第三話 三つ巴
大山祇神社の二枚目の潮印を回収するには、国宝甲冑の台座にアクセスする正式な許可が必要だった。
凛は大三島の港で船を停め、直人に言った。
「許可を取るには、文化庁か宮内庁のルートが必要です。——九条さんに頼めますか」
「頼める。だが時間がかかる。最低でも三日」
「三日あれば、来島が先に動きます」
「だから——真琴さんには星霜蔵の実績がある。緊急の学術調査として申請すれば、通常の手続きを短縮できるかもしれない」
直人は真琴に電話した。真琴は即座に動いた。
「書陵部から文化庁に連絡します。大山祇神社の国宝甲冑台座の緊急調査。名目は——星霜蔵の時と同じです。文化財保存状態の確認。あの時の前例があるので、説得力はあります。——ただし直人さん、もう一つ報告があります」
「何だ」
「文化財特別対策室。調べました。実在します。——内閣官房の直轄部署で、星霜蔵発見の翌月に新設されています。室長は朝倉剛という人物。元外務省のキャリア官僚」
「外務省? 文化財の専門家じゃないのか」
「違います。外交畑の人間が、文化財を管轄する部署のトップにいる。——直人さん、これは文化財保護ではなく、文化財を外交に利用するための部署です」
直人の背筋が冷えた。政府が文化財を外交カードにしようとしている。星霜蔵の宝を使って、何かの交渉を有利に進める——。
「真琴さん。朝倉という男が俺たちの動きを知る可能性は」
「高いです。私が文化庁に申請を出せば、情報は回ります。朝倉室長の耳にも入る。——それでも申請しますか」
「する。合法的に動ける手段を放棄するわけにはいかない。——来島と政府の両方に追われるなら、せめて法的には正当でいたい」
「了解しました。二十四時間以内に許可を取ります。——直人さん、無茶しないでください」
「しない。——たぶん」
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許可を待つ間、三人は大三島の旅館に泊まった。
夜。直人は部屋で潮印の高解像度スキャンを確認していた。早川が撮影したデータ。海図の断片。島の輪郭。
隣の部屋から、早川の声が聞こえた。大きな声で何かを叫んでいる。
「来やがったな——! Phantom!」
直人は隣の部屋のドアを開けた。早川がノートPCの前で汗だくになっている。画面にはターミナルウィンドウが複数開き、文字列が高速でスクロールしている。
「どうした」
「ハッキングっす! 俺のPCに攻撃が来てる。——しかもこの手口、知ってる。DEFCON CTFの決勝で戦った奴と同じだ」
「DEFCON?」
「世界最大のハッキングコンテストっすよ。三年前、ラスベガスで。俺は準優勝。優勝したのが——Phantomっていうハンドルネームの奴で」
画面に文字が表示された。攻撃者からのメッセージ。
「やっほー☆ HayaP久しぶり。まだセキュリティ甘いね (´・ω・`)」
「こいつ——!」早川の指がキーボードを叩く。防御と同時に逆ハックを仕掛ける。
攻防が続いた。十分間。早川の額に汗が浮かんでいる。
「すげえ——腕上げてやがる。三年前より速い。ファイアウォールを三重にしてるのに、二重目まで突破された——」
画面にまたメッセージ。
「位置情報いただきまーす。大三島の旅館、お部屋302号室。窓から海が見えてきれいだね♪」
早川が青ざめた。
「GPSを抜かれた——」
「位置がバレた。来島に伝わる」
「待ってくれ——今、逆ハック仕掛ける——」
早川の指が加速した。攻撃者の通信経路を遡る。VPNを三層剥がし、接続元のIPアドレスを特定——
「今治。接続元は今治のマンションからだ。——来島の本拠じゃないか」
「来島の技術担当か」
「技術担当どころじゃないっすよ。この腕は——世界クラスだ。Phantom。本名は知らないけど、ネット上じゃ伝説のクラッカー。少年法で守られたから名前は出てないけど、十代の頃に大手銀行のシステムに侵入して捕まってる」
画面に最後のメッセージ。
「バイバイHayaP。次はもっと本気で来てね。——あ、来島さんによろしく。あなたたちの居場所、もう報告しちゃったから (≧▽≦)」
接続が切れた。
早川が椅子の背にもたれかかった。
「やべえ。位置バレた。旅館を出るっすか」
「出る。今すぐ」
直人は凛の部屋のドアを叩いた。凛は起きていた。
「来島のハッカーに位置を特定された。移動する」
「船に戻りましょう。海の上なら追跡が難しい」
三人は旅館の裏口から出て、港に向かった。深夜の大三島は静まり返っている。月明かりだけが道を照らしている。
