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第十四話 竜宮  

水中は、別世界だった。

 直人は人生で初めてスキューバで潜った。レギュレーターから送られる空気を吸い、慣れない浮力に戸惑いながら、凛の後を追って沈んでいく。

 水深五メートル。十メートル。耳が痛い。凛のジェスチャーに従って耳抜きをする。痛みが和らぐ。十五メートル。

 海底が見えてきた。岩場。海藻が揺れている。魚が群れている。瀬戸内海の海底は、穏やかな光の中にあった。

 凛が手で方向を示した。岩場の中に——暗い穴。魚群探知機が捉えた窪み。幅三メートル。

 洞窟の入口。

 二人は入口に向かった。凛が先に入り、水中ライトで内部を照らす。直人が続く。

 穴は最初は狭かったが、数メートル進むと急に広がった。そして——上向きに続いていた。海底の穴が、斜め上に向かうトンネルになっている。

 泳ぎ上がっていく。五メートル。十メートル。

 水面に出た。

 頭が水面を割った瞬間、直人はレギュレーターを外して空気を吸い込んだ。洞窟の中の空気。新鮮ではないが、呼吸できる。海面より高い位置に空洞がある——地質学的に稀だが、あり得る構造だ。

 水中ライトを上に向けた。

 巨大な空間。鍾乳洞だった。天井から鍾乳石が垂れ下がり、水滴が落ちている。地底湖の水面に波紋が広がる。

 地底湖の中央に——石造りの台座。直人が水から上がって台座に近づいた。凛も続く。

「ここが——竜宮」

 台座の上に、木箱があった。杉材。古い。だが保存状態は良い。乾燥した洞窟の中で、四百年間守られてきた。

 直人が箱を開けた。

 中に——巻物が一本。そして太刀が一振り。

 太刀は白鞘に入っている。鞘を少しだけ引いた。刃が鋭い光を放った。銘は見えないが、直人の修復士の目は一目で分かった。名刀だ。

 巻物を開いた。

「村上武吉の——遺言だ」凛が震える声で言った。筆跡を見ただけで分かるのだろう。一族に伝わる筆跡。

 武吉の遺言。直人は読み始めた。

「海ノ民ハ海ニ生キ、海ニ帰ル。此ノ太刀ハ海ヲ守ル者ノ証ナリ——」

 直人は読み進めた。

「陸ノ権力者ニ屈スルナカレ。海ハ誰ノモノデモナク、スベテノ者ノモノナリ。此ノ蔵ニ辿リ着キシ者ヨ。汝ハ海ノ道ヲ歩ミシ者ナリ。太刀ヲ持チ、海ニ還セ。海ノ民ノ誇リヲ、後ノ世ニ伝エヨ」

 凛の目から涙がこぼれた。ウェットスーツの頬を、涙が流れ落ちた。

「武吉様——」

 四百年前の声が、地底湖の洞窟に響いていた。


 だが感傷に浸る時間はなかった。

 水面に——泡が立った。誰かが潜水してきている。

 水面が割れ、男が浮上した。来島暁。スキューバのフル装備。

 来島の後ろにもう一人——鬼頭。

「やはりここか」来島がマスクを外した。「凛さん。先に着かれたようだ」

「来島さん——」

「偽物を渡されたのは参った。さすが村上の当主だ。古美術商の技が生きたな」

 来島の目が、台座の上の太刀と巻物に向いた。

「それが——武吉公の遺品か」

「はい。——来島さん。これは博物館に入るべきものです」

「博物館?」来島の目が鋭くなった。「これは海の民の宝だ。ガラスケースの中に閉じ込めるものではない」

「では何に使うのですか。闇市場で売るのですか」

「売らない。——来島の名誉のために使う。五百年間、村上に敗れ続けた来島の歴史を、この太刀で書き換える。来島が武吉の宝を手にすれば——」

「歴史は書き換わりません。宝を奪っても、歴史は変わらない」

 来島と凛が対峙している間に、直人は巻物を防水バッグに入れた。太刀は——持ち出せるか。白鞘ごと背負うしかない。

「鬼頭」来島が命じた。「太刀を取れ」

 鬼頭が動いた。直人に向かって。

 だがその時——洞窟の天井から、轟音が響いた。

 落石。鍾乳石が天井から剥がれ、地底湖に落ちた。巨大な水柱。

「何だ——」

「上で爆発があった——」凛が叫んだ。

 鬼頭が独断で仕掛けた発破だった。証拠隠滅。洞窟を崩落させて、全てを埋める。鬼頭が来島の命令を無視して——

「鬼頭! お前——」来島が叫んだ。

「悪いな、来島さん」鬼頭の声が変わった。丁寧語が消えている。「あんたはもう用済みだ。太刀は俺がもらう。闇市場で五十億は下らない」

 鬼頭が太刀を奪い取り、水中に飛び込んだ。一人で脱出するつもりだ。

「裏切り——!」

 天井が崩れ始めた。鍾乳石が次々と落下する。岩が割れる音。水しぶき。

「脱出路が——」直人が水中を見た。入ってきたトンネルに——岩が落ちてきている。

「塞がる——!」

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