深々と白
翌朝、納得いかないのか微妙な面持ちのイリッシュと、道中のおやつを手にうきうきなジタン、明らかに乗り気じゃないイメルダを引き連れて、あたし達は出発した。
大抵の人はイシュタリー北壁を通ってイシュタリー山脈へ行くらしいが、イメルダいわく、現在北壁は魔術師を逃さないように検問が厳しいらしい。
行きは揚々、帰りはこわい、てか。
「ただの魔女狩りみたいだね」
「実際そうなのよ」
狩られるのは魔女だけではないけれど。
そんなわけで、目指すは二ヌルタの森だ。
ここを抜けて山脈へ行くのが、現状としてベストらしい。
が、
「さ、先に行って!」
森の前で早速怖じ気づく魔女が約一名。
「何なの」
「ここ、出るんだって」
怯えた目であたしを見つめてから、貧血を起こしたのか演技なのか、ふら、とイリッシュに倒れ掛かるイメルダ。
何なのあんた。
「師匠はオカルト系が苦手で」
「はあ?」
魔術師がオカルト苦手って、本当に何なのあんた。
開いた口が塞がらない。
イリッシュは慣れているのか本当に心配なのか、やたらと労りを見せていた。
呆れ返った態度が気に入らなかったのか、あたしを指差してイメルダが叫ぶ。
「そ、そりゃあウィンズはさ、こわいものなんてないでしょうよ!風を操れるなんて、それこそもうオカルトみたいなもんだし!?普通なら聞こえない音とかも聞こえちゃうわけで!?何あんた、霊能者!?」
「魔術師だよ」
この能力で霊能者扱いされたのは、流石に、初めてのことだった。
イメルダって、ある意味すごいと思う。
オカルトに弱い魔女を中央に据えて、さくさくと道なき道を行く。
アギズス森林と違って一面真っ白なここは、痩せた木々からときどき雪が落ちる以外、鳥の囀りも葉擦れの音もしなかった。
「静かだな」
ほとんど人が立ち入らないのか、あたし達以外には誰もいないように見える。
「そりゃあ出るくらいだもの。誰もいないわ」
「だといいけど」
すっかり怯えたイメルダは、自然そのものを忘れきっているようだ。
人が立ち入らなければ、そこは動物達の領域となる。
どんなに過酷な状況下であろうと、共存の意味を知る動物達は順応するものなのだ。
もしかしたら、ジタンは大狼の姿の方がよかったかもしれない。
「ウィンズ」
「どう?」
「ずっと見られてる」
森の途中からずっと警戒していたジタンは、周囲を観察しながらそう答えた。
──やっぱり。
とはいえ、引き返すわけにもいかない。
風がないので、あたしが周囲を探ることも出来ない。
下手に風を起こして、敵意があると勘違いされても困るのだ。
ようやく気づいたのか、イリッシュの顔つきも険しいものになっていた。
「後どれくらいかしらねー?もーやだわー」
……イメルダ、しっかりしろ。
──がさっ。
そのとき、相手が動いた。
「止まれ」
どこからか声だけが、制止を求めた。
気配は──する。
「皆、止まって……」
「ぎゃああぁあ!何!?何!?何事!?誰なのー!?やだーもー!」
「……イメルダを黙らせて」
「師匠、失礼します」
どす!と鈍い音がして、辺りは静かになった。
イメルダ、あんた出来た弟子を持ったよ。
「何故、森を行く」
声は至って冷静だ。
相手もまた同じ、警戒こそすれ敵意はない。
今のところは。
「イシュタリー山脈へ行きたいの」
「何故、北壁から行かない?」
「あそこだと魔術師狩りに遭うから」
声が返ってこない。
──どう出てくる?
