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続・小生さんがゆく。  作者: 釜瑪秋摩


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第4話 訪問帰りの学食物語

 小生の名は、文谷修蔵(ふみやしゅうぞう)

 四十八歳、平社員にして、食に生きる男である。


---


 午後二時。


 朝イチから得意先を数件回り、ようやく会社へ戻る途中であった。


 今日は大杉課長から急な指示で、普段は行かない地区の取引先を回された。

 書類に不備があったとかで、謝罪と修正の繰り返し。

 小生のミスではないのだが、平社員である以上、文句は言えぬ。


 疲れた足を引きずりながら、最寄り駅へと向かう。


 街角を曲がると、視界の片隅に見覚えのある門が現れた。

 かつての我が母校──小生が学生時代を過ごした大学の正門である。


「……ああ、ここは」


 懐かしさが、一気に押し寄せてくる。


 二十五年前。小生はここで四年間を過ごした。

 文学部。文豪に憧れて選んだが、才能はなかった。

 授業はサボりがち、友人と語らい、図書館で居眠りをし、学食で腹を満たす日々。


 平凡で穏やかな青春であった。


 ふと、門の脇に新しい看板が目に入る。


「学食、一般開放中。どなたでもご利用いただけます」


「……なるほど、今はそういう時代か」


 近年、学食を一般開放する大学が増えていると聞いたことがある。

 地域貢献、収益向上、様々な理由があるのだろう。


 つまり――小生も入れるということだ。


 心が揺れる。


「いや、しかし……四十八のおじさんが学食に入るというのは……」


 周囲を見渡す。学生たちが談笑しながら構内を歩いている。

 小生と同世代なのは、恐らく教授くらいであろう。


「浮くであろうな、確実に」


 だが――。


 腹は空いている。会社まではまだ距離がある。

 そして何より、懐かしさが小生の足を引っ張っているのだ。


「……ええい、まあいいではないか。一般開放されているのだ。堂々と入ればよい」


 小生は意を決して、正門をくぐった。


 構内を歩く。


 木々の緑、古びた校舎、ベンチに座る学生たち。

 二十五年という月日が流れても、風景はあまり変わっていない。


 変わらぬ景色の中――小生だけが、確実に年を取った。


 学生たちの視線が、少し気になる。

 実際には誰も小生を見ていないのだが、そんな気がするのだ。


「中年男が一人、キャンパスを歩く……不審者と思われていないだろうか」


 しかし小生、足は止めない。目指すは学食である。


 やがて見えてきた、懐かしい建物。

「第一学生食堂」という看板は、当時のままだ。


 入口に立つ。


 中から聞こえてくるのは、学生たちの笑い声、食器の音、調理場の喧騒。

 そして――カレーのスパイス、揚げ物の油、ソースの甘い香り。


「……ああ、この匂い」


 小生の胃袋が、記憶を呼び覚ます。

 深呼吸をして、扉を押す。


 学食の中は、活気に満ちていた。


 木製のテーブル、プラスチックのトレー、行列をなす学生たち。

 当時と変わらぬ光景。ただ、食券機が新しくなっていた。


 小生は列に並ぶ。


 前にいるのは、恐らく一年生であろう男子学生二人。

 後ろには、女子学生のグループ。


「……小生、完全に場違いである」


 スーツ姿の中年男が一人、学生に混じって並んでいる。

 客観的に見れば、異様な光景であろう。


 ここまで来てしまっては、もう引き返せない。


 メニューを見上げる。


 カレー、ラーメン、うどん、日替わり定食……。

 そして、目に留まったのは――。


《ハンバーグ定食 550円》


「……これだ」


 当時、小生が最も好んだメニュー。

 皿に乗ったハンバーグ、半熟の目玉焼き、ライスに味噌汁。


 週に三回は食べていた、青春の味である。値段はいささか上がっているようだが。

 食券を購入し、カウンターへ向かう。


「ハンバーグ定食、お願いします」


「はい、少々お待ちください」


 調理場の奥から、ジュウジュウとハンバーグを焼く音が響く。


 待つ間、周囲を見渡す。


 窓際では四人組の学生が、スマホを見ながら笑っている。

 カウンター席では、一人の女子学生がノートに何か書き込んでいる。

 小生が学生の頃は、皆もっと喋っていた気がするが――。

 いや、それは記憶の美化かもしれぬ。


 ふと、隣のテーブルに目が行く。


 一人で黙々とカレーを食べる男子学生。

 恐らく三年生くらいであろうか。真面目そうな顔つきだ。


 その姿に、小生は当時の自分を重ねた。


 小生も、よく一人で学食に来た。

 友人と来ることもあったが、一人の方が落ち着くこともあった。

 何も考えず、ただ食べる時間。それが心地よかったのだ。


「お待たせしました、ハンバーグ定食です」


 トレーが目の前に置かれる。


 皿の上でジュワッと湯気を立てるハンバーグ。

 その上に乗った半熟の目玉焼き。

 添えられたサラダ、ライス、味噌汁。


「……ああ」


 言葉が出ない。


 これだ。これなんだ。

 小生が二十代の頃、何度も食べたあの味。


 箸を手に取り、まずはハンバーグを一口。

 肉汁がじわりと口に広がり、ソースの甘みが舌を包む。


「……うまい」


 変わっていない。味が、変わっていない。

 二十五年という歳月を経ても、この学食は同じ味を守り続けている。


 目玉焼きの黄身を箸で割る。

 とろりと流れ出す黄身を、ハンバーグに絡める。


「……これだよ、これ」


 小生は今、確かに二十代に戻っている。

 スーツを着た四十八歳の自分ではなく、未来に希望を持っていた、あの頃の文谷修蔵に。


 食べ進めながら、小生は思った。


 あの頃、小生は何を考えていたのだろう。

 卒業後はどこかの出版社に入り、編集の仕事をしたいと思っていた。

 文豪にはなれずとも、本に関わる仕事がしたかった。


 だが現実は――営業の平社員である。

 出版とは何の関係もない、機械部品メーカーの営業。

 四十八歳にして、昇進の見込みもない。


「……夢など、とうに諦めた」


 二十五年前の自分が愛したこの味を、今の小生もまた、美味いと感じている。

 それだけで、十分ではないか。


 食べ終え、トレーを返却口へ運ぶ。


「ごちそうさまでした」


 窓の外、キャンパスを行き交う学生たちは、未来に向かって歩いている。

 小生が二十代だった頃と同じように。


 彼らの中には、夢を叶える者もいるだろう。

 そして小生のように、夢破れる者もいるだろう。


 ――それでいいのだ。


 人生は思い通りにはいかぬ。

 小生がその証拠である。


 しかし、この学食がある限り。

 この変わらぬ味がある限り。


 小生はまた、ここに戻ってこられる。


 学食を出る。


 冬の冷たい風が、キャンパスの木々を揺らしている。

 学生たちの笑い声が、遠くから聞こえてくる。


「食は、記憶を紡ぐ。過去と現在を繋ぐ、確かな糸である」


 小生は心の中で呟いた。


 会社まで、あと三十分。

 午後の仕事が待っている。

 大杉課長の小言も、書類整理も、すべて待っている。


 ただ――今の小生は満たされている。

 胃袋も、心も。


「また来よう。次は学生が少なくなるであろう、もう少し遅い時間に」


 そう心に刻みながら、小生は駅へと向かった。


 母校の学食は、いつでも小生を受け入れてくれる。

 二十五年前と変わらぬ味で。





-完-

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