制裁
俺はアリスを攫った男に視線を向ける。すると、男は即座に平伏し、全面降伏の姿勢を取った。
本来ならば見せしめに殺す所である。しかし、アリスに殺しは無しだと約束をした。
グレーテルの件もあって許す気は無い。では、どうするかと悩んでいると、ふとあるアイデアが思い浮かんだ。
「よし、そうだな。そこのお前、その場に立て」
「へ、へい! グリムの旦那!」
片目に黒い眼帯に、赤シャツと黒ズボンと言う姿。裏社会のボスらしく、厳つさをアピールする姿だ。
しかし、直立不動の男はズボンを濡らし、下っ端らしい動きを見せる。今のこいつはプライドを捨て、全力に生を掴みに来ていた。
俺は男を立たせたまま、隣のアリスに視線を向ける。
「アリス、こいつの腹に全力の一撃を入れろ。それを今回の制裁代わりとする」
「「――えっ……?」」
アリスと男が同時に声を漏らす。男は目を丸くして、アリスは動揺で瞳を揺らしていた。
「だ、旦那? そんなもんで宜しいんですか?」
「ああ、お前にはやって貰う事がある。制裁としてはそれで終わらせる」
俺の言葉を聞いて、男は目に見えて安堵する。子供のパンチで済ますのだ。かなりの手心が加えられたと考えたのだろう。
まあ、それ自体は構わない。こいつには後で役目がある。今は油断している位で丁度良い。
しかし、アリスは苦しそうな表情を浮かべていた。上目遣いで俺を見上げ、言い難そうに口を開いた。
「グリム様、わたしには出来ません……。獣人奴隷のわたしが、人間を攻撃するなんて……」
青い顔で俯くアリス。その姿を見て、俺はやはりかと顔を顰める。
その可能性は考えていたのだ。アリスは普段から自分を卑下し、人間に怯える所があった。
それは過去のトラウマなのだろう。刻まれた心の傷が、自分は人間よりも下の存在だと認識させてしまっている。
――だからこそ、この制裁が必要なのだ……。
「……愚かだな。実に愚かだぞ、アリス」
俺の言葉にアリスはビクッと肩を揺らす。瞳に涙を浮かべ、上げた顔には絶望の色が滲んでいた。
俺に失望されたと思ったのだろう。見放されたと思ったのだろう。それはアリスにとって、絶望と思える言葉だったようだ。
「もう忘れたのか? お前は俺の物だ。他の奴隷は関係が無い。黙って俺の言葉に従え」
「あっ……」
アリスに金を持たせる時に、躊躇うアリスに俺が伝えた言葉だ。アリスもそれを思い出したらしい。
アリスの瞳から絶望が薄れ、俺に何かを求める瞳へと変わる。俺は小さく笑ってアリスに告げる。
「これまでの主人など関係無い。周囲の人間の意思もだ。俺がそうしろと命じるのだ。それ以外に、何が必要だと言うのだ?」
「……何も御座いません。わたしはグリム様のご意思に従うのみです」
アリスは穏やかに微笑む。涙は滲んだままだが、その瞳からは歓喜が滲んでいた。
俺は満足して頷く。後は実際に攻撃すれば、それで心の呪縛は解かれるだろう。
「良いか、アリス? 魔道具は無い。だが、今のお前の全力で攻撃するんだ」
「はい! わかりました、グリム様!」
アリスは短剣、腕輪、ブーツを取り上げられている。今の彼女は無手に素足だ。
だからこそ、アリスも全力の一撃を放てる。その瞳の色を見ても、今の彼女に躊躇いは無かった。
「これまでの恨みを全てぶつけろ! それでは殺れ!」
「はい、行きます! わたしの全力をぶつけます!」
ぼんやり眺めていた男へと、アリスは闘争心を漲らせた瞳で睨む。彼女の下腹部で魔力が増幅するのを俺は確認する。
そして、腐っても裏社会を生き抜いて来た男だ。アリスの纏う空気の変化に気付いたらしい。驚愕に顔を引き攣らせていた。
――ギュルン……!!!
アリスは身を捻って一回転する。そして、遠心力の付いたその踵を、男の腹部へと真っ直ぐ叩き込む。
――ゴッ! ゴゴンッ……!!!
「ヒギャッ……!」
眼帯の男は弾丸の如く弾け飛ぶ。そして、地下室の石壁に叩きつけられ、そのまま壁にめり込んでしまう。
男は白目で気絶し、血を吐きながら痙攣している。俺は男の元へ歩み寄ると、そっと触れて状態を確認した。
「内臓は破裂し、背骨は砕けている。しばらく放置すれば確実に死ぬな」
「し、しし、死ぬって……! わ、わたしが殺したって事ですかぁ……?!」
アリスは涙目になって絶叫する。膝はガクガクと笑い、別の意味で恐怖を覚えたらしい。
俺は見えないように小さく笑う。そして、男に治療を施しながら、背中越しにアリスへ告げる。
「こいつには役立って貰う。俺が治療するから死ぬ事はない」
「よ、良かったぁ……。わたしが殺したって思いましたぁ……」
アリスはその場でヘナヘナと座り込む。しかし、安堵するアリスに俺は告げる。
「だが、忘れるな。今のお前には人を殺せる力がある。その力の使い方には気を使え」
「あっ……?! はい、わかりました!」
俺の忠告に、アリスは真剣な眼差しで頷く。これで自らの力量が少しはわかっただろう。
「それと同時に覚えておけ。お前は人間に劣ってなどいない。多くの人間よりも、優れた力を持っているのだとな」
「わたしは人間に、劣っていない……?」
俺がこの制裁を選んだ理由。それは、アリスに自信を付けさせる為だ。
彼女は決して誰にも劣っていない。それに気付かせる事が出来たなら、少しはこの愚行も許せると言うもの。
治療を終えた俺は、ゆっくりと振り返る。アリスは嬉しそうに微笑みながら、いつまでも涙を流し続けていた。




