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パチンコが人生を壊すまで 第2部 ~壊れた日々のあとで~

「再び、生きるということ」


あの日、僕は一度、死んだ。

あのベッドの上で目覚めたときから、僕の人生はゼロから始まった。


だけど、「終わり」じゃなかった。

依存症という病を抱えて、それでも、もう一度この世界で生きることを選んだ。


人の言葉を聞くこと。

過去を語ること。

再び裏切ってしまいそうな自分を、毎日許すこと。


それは、きれいな物語じゃなかった。

何度も、足元が崩れた。何度も、逃げたくなった。


それでも、前を向くことを、僕は選び続けた。

これは、僕が「生き直す」ための記録だ。

第二部:『壊れた日々のあとで』


第8章:再出発


施設での仕事は、思った以上に体力も神経も使った。

毎日、さまざまな依存症のケースと向き合う。

パチンコ、アルコール、薬物、ネット。


「もうダメです。死んだほうがマシだって思ってしまう」


そう言って泣き崩れる若者の肩を、僕はただそっと支えるしかなかった。


彼らに何を語れるのか。

いつも自問しながら、それでも、僕は僕自身の過去を話した。


「僕も、そう思ってた。でも、助かった。今は、生きてるって言える」


生活は質素だった。

ボロアパートの一室。

冷蔵庫には安いカップ麺と、母が送ってくれた野菜。

それでも、毎朝目が覚めたときに思う。


「今日を生きよう」


パチンコに行きたくなる夜もあった。

夢に、あの騒音と光が甦ることもあった。

けれど、僕にはもう語れる場所があった。


グループセッション。

支援者の仲間。

そして、僕自身の仕事。


「一緒に、今日を乗り越えましょう」


ある利用者がぽつりと、「あんたが話してくれて、楽になった」と言った。

その言葉が、どんな報酬よりも重かった。


父とはまだ話せていない。

妹とも。

でも、母だけは、月に一度手紙をくれる。


『体に気をつけて。野菜も食べなさい』


その一文を読むだけで、僕は前を向けた。


再出発の道は、まだ始まったばかりだった。



第9章:再発の誘惑


施設で働き始めて二年が過ぎた。

順調だった。心身ともに健康を取り戻し、支援者としての信頼も得ていた。

けれど——ある夜、ふとしたきっかけで、あの欲望が胸をよぎった。


コンビニの前に貼られた広告。

『地域最大級!リニューアルオープン!』


そこには、僕がかつて通っていたパチンコ店の名があった。


心臓が、ドクンと鳴った。

足が、勝手に店の方へ向きそうになった。


帰り道、そのチラシを握りしめていた。

気づけば、駅のベンチに座っていた。


「行きたい……いや、だめだ」


頭の中で、天使と悪魔が戦っていた。


施設の同僚であり、回復プログラムの先輩でもある中沢さんに、すぐに電話した。


「……実は、パチンコの広告見て、揺れたんです」


中沢さんは静かに言った。

「正直に言えて、偉いよ。そういう瞬間が一番危ない。でも、それを話せたら、もう半分は勝ったようなもんだ」


その言葉に、救われた。


再発は、いつでも隣にある。

完治なんてない。ずっと、一生付き合っていくしかない。


でも、話せる相手がいる。

それが、僕の命綱だった。


その夜、日記にこう書いた。


『今日は、負けなかった。明日もそうであるように』


第10章:過去との再会

その日、僕は回復プログラムの出張講座で、ある大学に向かっていた。

講堂の片隅、ふと見覚えのある横顔が目に入った。


奈央だった。


視線が合わない距離だったけれど、僕にはすぐにわかった。

彼女は、何かの職員証を首に下げ、真剣な顔で学生たちの誘導をしていた。


動けなかった。


あのとき、僕が彼女の大切なものを質屋に入れたあの日から、すべてが止まっていた気がする。


講座が終わっても、僕は彼女に声をかけなかった。

それが彼女への礼儀だと思った。

ただ遠くから、彼女が笑顔で学生たちと話す姿を見て、

「ああ、彼女はちゃんと人生を歩いているんだ」と、思った。


それだけで、十分だった。


帰り道、街のベンチに腰掛け、携帯を開いた。

もう登録されていない彼女の番号の欄を、何度も見ては閉じた。


でもその晩、僕は不思議と眠れた。


夢に出てきた奈央は、怒っていなかった。

ただ静かに微笑んで、言った。


「あなたは、あなたの道を歩いて」


目覚めたとき、涙が出ていた。


過去は変えられない。

でも、過去を持ったまま前に進むことはできる。


あの別れも、僕の一部だ。


奈央がいたから、僕は底まで堕ちたあと、這い上がれた。


そして今、こうして誰かの力になれている。


「ありがとう、奈央」


そう呟いて、僕は今日も朝を迎えた。


