴きして首を捻った。
やっぱり、わからないか。
「その黒くなってるの名前なの?だいぶ古いみたいだけど、血の匂いがする」
「人間の匂い?」
「違う」
それぞれ体臭があるように、種族によって血の匂いも違う。
ジタンの鼻が違うというなら、間違いなく、人間でない者の血名だ。
「これは魔法陣なの。その上に血名を書くことで、ここは完成されてる。他の石碑も嗅いできてくれる?」
「また撫でてくれる?」
「もちろん」
どういった理由で魔法陣の中心に洞窟があるのか。
やはり、ジタンは封印されていたのか。
──何故か。
知ることが全てよしとは限らない。
でも、それがわかれば、あの子の種族の集落を探せるかもしれない。
何もわからないのは、きっと、不安だろうから。
洞窟の前まで移動したとき、早くもジタンが駆けてきた。
「あのね、全部人間じゃなかったよ!でね、皆違う人だった!」
違う人?
頭を出してくるジタンを撫でながら、もう一つ──洞窟前の石碑の血名を目にして、あたしはむかっ腹が立っていた。
血名はほぼ風化して読めたものじゃない。
刻まれた魔法陣の溝に、黒ずんだものが溜まって固まっているだけだ。
わかってる。
これは、ただの勘。
でも、この抑えきれないむかっ腹が立つときは、よくよく知っている。
「この石碑の血も嗅いでみて」
「どうしたの?ウィンズ、怒ってる?」
「勘違いなら落ち着くと思うから」
数回、ひくひくと鼻を鳴らしたジタンが、ひょいとあたしまで嗅ぎ出した。
「違うけど、ウィンズと似た匂いがする」
「やっぱり!」
ジタンの顔が僅かに歪み、「腐った林檎、知ってる」とか何とかぶつぶつ言っていたが、あたしはそれどころではなかった。
ほぼ原形を止めない血名からでも、あたしは奴がわかるのか。
まさに、これぞ血の絆と言うべきか否か。
「せっかく背中に乗せてくれたのに、ごめん。先に謝っとく」
「何が?」
すぐに明るいあっけらかんとしたジタンに戻り、それにちくっと、胸が痛んだ。
「あんたはたぶん、ここに封印されていた。理由はわかんないけど……たぶん、状況からして、かなり永く」
ジタンの顔が見られない。
少なくとも、この子の時間を奪ってしまったはずだから。
この子が過ごすはずだった人達との時間を。
そして一番許せないのは、
「この最後の血名──あたしの姉のものだと思う」
──最低にして最強の悪女、『白き魔女』。
厄介なことにこの悪女は、正真正銘、あたしと血の繋がった姉だ。
「へー、お姉さんなんだ!」
なんだ!って……。
ぽかんとしたあたしをよそに、へー、へー、としきりに嬉しげなジタン。
「お、怒んないの?あたしの身内が、あんたを……」
「やっぱり、ウィンズは俺の主様だね!」
「そうだよね、そうだと思ったんだ!」とか何とかかんとか。
はしゃぐジタンに、より、ぽかんとした。
全然、わかんない。
「主様と出会えることはね、すごいことなんだって!この世界は広いから、なかなか出会えないんだって!」
「それ、人狼族の……」
人狼族は主と認めた者しか背中に乗せない。
話さない。
懐かない。
懐かない……な、懐いてた……。
「懐いてた─────!!!!!」
「すぐわかったよ、俺すごい!」
ふみふみと可愛らしく懐きまくってるジタンに、思わず、頭を抱えた。
何が!?
何で!?
何がどうだったわけで、いつから何故にあたしが主様だと!?
「たぶん、間違いなく、あんたの時間を踏み躙った張本人の身内だよ!もっとよく考えて!」
まるで聞いてないジタンの尻尾はふりふりだ。
嬉しくて仕方ない雰囲気が、そこかしこから滲み出てる。
「だって、わかるの」
「どうやって」
「野生の勘!」
どういう継承の仕方してんだ!