いざとなれば、土地勘はなくとも分はあるつもりだ。
伊達に二つ名持ちなわけじゃない。
──がさ、がさ。
「名を聞こう」
「き、狐……?」
黄金色の毛並みに雪を纏った彼に、イリッシュは驚いてそう漏らした。
「ウィンズ・ゼロムス」
簡潔に答える。
彼は狐ではない。
彼は、狐族と呼ばれる獣人族の一種であった。
一瞬、彼の瞳が鋭くあたしを射抜いたように思う。
気のせいか?
首を捻ったあたしをよそに、彼はジタンにこう言った。
「よい主のようだ」
ジタンが警戒を解き、周囲のそれも一斉に和らぐ。
そして、そこかしこから、わらわらと狐族が出てきた。
そして──。
「して、何故にこの寒空を山脈へ行くのだ」
気絶したイメルダのこともあり、あたし達は狐族の里へ案内された。
人型をした彼は野性味溢れる中年男性であり、無精髭がよく似合う男前であった。
セダ・バイヨンと名乗った彼は、ここの族長であるらしい。
「ドヴェルグ族に会いに行くんです」
「ほう、して何故か?」
興味深くイリッシュを眺め、すぐに視線はその背中へと移った。
「それが理由か」
イリッシュは静かに頷く。
そのとき、転がされていたイメルダが目を覚ました。
「……ったー。ちょっとイリッシュ、あんた師匠に何を……!?」
「お主が黙らねば、わたしは実力行使に出たかもしれなかった。『氷の魔女』よ」
突然の言葉に、イメルダは完全に固まる。
現状把握が出来ていないらしいが、そのうちわかるだろうと放置することにした。
「外界をよく知ってるみたいね」
「知らねば生き残れぬからな」
隠れ里として魔法陣が張られているのも、獣人ならではの理由があるのかもしれない。
「出るって噂は?」
あたしの問い掛けに、彼は笑った。
「出るなどとは笑えるだろう?死すれば土に還る、それだけだというに」
「まあね」
イメルダを一瞥すれば、「だって」と呟いて真っ赤になっている。
まあ、魔術師があの騒ぎじゃあ恥ずかしいわな。
「人間は見えないものに捉われがちでな、それを利用させてもらっているに過ぎん」
つまりは構うなと。
そういうことなのだろう。
では何故、あたし達を?
「不思議そうだな」
口角を上げたセダは、あたしの気持ちを読んだかのようだ。
それはそうだ。
あたし達は魔術師、普通とは違えど人間でもある。
人間を嫌うというなら、姿を見せたりはしないはず。
「この子を連れていたから?」
ジタンに視線を投げ言ったなら、セダは柔らかく頷いた。
「それもある。主は人狼だな」
「みたい」
「みたい、とは?」
ジタンの返事に、今度は彼が不思議そうだ。
「ジタンは記憶がないの」
「ほう……こちらへ」
素直にセダの前へ行ったジタンを彼はまじまじと観察した。
耳の先から尻尾、グローブから瞳まで。
右のグローブでその視線が止まる。
「左手のグローブもだが……これはまた、珍しいものを持っている」
「黒星石のこと?」
首を振ったセダは、薬指の小さな石を指した。
エィツがお礼だとつけてくれた石だ。
「これは『ヴァラヴォロフの瞳』──『人狼の瞳』という名の同族を守護する石だ」
あたしはそれを知らず、イメルダを見たなら、彼女もまた首を振った。
獣人には有名な話だとセダは続ける。
「それぞれ幾多の獣人族がいるが、そこのみに伝わる宝玉というものがいくつか存在するのだ。魔石と違い、それは同族のみに伝承される」
どうやらセダは人狼にも知り合いがいるらしい。
流石はビーチェや『宵闇の兎』に名指しされるだけの武器職人。
エィツのことを見直した瞬間でもあった。
運ばれてきた酒を煽りながら、セダはあたしを真っ直ぐに見た。
「その人狼の子だけではない。わたしは、お主の名を聞いて姿を現したのだ」
「あたし?」
嫌な予感がする。
