01_ヤヒロとは何か
単純な計算ミスと誤字を修正。
第一章 ヤヒロとは何か
侵入後第3年。最初の大きな集落「ナギサ」に滞在中。
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住民が語る「世界」
「世界は箱庭だ」と、ナギサの長老は言った。
「神代に、偉大な者たちが作り上げた広大な箱庭。天には太陽が巡り、大地には川が流れ、星は永遠に動かない。これが世界のすべてだ」
彼は誇らしげだった。疑いのかけらもなかった。
私は笑顔でうなずきながら、内心では胸が痛かった。
「箱庭」という言葉は、ある意味では正確だ。
住民たちは自分たちが宇宙船「ヤヒロ」の中に住んでいることを知らない。
彼らにとってこの世界は「世界のすべて」であり、外があるとすれば「伝説の場所」に過ぎない。
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実態——調査隊の視点から
【調査局注】以下は調査局が把握している事実である。住民には非公開。
ヤヒロは直径約1,100km(半径約550km)の球殻型宇宙船だ。
22〜25世紀の地球文明——カルダシェフ・スケールでType IIに達した文明——が建造した、複数の移民星船のうちの一隻。
主要諸元:
外殻半径:約550km
地表(居住層)半径:約450km
地表面積:約254万km²(日本列島の約6.7倍)
居住可能面積:約93万km²(緯度30〜60度相当の温帯)
設計収容人口:1,000万人
現在人口:約300万人(減少傾向)
建造目的は「人類のリスク分散」「新天地への探求」「文化の保存」。
ヤヒロは特に日本文化圏の継承を担う船として設計された。
目的地の恒星系へ向けて出発したのは今から主観時間で約5200年ほど前。
ヤヒロ内部の彼らにとっては出発してから300年ほど経過した頃、今のヤヒロの内部時間での約2,000年前——
長い航行を経て、この位置に到達した。
300年間というのは船内での時間だ。外部宇宙では約5,000年が経過していた。
その300年の間に、十数世代が船内で生まれ育った。出発時に乗り込んだ人々の子が生まれ、孫が生まれ、ひ孫が生まれ——それが何度も繰り返された。「地球」はもはや遠い神話となり、「目的地の星」こそが希望になっていた世代が多数を占めていた。
そして——目的地恒星系に接近し、亜光速航行からの減速を開始したその瞬間に、事故が起きた。
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ヤヒロ時間での2,000年前に何があったか
ヤヒロが目的地恒星系に接近し、減速を開始した瞬間だった。
亜光速航行中、ヤヒロは進行方向に「ラプラス・ヴェール」と呼ばれる因果切断面を展開していた。宇宙塵から船体を守るための航行シールドだ。フロディアスも同じアーキテクトなので見たことがあると思う。
ちなみに、ヤヒロの航宙担当師たちは「フロントシアー」と呼んでいたという。
減速の負荷が最大になった瞬間、ヤヒロの統括管理AI「クストス」の量子コアが損傷した。
MTM制御に特化したサブシステム「ラプラスエンジン」が制御を失い——航行シールドが暴走した。
進行方向に「面」として展開されていたシールドが、制御を失ってヤヒロを覆う「球体」に拡張・固定化された。
37秒。
それだけの時間で、ヤヒロは完全に閉じた時空に封じ込められた。
これが「因果の泡」だ。
【調査局注】因果の泡の性質:
境界の厚さ:約1km(時間剪断力が作用する領域)
外から内への侵入:可能(時間の流れに「乗る」方向)
内から外への脱出:原理的に不可能
内部時間の流れ:外部の10倍速
つまり、私たちが内部で15年過ごす間、フロディアスでは1年半しか経っていない。
(フロディアスも亜光速航行中なので、ウラシマ効果で時間が圧縮されている。ヤヒロ内部の2,000年が、フロディアス主観では数十年に過ぎない理由がここにある。)
母が送ってくれた最後のメッセージは、もう届かない。
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2,000年間——ヤヒロの人々はどう生き延びたか
事故直後、750万人いた住民は約200万人に減少した。
生存率27%。
しかしそこで底を打ったわけではなかった。
クストスを失ったヤヒロは、高度な技術を維持できなくなった。
通信網が崩壊し、都市が放棄され、人々は小さな集落に散らばって生き延びた。
飢え、病、危険生物——事故後の約150年間で人口はさらに減り続け、約120万人まで落ち込んだ。
そんな大災害から2,000年。
人々は驚くほど強かった。
農業を作り直し、交易路を開き、文化を——形を変えながらも——守り続けた。
現在の技術水準は中世〜近世相当。
でも彼らは「退化した文明」ではない。
閉じた世界で、与えられた条件の中で、最善を尽くして生き続けた人々だ。
「箱庭」の中で、本物の歴史が2,000年分積み重なっていた。
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住民が知っていることと、知らないこと
住民の認識と実際(我々の知識)
「神代に作られた広大な箱庭」
直径約1,000kmの球殻型宇宙船
「神代の力で動く天の光」
環状軌道を移動する核融合発光装置
「永遠不変の星々」
2,000年前の事故時点で静止した投影システム
「失われた星座は終末の予兆」
メンテナンスされていない疑似天体層の投影パネルの暗転
「祖先の時代に世界が止まった」
管理AIクストスの喪失と文明崩壊
「世界の果て」
因果の泡の境界(到達した者はいない)
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知らないことが幸福なのか、知るべきなのか——
私にはまだ答えが出ていない。




