第七話 電子戦
能島に向かう船上で、早川は別の戦いを始めていた。
ノートPCの画面に向かい、キーボードを叩く。鞆の浦で朝倉の部下に追われた時、相手がどうやって位置を特定したかを逆算している。
「Phantomは来島と朝倉の両方に情報を売ってる。こっちの通信を傍受して位置を割り出し、買い手に流す。——で、傍受の方法は」
早川の指が止まった。画面に、不正なプロセスが表示されている。
「……マジか。俺のノートPCにバックドアが仕込まれてる。いつの間に——大三島の旅館でハッキングされた時か。表面上は防御したつもりだったのに、二重底の攻撃を受けてた。防御の裏で、別経路からバックドアを」
「つまり、お前のPCが盗聴器になっている」直人が言った。
「なってた。——今、除去する」
早川がバックドアのコードを解析し、削除した。だが削除する瞬間——画面にメッセージが表示された。
「あ、見つかっちゃった? さすがHayaP、前より速くなったね。3日も気づかなかったけど(笑)」
早川の目が吊り上がった。
「3日——! 3日間、全部筒抜けだったのかよ——!」
「挑発してるんだ。乗るな」直人が言った。
「乗りますよ。こっちからも仕掛ける。——Phantom、お前のVPNチェーン、もう三回剥がしてるからな。次は本体を見つけてやる」
早川が逆ハッキングを開始した。Phantomの通信経路を遡る。VPNを剥がし、中継サーバーを特定し、接続元のIPアドレスを——
画面が真っ黒になった。
「は——?」
三秒後に復帰。だがデスクトップの壁紙が変わっていた。ピンク色の背景に、猫耳のアニメキャラクターが描かれている。
「壁紙を変えやがった——!」
メッセージ。「HayaPのPC、セキュリティ甘すぎて笑う。壁紙くらい許してよ。あとブラウザの履歴見たけど、ゲームの攻略サイトばっか見てるね。趣味わっる (≧▽≦)」
「ブラウザの履歴まで——!」早川が真っ赤になった。「お前に俺のブラウザ履歴を見る権利はない! てか俺のゲームの趣味をバカにすんな!」
早川が猛烈にキーボードを叩く。今度は攻撃に転じた。Phantomの中継サーバーに侵入し、通信ログを抜き取る。
通信ログの中に——来島との通話記録。来島の船「海鷹」の航路データ。港の入出港記録。
「来た——! 来島の船の動きが分かった。海鷹は今——今治の港にいる。二時間前に出港して——南西に向かってる。能島方面——」
「能島に向かっている?」直人が身を乗り出した。
「俺たちが能島に行くこと、バックドア経由でPhantomに筒抜けだったんすよ。それを来島に流した。——来島は先回りしてる」
「まずい。能島で鉢合わせる」
画面にまたメッセージ。今度はPhantomの口調が少し変わっていた。
「あーあ、通信ログ抜かれちゃった。HayaP、やるじゃん。3年前より腕上げたね。——でもさ、あんたたちが能島に行っても無駄だよ。来島さんの船の方が速い。先に着く」
早川が返信を打った。テキストチャットでの攻防。
「先に着いても潮印は見つけられない。お前の雇い主は文献しか読めない男だ。現場では使えない」
「へー。じゃあ現場で勝負する? 面白いね。——ていうかHayaP、あんた本名早川雅彦でしょ。27歳。東京在住。彼女なし。寂し」
「お前だって彼氏いないだろPhantom! DEFCON後の打ち上げパーティーで一人でポテチ食ってたの見たからな!」
沈黙。五秒。
「……見てたの?」
「見てた。優勝者なのに誰とも話さないで、隅っこでポテチ食ってた。——正直、ちょっとかわいそうだと思った」
長い沈黙。十秒。
「……ふーん。余計なお世話。——じゃね。能島で会おう。あ、会わないか。私は船に乗らないし」
接続が切れた。
早川がモニターを見つめている。表情が複雑だった。
「早川?」直人が声をかけた。
「いや——なんでもないっす。……Phantom、最後のメッセージだけ文体が変わったんすよね。それまでは煽りまくってたのに、急にトーンが落ちた。——素が出たっていうか」
「気のせいだろう。——それより、来島の船の位置は追跡できるか」
「できるっす。通信ログから海鷹のAIS信号を——追跡開始。海鷹は現在、来島海峡を南下中。能島まであと四十分」
「俺たちは」
「一時間十分。——三十分遅れてる」
「凛さん。もっと速度を上げられるか」
「これ以上は無理です。潮風は漁船改造ですから、高速クルーザーには勝てません」
「じゃあ——別のルートで」
「別のルートはありません。能島は一つしかない」
「いや」直人が海図を見た。「能島自体に先着する必要はない。潮印は海中だ。潮止まりの十分間にだけ潜水できる。——今日の潮止まりは何時だ」
「午後二時四十七分」凛が即答した。「次が午後八時十二分」
「午後二時四十七分。あと三時間。来島が先に能島に着いても、潮止まりまでは潜水できない。海中のギミックの場所を知っているのは凛さんだけだ」
真琴がキャビンから出てきた。巻物の全文訳のプリントを手にしている。
「直人さん。巻物の中に能島についての記述があります。『渦ノ城ノ石垣、西ノ面、七段目ニ刻印アリ。潮止マリノ間ニ横ニ引ケ』——七段目の石に刻印があって、横にスライドさせる仕組みのようです」
「七。姫路城と同じだ。石垣の七段目。——スライド式のギミック」
「はい。それと、能島は水中の石垣ですから、潮が完全に止まる最初の数分が勝負です。後半は弱い流れが始まるとも書いてあります」
「その通りです。来島は潮印が海中にあることは知っていても、具体的な場所は知らない。——私たちの方が、情報で勝っている」
「なら勝負は潮止まりの十分間だ。その十分で、来島より先に潮印を取る」




