地下六階
ここまでは何の問題も無く進んで来れた。現在はダンジョン攻略三日目にして、地下六階へと到達した所だ。
俺達が今いる場所は草原の真っ只中。そして、目の前には巨大としか言いようの無い密林が聳え立っていた。
「地下六階の魔物も二種類。一種はアラクネと言う魔物。上半身は人間で、下半身が蜘蛛。そして、密林の中は奴のテリトリーだ。罠を仕掛けて侵入者を待ち構えている」
俺の説明をアリスが真剣に聞いていた。ゴクリと喉を鳴らして小さく頷いている。
続いて俺は空を指さす。そして、遥か上空を飛ぶ、鳥らしきシルエットについて説明を行う。
「残り一種はハーピー。顔と胴体は人だが、手足が鳥と言う魔物だ。奴らは積極的に挑んでは来ないが、常にこちらの動向を観察している。油断していると、忘れた頃に奇襲を受ける」
アリスは空を見上げ、ハーピーを凝視する。しかし、彼女の視力でも遠すぎて、良く見えないらしい。
「そして、ここの攻略も力技が手っ取り早い。森林は俺の操るゴーレムで粉砕する。上空のハーピーはペローナに任せれば問題無い」
「ああ、任せておけ。この私が居る限り、奇襲などは成功させない」
ペローナ嗅覚や聴覚は獣人並みで、警戒能力が俺よりも高い。その上で遠隔射撃を得意とするので、殆どの魔物に先手を取れる。
上空の警戒をペローナに任せれば、俺はゴーレムによる道作りに注力出来る。そして、罠が粉砕されて焦ったアラクネは、俺が魔法で一網打尽に出来るのだ。
「まあ、そういう訳だ。ここの攻略も比較的容易だ。――俺達にとっては、だがな」
「そうですね。他の冒険者には真似出来ないと思います」
アリスは真顔で頷く。それが真実である以上、反論の余地など無いからな。
俺は説明を終えたので、いつも通りにテントを張る。そして、今回は仮眠では無くしっかりと休む。この攻略でここが最後の休憩場所となるからだ。
地下七階は深層と呼ばれる場所。出現する魔物の強さが段違いとなる。更に深層では休憩可能な場所がほぼ存在しないのだ。
今回は地下七階には半日しか居ない予定だが、初参加のアリスも居るからな。万全の状態で挑むべきだと考えている。
俺は念の為にと、眼鏡越しにアリスの状態を確認する。これまで魔力を使わせていないので、魔力酔いは起きていないと思うのだが……。
「――ん……? これは、一体……」
アリスの体を流れる魔力は安定している。魔力を使った後の、激しい流れは起きていなかった。
しかし、アリスの魔力量が明らかに増加している。今のアリスは何故か、ペローナを上回る程の魔力を有していたのだ。
「……アリス、体調に変化は無いか?」
「いえ、特には? むしろ、体の調子が良いくらいです!」
アリスはニコリと笑みを浮かべる。その表情には無理した所が無かった。
俺は念の為にとアリスの肩に触れる。そして、スキャンを掛けるが、こちらでも問題は見られなかった。
アリスの言う通り、体の調子は良さそうだ。何故か魔法でも掛けたかの如く、身体が活性化していたが……。
「今の所は問題無さそうだな。だが、気付いた事があればすぐに言え」
「え? はい、わかりました。気付いた事があればすぐ報告しますね!」
アリスはいつも通りの笑みで返事する。そして、俺と並んで携帯固形食をポリポリと齧り出す。
俺は横目でアリスを見るが、本当に異常は見られなかった。彼女の体と魔力が活性化する理由が、まったくもって見当がつかなかった。
こんな事例はこれまでに見た事が無い。俺自身の体調と魔力に変化は無い。向かいのペローナを見ても、魔力量が増加した様子は無かった。
――何がアリスに影響を与えている……?
このダンジョンだろうか? 或いは、ダンジョン内の濃厚な魔力だろうか?
だが、もしそうであるなら、どうしてアリスだけが? それは彼女が『超越者』だからか?
考えてみるが答えは出ない。この影響が良い物か、悪い物かさえ判断出来なかった。
普通に考えれば良い影響である。しかし、活性化による反動や副作用があるかもしれない……。
「結局は、経過観察しか無いのか……」
俺の呟きにアリスの兎耳がピクリと反応する。しかし、自分に向けた言葉で無いと気付き、視線はすぐに俺から外れた。
俺は何となく落ち着かない気分だった。アリスは興味深い研究対象。俺にとって有益なデータを取れる可能性があるのに。
それなのに、胸の内がモヤモヤとする。アリスに何かあればと思うと、そこに躊躇いが生れてしまうのだ。
――愚かだな。愚かだぞ、グリム……。
研究には失敗や犠牲は付き物。それを理由に足を止めるなど、あってはならない。それは賢者の成すべき行為ではない。
俺は自分にそう言い聞かせる。そして、ペローナに断って、先に休ませて貰う事にした。