第11章:語る者として

講演依頼が来たのは、ある支援団体を通じてだった。

「大学生向けに、ギャンブル依存のリアルを伝えてほしい」

断ろうか迷った。僕は話が得意じゃないし、人前に出ることにいまだ抵抗がある。

でも中沢さんが言った。


「お前の言葉で救われる人がいるかもしれない。それって、すごいことだろ?」


考えた末、僕は引き受けた。


当日、講堂に入ると、若者たちのざわめきが胸に響いた。

まるで、あの日の自分が何十人もいるみたいだった。


僕はゆっくりと壇上に立ち、マイクの前に立った。


「僕は、大学時代にパチンコ依存症になりました。自分の人生を、自分の手で壊しました」


最初の一言を口にした瞬間、心臓の鼓動が少しだけ落ち着いた。


僕は語った。

親に泣かれたこと、彼女を裏切ったこと、借金取りに追われた日々、そして、病院のベッドで生死の境をさまよったこと。


教室は静まり返っていた。

中には泣いている学生もいた。

質疑応答の時間には、ある男子学生が立ち上がった。


「僕の兄も依存症でした。……でも、最後まで助けられなかった。だから、今日の話、すごく心に刺さりました」


言葉にならなかった。


帰りの電車の中、僕はスマホのメモ帳にこう記した。


『語ることは、責任だ。でも同時に、祈りでもある』


誰かに届いてほしい。

今、地面に顔を伏せている誰かに。


その後も、講演の依頼がぽつぽつと届いた。

中には、母校の依頼もあった。あの、奈央と出会った大学。


僕は断った。

まだ、そこに立つ勇気はなかった。


でも、いずれは向き合おうと思っている。


パチンコの広告は今も街にあふれている。

煌びやかで、明るくて、人を惹きつける。

でもその奥に、破滅と孤独が潜んでいることを、僕は誰よりも知っている。


僕は、それを語る者になった。


もう、逃げない。


第12章:いつか、誰かのために

僕が初めて母校で講演をしたのは、三年目の春だった。


学生支援課から依頼が来たとき、正直、断ろうと思った。あの場所には、奈央との思い出がありすぎたから。

けれど——その痛みごと受け入れなければ、前には進めない気がした。


「戻るんですね。過去と向き合うのって、勇気いりますよね」


中沢さんが背中を押してくれた。


あの講義棟に足を踏み入れたとき、思わず胸がつまった。

あの日、奈央と出会った廊下。手をつないで歩いた中庭。

でも今、そこには笑い声が響いていた。僕たちの時間は、もう過去だった。


「こんにちは。今日は、僕自身の体験をもとに、パチンコ依存についてお話しします」


マイクを通した自分の声は、思ったより落ち着いていた。


依存が始まった経緯。

家族や恋人との関係が壊れていく過程。

自殺未遂と、再生までの道のり。

一つひとつ、嘘なく語った。


誰かが、涙を拭っていた。

ある学生は、終了後にこう言ってきた。


「実は、うちの父が……僕、ずっと恨んでました。でも、少しだけ、分かりたいと思いました」


その言葉に、報われる気がした。


僕が体験したのは「地獄」だった。

でも、地獄から帰ってきた者だけが持つ言葉がある。

もし、その言葉が誰かの心に届くなら——僕の過去は、無駄じゃない。


今、僕は全国を回って講演活動をしている。

病院、学校、地域の集会。時には刑務所も。


どの場所でも思う。


「一人でも多く、手前で止まってくれたらいい」


奈央とは、それっきり会っていない。

でも彼女の幸せを、心から願っている。

手紙の最後に書かれていた“あなたが幸せになりますように”——

あれは、呪いではなく、祈りだったと今なら分かる。


時々、自分に問いかける。


「本当に、立ち直ったのか?」


答えは、まだ分からない。


でも、今日も誰かの前で語れる限り、

僕は、この命をまっとうに使っていると思える。


いつか、誰かが、同じ道を歩かずに済むように。

そしてもし歩いてしまっても——戻ってこられるように。


僕は、語り続ける。


「壊れた人生に、意味を与える」


振り返って思う。

僕の人生は、失ったものばかりだった。


信頼も、愛情も、未来も——

自分の手で壊してしまった。


けれど、その瓦礫の中に、

ひとつだけ残っていたものがある。


「誰かの役に立ちたい」という気持ちだ。


かつての僕と同じように、

今まさに壊れかけている人に、

小さな声でもいい、「ここにいるよ」と伝えたい。


たとえ依存症が一生の隣人でも、

それでも、僕は今、「生きている」と言える。


人生は壊れる。

でも、壊れた先にも、生き方はある。


もしこの物語が、

誰かの明日を変える一歩になれたのなら——

それこそが、僕がここに書いたすべての意味だ。

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