第十九話 海賊の遺言
十一月。因島。
因島水軍城の資料館が、特別展の準備に追われていた。
「村上水軍の至宝——武吉公の遺言と名刀、四百年ぶりの帰還」。
文化庁と因島の博物館の共催。直人が記者会見で「海の近くに」と希望した通り、武吉の遺品は瀬戸内海を望む場所に収められることになった。
特別展の開幕前夜。関係者だけの内覧会。
資料館の展示室に、武吉の遺言書が広げられていた。防弾ガラスのケースの中。LEDの柔らかな光に照らされて、四百年前の墨文字が浮かんでいる。
直人は展示ケースの前に立っていた。隣に真琴。凛。早川とサラ。
そして——来島暁。
来島は保釈中だった。裁判は続いているが、弁護人が「文化財発見への貢献」を情状酌量の材料として主張し、保釈が認められた。今日の内覧会への出席も、特別に許可された。
来島はグレーのスーツを着ていた。痩せた顔。だが——目が穏やかだった。
「武吉公の遺言を、もう一度読みたい」来島が直人に言った。
直人が展示パネルの解説文を示した。遺言の全文が現代語訳されている。
来島が声に出して読んだ。
「——海の民は海に生き、海に帰る。この太刀は海を守る者の証。陸の権力者に屈するなかれ。海は誰のものでもなく、すべての者のもの」
来島の声が、展示室に反響した。
「——此の蔵に辿り着きし者よ。汝は海の道を歩みし者なり。太刀を持ち、海に還せ。海の民の誇りを、後の世に伝えよ」
来島が読み終わった。沈黙が落ちた。
「海は誰のものでもなく、すべての者のもの」来島が繰り返した。「村上のものでも、来島のものでもない。——五百年間、俺たちは何のために争ってきたのか」
「歴史のために」凛が言った。「過去の因縁のために。——でも武吉公は、未来のことを書いている。『後の世に伝えよ』と」
「後の世——」
「来島さん。裁判が終わったら——一つ提案があります」
「何だ」
「村上水軍の研究財団を作りたい。村上家と来島家の共同で。瀬戸内海の海洋文化の研究と保存。——武吉公の遺志を、一族が一緒に引き継ぐ」
来島の目が見開かれた。
「共同——? 村上と来島が——」
「五百年の因縁は、ここで終わりにしましょう。始まりに変えましょう。——来島さんは海運会社のCEOです。海のことを知っている。私は古美術商です。文化財のことを知っている。二つの力を合わせれば——」
来島が凛を見つめた。長い時間。
「……凛さん。あんたは——武吉公に似ている」
「え?」
「敵を味方に変える力がある。——武吉公は、瀬戸内海のすべての海賊を束ねた男だ。敵だった者も味方にした。あんたは、その血を引いている」
来島が頭を下げた。深く。
「……受ける。——お前の提案を受ける。刑期が終わったら——一緒にやろう」
凛の目に涙が浮かんだ。だが笑っていた。
「はい。——ようこそ、同じ海に」
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内覧会の後、展示室に残ったのは直人と凛だけだった。
武吉の遺言書のケースの前で、二人は並んで立っていた。
「凛さん。ご苦労さまだった」
「鷺宮さんこそ。——あなたがいなければ、何も始まらなかった」
「俺は巻物を光に透かしただけだ。あとは流れに乗っていただけで」
「その流れを作ったのは、あなたの手です。——修復士の手が、壊れた歴史を直してくれた。村上と来島の、五百年の断絶を」
凛が武吉の遺言書を見つめた。
「武吉様。ようやく——お役目を果たしました」
凛の声は静かだった。一族の当主としての声。
直人は何も言わず、隣に立っていた。それだけで十分だった。