「ウィンズ・ゼロムス、白き髪と褐色の肌を持つ『風の魔女』。お主──あの『白き魔女』の血縁であろう」
的中だった。
イメルダは何とも言えない表情で黙し、ジタンはわけがわからない様子、イリッシュに限っては息を飲む音がはっきりと聞こえた。
「『白き魔女』って……あの、『白き魔女』?」
ようやく絞り出したような声で、イリッシュは震えながらあたしを見る。
首を傾げるジタンに、イメルダが小声で説明しているのを、視界の端で捉えて溜め息が漏れた。
そう──かのラジア・ゼルダが『伝説』と呼ばれるなら、『白き魔女』はさながら『悪夢』の象徴とでも言うべきか。
『白き魔女』の悪夢伝説は数知れない。
どこかで国が崩壊すれば黒幕は彼女だと言われ、戦争が起これば彼女の仕業だと疑惑が浮上し、傾国の美女が現れたと噂が立てば彼女だと囁かれ、悪人が権力を握れば立役者は彼女に違いないと皆口を揃える。
「……すごい人だね」
「そう、とんでもなくね」
ジタンの言葉に、イメルダまでもがうなだれてそう言った。
すごいのだ、冗談でもなくとんでもなく。
寧ろ、冗談ならどんなに救われたことか。
とにかく、悲しいかな、あたしの姉は間違いなく『白き魔女』だった。
「お主は外見年齢二十五歳程度というところか。腹違いと聞いていたが、何と言うか、全く似ておらんな」
「唯一の救いでね」
隠すつもりはなかったが、わざわざ言うつもりもなかったことが露見して、何ともばつが悪い。
というか。
「会ったことがあるみたいな言い方だけど」
それはそれは悪名を馳せる姉ではあるが、実際、顔を見たという人物には会ったことがない。
何故なら、あいつに関わった者は皆、もう土に還っているからだ。
土に還れるだけの欠片でも残っていたなら、それこそ、その者は恵まれた方じゃないかと思うくらいだけれど。
あたしが生きていること自体、あいつの気紛れに過ぎないかもしれないことに、ときどき、ぞっとさえする。
セダはゆるりと黄金の尻尾を一振りして、口を開いた。
「少し昔の話だ。この森を男を連れて抜けて行ったのを見たことがある」
「男を?」
「ああ、金髪に鈍い灰色の瞳をした美男であったよ。三百年以上前だったと思ったが」
知り合いにはいない男だ。
まあ、三百年も前の悪事なら、現段階では気にしなくていいことかもしれない。
「え?ウィンズって本当は幾つな……むぐっ」
隣のジタンのお喋りな口を容赦無く摘む。
最後にセダは、からかうように笑った。
「『白き魔女』より、お主の方がわたしは美人だと思うがな」
……余計なお世話だった。
冗談で少しは雰囲気が紛れようかというとき、数人の狐族がばたばたと入ってきた。
「族長、森にイシュバジル兵が。魔術師も数人連れています」
誰を──いや、何を追ってきたかは明らかな気がする。
気のせいならいいけれど……
「客人を前に大変言いにくいのですが、あの……どうやら『ダーインスレイヴ』を探しているようで」
そうはいかなかったか。
どの程度の魔術師が来ているかわからないが、ここがばれる可能性は否めない。
あたし達は完全に、お邪魔虫だ。
「失礼しようか」
「悪いな」
「こっちこそ」
匿ってもらうわけにはいかない。
また、セダ達もそのつもりはないに違いない。
立ち上がったあたしに、セダは、自らの首飾りを差し出した。
「餞別代わりにこれをやろう」
ティアドロップ型のそれは透き通るほどの透明度を保ち、僅か七色に光っている。
「これは?」
「『透石』と呼ばれ、代々一族に精製法が伝わる宝玉だ。二人程度なら姿を隠してくれよう」
「いいの?」
受け取ったあたしに、セダは面白そうにこう言った。
「わたしは『白き魔女』が嫌いでな」
つまりはそれが言いたかったのかもしれないと、そんなことを思った。
「同感だね、あたしもだよ」