港に着くと、潮風は無事だった。凛がエンジンをかけ、船を出す。
大三島の港を離れ、瀬戸内海の夜の海に出た。
早川がデッキで夜空を見上げている。
「Phantom——来島の技術顧問か。あいつが相手だと、デジタルの防御が厳しい。俺のスマホもPCも、常に監視されてる前提で動かないと」
「対策は」
「通信を暗号化する。あと、GPSを切る。位置情報は凛さんの船のレーダーだけに頼る。——ネット接続はバーナーフォン(使い捨て携帯)に切り替える。面倒っすけど、これが一番安全」
「頼む」
「了解っす。——しかしPhantom、来島なんかの下で働いてんのか。もったいない腕なのに」
早川の声に、純粋な技術者としてのリスペクトが混じっていた。敵だが——腕は認めている。
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翌朝。真琴から連絡。
「許可が下りました。大山祇神社の国宝甲冑台座の緊急調査。期限は本日から三日間。——ただし直人さん、予想通り朝倉室長が動いています。文化庁経由で調査の報告を求めてきました」
「報告?」
「調査結果をすべて文化財特別対策室に報告せよ、と。事実上の監視です」
「断れるか」
「断れません。許可の条件として含まれています。——もう一つ。朝倉室長自身が大三島に来るそうです。明日」
「来る?」
「直接話がしたいと。——直人さん、朝倉という人物はかなりの切れ者のようです。外務省時代に中東の文化財返還交渉を担当していたらしい。文化財を政治的に扱うことに長けた人間です」
「分かった。朝倉が来る前に、二枚目を回収する」
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大山祇神社。
日本総鎮守と称される古社。全国の武人が武具を奉納してきた歴史がある。国宝・重要文化財の武具が、日本一多い。
宝物館に入った。国宝の甲冑がガラスケースの中に並んでいる。源義経が奉納したと伝わる大鎧。大山祇神社は海と山の神を祀り、軍事の守護神として武人の信仰を集めた。
「鎧の主に問え。——どの鎧の主だ」
凛が宝物館の中を見回した。国宝だけでも八点。重要文化財を含めれば数十点。
「武吉公の時代に奉納されたものに絞ると——」
「待ってくれ」直人が止めた。「武吉が奉納した甲冑とは限らない。『鎧の主に問え』は、甲冑を奉納した人物に関連するヒントだ。——主に問え。主人。甲冑の元の持ち主」
「奉納者ではなく、着用者?」
「そうだ。この甲冑を着て戦った人間。その人間に関連する何か」
直人は各甲冑の説明パネルを読んでいった。奉納者名、年代、様式。そして——「伝承」の欄。
一つの甲冑の前で立ち止まった。
国宝・赤糸威大鎧(伝・大山祇神社蔵)。鎌倉時代の作。源頼朝が伊豆から挙兵する際に着用したとの伝承がある。
「頼朝の鎧——」
「いえ」凛が首を振った。「武吉公の時代は戦国です。鎌倉の鎧ではないはず」
直人は先に進んだ。そして——別の甲冑の前で再び止まった。
紺糸威大鎧。室町末期の作。説明パネルに——「伝・河野通直奉納。河野家は伊予の守護で、村上水軍とは同盟関係にあった」。
「河野通直。——凛さん、河野と村上の関係は」
「河野家は伊予の大名で、村上水軍の陸上の同盟者でした。武吉公と河野通直は——盟友です」
「盟友の鎧。鎧の主に問え——河野通直に問え。通直に関連する何か。——通直の家紋は?」
「折敷に三の字。折敷に縮み三文字——」
「三の字。三」
直人は甲冑を観察した。紺糸威の編み目。胴の表面。修復士の目で見ると——編み目のパターンに不自然な箇所がある。
「この鎧の糸の編み方。規則正しい紺糸威だが——胴の左脇の部分だけ、編み目が一段ずれている。三段目。三段目の編み目だけが、他と異なるパターンで組まれている」
「三段目——河野の家紋の三——」
「ガラスケースを開けたい」
文化庁の許可証を見せた。学芸員が立ち会い、ガラスケースが開いた。
直人は白手袋で、三段目の編み目に指を入れた。紺糸の裏側。甲冑の胴板と糸の間に——
指先が金属に触れた。
「ある」
慎重に引き出した。真鍮の円盤。二枚目の潮印。
裏面の文字。「二ノ潮。次ハ渦ノ城。潮止マリヲ待テ」
「渦の城——能島です」凛が即答した。「能島城跡。周囲の潮流が渦を巻く、村上水軍の海城。潮止まりを待て——潮が止まる一瞬を狙って潜水する必要がある」
「海中か」
「はい。三枚目は——海の中です」




