第十五話 崩落
天井が崩れている。
鍾乳石が地底湖に落ち、水柱が上がるたびに洞窟全体が揺れた。壁から岩の破片が飛び散る。
直人、凛、来島の三人が、崩壊する洞窟の中に取り残された。
鬼頭は太刀を持って水中に消えた。脱出トンネルに向かったのだろう。だがトンネルの入口には落石が——
「トンネルが塞がれている」直人が水中を覗き込んだ。岩の破片がトンネルの入口に堆積している。人が通れる隙間はない。
「別の出口は——」来島が壁を見回した。
「ない。この洞窟は一つの入口しかない——」凛が言いかけて、天井を見上げた。
天井の亀裂。崩落で新しくできた亀裂から、微かに——空気が流れている。
「空気だ。上に空間がある」
「上? 天井の上に?」
「この洞窟は海底の岩盤の中にある。岩盤の上は海底だが——亀裂があれば海に通じる」
「亀裂を広げて海に出る?」
「他に選択肢がありますか」
水位が上がり始めた。崩落で洞窟の密閉が破れ、海水が流入している。足首。膝。
「時間がない」直人が言った。「壁を壊す。天井の亀裂の近くの壁が最も薄いはずだ——」
「壊す? 素手で?」
来島が直人を見た。そして——壁に向かって拳を構えた。
「やる。——鷺宮さん、どこを打てばいい」
「亀裂の右側。岩の色が変わっている部分。風化が進んで脆くなっている。——そこだ」
来島が拳を振るった。空手の正拳突き。岩に拳がめり込んだ。岩の破片が飛んだ。だが貫通しない。
凛も加わった。岩に向かって蹴りを入れる。
直人は修復道具のヘラを使った。チタン製のヘラを亀裂に差し込み、梃子の原理で岩を押し広げる。ヘラが曲がりかけた。
「もっと——深く——」
水位が腰に達した。
来島が二度目の正拳を叩き込んだ。三度目。拳から血が出ている。だが構わず打つ。
四度目——岩が割れた。
亀裂が広がり、向こう側に——海水。海が見えた。暗い青。
小さな穴。人が通るには狭い。だが——
「広げる!」
三人が穴の縁を蹴り、殴り、ヘラでこじ開けた。岩が砕けていく。穴が広がる。人が一人通れる大きさに——
「行けるぞ!」
水位が胸に達していた。
「レギュレーターを咥えろ! 海に出たら一気に浮上——ただし速すぎるな。減圧症になる」
凛が先に穴を通った。直人が続く。腰に括りつけた防水バッグ——武吉の遺言書が入っている——が岩に引っかかりそうになった。体をねじって通す。来島が最後。
海中に出た。穴の向こうは海底だった。岩の隙間から海に出た三人が、上を目指して泳ぐ。
水深十五メートル。十メートル。五メートル。
光が増していく。海面の光。
水面を破った。
空気。太陽。波。
三人が海面に浮かんだ。来島海峡の潮流が、すでに動き始めていた。体が流される。
「潮風は——」直人が周囲を見渡した。
潮風が——いない。
あるべき場所に船がない。代わりに——海鷹が見えた。来島の船。だが甲板に——
「鬼頭が海鷹を奪ってる——!」
鬼頭は太刀を持って海面に浮上し、海鷹に戻っていたのだ。そして来島を置いて船を奪った。
「あの野郎——!」来島が叫んだ。
「潮風はどこだ——早川! サラ! 真琴さん!」
遠くに——潮風の白い船体が見えた。だが動いていない。漂流している。
「エンジンが——止まってる?」
凛が泳ぎ始めた。直人と来島も続く。潮流に逆らいながら、必死で潮風に向かう。
十五分かかった。三人が潮風に辿り着いた時、甲板に早川とサラがいた。
「鷺宮さん——!」早川が叫んだ。顔が青ざめている。
「何があった! エンジンは——真琴さんは!」
「鬼頭が——潮風に来たんすよ。海から上がってきて。太刀を持って。エンジンを壊して——真琴さんを——」
「真琴さんを!?」
「連れて行った。海鷹に。真琴さんを人質にして——」
直人の世界が止まった。
真琴。
「鬼頭の方向は——」
「南東。——白石島方面に向かった。サラがGPSで追跡中——」
「追跡できてるのか!」
「鬼頭のスマートフォンにバックドアを仕込んであった」サラが画面を見せた。「大久野島で。あいつのスマホに触った時に。——位置は分かる」
「エンジンは」
「壊されたっす。燃料パイプを切断されて——修理に一時間は——」
「一時間もない。——来島さん」
直人は来島を見た。海水に濡れた来島が、甲板に立っていた。血まみれの拳。
「海鷹はお前の船だ。鬼頭はお前の部下だ。——助けてくれ」
来島が直人を見つめ返した。
「……俺の部下が、お前の女を攫った。——俺の責任だ」
「船が要る。どこかで調達できるか」
「今治の港に予備の船がある。高速ボート。潮風より速い」
「時間は」
「今治までは——巡視艇がまだこの海域にいるなら、捕まるリスクがある」
サラが割り込んだ。
「巡視艇は来島海峡の西に移動してる。東側はクリア。——今治まで二十分。漁師の船を借りれば」
凛が動いた。近くの漁船に声をかけている。凛は瀬戸内海の漁師ネットワークを持っている。
五分後、漁船が潮風の横に着いた。
「乗って」凛が言った。
直人、凛、来島が漁船に乗り移った。早川とサラは潮風に残ってエンジンを修理する。
「早川。修理が終わったら白石島に向かえ」
「了解っす。——鷺宮さん、真琴さんを」
「取り戻す。必ず」
直人が漁船に足をかけた時——サラの声が背中に届いた。
「鷺宮さん」
「何だ」
「気をつけて。死んだら許さないから」
直人は振り返った。サラの目は真剣だった。冗談を言う目ではない。
「死なない」直人が答えた。
早川が横から言った。
「基本だから」
直人と早川の目が合った。一年半前の星霜蔵。同じ言葉を交わした夜がある。あの時は早川が直人に言った。今度は——二人が同時に、同じ言葉を口にした。
「……基本だから」直人が頷いた。