そりゃあまあ、人狼ってくらいだし、本能的な勘は人間に比べたら何倍も優れているに違いないけど……。
「あのねー、ウィンズ」
「とにかく、主様云々は置いとくとして、」
いつの間にか、ジタンは人型に戻っていた。
とにかく今は、一応、洞窟の中も確認しておくに限る。
あのろくでもない姉が、あたしにわかるよう、わざわざ血名を残しておいた辺りから察するに、明らかな嫌がらせとしか思えないけど。
あいつが血名を必要としないほどの魔術師であることは、重々承知の事実なのだから。
とか、うんうん考えていた瞬間。
──ちゅ。
顎を取られ、目の前には、黒で縁取られた睫毛があった。
ちく、と、左手の甲に走った痛みと共に。
し─────ん。
ちちち、と小鳥の囀りがする。
さわさわと、緑の葉擦れの音がする。
触れた唇は少しだけ啄むように確認され、すぐに離された。
し─────ん。
「俺のお姫様」
し─────ん。
「お、お姫様じゃな─────い!やっぱり!勝手に契約の儀を結んだな!」
「だって俺のお姫様」
案の定、軽く痛みの走った左手の甲には、古代人狼語で『汝、我が主として此処に絆を印す』とある。
勢いよくジタンの左手の甲を確認したなら、同じような印が浮かんでいた。
「何をやってんの……」
「洞窟は見ないのー?」
脱力するあたしを気にすることなく、また、自分を封印しただろう身内であることも全く気にせず、うきうきなジタンは、早く早くと背中を押して急かすばかりだった。
やっぱりこの子、すごく心配。
こうしてあたしは、全く意志とは関係なく、ジタンの主様とやらになってしまったわけだ。
何がどういうわけだ。
仕方ないことは仕方ない。
今は取り敢えず、洞窟も確認すべきだった。
洞窟、というか人一人入れる程度の石の祠といったところか。
つまりだ。
「やっぱり。どこかに通じてる」
3メートルほどいったところで石の壁に突き当たる。
実物は、これでおしまいということだ。
この先に……ああっ!?
「く、崩れてる!」
いかにも魔力で封印してます的な石壁の一部が、大きく崩れていた。
見たところ、あたしじゃ解析不能な魔法陣が描かれている。
しかも、崩れてるのは真ん中。
残された残骸には、また誰かの血名の痕跡。
「あ、あのねウィンズ」
「……何」
座り込んで残骸を手にするあたしに、恐る恐る、ジタンが口を開いた。
「俺、あの……ここから出てきたのは、覚えてて……あの、」
見上げたなら、へたりとした耳は、ふるふるとしていた。
「あの……お腹、空いてて……そこ、寄っ掛かっちゃって、く……崩れ、ちゃった……」
ごめんなさい、と小さく言って、隣にしゃがみ込んだくりくりの瞳が、うるうるとあたしを映していた。
お前か。
無言で残骸を目の前に差し出せば、素直に、すんすんと匂いを確認する。
「さっき嗅いだ人達の誰か?」
「……違う」
もう泣きそうだ。
これは流石に……怒れない。
ぽんぽんと頭を軽く叩いてやれば、一瞬にして、花が咲いたかのように笑顔になった。
「ウィンズ、だいすきー!」
「はいはい」
溜め息が出たけど、よしよしとまた撫でてやった。
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるでかいガタイを引きずりながら、どうにかこうにか外に出る。
この短時間で、ジタンの扱いには慣れたらしい。
何はともあれ、この子の過去には、あいつが絡んでいるのだ。
面倒見るしかないじゃないか。
せめて、謎が解けて、自分の在るべき場所へ帰れるまでは。
結局あたしは、とんだお人好しなのだ。
「ジタン、行く宛てはあるの?」
「ウィンズといる!俺のお姫様だから!」
「……ああ、そう」
ちょっぴり遠い目をしながら、やっぱりね、と肩を落とす。
「じゃあ行くか」
「背中に乗る?」
「よろしく」
ぼふん、とあがった煙に、小さく笑った。
お姫様ではないけれど。