第十七話 夜明けの海
# 星霜の蔵II 海賊の遺言
## 第十七話 夜明けの海
白石島の沖。リブボートの甲板に六人がいた。
直人が真琴を抱きしめている。毛布にくるまれた真琴は震えが止まらない。低体温と恐怖。だが意識ははっきりしている。
来島が気絶した鬼頭をロープで縛り上げている。鬼頭の傍らに、白鞘の太刀。来島が洞窟の中で奪い返した。
凛がリブボートを操舵していた。白石島を離れ、沖に出る。
「潮風はどこだ——早川、サラ」直人がバーナーフォンで連絡した。
「こっちっす! エンジン直りました! サラが配線を——」
「サラが?」
サラの声が割り込んだ。「燃料パイプの切断箇所をバイパスしただけ。応急処置。——でも動く」
「白石島の南東三キロに来てくれ。合流する」
二十分後、潮風がリブボートの横に着いた。全員が潮風に乗り移った。
早川がデッキに出てきて、真琴の姿を見た。毛布にくるまり、直人の腕の中にいる。
「九条さん——! 大丈夫っすか——」
「大丈夫です。——早川さん、ありがとう。エンジンを直してくれて」
「俺じゃなくてサラが——」
「二人で、です」真琴が微笑んだ。唇が紫色だが、笑顔だった。
直人は真琴を船室のベッドに寝かせた。毛布を三枚重ね、温かい飲み物を用意した。
「直人さん」
「何だ」
「さっき——水の中で。レギュレーターを渡してくれた時」
「ああ」
「あれは——人工呼吸でしたか。それとも——」
直人は黙った。水中で、真琴の唇に自分のレギュレーターをあてがった。唇と唇の間に、金属のマウスピースがあった。直接は触れていない。——だが。
「レギュレーターだ。口移しではない」
「本当に?」
「……限りなくそれに近かったが、レギュレーターだ」
真琴が笑った。小さく。震える体で。
「嘘でも——口移しだったと言ってくれればよかったのに」
「真琴さん」
「冗談です。——でも、次に命の危険があった時は、レギュレーターなしでお願いします」
直人は何も言えず、真琴の手を握った。真琴の手が、握り返した。冷たい手が、少しずつ温かくなっていった。
---
夜が明けた。
瀬戸内海の東の空が、オレンジから金色に変わっていく。水平線が光の帯に縁取られる。島々のシルエットが、一つずつ浮かび上がっていく。
デッキに全員が出てきた。真琴も毛布を肩にかけて。
鬼頭は縛られたまま船室の隅にいる。意識は戻っているが、抵抗する気力はないようだ。
来島が甲板の端に立っていた。夜明けの海を見つめている。血まみれの拳を海水で洗っている。
「来島さん」直人が声をかけた。
「……何だ」
「鬼頭はどうする」
「警察に引き渡す。暴行、監禁、器物損壊、文化財の窃盗未遂。——十分だろう」
「あんたは」
「俺も自首する」
直人は来島を見た。来島は海を見たまま続けた。
「俺は文化財の闇ブローカーだった。違法な取引に手を染めてきた。鬼頭の暴走は俺の監督責任だ。——鷺宮さん。あんたの仲間を危険に晒したのは、俺の責任だ」
「あんたは最後、真琴さんを助けてくれた。洞窟の中で鬼頭と戦ってくれた」
「それで帳消しにはならない。五百年の因縁とか言って——結局、俺は村上の財宝を奪おうとした。力で。——武吉公の遺言は、『海は誰のものでもなく、すべての者のもの』だ。俺は——それを理解していなかった」
来島が直人を見た。鋭い目。だがその奥に——何かが変わった光があった。
「面白い冒険だった。——鷺宮さん、あんたは面白い男だ」
「あんたもだ」
来島が少しだけ笑った。初めて見る笑みだった。
---
午前八時。潮風は今治港に向かっていた。
港が見えてきた時、岸壁に——車が停まっていた。黒い公用車と、パトカー。
「朝倉——」
「待ってください」サラがスマートフォンを操作していた。「朝倉さんの内部メール、もうマスコミに流してある。一時間前に」
「流した? いつ——」
「洞窟から脱出して一段落した時に。——朝倉さんの内部メール。文化財を外交カードとして使う計画。具体的には、村上水軍の財宝を日韓文化財交渉のバーター材料にしようとしてた。メールに全部書いてある」
「それをマスコミに——」
「NHK、朝日、読売、毎日、産経、全キー局に同時送信。——あと、文化庁長官と宮内庁にもCCしておいた」
「CC!?」早川が叫んだ。「お前——全方位爆撃かよ——」
「効率的でしょ。はい論破」
---
今治港に着いた。
岸壁で待っていたのは——朝倉ではなかった。
朝倉の代わりに、文化庁の職員が二人と、愛媛県警の刑事が三人。
「鷺宮直人さんですか。——文化庁文化財第一課です。お話を伺いたい」
「朝倉室長は」
「朝倉は今朝、更迭されました。内部メールの件で。——文化財特別対策室は、本日付で活動停止です」
直人は振り返ってサラを見た。サラがピースサインをしていた。
来島が自ら名乗り出た。「来島暁です。自首します」。警察が来島に手錠をかけた。鬼頭も連行された。
直人たちは——身柄を拘束されなかった。文化庁の職員が説明した。
「星霜蔵の前例があります。鷺宮さんのチームは、文化財発見への協力者として扱います。——潮印と太刀と遺言書は、鑑定のために一時預かりますが、所有権については別途協議します」
「博物館に入れてくれ」直人が言った。「因島の博物館に。——海の近くに」
「ご希望として記録します」




