第1章 青髪の剣士は一人でいたい
フレイマ王国首都の冒険者ギルドは、いつ来てもやかましい。
朝から酒の匂いがしているのは、どう考えてもおかしいと思う。
「なあ、新しく入ったあの剣士、見たか?」
「見た見た。青い髪の。……なんか、近寄りがたい感じの」
「アクアリア出身らしいぜ? 魔法の国出身なのに剣士って、わけわからんよな」
「しかも魔法、ひとつも使わねえんだろ? 絶対、裏があるって」
カウンターの奥から、そんな声が聞こえてくる。
……聞こえなかったふりをするのも、もう慣れた。
私は掲示板に並ぶ依頼書を眺めながら、耳だけをそちらに向ける。
アクアリア出身の青髪の女剣士。
魔法を使わないのに強すぎる。
無愛想で、誰とも組まない。
――噂なんて、大体そんなところだ。
否定する気はない。
ほとんど事実だから。
(今日は……魔物討伐か、護衛か。どちらにしようかしら)
黙って依頼書を目で追っていると、横から事務員の少女が遠慮がちに声をかけてきた。
「あ、カミーユさん。おはようございます」
「おはよう」
「今日もお一人で依頼を受けるんですか?」
「ええ。いつも通り」
私が短く答えると、彼女は「ですよね」と少しだけ目を伏せた。
心配されているのは、分かっている。
でも、パーティーなんて組まない方がいい。
誰かと組めば、その分だけ──
失うものが、増える。
……もう二度と、あんな思いはしたくない。
「……カミーユさん」
「何?」
「いえ、その……最近、特級魔物の噂が増えてまして。ギルドとしては、なるべくパーティーで依頼を受けていただけると」
「検討しておくわ」
検討するだけなら、タダだ。
本気にされたら困るけれど。
私は目についた討伐依頼を一枚、静かに取り外した。
場所は紅蓮洞窟。
火山地帯にある、魔物の巣窟。
危険度はそれなりに高い。
一人で行くには、ちょうどいい。
「それ、今日もおひとりで……?」
「ええ」
「そ、そうですか……」
事務員の少女が不安そうに眉を寄せた、その時だった。
「お、一人で紅蓮洞窟? やっぱり噂通り、かっこいいなぁ」
ひょい、と。
私の肩越しに、ぬっと顔が覗き込んできた。
明るい茶色の髪。
少し幼さの残る顔立ち。
なのに、腰に下げた剣は見慣れた軍規格のもの。
……年下だな。間違いなく。
「……誰?」
「ひど。初対面でそれは刺さるなぁ。
エリオット。フレイマ王国討伐隊の副隊長だよ。よろしくね、カミーユさん」
人懐っこい笑顔で、当たり前のように名前を呼ばれた。
少なくとも、私は名乗っていない。
「どうして、私の名前を?」
「ギルドで有名だもん。“青髪の剣士カミーユ”って。
ほら、噂になってるよ?」
さらりと当たり前のことのように言って、彼はカウンターの方に顎をしゃくった。
視線を向ければ、さっきからこちらをちらちら見ていた男たちが、慌てて目をそらす。
……知っている。
噂されているのは、前からだ。
「それで? あなたが私に何の用?」
「その紅蓮洞窟の依頼、俺たちのパーティーも狙ってたんだ。
できれば一緒に行きたいなと思って」
「断るわ」
「即答!」
エリオットと名乗った男が、楽しそうに目を丸くした。
「一応理由、聞いてもいい?」
「私、一人で戦う方が楽なの。足並みを合わせるのは向いていないわ」
「ふむふむ。じゃあさ」
彼はぐっと距離を詰めてきて、私の目の前で、にこっと笑った。
「俺たちが、カミーユさんの足並みに合わせるってのは?」
……この男、距離感というものを知らないのだろうか。
「そういう問題じゃないわ」
「じゃあ、どういう問題?」
「…………」
どう説明したらいいのだろう。
“誰かと一緒に戦って、その人が血を流すのを見るのが怖い”
なんて、本音を言えるはずもない。
あの時の光景が、今でも時々、夢に出る。
紅い血と、黒い瘴気と、泣きながら笑っていた「ドス黒い私」。
そして――
好きだった人の、灰色の瞳。
その隙間に、母の声が滑り込んできた。
――いいわね、その感情。
――利用してあげる。
胸が、ずきりと痛んだ。
私は短く息を吸い込む。
「私には、パーティーを組む気はない。それだけよ」
「ふーん」
エリオットは、あっさりと受け流したように見えた。
だが、次の瞬間。
「じゃあ、“形だけ”でもいいからさ。
俺たちの依頼に、名前だけ貸してくれない?」
「は?」
「ほら、ギルド的には“パーティー組んでるほうが安全で安心”って顔が立つでしょ? だから一応、書類上だけでも」
「でも実際には別行動、ということ?」
「うん。現地まで一緒に行って、そこからは好きにしていいよ。
本当に困った時だけ、お互い助け合うってことで」
それは……
実質、一人で行くのと変わらない。
ただ、彼らの名前と私の名前が、紙の上で同じ欄に並ぶだけ。
「ダメ?」
上目遣いでこちらを見るな。年下のくせに。
「……そこまで言う理由は?」
「決まってるじゃん。カミーユさんみたいな強い人と一緒に依頼に行けるなんて、滅多にないから」
さらっと言って、エリオットは照れもせず笑った。
こういうタイプの男は、苦手だ。
心のどこかが、ざわざわする。
嫌悪ではない。
もっと厄介な、別の何か。
――“好きになる前兆”と、よく似た。
(……落ち着きなさい。これはただの世辞)
深く息を吐いて、自分の感情を押し込める。
「書類上だけなら。実際の指揮系統には従わないわよ」
「やった! ありがとう、カミーユさん!」
彼は本当に嬉しそうに笑って、事務員の少女のところへ駆けて行った。
「すみませーん! 紅蓮洞窟の依頼、カミーユさんと共同で受けます!」
「えっ、カ、カミーユさんと……!?」
カウンターが少し騒がしくなる。
私は、その光景を少しだけ離れたところから眺めた。
(……どうして、あんなに嬉しそうにできるのかしら)
人と関わるのは怖い。
好きになればなるほど、心に隙が生まれる。
その隙間に、また母の怨念が入り込んでくる気がする。
私はもう二度と、あんなふうに誰かを傷つけたくない。
恋なんて、もうしない。
そう決めて、剣を選んだのに――
「カミーユさーん、一緒に行こう」
ひょい、と。
さっきと同じように、私の隣に並んで歩き出す影がある。
「……勝手に隣を歩かないで」
「えー、どうせ同じ方向じゃん。だったら隣の方が楽しくない?」
「楽しくする必要はないわ」
「俺は楽しいけど?」
無邪気に、迷いなく。
まっすぐな瞳で笑われると、心のどこかがずるりと揺れる。
危ない。
また、ここから崩れていくかもしれない。
でも。
(……“形だけ”のパーティーなら。少しだけなら)
私は、自分の胸のざわめきから目をそらしながら、歩調を合わせた。
紅蓮洞窟へ向かう道は、いつもより少しだけ、賑やかだった。




